2011年04月02日

4月はセテールのお誕生月
お祝いというよりも感謝の気持ちでいっぱいです
なんの取り柄もない大阪の中年の女がこれくらいしかできない、と思って始めたイカ焼き屋を支えてくださった皆さまにどんなお礼ができるのか、けっこう悩んだりして…
関東東北大震災で世界中がなにができるのか思いを巡らせているときでもあり思い付いたこと

6日のお誕生日には皆様に感謝の気持ちを込めてイカ焼きを焼きたいと思います
朝からイカ焼き100枚に挑戦します
開店以来6年間頑張ってくれた愛するイカ焼き機は火力が弱くなってきて100枚は大変ですが頑張ります
イカ焼き一枚100円
売上はすべて友人奥野亮平も呼びかけ人に名前を連ねるソウルフラワーユニオンの震災基金に寄付します
実はソウルフラワーユニオンのことそんなに知りませんでした
奥野亮平くんから何度も聞かされてはいたのですが知らずにいたんです
今年の阪神大震災の時もやはり亮平くんはソウルフラワーユニオンの話をしていました

ソウルフラワーユニオン震災際基金
http://www.breast.co.jp/soulflower/sfu20110328.html

阪神大震災の時から活動してきたソウルフラワーユニオンを信頼していますし、被災された方と同様に現場にすぐ駆けつけて頑張っていらっしゃる方にエールと感謝を送りたいと思います

日々、平和に仕事をさせていただけるというだけで、周年はおめでたいというよりもありがたいのです

ほんとうに皆さま、いつもセテールを可愛がってくださいましてありがとうございます

穏やかな日常と皆さまへの感謝と悲しい思いをしている方々に少しでもお元気になっていただきたい気持ちを込めて4月6日(水)、takoはイカ焼き100枚に挑戦します
街の片隅の小さなイカ焼き屋ですがこれからも頑張って焼いてまいりますのでよろしくお願い申し上げます


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沖縄生活 

2011年03月04日

茶色い旅行鞄とコロコロのついたスーツケースだけを持って沖縄への片道切符を手に那覇に来たのは2005年3月3日
6年目の3月3日の昨日、妹からは「大阪は雪が降っていますが、沖縄はどうですか」と、取り立てて6年前のことにふれることもないメールが届いた
「今日の沖縄は6年前と同じように冷たい風が吹いています」と返事を返すと「あれから6年。色々なことがありましたが過ぎてしまえば…」とお互いを労う言葉が返ってきた

そして、大阪でたこ焼き屋を営んでいたのはちょうど6年間だったと思い出した
今年7年目のイカ焼き屋のセテールは大阪のたこ焼き屋より長い年月を迎えることになる
もう元たこ焼き屋のtakoではなくたこ焼き屋もやったことのあるイカ焼き屋のtakoになってしまうわけだ
他の人にとってはなんと言う感慨もないことを胸に抱きながら、昨日の3月3日を過ごしていた

夜、久しぶりにあった人が「今年、晴れて定年を迎えて沖縄に引っ越してくることになった」と嬉しそうに話してくれた
ほんとうに嬉しそうだった
海の見える家を契約し、大山辺りに家具を見に行っているらしい
ほんとうに嬉しそうだった
「今日3月3日は6年前に私が沖縄に来た日なんです」と私が言うと目を大きく見開いて、やはり感慨深い表情を見せてくれた

大切なときに大切なことが重なる…私は折に触れてそう思う
他の人にとってはなんと言うことのないことも、誰かにとっては大切な記念日であったり出来事であったりする
今日もまだ風は冷たいけれど、私の7年目の沖縄が始まった

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胸をよぎる思い 

2011年02月11日

琉神マブヤーのファーストシリーズ終盤、怒りに任せて攻撃してくるオニヒトデービルに無抵抗で応えるマブヤーがそっと呟いた「あんしぇ、わじらんけ」
ヤマト風に言うと「なー、おい、そんなに怒るなよ」でしょうか
物語のなかで実の兄弟であることがわかったオニヒトデービルに弟のマブヤーは殴られても殴られても抵抗することなく、愛と哀しみを込めて呟きます
そして、その言葉を聞いたオニヒトデービルはがっくりと膝をおとして無意味な戦いを悔いるわけです
物語上、とても印象的な場面でした

現実の世界でも、こんなことあります
なんで、そんなに怒るのか…
怒りながら自分の言葉に更に膨らむ感情の渦
最後は怒りの意味さえも見失っていたりする

そんな人と話をするのは虚しい

私はここ数年、ネット上では毒を吐きながら、リアル世界ではなにも言わず黙って関わりを断つ人を何人か見て悲しかった
だから、面と向かって怒りをぶつけてくる人は正直だと思う
私だって怒る
ただ、相手をやっつけてコテンパンにするようなことはしてこなかった
誰かが傷ついたり、貶められたりしたとき私は怒る
怒って、相手の真意を聞く
私の受けとり方が間違ってる場合だってあるかもしれないから
あー、そうか…そういうことだったのか
そう思うこともあるわけだし
怒ったあとにそんな答えが出てこない、ただ感情だけをぶつける怒りは虚しい

あんしぇ、わじらんけ
マブヤーが冷静にそう呟けたのは、事前にオニヒトデービルの怒りの原因を聞かされていたから
「ハーベルーたちは野原を奪われ、ジンジンたちは川を奪われた」…だから俺たちは一緒に「人間たちの大切なものを奪おうやっさー」と悲しみと怒りを共有したかったのに、人間側にたっているマブヤーが同調しないことへ怒りの矛先が向かったわけだった

怒りの原因を知ることは解決への道標
一呼吸おいて、答えの見つかる怒り方をしたい
ただし、相手がそれに答えてくれるかどうかは約束されるものではない
だから、時々虚しくも怒られっぱなしになったりする
少なくとも自分はそうなるまい、と数日前怒られながらそう思ったわけです

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胸をよぎる思い 

2011年01月21日

百舌鳥が鳴く
冷たい冬の空気を切り裂く
獰猛な獣の咆哮にも似た戦闘機の爆音を切り裂く
暖かい寝床から覚めやらぬ腑抜けた私を切り裂く
刃物のように鋭い高らかに縄張りを宣言する強い強い生命の鳴き声だ

久しぶりにその鳴き声に気づいた私の生命はどうだ
高らかか
生きているか

いつも鳴いていたに違いない
なぜ、今朝になってやっと気づいたのか
まさに切り裂かれた私の心は己れという魂が瞬間、剥き出しになった

高らかか
生きているか

問いかけずにいられない今朝の百舌鳥だ

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2011年01月15日

お店屋さんをしているとお客さまからいろいろな呼び方をされる
たいていは「takoさん」、ときに「おばさん」、気をつかってもらって「おねえさん」
大阪にいるときは「ともちゃん」って呼ばれてた
小学生にも「ともちゃん」と呼ばれて、そう呼ばれることがけっこう好きだった
ただ「お母さん」と呼ばれるのはイヤだった
なぜだろう…たぶん、一度もお母さんになったことがない自分に劣等感のようなものがあったんだろう
「お母さん」と呼ばれる度に、怒っていた
「私、あんたのお母ちゃんとちゃうし!」みたいな、身も蓋もない(笑)
でも、最近はそんなに怒らなくなったな
少し丸くなったんだろうか
「おばさん」と言いかけて、慌てて「おねえさん」と言い直す人がいる
私的にはなんの問題もないのに
むしろ、気をつかわれすぎるのはいい気分じゃないな
私は「おばさん」と初めて呼ばれたときから、あーそうなのかと思ってきた
年を経る度に呼び方が変わるのは当たり前のことだから
むしろ、歳を取って呼び名が変わることを楽しみたい
いつまでも「おねえさん」では気色悪い
当然、苗字で呼ばれたり名前で呼ばれたり愛称で呼ばれたりするのには年齢が関係ないから、それはそれでいいのだけれど
名前や愛称を知らない人もいるしね

私は今年55歳
去年、初めて中学生から「おばあちゃん」と呼ばれた
おー、とうとう来たか、って思った
中学一年生は13歳
そろそろ彼らの祖父母と私は同世代になって来はじめたということになる
「お母さん」はあんなにイヤだったけど「おばあちゃん」はそうでもないな

でも私は人を呼ぶときは出来るだけ苗字か愛称で呼ぶようにしたいと思っている
私みたいに「おばさん」でも「おばあちゃん」でも気にならない人は少ないらしいからね

あ、でも一番好きな呼ばれかたは「takoさん」(笑)


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2011年01月10日

年が明けて、もう10日かー
私のお正月休みは世間のお休みからちょっとずらして4日の火曜日から三日間
なぜずらしたかというと、一人っきりになりたかったから
大勢で過ごす時間も嫌いではないけど、お店屋さんの運命(さだめ)で一人っきりになれる時間がないわけで、去年からあえて平日にお休みをいただきました
場所は大好きなつきしろの三角屋根の家

ところが何をどこでどう間違ったか、この三日間のお休みをなぜかとある男子と過ごすことになったのです
他人と、しかも男子とこんな長時間を一緒に過ごしたのは何年振りでしょう
いきさつは諸事情あって省きますが、恋人でもなく、これから恋人になる可能性もなく、特に親しいわけでもない、そんな人との三日間
とても紳士な方でしたので身の危険はさして感じず(笑)…むしろそこはかとなく楽しい三日間でした

こんな経験はそうできるものではないし、経験すべきでもないけど、ちょっとした発見がありました

私は他人と暮らすのが苦手になってる

前からそう思ってはいたけど、それがこの三日間を通してあらためて実感できた

思えば、このブログを書き始めた2004年当時の私は寂しさの極みだった
家族がいないことを嘆き悲しみ、ときに家族や恋人と一緒に暮らしている人を妬み、一人孤独の底にいた

ここ何年かで寂しさに慣れたな、とは思っていたけど、そこを通り越して苦手になっていたなんて…
これはもう、これから先ずっと一人で大丈夫なんじゃないかな
むしろ、一人じゃないとイヤだ、ってことがわかった
こういうのって成長なのか。退化なのか…変化か!?
でも、一人で生きることはそんなに辛くないんだと気付かせてくれた男子に感謝(笑)

まー、とんでもない経験っちゃ、とんでもなかったんやけどね

さて、たった一人っきりで過ごす時間は来年のお正月休みまでお預けにはなったけれど、今年もちまちま頑張りますよ

皆さまよろしくお願い致します

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沖縄生活 

2010年12月31日

今日で2010年も終わりです
私は今年、とってもよく頑張った
みんなも頑張ったんだろうな
頑張りが実を結ぶのはいつの日なのか
予言者でも占い師でもない私たちには、明日という日はとても不確かなものだ
ただ信じる、といことで希望を繋ぐ
大晦日といえども、ただの昨日の続きの今日であり
元日といえども、今日の続きの明日に違いない
明日という日を一年で一番意識する日が大晦日かなのかと思う
私は来年も頑張るだろう
実を結ぶ明日を信じて頑張るだろう
頑張る人を見て励まされるだろう
自分もまた、誰かの励みになれるように生きるだろう
今までもそうだったし、明日からもそうでありたい、と強く願う
健康で日々を過ごし、小さなことにも感謝したい
今まで私を助けてくれたすべての方たちにありがとう、と伝えたい

今年は人の心はどうしても思い通りにはできないということをあらためて思い知らされた
一年だった
そんな当たり前なことを突きつけられた一年だった
それでも私は、ありがとうと言おう

今まで私を助けてくれた人、或いは関わってくれた人たちにありがとう
来年も、私は幸せに暮らするから、みんなも穏やかで幸せな一年にしてください

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沖縄生活 

2010年11月23日

昨夜の出来事です

酔っぱらった男の人に、セテールの前でイカ焼きの焼けるのを待っていた那覇中卒業生がからまれて大変でした

道端のゴミが目についていたんでしょう
そして、虫の居所も悪かったんでしょう

卒業生数人が立ち話をしているのを見て、やおら叫びました
男性「お前たちかっ、ゴミを捨てたのは!!」
卒業生…びっくり!!きょとん??
男性「お前たちは那覇中卒業生かっ!!何期だっ!!」
卒業生「62期です」
男性「ふざけやがって!!俺は2○期だ!!いい加減にしろ!!」
男性も那覇中の大先輩のようです
はじめ、何が起こったかわからなかった卒業生たちも、そろそろ怒り始めます
卒業生「俺たち、何も捨ててないですよ」ムスッ!
男性「なにをっ!!お前たちみたいな役立たずなんか生きててもしょうがない。死ね!!」
おいおい、何を言い始めるんや、酒癖、悪すぎませんか
私まで腹がたってくるやないか

そしたら、卒業生の返す言葉がすごかった
卒業生「死ね、なんて簡単に人に言ったらダメじゃないですか」
ちょっと〜、暫く見ない間に大人なことを言えるようになってるやん

沖縄の人は、深い意味もなく「死ね」「死なす」を言いすぎます

男性「なんだとっ、なめるなよ。お前たち、世の中がどんなに辛いかわかりもしないくせに大きなことを言うな!!俺たちは厳しい世の中で死に物狂いで生きてるんだ」
男性はだんだん話の軸がずれ始めてます

tako「ご主人、この子たち何も捨ててないですよ。私、ずっと見てますがゴミを捨てたりしていません。ゴミが落ちてたら拾ってくれたりします」
男性「黙れ!!」みたいな…大変だ、こりゃ

最後は、いつも遅い時間にフライドチキンを買いに来てくれる松山のキャッチのお兄さんが間に入ってそのままどこかに連れていってくれました

男性、なんか辛い目に遭った直後だったんでしょうか
子供たちも遅い時間に外にいたのはいけませんでした
お酒を飲んだら、いろんな判断が鈍ります
子供たちもいつも良い子なわけでもありません

でも、今回は卒業生、よく我慢しました
男性は何度も拳を振り上げる素振りを見せていましたので、挑発に乗っていたら乱闘になっていたかもしれません
よく頑張ったと思います

そして、良いこと言ってくれました

「死ね、なんて簡単に人に言ったらダメじゃないですか」

このまま、まっすぐ大人になってくれたら良いけどね
いろんな失敗するんやろなー(笑)



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沖縄生活 

2010年11月18日

セテールのお向かいの美容室Lampが開店十周年を迎えるそうです

2005年4月に右も左もわからぬままにセテールを開店したときお向かいのカッコイイお店が気になって気になって仕方ありませんでした
綺麗なおねーさんと訪れるお客さまの華やかさに気後れした私は仲良くなるまで少し時間がかかった気がします
しかし、知るほどに触れ合うほどにLampのオーナーのナリコさんは魅力的でした
ヘアメイクアーティストにしてプロのキックボクサー、docomoのモデルやラジオの番組を持ってたときもあったような
琉神マブヤーのオーディションに受かったときはちょっと興奮したなー
結局、出演はしなかったけれどマブヤースタッフからはいまだに「姐さん」と一目おかれているからたいしたもんです

これだけ書くと、ただ華やかなだけに思われるかもしれないけれど、彼女の一番ステキなところはその心根の優しさだと思う
彼女ほど優しい人をあまり知らない
彼女ほど気遣いのある人をあまり知らない
結果、彼女の周りには人が集まる
押し付けることのない明るく自然な優しさは人を無条件に和ませる

だけど彼女自身は人に甘えるのが苦手なようで、大変な時も平気な顔をしているので私も頑張ろう、と言う気にさせてくれます

11月22日に周年祝いのパーティーがあるそうで、セテールにLampのお客さまが集まってコソコソと、どうやってナリコさんを喜ばせるか企みを練っている

先日、インドへ瞑想の旅に出て帰って来たその日から一日も休まず仕事しているナリコさんは何も知らずに今日もガハハ、と笑いながら誰かの髪を切っています

こういう人の向かいに引っ越してきた私自身もまた幸運だったと思うのです

美容室Lampのナリコさん、十周年ほんとうにおめでとうございます
心からお祝い申し上げます


※このブログを書いていたらいきなりナリコさんがやって来て、お客さまのお土産のおすそ分けと彼女の実家の畑でとれたドラコンフルーツを持ってきてくれて、少し慌てた(笑)

「今日がちょうど十周年の日なのね」だとか
「よく頑張ったね。これからも頑張ろうね」と言ったら「100周年まで頑張る♪」と言ってガハハと笑いながら帰って行きました
どこまでも可愛くステキな女性です

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沖縄生活 

2010年11月02日

トカゲがそこにいるな、と思ったのは何ヶ月か前
店の前の鉢植えにその姿を見かけたのが最初
いるのはわかった
だが最悪、最悪
爬虫類は最悪
受け入れられませんから

ある日、ちっちゃーいトカゲを見たとき
子供!?
えっー、おまいら家族なのー!?って驚愕
そして今日、シンクの片隅に可愛いおチビなトカゲベィビーが迷子になってるの発見しましたがな

大阪にいたころの私なら、まじ失神です
爬虫類ですもの…


でもね、不思議
なんだか沖縄にいる私ってば、みょうに落ち着いてましたの

可愛いトカゲのベィビーちゃん、こんなとこにいたら危ないってばー

ってことで割り箸でおチビさんを捕まえて、捕まえて…
つか、捕まえても捕まえてもクルリと逃げ出して大変やったやんかいさー
まー、でも捕まえて店の前の街路樹の根元に逃がしてあげました

トカゲにはちっとも感謝されてないはずなー
しかも私自身が全身鳥肌たってたやっしー

思いは必ずしも通じないかもしれないけどトカゲはたぶん命拾いし、私は少し爬虫類の命を生身に感じ、それぞれいい経験だったはずなー


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沖縄生活 | 物思うこと

2010年06月05日

明治30年代の波の上界隈の写真を見る機会に恵まれた
豊かなイノーが広がるその写真の風景は、当然のことながら今とはかなり違うけれど、どこか面影を残しているところもある
イノーの端っこにある小山ほどの巨大な岩
この岩はてっぺんの一部を残して埋め立てられていた
若狭海浜公園の一角にある、人の背丈ほど岩の拝所がてっぺんの名残
拝所の下数メートルに、かつて広がっていたイノーをぶっ壊したのは私たち
人は生きるために何かを壊し続ける
この古い写真を見てよかった
知ってよかった
あの拝所の下は豊かなイノーだったんだよ、と誰かに伝えたい

波の上ビーチでシュノーケルする機会に恵まれた
基本、シュノーケル禁止なんだけれど子供たちのシュノーケルの体験学習に紛れ込んだ…みたいなもので(笑)
波の上ビーチに珊瑚があるのはわかっていた
でも、実際目の当たりにして驚いた
ここまでビッシリ珊瑚があるとは!!
私たちが壊して作った波の上ビーチ
ほとんどの人は波の上ビーチに珊瑚があることさえ知らない
この珊瑚を守るために私たちはどうするべきか
偶さか、見る機会に恵まれた者だけが胸にしまっておいてよいものか
いわゆる「内緒ビーチ」がネットで紹介されズタズタにされた例はいくつもある
でも波の上ビーチは内緒にするには街中すぎる
では大切なものを守るために、今やるべきは…見てほしい、知ってほしい、そして伝えてほしい
それは壊しながら生きてきた私たちの責任のようなもの
同じ日に潜ったPORCOさんの「波の上ビーチの珊瑚」の動画がYouTubeにアップされていますhttp://www.youtube.com/watch?v=Ald7Jyf8Xbg&sns=em
驚いてほしい
見て、知って、伝えてほしい
紛れもない波の上ビーチの豊かな珊瑚を守るために


今や風前の灯火の大浦湾を撮り続けている齋藤靖行さんの写真展「大浦湾の記憶」は明日6日で終わります
そして今夜、前回大好評だったトーク&スライドショーが再度行われます
今、見ておかないといけないと思っています

見る、知る、伝える…守るために

齋藤靖行写真展「大浦湾の記憶」トーク&スライドショー
6月5日(土)21時より
会場Bar&Gallery土(つち)
入場無料
写真展ブログ
http://ohurawan.exblog.jp/

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物思うこと 

2010年05月25日

31be8335.jpg齋藤靖行さんは昨年秋から毎日のように那覇から名護市に通いつめて大浦湾の写真を撮っています
初めて彼の手作りのアルバムを見せて貰ったとき『物語のようだ』と思いました
それはただ美しい写真が貼られているだけのアルバムではありませんでした
ヤンバルの山深く豊かな水源から流れ出た水が川となり様々な命を抱き、森を育て、朽ちた落ち葉でさえ栄養分として、やがて海に流れ着く
そしてそれはそのまま豊穣の海の命を生み出す
大自然の物語でした
海は単体ではなく、山があり川があり海だと教えてくれました
様々な命の育みも、その連鎖の鎖の一つにすぎないこと

初めて見る大浦湾の海の中の美しさ
川の少ない沖縄本島にあって、湾内に大浦川と汀間川という二つの大きな川が流れ込むことで大浦湾は極めて豊かで多様な自然を育んでいます
ほんとうに美しい大浦湾の源はヤンバルの山から始まったのです

数年前に発見された大浦湾の巨大なアオサンゴの群生はその大きさになるまで少なくとも3000年、或いはそれ以上の年月を経たと言います
アオサンゴの群生の前には人間は小さな生き物のひとつにすぎません
まるで大きなイソギンチャクに共生するクマノミのように見えます

齋藤靖行写真展「大浦湾の記憶」は一人でも多くの人に見てほしい

今、見ないといけない
なんで今まで見なかったんだろう
大浦湾に今起きている現実を声高に叫ぶことはひかえたい
齋藤靖行さんもまた寡黙な人だし…
彼は「ただそこにある美しく豊か自然を見てほしい」と言います
後は私たちがこの目に焼き付け胸に刻むだけです


齋藤靖行写真展「大浦湾の記憶」開催中〜6月6日(日)
場所:Bar&Gallery土(つち)   那覇市牧志1-3-17
   070-5481-1213 URLhttp://bar-tsuchi.com/
   国際通りJALCITY裏/パラダイス通り「琉球茶館」奥


写真展ブログ
http://ohurawan.exblog.jp/


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2010年05月02日

どうも放置ですみません

日々、楽しすぎてブログがかけません
マジです、はい

ゴールデンウイークに突入したことですしリハビリのつもりで更新します…すみません

ほんとにここんところ、一息つく暇もないくらい忙しいんです
たぶん、フライドポテト、揚げポーク、もずく天ぷら、アイスバナナ、アイスパインという100円商品のラインナップが出揃ったせいかと思います

もう、中学生ったら100円大好きです
苦労ばっかり多くて、利益率のあまりに低い100円商品を考えたtakoはアホでした

だいだい中学校一年生の男子なんか毛の薄い猿みたいなもんです
店内に響き渡る怒号と嬌声

「ウッキー、takoさん、100円の揚げポークください、ウッキッキー」みたいな

ゴールデンウイークくらい学校休め、おまいら(-.-;)

「ハーリーの練習だもーん、ウキッ♪」


なに、ハーリー!?
はっ、ハーリー!!

ということで思い出しました

セテールはゴールデンウイークは休まず営業致しますが、ハーリー期間中は「ゆっくり」開けます
特に3日は川畑アキラさんのライブがハーリー会場であるので、開店は夜7時くらいかなー

そやかて川畑アキラさん、良いんやもん
また、しばらくハマりそう♪


最近、セテールは面白くて怪しくて魅力的な人たちがいっぱいです
なんで、こんな小さな場末のイカ焼き屋にこんなにも濃い人たちが来るの!?
ま、楽しいからいいんですけど(笑)

ちょっと、いろんなことに巻き込まれてみたいと思います(笑)

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沖縄生活 

2010年04月21日

今夜は年に何度もないくらいの閑な夜でした

なので、お客さまから「面白いよ」と貸していただいていた浅田次郎のプリズンホテル、読破

ほんとに面白かった♪

誰か浅田次郎の知り合いの方は居ませんか
会いたい、浅田次郎(笑)


目の前の出来事の全ては、みんな繋がってるんやよねー

ここんとこ私を釘付けにして仕方なかった人の繋がりや法則のようなものの答え合わせをした気分


blogなんか書く暇ないくらいびっくり仰天な日々を過ごしていました

もうね、すごいよ!

たぶん世界中のありとあらゆる人はどこかで繋がってる

電車の中で、街の雑踏で、市場で、食堂で…ありとあらゆるところで出会う人は皆、繋がってるよー

これはオカルトでもスピリチュアルでもない、現実

大嫌いな人、チョー苦手な人、許せない人
そんな人が居るなら、五感六感フルに呼び覚まして思い出そう
そしたら案外、一番大切な人かもしれない


プリズンホテルにはそんな事まで書いてないんだけど、なんだかそう思った

沖縄のたった5席しかないイカ焼き屋で日々繰り広げられるドラマ…

ちょっとー、面白すぎます

私、やっぱり沖縄に来て良かったんやろねー

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物思うこと 

2010年04月08日

いつ、どこで誰に聞いたんだろう
定かではない記憶の底の方にある言葉
「死んでしまった子供の歳を数えるのは愚かである」

なんだか、その言葉を聞いた若い日の私は「そうか、そうなのか」と思った

でも今、なんだかそうじゃない気がする

何ヶ月か前に亡くなったお父さんの誕生日を祝う友人を見たからなのかな

開店5周年のお祝い気分の私に「今日はあの人の一周忌だよ」と教えてくれた人の言葉に、忘れていた私の胸がギューッと、ほんとにギューッと詰まったせいなのかな

大好きなバンドのメンバーがいつも集っていた店の、みんなが大好きで大好きでたまらなかった人の訃報を受けたせいなのかもしれない

大切なときに大切なことが重なる

なんで時期を同じくして、こんなにも生きることと死ぬことに思いを馳せるようなことが重なるのか

死んでしまった人のことは忘れよう
忘れてしまうよ、いないんだもの
そう思っていた
ほんとうに、そうか
いないと忘れられるか


死んでしまった子供の歳を数える愚
それは、愚かなことではなく愛ではないか
取り返しのつかないこと、或いはどうすることもできないことを悲しみ、いつまでも思い続けることは愚かなことではないのではないか

ずっと覚えていたい
いなくなった人のことを

いつか、次の世で出会ったとき久しぶりの再会を心から喜びたいから
現世で出会う人たちの中に、初めてなはずなのになぜか懐かしい人がいるのも事実だから

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物思うこと 

2010年04月03日

4月3日(土)は、OKINAWA JAZZ GUILDO Oruchestraのラストライブの日なので、休みます
昼夜通しで行ってきますので、誰とも遊べません

4月4日(日)は、前日の振替営業いたします
勝手なお休みをいただいた後なので一生懸命働きます、はい

4月5日(月)は、通常通りの営業となります

4月6日(火)・7日(水)はセテール開店5周年の感謝を込めまして、お飲み物全品100円(ビールも泡盛も100円ですが、生レモンスカッシュとフルーツミックスジュースは除きます>全品ちゃうやんかいさ、と言わないで)とさせていただきます
お客さまが来れば来るほど大赤字必至ですが、誰も来ないと寂しいので皆さま奮ってお越しくださいませ
イカ焼きやその他定食類は普段通りのお値段になります
でも、カウンターの隅っこで自由にたこ焼きを焼いていただけるようセットしておきます

特別なことは何もできませんが、皆さまゆっくり楽しんでお帰りください

ほんとうに、こんな小さな店が5年間もやってこれたのは、あまりに素敵すぎる皆さまと出会えたからにほかなりません

奇跡のような幸せをありがとうございます

4月6日・7日は失神覚悟でやりぬきたいと思います
どうぞよろしくお願い申しあげます

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沖縄生活 

2010年03月21日

十五歳の少年三人と過ごす夜

仲間はずれな54歳、tako(笑)

四階まで吹き抜けの、つきしろの三角屋根の家で少年たちは四階に登って降りてこない
彼らの思いとは裏腹に吹き抜けの家に秘密は存在し得ない(笑)

いろんな話しをしている
一階の叔母さんの存在を気にかけながら

笑い、歌い、しばらく黙り込んでは、また話し合う>小さな声で

十五歳少年、漂う

懐かしいリアリティ

漂い、さまよい、迷い、時に目的を見失うんだろう
傷つけ、傷つき、戸惑うんだろう

いっぱい失敗して、いっぱい叱られて、頼むから気付いてくれよ、まじで

仲間はずれのtakoおばさんは、屋根裏部屋のような三角屋根の家の四階から聞こえてくる十五歳少年のさまようような声を聞きながら思うわけさ

「愛している」と年に一度あるかないかのひとときを感傷的に過ごすことは簡単やよなー

リアルな子育てに向き合う人たち、ごめんなさい
たまに向き合う少年たち、あまりに面白すぎ!

あー、楽しい♪
つかの間の十五歳少年漂流記

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物思うこと 

2010年03月14日

笑顔の魅力的な人と知り合った
可愛くて若い女性

昨日、会いたかったんやけど深夜まで忙しくて会えなかった
今朝、やはり彼女の笑顔を見たくてお昼ご飯用のお弁当を買って訪ねた


「昨日は来れなくてごめんね。はい、お土産♪」と笑顔を交わすつもりだった

「こんにちは」と声をかけて、カーテンの向こうから現れた彼女はポロポロと涙をこぼして泣いていた

何があったのだろう
理由を聞くのははばかられた
かわりに「大丈夫?よしよし」と髪を撫でて、小さくハグして「はい」とお弁当を渡して、もう一度バグした

「大丈夫です」と彼女は少し無理して笑顔を作った

大丈夫やないんやろうけど、その笑顔が彼女の答に違いなかった

貰い泣きしそうなところを、すんでに堪えて「ほんじゃ、私も仕事してくるね。バイバイ」と別れた
「はい」と彼女はもう一度、無理して笑ってバイバイと手を振った

たぶん、もう大丈夫だはず

いっぱい泣けばいいよ

一生懸命生きているから、辛いことにもぶち当たるわけで
自慢じゃないけど、私もかなり泣きべそなのさ
この頃は、そんなに泣かなくなったけど沖縄に来てからもいっぱい泣いたなー
突然、泣き出してお客さまをびっくりさせたこともあった

いっぱいいっぱいで生きているから、余裕かましてられへん
そやからこそ笑顔もほんまもんなんやと自分で自分を慰めてみたり(笑)
適当に聞き流して適当に返事できたら、こない泣かんでもええんやろなー

そう言えば一番最後に泣いたとき「聞き流せ」と言われた
聞き流せないよ
聞き流せないないのがtakoやもん
その後、いっぱい泣いた


笑顔が魅力的な彼女
私とバイバイしたあと涙を拭いて、今日も昨日と同じ笑顔で仕事してるに違いない
だけど、その笑顔はひとつ何かを乗り越えた笑顔

泣いてよかったね
乗り越えてよかったね
間違いなくあなたは昨日より輝いてる

hito_no_aida2004 at 14:17コメント(3)トラックバック(0) 
物思うこと 

2010年03月10日

2010年3月10日、寒いです
さっき、南極越冬隊みたいに着込んでるうちなんちゅとすれ違いました
私が沖縄に引っ越してきた2005年3月も寒かったなー

3月3日でした
飛行機から降りて一番近くのトイレで半袖Tシャツに着替えて空港の外に出たとき、出迎えてくれたさとちゃんちの息子は「takoさん、それ寒いよ」とTシャツを見てつぶやいた
南の島にやっと引っ越してきたのに寒いやなんて…
大阪で沖縄のことを思い続けていた日々にはそんなこともあるんだろうとわかっていたはずなのに、いざ沖縄の土を踏む日になると私の脳みそは「南の島は常夏♪」という薄べったい観光ポスターみたいになっていた

空港で私がふるえた冷たい風は別れビーサー
沖縄の冬が終わりを告げる最後の冷たい風だった
そして、今日吹いている風も別れビーサー
5年前のあの日と同じ風
同じでないのは、まぎれもなく私が5年間、沖縄で暮らしているということ
節目っつーか、ここ数日はしみじみと5年間を振り返っている

昨日、公立高校の入試初日で入試を終えた子供たちがいっぱい来てくれた
中に懐かしい顔があった
「こんにちは、お久しぶりです」
うちなーじらーの美少女
忘れもしない彼女は5年前に私を運動会に招待してくれた少女だ
あの時、彼女は小学校5年生
中学校に進学するときに引っ越してしまって会えないままになっていた
そして今年、那覇の高校に進学すべく、昨日は入試の後に訪ねて来てくれたんだった
しばらく会わないうちに背が伸びて、丸顔の幼い顔が細面の少し大人びた顔になっていた
でも舌っ足らずのゆっくりした口調や睫毛の長い大きな瞳は全然変わっていない
一目見てわかった
5年という歳月はこういうものか

忘れずに訪ねてきてくれて、ありがとう

「高校に受かったら、また時々くるね。友達も連れてくるからね」

tako落涙…



昨日も冷たい雨が降っていた
バイクに乗った若いにぃにぃが「イカ焼き、12枚下さい」と言う
他にも注文があったし「30分ほどしてから取りに来ていただければ焼いておきますよ」と答えた
にぃにぃは「じゃあ、30分後に取りに来ます」と言ってバイクで帰って行った
そして30分後、取りに来たにぃにぃはバイクにも乗っていなかったし、さっきまで来ていた雨合羽も脱いでいた
私は「お近くの方ですか」と聞いた
にぃにぃは「自分は那覇中学校の教師です」と言うではないか続きを読む

hito_no_aida2004 at 12:08コメント(12)トラックバック(0) 
沖縄生活 

2010年03月04日

ae46b5f4.jpg毎週セテールに手作りの「沖縄的杏仁豆腐」を届けてくれるサトウタクヤ君
初めて会ったときは独身の男の子だった
真面目で欲がなくて、一生懸命で無口でまじめな男の子だった
ある日、波照間島のサトウキビ工場に季節労働に行ってしまった
帰って来ると、貯めたお金で餃子と杏仁豆腐の店「生木葉」をオープンした
そして彼は、ずっと彼のそばにいた愛するヒトミちゃんと結婚して二人になった
お店は美味しい餃子で評判になり、忙しい日々を過ごしていたけれどサトウタクヤ君は、やはりずっと真面目で欲がなくて、一生懸命で無口でまじめな男の子のままだった
時々、何かのイベントで出会う彼のそばには、いつもニコニコ顔のヒトミちゃんが立っていた
そして、昨年の暮れに二人は可愛い男の子を授かった
よく泣いてタクヤ君とヒトミちゃんを寝不足にする元気な子だった
三人家族になったタクヤ君が次に決心したことは故郷に帰ることだった
繁盛店の生木葉を閉める決心は並々ならぬことだったはず
ただ、彼は彼の家族と交わした約束があったので、今それを実行することになっただけのこと
「いつかは家族の待つ福島へ帰ります」
生木葉をオープンする前から、タクヤ君はそう言っていたし

彼は気付いていないかもしれないけれど、一人から二人、二人から三人に家族が増えるごとに彼は一歩、前に進む
彼のエネルギーの源が家族なんだろう

人にはいろんなスタイルがある
ずっと一人で生きる人
時に家族を捨てる人
そして、家族と共に前に進む人
どの生き方も、幸せに繋がればそれでいい
どんな生き方が一番いいか、なんてことはない

でもサトウタクヤ君の生き方は見ている人に希望のようなものを持たせてくれる曇りのない生き方だ


サトウタクヤ君の渾身の店「生木葉」は3月20日をもって閉店になります
家族三人で彼の故郷である福島県に帰ります
福島ではタクヤ君のお父さんの仕事を手伝い、近い将来、彼がその仕事を継ぐことになるんでしょう

タクヤ君一家とお別れすることは寂しくてならないけれど、人は動く生き物です
生きる場所を時に変えながら前に進んでいくんでしょう

沖縄生まれの一粒種が沖縄を忘れないように、時々は帰ってきておくれね
そして、また家族が増えたら見せてほしい

寂しいけれど、旅立つ彼らを笑顔で見送りたいと思います

ちなみに「生木葉」の名前の由来は福島県の彼の故郷の地名だそう
最初から故郷に帰る思いがあって、その店名に決まったのかもしれない


私は彼の餃子が大好きだけれど、セテールと営業時間が重なるので数えるほどしか行ったことがない

明日、3月4日は三線の日なのでセテールは臨時休業して読谷での9時間ライブに行きますが、夜は生木葉で最後の餃子を食べたいと思います

>3月4日は三線の日なのでセテールは臨時休業…
↑これ、重要事項です


hito_no_aida2004 at 02:51コメント(10)トラックバック(0) 
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tako
気持ちは乙女
心は乙女
いろんなことに首突っ込んで
あたふたしてる沖縄に住んでいる大阪の女です。



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イカしたカフェ セテール
住  所:那覇市松山2-21-29
電  話:050-1351-9308
営業時間:14:00〜23:00(日曜定休)
時々、早めに仕舞うときがあるかも・・・
特に土曜日・・・そやかて忙しいねんもん
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