2008年03月09日

久生十蘭の仕事部屋から(47)

先月、十蘭の「従軍日記」原本3冊と「戦闘詳報」「ノート」を函館市に寄付しました。ホコリだらけで本棚の隅に眠っていたノートが、貴重な資料として故郷の函館に受け入れられたことに、深い感慨を覚えます。

十蘭は渡仏前年、演劇を勉強するため岸田國士をたよって上京し、その後、一度も故郷の土を踏むことはありませんでした。その理由を友人の常野知哉が同人誌「海峡」第71号(久生十蘭追悼特輯号、1960年11月発行)「『生社』時代のエピソード」で、こう書いています。

(前略)往年、阿部自身が先輩(注:長谷川海太郎のこと)同様、文名を得て同じく鎌倉の材木座に、立派な邸宅を構えたが、その頃僕は函館新聞に関係して居たので、何とかして、此の有名な久生十蘭事、阿部正雄を、函新主催で、招待し、晴れの錦衣帰郷と言うやつをやらせようとして彼に相談した事があった。喜んで来てくれるだらうと思って返事を待って居たが、返事は意外にも辞退して来た。


曰く、俺は、昔の仲間に会って一杯やりたいが函館の、空を想うと、何か恐ろしくて帰る気持になれないんだ。お前も知って居る通り、函館では、俺は余りにも、女出入りが多過ぎた。お前の新聞社が講演会なるものを、何処かで、晴々しくやってくれる事だらう、そして其の昔、酒を呑んでは大道に寝つぶれて居た事もある、若き日の新聞記者が、今では作家としての虚名を博し取りすました顔で厳しい演題で一段とお高いところから、講演なるものをやって居るとそのとたんに、お父ちゃんだッと、二三人の男の子、女の子が飛出して来る。

 楽屋に、もう、名も忘れた、何処の誰とも知らぬ、女性が、飛び込んで来る。この光景を考えると、俺は遂に死ぬ迄、函館には、帰り度くても帰れないんだ、悪友よ、俺の我がまゝをゆるせ。
 
と言うのだった。何人かの女出入りの後始末をさせられた僕として、これ以上、強要する勇気は無かった。そして遂に一度函館を去った彼は、死ぬ迄帰函しなかった。(後略)


「従軍日記」の寄付について、事前に北海道新聞や朝日新聞が大きく取り上げてくれたこともあり、当日は5人の記者が取材に来てくれました。十蘭と函館の関係について知ってほしいと思い、「海峡」のこの部分と、十蘭を高く評価していた柴田錬三郎から叔母への葉書のコピーを、資料として配布しました。翌日は各紙が寄付に関する記事を載せてくれました。

十蘭が函館を後にしたのは昭和3年(1928年)。実に80年ぶりですが、本人は果たしてどう思うか聞いてみたいものです。今回、新聞を通じて多くの函館市民が“帰郷”を知ったかと思いますが、少なくとも本日現在、「おじいちゃんだッ」などと連絡してくる人はいませんので、ご安心ください。(つづく)


hisaojuran at 20:45│Comments(6)TrackBack(0)久生十蘭の仕事部屋から 

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この記事へのコメント

1. Posted by 十蘭ファン@岐阜   2008年03月13日 01:55
函館市文学館に寄贈されたのですね。
いつか訪問して拝見したいと思います。
http://www.hakodateshinbun.co.jp/topics/topic_2008_2_23.html
http://www.ehako.com/news/news2007a/1924_index_msg.shtml
2. Posted by 著作権管理人   2008年03月15日 19:41
十蘭ファンさん、早速のコメントと、「函館新聞」サイトのアドレスを記述していただき、ありがとうございます。
そうです、函館市文学館に所蔵していただくことにしました。

7月に一般公開の予定です。講談社刊「久生十蘭・従軍日記」を翻刻された小林真二先生(北海道教育大学函館校准教授)の講演も開催されるようですので、ご都合がつきましたら是非、この時期にどうぞ!

3. Posted by マロニエ   2008年03月18日 17:33
「従軍日記」読みました。
謎につつまれた十蘭の実像が垣間見え、興味深いものでした。
7月の公開と講演を楽しみにしています。
4. Posted by 著作権管理人   2008年03月23日 09:12
マロニエさん、「従軍日記」ご講読ありがとうございました。
お名前から拝察するところ、北海道(もしかして函館)に
お住まいでいらっしゃいますか?
どうぞ7月をお楽しみにお待ちください。

5. Posted by マロニエ   2008年04月14日 19:29
はい。函館在住です。
十蘭氏の子供or孫でなくて残念(笑
6. Posted by ゴンドラの唄   2008年07月20日 23:26
講演は7月15日のようですね。楽しみです
http://blog.livedoor.jp/bluebook/archives/51528529.html
(ブログの日付が8月だったり、全集刊行が6月だったりですが)

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