2007年03月14日

久生十蘭の仕事部屋から(41)  ***十蘭がパリで学んでいたこと***

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 アンコールワットのような建物の写真に
Exposition coloniale internationale Paris 1931とあります。
1931年に開催された「パリ国際植民地博覧会」の記念絵葉書です。

阿部鑑の渡仏関連の2冊のアルバムのうちの1冊にあったものです。「昭和六年十月 巴里出発の際門下の送別会」に始まり「社中送別会」「華道師範の送別会」「東京ニ於いての送別会」と続き、「イジプト・ピラミッド見学」「セイロン島見学」・・・。

亜子十郎さんが現在の場所を写真で紹介している「パリ15区キャスタナリー街30番地」にあった「キャスタンヤリー アパートの一室」で、柏に似た大きな葉をモチーフにした派手な模様の壁を背に、椅子に座る和服姿の鑑の写真もあります。

さらに「エッフエル塔」「ポートサイド見学」「上海の料亭 榛名丸一行」「マルセーユ牢獄ニテ」「甲板記念 榛名丸」「ナポリ出港 自写」「帰朝第一の集り」「日本橋白木屋帰朝」「今井楼上にてカンゲイ会」・・・。

間を埋めているのが、観光用絵葉書や「帝國美術院 美術展覽會」「二科美術展覧會」の出品作品の絵葉書。そこに脈絡もなく貼られていたのが、この絵葉書でした。

糊づけされた葉書の隙間から、文字が書かれていることが分かります。破らないようこわごわ剥がしてみると、宛名は「阿部鑑様」。文末には「将雄」「母上様」。十蘭の本名は「正雄」ですが、「母上様」というのですから、十蘭以外は考えられません。



Via Siberia(←フランス語なので「e」の上にダッシュがつきますが)

阿部 鑑 様
大日本凾館市會所町十八

Hakodate
JAPON

ご出立迄にこの葉書が届きましたら
一、「電氣学」の初歩の本−極々初歩でよ○(山脊泊氏に尋ねますと判明します。もし彼が持ってゐたら譲り受けて下さい。)
一、「トオキイ」の日本での出版物、代表的なもの一冊
一、「独和辞典」(これは三野君にご相談ください。又『宮下重夫著「極く分り易い独逸語入門」、定價一円 神田南神保町太陽堂発行』
どうぞご持参くだされば非常に助かります。何卆よろしく。 将雄
母上様

十蘭と母親はどんな関係だったのでしょうか。「ユリイカ 特集久生十蘭 文体のダンディズム」(平成元年6月1日発行)に、渡辺紳一郎との対談(話の泉 第3回)が収録されています。十蘭がパリに到着した鑑のことを、語っています。

久生 ぼくのおふくろは、六十近くになってから、ひとりで、ヒョッコリと、パリへやってきた。それもノエル(クリスマスの前日)に・・・・ぼくのほうには、当然、女の子と約束があったもんだから、なんて、まァ、バカな日にやって来やがったもんだろうと腹をたてた(笑)。

 お花見でも行くように、手提げの小さな信玄袋を持って、ギャール・ド・リヨンへ着いた。汽車から降りて、なにをいうかと思ったら、パリって「ずいぶんオシッコ臭いところだね・・・・」(笑)

渡辺 おふくろさんはなんでパリへいったの?

久生 ぼくは日本へ帰らないつもりで、むやみに金ばかり送らせたもんだから、それやこれやで勘づいたものらしい。おふくろとしては、迎えに来たつもりだったらしいが、そういう運びにはならなかった。

鑑の滞仏中、「十蘭は母親の世話を友人にさせていた」というようなことを、どこかで読んだような記憶があります。しかし、この葉書から鑑と十蘭が信頼関係で結ばれていた母子であったことがうかがえます。(つづく)


hisaojuran at 22:19│Comments(0)TrackBack(0)久生十蘭の仕事部屋から 

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