2008年12月03日

久生十蘭を探して(15)証拠写真発見

6234c65d.JPG帰途・上海の料亭:榛名丸一行[1]阿部鑑と林芙美子の関連が浮かび上がったことで局面が開けました。久生十蘭に比べれば大衆性でも知名度でも(残念ながら)遥かに高いから豊富な資料が残っているからです。

元・著作権管理人にこの件を連絡したところ「九月末まで、新宿の林芙美子記念館で、パリ滞在を含む写真展が開催されていた」と教えられました。「それでは、問い合わせをしましょう」と言っていたら、早速、電話をしてくれ、展示終了後、写真は所蔵している「新宿区歴史博物館」に返却したのでそちらに当れと言われ、学芸員の方を紹介していただき十一月二十九日に写真を見せていただける運びになりました。

この日、私はよんどころの無い所用があり、静岡県下田市にいなければ、ならなかったので元・著作権管理人に一人で出向いてもらうことにしました。その際に阿部鑑のアルバムも持参して欲しいと頼んだのですが、これが大当たりでした。


なんと、阿部鑑と林芙美子のアルバムに全く同じ写真が見つかったのです。これで、二人が同船したことは動かし難い事実と証明され、同室であったことも断定して差し支えなくなったと思います。その写真は、上海に寄港した際に、当地のレストランで会食をした時の集合写真です。男性五人と女性三人が白布の掛かったテーブルを囲んでいます。男性のうち二人は肩章のついた白い制服を着ており、「榛名丸」の高級船員ではないかと思われます。残りの男性三人は私服なので乗船客か、上海の新聞社特派員か、商社員ではないでしょうか。

女性三人は中央に阿部鑑、向って右側に白い帽子を被り、絣の着物を着た林芙美子、右側には洋装の二十歳代と見られる女性がいます。おそらく、同室の「ハープをパリーで四年も勉強した」「Sさん」であることは間違いないでしょう。

阿部鑑のアルバムにはさらに興味深い写真がありました。エッフェル塔で阿部鑑と一緒に若い女性が写っているものです。阿部鑑は黒っぽい着物に、それより明るい和装コートを身に着け、ショールに黒手袋姿、足元は白足袋に草履です。若い女性は白い帽子、衿に毛皮の着いた白いコートで小脇にバッグを抱え、黒っぽい靴を履いています。

この女性と上海の写真に居る女性は当初あまり似ているとは思いませんでした。エッフェル塔の女性がややしもぶくれの面立ちで、肩に掛かるほどの長さの髪形に対し、上海の女性はきりりとし表情で頬の線は鋭く顎に向っています。しかし、この二枚の写真に「異色の小説家久生十蘭 フランス時代の恋」と言う北海道新聞に須田千里さんが書かれた文章に添えられたハープを弾く杉邨ていの写真を加えると、三人が同一人物に見えてきました。

角度がなく、水平に近い眉、やや低い鼻梁、意志の強そうな輝きの瞳などが極めて似ていると思います。著作権の関係もあり須田さんの記事に添えられた写真を掲載することが出来ないのが残念ですが、エッフェル塔と上海の画像を添付しますので、みなさん御自身でご判断下さい。

林芙美子記念館への問い合わせと一緒に、「高田ハープサロン」と須田千里さんにメールを送りました。前者には「杉村テイ子と杉邨ていが同一人物か?」、そうであれば「杉邨ていについての情報をなんでも良いので教えてほしい」の二点、須田千里さんには、「杉邨ていの帰国が昭和六年だと言う、杉邨ていの実兄の杉邨房雄さんへの聞き取りを裏付ける文書(パスポートなど)があるか」と言うことです。

「高田ハープサロン」への問い合わせに対しては、翌日、「日本ハープ物語」を書かれた高木聡希
さんから、そしてこの文章を書いている間(十二月三日の昼休み)に「高田ハープサロン」の高田社長からメールが入りました。二つのメールともに「杉邨ていについては良く分からない」と言うことでしたが、別の視点で杉邨ていを探している人に出会えたことは非常に心強く思います。

須田さんからは今のところ返事はありません。京都大学のホームページにあったメールアドレスに一夫的に送りつけたもので、ご本人の目に届いていないのかも知れません。なお、杉邨ていの帰国時期については国書刊行会版「久生十蘭全集」の編集委員を務められている江口雄輔さんも評伝の中で書かれているので、江口さんにもお聞きしようと思っています。

そこで、国書刊行会の礒崎編集長を新事実の発見の顛末をお知らせするメールを書き、編集委員の方々にも転送していただくことにしました。なお、礒崎編集長も三枚の写真に写る若い女性は「同一人物だと思います」との感想をいただいています。

この項はしばらく続きそうです。

hisaojuran at 19:29│Comments(6)TrackBack(0)久生十蘭を探して 

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この記事へのコメント

1. Posted by pumpkin   2008年12月03日 20:16
大変興味深い事実が出てきましたね。
亜子十郎さんの慧眼なしでは気づかれないものでした。
これからが楽しみです。

余計なことですが、京都大学の個人にメールを送るとガードが堅くて、迷惑メールに落とされることがあると言う話を聞きました。
2. Posted by 亜子十郎   2008年12月03日 22:24
お褒めのお言葉痛み入ります。コケの一念でひたすら文献に当たった結果です。

なお、ほんの数時間前に須田千里さんから心情溢れるメールをいただき、感動しているところです。


                       亜子十郎 拝
3. Posted by 十蘭好き   2008年12月17日 22:51
亜子様
大変興味深い記事でした。読んでいて、何だかワクワクいたしました。今後も楽しみにしております。

さて、一点教えていただきたいことがございます。
知り合いから「久生十蘭に『鷲』という作品があったと思う」と言われて探しているのですが、年譜等見ましてもそのような作品は見当たりませんでした。
亜子様、元著作権管理人様は『鷲』という作品の存在をご存知でしょうか? ご存知でしたら初出等教えていただければと思います。
突然で申し訳ありませんが、よろしくお願いします。
4. Posted by otto   2008年12月19日 12:57
十蘭好きさま


「公用方秘録二件」というのに「犬」と「鷲」がセットで入っています。
コレクション・ジュラネスクの『紀ノ上一族』で読むことができます。
教養文庫の『無月物語』の著作年表では、
昭和十八年〈一九四三年〉真福寺事件→公用方秘録・第一話犬(改稿〉『新青年』三月号
と、なっているので、「鷲」はその第二話なのだと思います。
同じく昭和十八年の六月に出た、単行本の『紀ノ上一族』(大道書房)には、すでに「公用方秘録二件」となっているようです。(下記参照)

http://okugim.hp.infoseek.co.jp/senji-kinokami.htm

初出に関しては…わかりません。亜子さま、元著作権管理人さま、もしくは、わかるぞという方よろしくお願いします。

…あ、実は私も、大変勝手ながら皆さんにお聞きしたいことがあります。
『従軍日記』の五月二十三日の日記(p168)で、十蘭は、「南方定期」という話の筋をまとめていますが、この筋は、実際に作品となっているでしょうか。この日の日記にかなり細かく筋を書いていますが、翻刻された小林さんの脚注がないので、あるいは、作品という形にはならなかったのかとも思われますが…。
どなたか、何かわかりましたら、教えていただければと思います。勝手な話で申し訳ありません。


追伸
このブログを全集と同じくらい楽しみにしています。
元著作権管理人さま、亜子さま、お忙しい中、いつもありがとうございます。
5. Posted by 十蘭好き   2008年12月20日 01:20
otto様

「鷲」について情報ありがとうございました。早速調べて読んでみます。
6. Posted by otto   2008年12月26日 04:16
あ…上の「南方定期」のことは、小林さんによる『従軍日記』解題の方の脚注に載っていました。
 
 『朝日新聞 夕刊』用の原稿用紙三十枚程度の小説として 構想されたようだが、これに該当する作品は現段階では確 認できていない。(p411〉

すみません、よく確認していませんでした。構想の一部は「白妙」(『日の出』昭和十九年八月〉に活かされているように見えるということまで書かれてますね。
どうもお騒がせしました。

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