著作権管理人コメント

2007年10月24日

「トークショーのご報告」と「講演会のご案内」

98e6e7a8.jpg9d1c58b2.jpg著作権管理人です。10月6日のトークショー「久生十蘭を語る」にご参加くださった皆さん、ありがとうございました。何せ半世紀も前に亡くなった作家なので、どれだけの方がいらっしゃるかが心配でしたが、ブログやミクシーを読んだという方も含め、36人と“大盛況”でした。

この日の朝、私は十蘭のお墓に「従軍日記」の見本を持って出版の報告に行きました。十蘭はちょうど50年前の昭和32年(1957年)、10月6日午後1時40分に鎌倉の自宅で息を引き取りました。ちょうど「50回忌」の当日、トークショーに著作権継承者がノコノコ出て行って「コンニチハ」、だけでは芸がなさすぎると思い、十蘭の遺影を持参し、参加者全員に献杯をしていただくことにしました。予算の都合で、「シャンパン」の予定が「発泡ワイン」、「グラス」は「プラスチックコップ」となりましたが、たいへん素晴らしい供養になりました。

「従軍日記」については、親戚から「埃だらけのノートを見つけて、よく本にしてくれたね。僕だったら資源ゴミに出していたことろだった」「十蘭の軍服姿の写真を見るのは初めて」「叔父チャンの乱筆、久しぶりに見ました」などの感想が届き、みな喜んでくれています。

ところで、十蘭の故郷である函館で次のような講演会が開催されます。お近くの方はぜひ、ご参加ください。私も都合をつけてうかがおうと思っています。今回はシャンパンのサービス(?)はちょと無理ですが。

◇タイトル:函館市文学館講演会『再読、賛嘆、久生十蘭』
◇日  時:平成19年10月27日(土)午後2時〜4時
◇会  場:函館市民会館 大会議室
◇講  師:江口雄輔氏

画像は10月6日のトークショーの模様、「久生十蘭 従軍日記」(講談社)

hisaojuran at 20:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2005年04月30日

著作権管理者からのご挨拶(4)

昨年の秋から、週末に時間ができると鎌倉に通い、十蘭ゆかりの資料を整理しています。自分の家の掃除も二の次にして意欲的に(?)出かけている理由は、ただただ新しい発見に興味があるからです。整理するのは本や写真等の他、最近の郵便物もあります。

差出人に、叔母が亡くなったことを知らせねばなりません。ガスや水道の領収書などに混じって、ブルーの封筒が目に止まりました。俳優座劇場からのダイレクトメールです。封を開けると「株主優待のご案内」という手紙で、俳優座劇場プロデュースNo.66「高き彼物」(作:マキノノゾミ 演出:鈴木裕美)というチラシが入っていました。

江口雄輔著の評伝「久生十蘭」の年譜を見ると、十蘭は18歳で函館新聞社の記者となり、20歳の時にアマチュア演劇グループに参加して演出をしています。その後、上京して岸田國士のもとで本格的に演劇にかかわるようになり、築地座の演出や舞台監督を務めたり、結成されたばかりの文学座にも参加しました。しかし、「俳優座」という記述は見当たりません。

ダイレクトメールの宛名は「久生幸子」となっています。「株主優待」ということは、叔母が株を持っていたということなのでしょうか。俳優座に電話をしてみると、名義は「久生十蘭」で株券は貸し金庫に保管してあるとのことでした。名義人が亡くなっているのであれば、名義変更をしなければならないといわれました。

続きを読む

hisaojuran at 13:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2005年04月21日

著作権管理者からのご挨拶(3)

この「ブログ」を読んでくださっている皆さんへ

私自身、訳もわからずこの「ブログ」なるものを始めたところ、知人・友人からいろいろな質問がメールに届きました。本来であれば、十蘭のファンからの意見・感想を聞きたいのですが、今のところまだ反応がないので、とりあえず内々のやりとりから話題を1つ取り上げて、「枕」とすることにしました。

今回のテーマは「著作権管理人」。「どんな仕事なのか」「どのようにすればなれるのか」「特別な資格が必要なのか」「無名の作家でも亡くなった後に著作権管理人がいるのか」という質問がありました。私は「著作権管理人」と名乗っていますが、正式には「著作権継承者」といい、「著作権」という権利を継承しています。

「著作権」とは著作物を保護するもので、「著作権法」という法律があり、小説だけでなく音楽、映画、写真、絵画などが対象となっています。(私は法律の専門家ではないので、私自身の解釈としてお読みください。)著作物が許可なく出版されたりコピーされたりすると、「著作権の侵害だ」と文句をつけたりするのを、時々、新聞などで取り上げられるのをご存知かと思います。

作家が亡くなると有名・無名に関係なく、著作権は死後50年の間、権利として守られます。前にもお話ししましたが、久生十蘭は1957年に亡くなり、妻(私の叔母)が著作権を継承したのですが、2年前に亡くなりました。子どもがいなかったため、甥か姪のだれかが継承することになり、たまたま私が引受けることになってしまいました。

十蘭の小説を出版したいとか、演劇に使いたい、DVDに収録したい――といった要望があると、私がその企画内容を読んで使用の許可をするか否かの判断をし、問題がなければ承諾の印を押す。そんな仕事です。単行本などが出版されると、出版社は著作物使用料を印税(一般的には定価の10%)として著作権者(著作権継承者)に支払います。

「あ〜、いいな〜」と思われるかも知れませんね。でも、「印税は誰のもの?」という問題があります。これはある意味で遺産なのですから、私の兄弟や従兄弟たちも等分にもらう権利があります。話をつけておかなければ、遺産相続争いということにもなりかねません。

幸い私の場合は、印税の使い道について皆の了解を得ているので、争いはありません。(でも、突然、十蘭ブームが起きたて印税がドッと増えたりしたら、話は違ってくるかも知れませんね。)さて、本題に入りましょう。
続きを読む

hisaojuran at 21:04|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2005年04月12日

著作権管理者からのご挨拶(2)

久生十蘭が生きていた頃、私は何度か鎌倉の家にいったことがあります。家は材木座海岸の近くにあり、家族で何度か遊びにいきました。というより、海水浴に行くときに着替えの場所として格好の場所にあり、「海の家」代わりにしていたようです。父の一番下の妹が、十蘭の妻・幸子で、私が小学校に入るか入らないかの頃のことです。

当時、私たち子どもは「鎌倉の家では、騒いではいけない」といわれていました。幼い子どもたちの騒々しさは、小説家には歓迎されなかったようです。広い畳の部屋と、その前に緑鮮やかな芝生の庭が広がっていた光景を、鮮明に覚えています。

十蘭に会った記憶は、全くありません。いま思えば残念なことです。鎌倉の家は立派な日本家屋でした。十蘭が亡くなったあとマンションに建替えられました。玄関を開けると、靴箱の上にクリスマスの可愛らしい小物類が並んでいます。叔母が倒れたのは12月25日の朝のこと。子どもはいません。そのまま1年半が過ぎていました。

本棚のある部屋に入ると、ダンボール箱などが山積みにされていて、壁際に並んだ本はかなりの年月を経た埃がかぶっていました。そのの足元には、出版社から送られ紐が解かれないままの小包が、いくつも積み上げられていました。叔母は晩年の数年間、体調を崩していたので、本の整理どころではなかったようでした。

続きを読む

hisaojuran at 20:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2005年04月04日

著作権管理者からのご挨拶(1)

皆さん、初めまして。私は久生十蘭の著作権管理人です。昨年4月に突然、この「肩書き」が従兄弟から私に回ってきました。十蘭が昭和32年(1957年)に亡くなって半世紀ちかくがたとうとしています。にもかかわらず多くの読者がいることに、とても驚いている昨今です。

そこで、十蘭の読者が作品についてどんな感想を持っているのか、作家についてどんな印象を持っているのか、そんなことを知りたいと思い、ブログを始めることにしました。まずは、文学に関して全く素人の私が、どんな風に著作権管理の仕事を始めたのか、そしてその仕事を通して起こりつつある出来事について、少しずつお話ししていきます。

続きを読む

hisaojuran at 13:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)