百名城の1つ、明石城へ行ってきました。
明石といえば、標準子午線と明石焼きくらいしかイメージなかったのですが、何気に明石城は百名城なのです。
しかし、明石城って、
歴史の表舞台に出てこない
じゃないですか。なぜ、百名城になったのか疑問に思いつつ、城に向かいました。
明石駅を下りると、すぐ目の前に城郭への入口があります。山陽のお城ってこのタイプが多いです。結局のところ、平地が少なく、駅が作れる場所が限られているのでしょうね。
駅前に広がるの平地が平時の藩主の館の場所。今は公園になっています。
その北側に切り立った崖があり、崖の上の二の丸・本丸が詰めの城という、立派な平山城です。
山の北側には天然の池があり、台地につながる西側は堀切で守っていますので、
縄張り的には素晴らしい
ものがあります。百名城になったのは納得できました。
城の見学後は、明石市立文化博物館へ。歴史の勉強です。
まず、驚くのは、この城が作られたのが、大坂夏の陣の後ということ。何に備えたのかがイマイチ分からないところです。大坂夏の陣で発生した大量の浪人の雇用対策の公共工事という意味合いもあった気がします。
ただ、明石は、海の交通も考慮すると、かなりの交通の要衝ということが理解できました。淡路島で海峡が狭くなっているので、九州方面からの船はここを通って大坂に行かないといけないのですね。
ということで、意外に重要な明石でした。
明石といえば、標準子午線と明石焼きくらいしかイメージなかったのですが、何気に明石城は百名城なのです。
しかし、明石城って、
歴史の表舞台に出てこない
じゃないですか。なぜ、百名城になったのか疑問に思いつつ、城に向かいました。
明石駅を下りると、すぐ目の前に城郭への入口があります。山陽のお城ってこのタイプが多いです。結局のところ、平地が少なく、駅が作れる場所が限られているのでしょうね。
駅前に広がるの平地が平時の藩主の館の場所。今は公園になっています。
その北側に切り立った崖があり、崖の上の二の丸・本丸が詰めの城という、立派な平山城です。
山の北側には天然の池があり、台地につながる西側は堀切で守っていますので、
縄張り的には素晴らしい
ものがあります。百名城になったのは納得できました。
城の見学後は、明石市立文化博物館へ。歴史の勉強です。
まず、驚くのは、この城が作られたのが、大坂夏の陣の後ということ。何に備えたのかがイマイチ分からないところです。大坂夏の陣で発生した大量の浪人の雇用対策の公共工事という意味合いもあった気がします。
ただ、明石は、海の交通も考慮すると、かなりの交通の要衝ということが理解できました。淡路島で海峡が狭くなっているので、九州方面からの船はここを通って大坂に行かないといけないのですね。
ということで、意外に重要な明石でした。