2007年02月09日

久生十蘭を探して(12)***阿部鑑の幻***

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久生十蘭を探して(11)を書いた直後に、著作権管理人から阿部鑑の居住地が分かったと言うメールが届きました。

興奮したのはもちろんですが、何でフランスに行く前にアルバムから絵葉書を剥がしてくれなかったのかなぁ、と言う気持ちもありました。(11)に書いたようにキャスタナリー街まで行って限られた時間でとりあえず全番地の建物を見てきたのですから、30番地と特定できていれば時間の使い方も違っていました。阿部鑑の幻とすれ違ってしまった気分です。とは言え済んだことを悔やんでいる暇があれば先へ進まないと思って気を取り直しています。

問題の30番地の辺りは(11)の写真の場所から7、80メートルほど入った右側の一帯です。あの写真では昔の姿が良く残っていると言う感じですが、キャスタナリー街全域ではかなり再開発が進んでいます。一目で戦後の建物と分る建物の方が多いように感じました。30番地と両隣の画像をアップします。限られた時間で引いた画像をじっくりと押さえてゆく余裕がななかったので、そちらは記憶にとどめて、位置関係を記録するために番地を写し込んだだけのものです。(フランスでは道の一方は偶数、反対側は奇数で番地が付きます)

次回のフランス訪問(予定では2007年9月)ではちゃんと押さえてくるつもりです。次回は「のんしゃらん道中記」の舞台を巡ってノルマンディ辺りで十蘭の足跡を探ってみたいと思っています。

hisaojuran at 17:43│Comments(9)TrackBack(0)久生十蘭を探して 

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この記事へのコメント

1. Posted by 亜子十郎   2007年02月14日 10:00
書き漏らしました。谷梅子?さんの葉書に書いてある「会議」とはジュネーブ軍縮会議と見て間違いないでしょう。この年の2月から始まっています。麻布台の外務省の外交資料館(だったかな?)辺りに行けばこの時の随行団の名簿は容易に見つかりそうなのですが、残念ながら行く暇がありません。

どなたかお手伝いをお願いできればと思っています。「準備委員会」にはいずれ編集委員を募って「久生十蘭オフィシャルサイト」にしたいと言う意味合いが含まれています。

正式に募集する前にみなさまのご意見もお聞きしたいと思います。いかがでしょうねぇ?

著作権管理人さんも当初のこのスタンスは変わっていませんよねぇ?って私信で確認すべきことですね。

                      亜子十郎 拝
2. Posted by 著作権管理人   2007年02月15日 11:53
亜子十郎さんへ

谷梅子さん情報の書き込み、ありがとうございます。
また、「準備委員会」から「オフィシャルサイト」への変更についての考え方も、その通り。
私のスタンスは変わっていませんので、ご安心ください。

これまで「久生十蘭」初心者として、いろいろな情報を皆さんにお伝えしてきましたが、それらの情報を裏付けることができれば、「正しい久生十蘭情報」として信頼に足るものになると思います。

せっかくのIT時代です。是非、皆さんのお力を貸していただき、ウィキペディアのように育てていければと期待しています。
どうぞよろしくお願いいたします。

3. Posted by pumpkin   2007年02月15日 21:00
私も何かのお役に立てればと思っています。
ただ、わたしは外国語に弱いので、その方面ではお役に立てません。
それでも少しは何かできそうな気がします。
機会があれば声をかけてください。
4. Posted by 著作権管理人   2007年02月19日 11:25
著作権管理にです。

pumpkinさん、ご愛読&コメント、いつもありがとうございます。
また、この度は早速、ご協力をいただけるとのこと、
たいへん心強く思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。

5. Posted by kuran   2007年03月12日 18:07
本文の文字数が多すぎる、とエラーに
なってしまったので2度に分けて投稿
させていただきます。

谷梅子さんは、
おそらく谷寿夫中将の夫人ではないでしょうか。
ネット検索で収集した情報からの推測であり、
一次情報に当たっているわけではないので、
裏づけを取る必要がありますが以下のサイトに
掲載されている情報から推測すると、ほぼ間違いない
ように思われます。

6. Posted by kuran   2007年03月12日 18:07
http://www.geocities.jp/boat_sparrowhawk/LeagueofNations.htm

最初のサイトには、当時ジュネーブに本部があった
国際連盟に代表として派遣されていた軍人の一覧が
掲載されています。この一覧の国連空軍代表の項に
谷寿夫中将の名があります。時期も昭和5年8月1日から
昭和7年7月4日まで国際連盟に派遣されていたとすれば、
葉書の時期(昭和7年5月)とも一致します。

http://imperialarmy.hp.infoseek.co.jp/general/yasukuni/tani.html

2つめのサイトでは谷寿夫中将の遺言状が掲載されています。この中に「梅子」の名が何度も出てきます。
おそらく夫人と考えて間違いないのではないでしょうか。

以上、当て推量で申し訳ありませんが、ご参考まで。
7. Posted by 亜子十郎   2007年03月13日 00:25
kuranさま、ありがとうございます。

年度末で忙しく、しばらく谷梅子さんの跡を追うのを怠っていました。まだ、ご指摘のURLを見ていませんが、取り急ぎ御礼のみで、ご容赦ください。

深夜に余り強くないので明朝、すっきりした頭で読ませていただきます。

本当にありがとうございました。

                      亜子十郎 拝
8. Posted by 亜子十郎   2007年03月14日 11:09
kuranさま、重ねて御礼します

間違いないようですね。恐らく阿部鑑との接点は高樹町ではないかと思います。高級軍人が多く住んでいた場所ですから。インターネットで谷寿夫を検索しても主として南京裁判でのB・C級戦犯として処刑されたことか「日露戦争史」についての情報しか出てきませんが、さらに調べてみることにします。

                    亜子十郎 拝
9. Posted by 亜子十郎   2007年04月17日 10:43
谷梅子について、かすかな記述を発見しました。日本人で初めてパリのコンセルバトアールを首席卒業したピアニスト原智恵子の評伝「原智恵子 伝説のピアニスト」石川康子著(ベスト新書)を読んでいたら、「今年も谷陸軍少佐夫人に着物を着せてもらった」とあります。この試験は1932年6月に行われたので阿部鑑と谷梅子はほんとうに僅かな期間にすれ違っていたことになります。音楽好きの十蘭は原智恵子の活躍をどのように受け止めたのでしょう?
私自身、特にクラシック音楽が好きと言うわけではなく、原智恵子の存在も全く知りませんでしたが、十蘭と同時期にパリに滞在していた日本人について闇雲に調べているうちに、彼女を知り、今では彼女のピアノのCDを聴きながら十蘭を読んだりします。なんだか十蘭に大きなプレゼントもしくは宿題をもらってしまったような気がします。


                     亜子十郎 拝

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