110912_ALIA5535西山 瞳   にしやまひとみ

1979年11月17日生まれ
蠍座 O型
出生地 長崎県諌早市
育ち 大阪府枚方市
現在は東京に住んでいます。
趣味 へっぽこジャズクラリネット、映画鑑賞(主にスタローン)

演奏やお仕事などで使用する公式なプロフィールは、ホームページをご覧下さい。






小学校時代

小学校1年生の冬から、クラシックピアノを安宅千世子先生に習い始めました。
習いだしたきっかけは、母親が小学校教師でピアノの練習をするためにエレピアンを買い、私も弾きたいと強く思ったからです。
ただ、すぐには習わせてくれなくて「これ弾いたら習わせてあげる」と、バイエル上巻を渡されたので、習いに行った時は自力でほとんど弾いてしまった後でした。(後で母親は「そんなこと言ったっけ?」と言いましたが)でも、そのおかげで、弾きたい!という気持ちは、ピアノ習ってる同級生の100倍はあったと思います。結果オーライ。


中学・高校時代

中学校で本格的にちゃんとピアノの勉強をしはじめて、13歳から17歳まで京都の音楽大学の先生宅に習いに行っていました。ハノンだけで終わる日もあったし、譜読みは大変でしたし、慢性的に腱鞘炎になっていました。
高校2年の夏のコンクールで、初めて演奏中に「弾きたくない」と思ってしまい、それがきっかけでピアノをやめてしまいました。

ピアノをやめていた期間、周囲の友達の影響でか、イングヴェイ・マルムスティーンに嵌りました。
ジャーマン・メタル、北欧メタル、様式美系ばかり聴いて、友達のライブに行ったりしていました。かなり沢山聴きました。楽しかったです。

1年ほど経った高校3年の夏、たまたま懐が潤っていてCD屋に行った時に「ジャズのCDでも買ってみようかな」と思い、「Now he sings, Now he sobs /チック・コリア」「Undercurrent /ビル・エバンス」の2枚を偶然買いました。それはもう衝撃で、すぐジャズが弾きたい!と思って、一般大学を受験するつもりだったのを音大ジャズ科を受験すると進路転換。今思うと、よくぞこの2枚を手に取ったもんです。(名盤と書いてあったり、ジャケが綺麗だったからたまたま買っただけです)


音大時代

大阪音楽大学短期大学部音楽科音楽専攻ピアノコースジャズクラスに入学。名称が長いので、卒業生は通称で「ジャズ科」と呼んでいます。(実際はそんな科はないのですが) 在学中、畑本浩先生、石井彰先生にレッスンを受けました。
1年生の時に、たまたま声のかかったジャズの演奏の仕事を受けたのをきっかけに、演奏活動開始。プログレバンド、フュージョンバンド、オールディースバンドなど、学生の時期にピアノ&キーボードで呼ばれるままに沢山バンド活動をしました。
ジャズでは新地や営業の演奏ばかりしていて、学生の時にちゃんとしたジャズのライブハウスでライブをしたことはありませんでした。というか無理でした。


20歳〜

ジャズ科を卒業してすぐ、ローランドの直営センター講師(カスタマーサービス的なレッスンを含む)をしながら演奏活動していましたが、営業からジャズクラブなどに演奏の場所が徐々に移っていき、ジャズのフィールドでのセッション的な演奏活動が増えました。ゴスペルのサポートもずっとしていました。

21歳の時に、イタリア人ジャズピアニスト、エンリコ・ピエラヌンツィの「Deep Down」を聴いて、大変衝撃を受けました。とにかくもっと聴きたいと、エンリコのCDを片っ端から集めたのですが、方向を決定付けることになったのは「Racconti Mediterranei」というアルバムです。
エンリコ・ピエラヌンツィ作品やビル・エバンスの作品をライブで取り上げていましたが、お客さんは全然入りませんでした。普段するセッションライブなどでは、お店の方や諸先輩方から「もっとガンガン弾け」「黒人を聞け」と、毎日言われてました。(竹下清志さんだけは「大きく弾けって言われても絶対大きく弾くな、そのままでいい」とおっしゃっていて、印象深いです)
ですが、お客さんが入らなくても私の方向性を応援してくれるお店もあって、CDを作ろうと持ちかけてくれたお店がありました。CDを作るためにはカヴァーだけではいけない、ということで、オリジナル曲を作り始め、演奏するようになりました。
結局色々あってお店でのCD製作ではなく、自主制作の形をとることになって、2004年9月「I'm Missing You (VNTM-04001)」を発表。発表後すぐに梅田のジャズCDショップ・ジャズの専門店ミムラさんで取り扱って頂き、2005年1月、ありがたいことにチャンスに恵まれ、全国流通することになりました。

2005年2月に新しいことをしたいと思って、若いメンバーによるトリオ(当時私が25歳、Bs大谷訓史22歳、Dr清水勇博21歳)でも活動を開始。当初は色んな人で試してみてからメンバー固定しようと思っていたのですが、一発目のライブで感触が良かったので、もうこのメンバーで決定。
たまたま、前年まで働いていた高校の音楽科の仕事がいっぺんに無くなってしまい、時間ができたので、東京にも時々セッションしに行くようになりました。
そんな時に横濱ジャズプロムナードのコンペティションの応募要綱を見て、本選会場が赤レンガ倉庫1号館のホールだったので、応募しました。ここはエンリコが初来日ツアーで弾いた場所で、「あの場所でエンリコの弾いたピアノが弾けたら」というマニア心もあって、ジャズのコンクールを受けるのは初めてだったんですが、応募してみました。
予選を通り、本選では念願かなってエンリコの弾いた舞台でエンリコの弾いたピアノを弾けたうえ、ありがたいことにグランプリまで頂くことができました。

その年末、スパイスオブライフのプロデューサーに声をかけて頂き、2006年の5月にスウェーデンへ、アルバムのレコーディングをしに行きました。

2006年の夏秋は、横濱ジャズプロムナード優勝の副賞として沢山ジャズフェスに出させてもらい、9月にスウェーデン録音のデビューCD「CUBIUM」をスパイスオブライフ/アミューズからリリースしました。おかげで自主盤の旧譜が急激に売れて、いつのまにか希少盤になりました。1000枚プレスの手作りの自主盤ですが、素晴らしい役目を果たし結果を残して2年で完売、色んな人にお世話になって作った甲斐がありました。CD一枚の生み出す縁というものを、自分の手で実感することができて、本当に良かったと思っています。

2007年は、7月にストックホルム・ジャズフェスティバルに、スウェーデントリオで参加させてもらいました。23回の歴史の中で日本人リーダーのバンドがメインステージに立ったのは初めてだったそうで、光栄でした。ストックホルムに訪れた際、今年リリースのCDのレコーディング、現地のグレンミラーカフェというライブハウスで、二日間のギグもしました。今年、初めて海外でのステージを体験して、どこにいても自分次第だなと改めて実感して帰ってきました。

9月には、過去の自分の経験を踏まえて「Jazz Complex」と銘打ってイベントを始めました。オリジナルで活動していると、なかなか聴いてもらえず困難な状況がありましたが、何も行動せずに「お客さんが入らない」とか愚痴を言うのはダサイし、志を同じくする色んなアーティストの人たちと共有して作っていけたら、と思って始めました。
この年10月には、3枚目のスウェーデン録音のCD「Many Seasons」を発売し、あちこちでコンサートをさせてもらいました。

2008年1月にレギュラートリオを”西山瞳トリオparallax”とバンド名をつけて再スタートし、3月には東京に引越しました。
そして9月にParallax+馬場孝喜gtで、5枚目のアルバム「Parallax」を発売しました。ヨーロッパ録音のCDを出しても、いつかは自分のトリオで録音したいと思っていましたし、大阪をはじめ各地で応援して頂いていたトリオなので、このリリースは本当に沢山の方に応援して頂けて、感無量でした。
ですが、ドラムの清水君がNYに行くため、10月12日の横濱ジャズプロムナード公演を最後にバンドは休止へ。(それを見越したバンド命名&レコーディングだったのですが)

2009年の3月には、関西で続けていたお仕事を色々整理して、一旦演奏活動のみで東京中心の生活になりました。

オリジナル曲が100曲になったのを記念して、「100曲祭り」という全曲演奏会シリーズに取り組みました。この年で30歳になりましたが、20代は大きなレコード会社で色々やってもらえたのはありがたかったのですが、自分が思っている以上に外側が進んでしまって、ちょっと心理的な乖離を感じていました。その中でパララックスという大事なバンドが一旦休止に入り、支えて下さった人たちや自分の音楽のことを沢山考えることが多かったので、きちんと自分で自分を振り返りたいなと思いました。全7回、本当に沢山のお客様に聴いて頂きました、ありがとうございました。そしてこの年、馬場君とやってる"Astrolabe"で、1時間ほどの組曲も完成しました。
CD出したりメディアに出たり、という対外的な活動はほとんどなかったのですが、演奏と作曲に集中できた一年でした。

2010年は、年明けからファツィオリでコンサートをしたり、ホールでコンサートが続きました。
そんな中、世界で最大規模の作曲コンペティションである、アメリカのInternational Songwriting Competitionで、私の曲Unfolding Universeが3位を獲得しました。同時に応募したSoul Travelもセミファイナルに残りました。私の受けた年はたまたま世界的に有名なプレイヤーのエントリーが多く、ジェフ・ワッツやジャネット・リンドストーム、マーク・アイザックスなどと並んでファイナルに名前が載り、とても光栄でした。おかげさまで、世界中の方に曲と演奏を聴いて頂く機会に恵まれました。
より多くの価値観と文化を持った見知らぬ方々に出会うために、しっかりと日本の地に軸足を持って、自分は何者なのか考えつつ発信することは、常に続けていたいと思います。

2011年は、プライベートで大きな変化があり(まあ結婚したんですけど)、さあ頑張るぞというところで震災がきました。正直、その後1ヶ月ぐらいは何もする気が起こらず、音楽をしていてこんなに無力感や閉塞感を感じたのは初めてで、自分自身に戸惑いました。かえって腹をくくったというか、私は音楽とともに生きていきたいということを再確認して、レーベルを移し再出発。自主制作アルバム「I'm Missing You」を再プレスした後、6枚目のアルバムとなる「Music In You」を11月にリリースしました。こちらのアルバムは、2004年の自主盤以来のセルフプロデュースですが、充実した作品を作れたかなと自分では思っていますし、そのように評価も頂けて、良い作品が出せたと思います。

2012年は、3月に馬場孝喜gtとのデュオ作「Astrolabe」と安ヵ川大樹bとのデュオ作「El Cant Dels Ocells」の2作を同時リリース。それまでの1年間の間に4枚のリリースで、自分でも出し過ぎだとは思いますが、リリースをお休みしていた3年間に溜まったものを出していかないと、次のことができないので、一度に出してしまいました。この年は、本当に沢山の演奏の機会に呼んで頂きました。ツアーばかりしていた気がします。ジャズフェスも各地で沢山出演させて頂きました。
そして、秋にパララックスが復活しました。皆、拠点が変わってしまいましたが、清水君の帰国に合わせてツアーをしました。各地でご無沙汰していたリスナーの方と沢山お会いできて、嬉しかったです。

2013年は、現在のメンバーのトリオ2作目「Sympathy」と、アナログ盤「Music In You」をリリース。この年も、多くツアーに出かけました。秋にエンリコとの再会があり、今度はアーティストとしてご挨拶できて、演奏も聴いて頂きとある案件を任せたいとおっしゃって頂き、10年頑張ってて良かったなと帰りの電車で1人で泣きました。気持ちを新たに頑張ろうと思いました。
その後、ソロ作「Crossing」と、東かおるvocalとの「Travels」もリリースしました。「Travels」は、今までの音楽活動の総括ができたような、私が大事にしている色んなものが詰まっている、本当に大事なアルバムです。

2014年は、パララックスの2作目のレコーディングとリリース、ツアーがありました。前のアルバムから6年経って、皆変わっているので、それを楽しんでできたかなと思います。また、ホールやイベントの公演がわりと多かった年でした。個人的には、作曲もアレンジも作品作りも、ある程度までやったあとは他人に任せることができるようになったかなと思う一年でした。ちょうど自主盤を出してから10年で、1人で頑張るべきこととそうでないことの塩梅が、うまくバランスをとれるようになってきたかなと思います。

2015年は、とにかくメタル漬けな一年です。1月にメタルカヴァーアルバムの企画が出て、これは日本ジャズ界で私しかできないだろうという強いマニア自負心とともにスタート。10月に「New Heritage Of Real Heavy Metal/NHORHM」をリリースしました。沢山の方に聴いて頂けているんですが、この一年、久々にメタルのライブに本当に沢山足を運んで、今までの生活の中で忘れかけていた音楽へのピュアな憧れみたいなものを、高校生の時のすげー!って気持ちが、強烈に戻ってきました。ジャズばっかりやっていたら、こういうことはなかったです。

2016年は、パララックスで大きなコンサートがいくつかあって、秋には再度パララックス休止。2008年と同じ理由でしばらくお休みだったんですが、前回の休止の時に後悔した「ライブを録音しておけばよかった」ということをちゃんとリベンジ、ライブ盤を出して休止しました。
そして、メタルプロジェクトNHORHMの方も、NHKセッションやホール公演、ジャズフェスなど大きな演奏機会に恵まれ、2枚目のアルバムも発表。ジャズピアニストのキャリアの中で、まさかメタルシンガーと一緒に録音することになるとは思ってもみませんでした。他に、マーティ・フリードマンさんと会う機会があったり、高崎晃さんにコメント貰ったりして、今まで高校の時にピアノを弾いていなかった(代わりにメタルばっかり聴いていた)空白の期間は自分の音楽人生にとってネガティブな逃げの時間だと思っていましたが、そうではなく、ちゃんと今の活動に結びついていて大事な期間だったんだなと思うことができて、音楽を続けていて本当に良かったと思いました。

2017年は、NHORHMで沢山ライブをしました。高槻ジャズスト、横濱ジャズプロムナード、山武市市民会館、六本木で冠さんとライブもしましたね。
また、5月に新宿文化センターの大ホールでソロ公演の機会に恵まれ、話が来た時は小ホールだと思っていたので、大ホールと聞いた時は「キースか!」と突っ込みましたが、2000人クラスのホールで一人で演奏できる機会なんて本当になかなかないですから、貴重な体験でした。

2018年は、NHORHMの3枚目をリリース。なんとデーモン閣下からコメントを頂き、お会いして対談という機会も頂き、しかも、デーモン閣下のライブSEで自分の演奏が流れた時は「なんや言われても、自分が面白いと思ったことをやり続けていたらご褒美があるなあ」と思い、このプロジェクトもここまできたか…と感慨深かったです。私が大好きだったTBSラジオ番組「ウィークエンド・シャッフル」の後継番組「アフター6ジャンクション」にも出演しました。

2019年は、年明けにちょっと珍しい病気がわかり、一瞬凹みましたが、逆に開き直ってめちゃくちゃ元気になりました。我ながら、こんなに元気になると思いませんでした。
20年ジャズに取り組んできたので、毎瞬間、今あるところから一番良くなるように、ポジティブに作り出すことにトライしてきたので、人生もそんな感じでとらえているんだなあ、と、客観的に思います。


CDを聴いて下さった皆さんには、ぜひライブでも聴いてほしいと思います。
わりと適当な人間です。
一緒に時間を共有できれば嬉しいです。