2007年06月09日

久生十蘭の仕事部屋から(43)

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b61e8d71.JPG一見、版画のように見える絵葉書です。モノクロ写真に着色したものでしょうか。文面を読んでみましょう。

Via Siberia
凾館市會所町十八
阿部 鑑 様
Hakodate
Japon

こゝはオルヌと申す河○○○岸です。
寫眞の左から(○番目の小?)さな漁師の家の二階にゐて○○
(あ?)さから日没迄水あびをしてゐます。
この十日から余ホド劇しい勉強が始まりさうで
充分身体を錬へて置かねはならぬといふので、一生懸命です。
早朝五時から散歩をし夕方はまたこゝの家の舟で沖へ釣りに出かけます。
海岸は相変らず生活が安易で、
いろいろ生きたも(の?)が喰へるのでたのしみです。 將雄 
サントオバン・スュウル・メエルにて



消印の日付は残念ながら読み見とれません。滞在しているのはオルヌ川に面した漁師の家。「サントオバン・スュウル・メエル」(Saint-Aubin-sur-Mer)を地図で確認してみると、ドーバー海峡に面した町のようです。間近に迫った集中講義(?)を前に、コンディション調整をしているのでしょう。

十蘭のフランス滞在について、現地まで足を運んで調べられた江口雄輔先生の年譜には、「演出家シャルル・デュランに就いて演劇を学んだとされるが確証はなく、ただ劇場や映画館にはしばしば足を運んだことが推測される」と書かれています。葉書にある「余ホド劇しい勉強」の内容が分かればと思うのですが、文面にヒントはありません。

十蘭に先立ってフランスに渡った親友の竹内罎蓮⊇粛が亡くなった翌年(昭和33年)の「海峡」1月号に、「阿部の思い出」としてこんなエピソードを書いています。

巴里滞在中は毎年夏になると、ドーバー海峡のエトルタという海水浴場へ遊びに出かけた。夜になるとカジノへ、バツカラ賭博をやりに出かけたりしたし、石で敷き詰められた海岸にビーチパラソルや、水着姿のイギリス女やアメリカ女の姿さへ見られた。

三年目の夏のことだった。ドストイエフスキーでさへ賭博で学資を稼いだんだ。バクチで一儲けしようと金沢から来ていたNと阿部と三人でバクチ会社を組織して、セーヌ川の川口にあるアメリカ向けの港街ル・アーブル港に出かけ、そこのカジノを相手にバクチを張ったが一たまりもなくやられ、すつてんてんになって巴里に舞い戻つたのはいゝが、まともなホテルへ宿をとる金はなく、救世軍が経営している、外国留学生向きの安ホテルへ転がり込んだ。

宿銭が一晩二フラン(十八銭)、朝飯が二フラン、晩飯が六フランで豚の頭肉のシチユウやら足の肉など七品もついた上、ブドウ酒の一合ビンが一本つくと云つた豪勢なもの、大きなホールに四方トタン張りで、一坪足らずの独立部屋に、ベツト一個に椅子一脚、脇机一つと云つた無装飾の部屋、四ツの部屋兼用に二十ワツト位の電灯がわびしく一つ、毎日床を消毒液の臭いが強く鼻を突く。

午後十時消灯、勿論門限も同時刻頃、此のホテルの不便さは朝飯以外は全員追ン出され「神の御名」によつて働きに出ねばならない。バクチに負けたジヤポネのバガボンド二人はなすこともなく、天気のいゝ秋空の日は郊外までテクツて、草枕の昼寝に時を過し、巴里郊外の旧蹟を訪ねたり、カマボコ型の鉄の被いをした陸軍の射撃場を眺めたり、郊外通いの屋根の上にベンチを列べた二階建てのヘンチクリンな汽車をぽかんと眺めたり出来たが、ひとたび雨の日ともなれば全く惨めなものだつた。

最初の予定ではバクチに負けたら、阿部がギターを弾き、私が歌を唱つて、門づけしようという話だつたが、之は計画だけに終つた。而し此の生活は短かつたが、「自由を我等に」のルネクレール映画の味が好く解つた。気易い自由人の天国、之はやつて見ないと解らない。懐しい思出の一つだ。


絵葉書の「サントオバン・スュウル・メエル」とバクチで一儲けをたくらんだ「ルアーブル」は、ともにドーバー海峡に面した町です。こんなところにも見えない足跡を残していたんですね。(つづく)


hisaojuran at 20:42│Comments(5)TrackBack(0)久生十蘭の仕事部屋から 

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この記事へのコメント

1. Posted by ぴーた@   2007年06月24日 15:10
「海峡」の記事全文を掲載しています。
2. Posted by 亜子十郎   2007年06月26日 00:00
ぴーたさん、はじめまして、こんにちわ。

と言いながら、実はホームページは何度も訪問させていただいています。大変参考になっています。

私も一昨年函館に行ったのですが折悪しく、図書館が改装中で函館新聞や海峡を閲覧することはできませんでした。

しかし、十蘭や亀井勝一郎、長谷川兄弟が寄り添うように暮らしていた「運命の四辻」(と私は名づけました)に立つことができ感動しました。そこに亀井の文学碑しかなかったことは残念でした。函館の不良たちの文学碑もあれば一層感慨深かったと思います。

いずれお目にかかりたいと思っています。


                         亜子十郎 拝

3. Posted by ぴーた@   2007年06月26日 23:42
亜子十郎さま、ありがとうございます。
どうもこのブログというものの使い方がよくわからなくてすみません。<(_ _)>

「海峡」第37(1958(昭和33)年1月)号の祖父竹内清の全文を
http://blogs.yahoo.co.jp/peater51967/33779877.html に掲載しています。
祖父は不良仲間の大将だったみたいですけど、文壇に入れて貰えるのでしょうか?

一昨年、母がお目にかかったようですが、お目にかかりたいですね。
4. Posted by 亜子   2007年06月27日 10:19
分り難くてすみません。
お母様にお会いしたのは著作権管理人の方です。私は著作権管理人のアシスタントの方です。

                        亜子十郎 拝
5. Posted by 著作権管理人   2007年07月01日 16:40
ぴーたさん、こんにちは。著作権管理人です。
私がお母様とお会いした者です。

十蘭について書かれたものはいろいろありますが、
「海峡」は十蘭と交流のあった友人や知人が書いているので、
信頼のおける情報として使わせていただいています。

なお、亜子十郎さんは、ブログの運営を頼んでいる友人です。
ブログの開設がきっかけで十蘭の不思議な魅力と不可解さに取り付かれ(?)、
今秋もまたフランスで十蘭の足跡を探してくると、
気合が入っています。

お祖父様もフランスに滞在されていたわけですが、
当時の資料が何か残っていましたら、是非、お知らせください。
探偵・亜子十郎の捜査の手掛かりになるかも知れません。







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