2018年10月05日
金顕宅旧居(写真付)
金顕宅旧居は著名な腫瘍外科医で中国の腫瘍学の基礎を築いて金顕の天津の旧居で1930年代に建てられました。
旧居は当時の英国租界の香港道(現在の睦南道69−71号)にあります。
この建物は一般保護等級歴史風貌建築(2005年8月31日公布)に指定されてます。
歴史
金顕宅(1904−1990年)は1904年朝鮮ソウル生まれ、1916−19年ソウルの中学で学び、1919年中国に来て1926−1931年北京協和医学院で学び、1931年米国ニューヨーク州立大学で博士号を取得しました。
1930年に中国籍になります。
協和医院の腫瘍科主任になったのは1939年です。
1980−1983年に天津市人民医院院長兼放療科和化療科主任、天津市腫瘍研究所所長兼天津市腫瘍研究室主任となり、1983年以降は天津市人民医院名誉院長、天津市腫瘍研究所名誉所長でした。
1990年9月4日敗血症により天津で死去しました。
建物
金顕宅旧居は2階建て一部3階建ての折衷主義様式のレンガ木造構造でレンガ外壁に寄棟瓦屋根、大軒が特徴です。
室内の床はフィリピン木で欧州式暖炉があり、照明付き装飾天井が備わってます。
以上(2月12日記)
●お待ちかね?写真のコーナーです!●
(写真をクリックすると大きくなります)
今の順位は?
金顕宅旧居の写真と説明です。
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旧居は当時の英国租界の香港道(現在の睦南道69−71号)にあります。
この建物は一般保護等級歴史風貌建築(2005年8月31日公布)に指定されてます。
歴史
金顕宅(1904−1990年)は1904年朝鮮ソウル生まれ、1916−19年ソウルの中学で学び、1919年中国に来て1926−1931年北京協和医学院で学び、1931年米国ニューヨーク州立大学で博士号を取得しました。
1930年に中国籍になります。
協和医院の腫瘍科主任になったのは1939年です。
1980−1983年に天津市人民医院院長兼放療科和化療科主任、天津市腫瘍研究所所長兼天津市腫瘍研究室主任となり、1983年以降は天津市人民医院名誉院長、天津市腫瘍研究所名誉所長でした。
1990年9月4日敗血症により天津で死去しました。
建物
金顕宅旧居は2階建て一部3階建ての折衷主義様式のレンガ木造構造でレンガ外壁に寄棟瓦屋根、大軒が特徴です。
室内の床はフィリピン木で欧州式暖炉があり、照明付き装飾天井が備わってます。
以上(2月12日記)
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