イカ東トーク・リバイバル

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続百名城の1つ、新高山城へ行ってきました。

言わずと知れた、小早川隆景の居城です。

タクシーで「にいたかやまじょう」へ行ってくださいと言ったら、「しんたかやまじょう」ですよね、と返されました。

事前の予習とは違って戸惑いましたが、とりあえず、そこへ行ってもらいました。


他の予定との都合で、16時半くらいから登城開始。

山城を攻める時間としては遅いですが、危なくなったら、即撤退ということで、攻城です。

入口の看板のところには、山登り用の杖がたくさん置いてあります。この心遣いが嬉しいですね。

杖を取って、出発。

10分くらい、急斜面を登ると、番所跡へ着きます。ここからが、城域のようです。

さらに進むと、寺院跡。今でも、瓦が散乱してます。趣がありますね。

さらに、山を登ると、中の郭へ到着。本格的山城です。ここが、この城の中核になるようです。

少し歩くと、本丸。なかなかの広さがあります。

本丸の先端は岩場で、下界が非常によく見えます。

さらに先端へ行くと、城の説明をしてくれる音声ガイドがありました。

ポチッと押すと、

「にいたかやまじょう」って、思いっきり、言ってました笑


非常に整備された山城でした。

続百名城の1つ、小牧山城に行ってきました。

小牧山城は2回、歴史の表舞台に出てきます。



1回目が信長の居城として。

以前は美濃攻略の前線基地という見方でしたが、近年の発掘により、ちゃんと城だったことがわかってきたています。

実際に現地を見て気づくのが、

山麓から一直線に伸びる大手道

です。あの作りは守りを意識した城ではないです。おそらく、人々の目を意識したんでしょう。圧倒的な存在感です。

さらに、大手側南を向いている

ことにも気づきました。対美濃攻略基地であれば、北向きの城にするはず。この向きは、

神社を意識している

に違いないと思いました。信長は、人々に神のような崇敬の念を抱かせようとしたのでしょう。


2回目に歴史の表舞台に出てくるのが、小牧長久手の戦い。

歴史館で勉強する限り、濃尾平野の東側で睨み合っていたようなんですが、この理解でいいんですかね。

当時、濃尾平野の西側は湿地で大軍が動かせなかったのだろうか…


そんなこんなで、勉強になりました。

以降もそれなりに残っており、桜も綺麗なお城でした。

亀山城へ行ってきました。

行って分かりましたが、ここは東海道の要所なんですね。

さらに、三重県唯一の現存の建物があります。

縄張りもそれなりに残っており、特に搦手などは見応えあり、津城より続百名城に推したい城でした。

続百名城の1つ、津城へ行ってきました。

藤堂高虎が改修した名城のはずですが、現代は「残念」の一言です。

都市化の影響で縄張りがほとんど残っていない。平城の宿命ですかね。

あと、門の脇に隅櫓がありましたが、場所ちがいませんかね…


なぜ、続百名城に選ばれたのか不思議な津城でした。

百名城の1つ松坂城へ行ってきました。

松阪の表記になったのは、明治になってからのようで、大坂→大阪と同じですね。


松坂城は石垣の組合せと縄張りにまさに萌え萌えします。桝形虎口とか最高です。大手側の高石垣は威圧感が半端ないです。

それから、本丸。

石垣しか残ってないですが、松山城のような連立式の天守だったに違いないです。しかも、あっちより規模が大きい。想像するだけで、よだれが出ます。

下手に建造物がないのもいいですね。

納得の百名城でした。

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