2017年12月15日
鹿鐘麟旧居(写真付)
鹿鐘麟旧居は天津日本租界須磨街(現在の陝西路53号)にあります。
鹿鐘麟(1884−1966年)は1884年3月12日、河北省定州北鹿庄の名家に生まれ、中華民国国民革命軍高級将校。馮玉祥の部下として五虎将の一人です。
(他の4人は張之江、宋哲元、鄭金声、劉郁芬)
清朝光緒三十二年(1906年)、新軍第六鎮士兵、清朝光緒三十四年(1908年)馮玉祥が組織した武学研究会に加入します。
民国十一年(1922年)、馮玉祥が鹿鐘麟を河北省督弁(軍政長官)に任命。
民国十九年(1930年)、中原大戦で反蒋介石軍が敗北、下野して天津に蟄居。民国二十六年(1937年)、馮玉祥が鹿鐘麟を第三戦区司令官に任命。翌年には河北省主席になります。
1944年兵役部長、1946年退役後天津に住みます。
中華人民共和国成立後も大陸に留まり、1954年国防委員会委員に任命されますが職に付きませんでした。
1966年1月11日病没、81才。
建築
鹿鐘麟旧居は3階建てレンガコンクリート建築です。
アーチ式窓に3階中央に東屋が設けられてます。
鹿鐘麟旧居は和平区大理道18号にもあります。
(メルマガ1560号2011年2月18日配信を参照)
以上(5月4日記)
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今の順位は?
鹿鐘麟旧居の写真と説明です。
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鹿鐘麟(1884−1966年)は1884年3月12日、河北省定州北鹿庄の名家に生まれ、中華民国国民革命軍高級将校。馮玉祥の部下として五虎将の一人です。
(他の4人は張之江、宋哲元、鄭金声、劉郁芬)
清朝光緒三十二年(1906年)、新軍第六鎮士兵、清朝光緒三十四年(1908年)馮玉祥が組織した武学研究会に加入します。
民国十一年(1922年)、馮玉祥が鹿鐘麟を河北省督弁(軍政長官)に任命。
民国十九年(1930年)、中原大戦で反蒋介石軍が敗北、下野して天津に蟄居。民国二十六年(1937年)、馮玉祥が鹿鐘麟を第三戦区司令官に任命。翌年には河北省主席になります。
1944年兵役部長、1946年退役後天津に住みます。
中華人民共和国成立後も大陸に留まり、1954年国防委員会委員に任命されますが職に付きませんでした。
1966年1月11日病没、81才。
建築
鹿鐘麟旧居は3階建てレンガコンクリート建築です。
アーチ式窓に3階中央に東屋が設けられてます。
鹿鐘麟旧居は和平区大理道18号にもあります。
(メルマガ1560号2011年2月18日配信を参照)
以上(5月4日記)
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