イカ東トーク・リバイバル

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秀吉で有名な長浜城へ行ってきました。

この城は、彦根城築城のタイミングで、廃城となり、遺構はほとんど残っていません。

それでも、現地に行くと、琵琶湖に浮かぶような縄張りだったことは、十分に分かりました。

本丸跡には、模擬天守があり、博物館となっています。

琵琶湖付近の歴史の勉強が出来ました。

百名城の1つ、小谷城に行ってきました。

といっても、雪が舞い、積雪があったので、麓の資料館までとしました。滑落や遭難したらシャレにならんので。

麓までといえども、現地に行くと、地理的な感覚が肌で分かります。

横山城や虎御前山城との位置関係。それから、山への縄張りなど。

非常に勉強になりました。


次回は登城したいです。

この城は、ポテンシャルを秘めているのに、残念感が漂う城です。

ポテンシャルとは、

石垣が河原石で丸く特徴的

なんですよね。


ところが、中途半端に公園として整備されてしまって、イマイチ往年の姿が分からない。お城ファンとしては、妄想が膨らまず、モヤモヤ感が残る城なのです。


それでも、北東部にある、松尾山は見所十分。堀切は素晴らしいです。横須賀城の原点が残っています。


今後の再整備に期待します。

せめて、駐車場側の入口に地図と看板を出しましょう。

続百名城の1つ、高天神城を攻城しました。

搦め手側の方が駐車場が広くてメインのようですが、初回なので追手門側から攻めます。


駐車場から少し登ると、追手門に到着。道幅はかなり狭く、難攻不落の様子が伝わってきます。

そこからしばらく登って、三の丸。

外の見晴らしはかなり良いですが、ふと下を見ると、断崖絶壁。こちらからの攻略はないなという感じです。

ちなみに、三の丸には厠がありました。現代も稼働中のようです。

さらに登ると、本丸。

これまた、周囲が断崖絶壁なんですね。落ちたら、死ねます。

ちなみに、こちらには模擬天守跡の土台が残ってました。戦前の遺物なんですが、なんとも残念な感じです。なぜ、天守がなかったであろう山城に、こんなものを作ってしまったのか。

さらに残念なのは、顔出しのパネル。説明くらい欲しいです。

本丸の裏手には、石牢があります。ここに8年閉じ込められるって、絶望しかありません。


少し、山を下り、井戸曲輪。

文字通り、大きな井戸があります。それはいいのですが、本丸などに井戸はあったのでしょうか。なかったとすると、この曲輪の戦略的な重要性はかなり高かったことになります。


さらに本丸と反対側へ進むと、二の丸です。

一城二郭と言われるだけあって、本丸とは独立した構造。最も高い部分には、今は高天神社があります。

しかし、参拝道は直登ルート。本来の登城ルートとは違うはずと、袖曲輪側から登ってみましたが、ひどい目にあいました。本来のルートは社務所側のようです。

二の丸の裏手には馬場があって、堀切を挟んで、抜道です。

抜道は、尾根筋のかなり細い道で、馬で行くにはかなりの馬術力が必要と推測されました。


ということで、充実の高天神城でした。欲を言えば、もう少し、解説が欲しいところです。

遠州遠征。

まずは、横地城。


ここは、室町時代の山城で、横地氏の居城だった場所です。

麓の分不相応(失礼)に広い駐車場から攻城スタート。茶畑の横をすり抜け、山道を登ります。山道とはいえ、舗装されており、かなり登りやすい。マイナー城址とはいえ、かなり整備された印象でした。

しばらく進むと、一騎駆けという、尾根が細くなった場所に出ます。この城にはいくつも一騎駆けがあり、こういう場合で入口を防御してたと思われます。

戦国の馬出しや枡形が発展する前の山城感が出ています。

次に出てくるのが、

金玉落とし

という、小学生が喜びそうな場所。解説を読むと、この崖で金の玉を拾うという訓練をしていたとのこと。楽し過ぎる名前です。

さらに進むと、西の城。どうやらここが、二の丸扱いだったようです。

現状は千畳敷と呼ばれる平地があり、さらに高い場所で神社があります。


西の城の先は、東の城。ここが、本丸扱いだったようです。

一段と高くなった場所はそれなりの広さがあり、見晴らしがかなり良いです。南面の崖と、北面の段状の構えも面白いです。


そんなわけで、意外に整備され、見所たっぷりの横地城でした。

ただし、素人さんを連れて行ったら、確実に

何も無い

と言われると思います。

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