短いが身近というお話

俳句、短歌そして読書、映画などなど・・・。なんでもつめこんで、やけくそに面白い!

真藤順丈「宝島」

学生時代、とても親しい沖縄の友人がいた。
もう、半世紀も前のことで
沖縄が本土復帰する以前の頃である。
彼らは同志社大学の学生で
同じアパートで2年ほど一緒だった。
沖縄から船で鹿児島に渡り
列車で京都までやってきていた。
彼らが日本に(本土に)くるにはパスポートが必要であった。
彼らは沖縄でそこそこに裕福な家の出であったはずだが
京都での生活はかなり慎ましかった。
そんな彼らはいつもチョコレートをお土産に
帰省から戻ってきていた。
米軍払い下げのジーパンを買ってもらったこともある。
日本ではジーパン(ジーンズではない)は作業ズボンであり、
なかなか買えなかった。
彼らの思いは「本土復帰」であった。
自由に本土を往き来したい、そのことを繰り返し語り
「沖縄返還」の集会やデモに参加していたようだ。
takarazima















直木賞受賞作品である。
沖縄の戦後、復帰前夜、復帰後、
三つの章に分けて、沖縄の人の
暮らし、思いがフィクションとはいえ、
史実に赤裸々になぞられている。
「戦果アギャー」と呼ばれる米軍から奪った
戦利品を生活困窮者へ配るグループのリーダー「オンちゃん」、
弟の「レイ」、親友の「グスク」、恋人の「ヤマコ」が
主な登場人物。なかでも「オンちゃん」は
人々からも神のように崇められていた。
その「オンちゃん」が米軍基地へ侵入した後、消える。
そこから3人の苦しい、逞しい生活が始まる。
「オンちゃん」への憧れと想いと
沖縄の戦後、復帰という時代が交錯する。
たとえば、「核なし、本土並み」復帰を叫ぶ
沖縄の人々を本土の政治家はまったく無視して
「復帰」が進んでいく。
この状況はまさにいまも同じである。
「辺野古反対」と叫んでも、
投票でそれが絶対多数になっても
本土はそれを無視している・・・。
沖縄はいまも戦後が続いているのだ。
この作家がそれを抉り出そうとしている。
スピード感溢れる、
エンターテイメントに優れた作品である。
しかも、沖縄の本質に迫っている物語である。
沖縄のいまと重ね合わせて読んでいきたい。

いま、学生時代を共に生きた
沖縄の友人がどうなっているか知らない。
彼らが語らなかったことが
この小説には溢れている。
それをあの友人だった2人と語ってみたい。

坪内稔典「上島鬼貫」

伊丹にある「柿衞文庫」の応援隊に入った。
「柿衞文庫」(かきもりぶんこ)は俳諧俳句の博物館。
昨年末は「芭蕉の手紙展」を開催していた。
研究者垂涎の資料館であるらしい。
ここの目玉のひとつが「鬼貫」(おにつら)。
一般的にはあまりなじみがないかもしれない。
東の芭蕉、西の鬼貫と評された人らしい。
「らしい」「らしい」と言っててもラチがあかないので
「鬼貫」を知ろうと、この本に挑んだ。

上島鬼貫
















鬼貫は上島鬼貫といい1661年の生まれ。
少し上の世代に
西鶴(1642年生)、芭蕉(1644年生)
近松(1653年生)などが
いていわゆる元禄文化を担った。
鬼貫(おにつら)という名は
いわば俳号で、鬼の貫之、かの紀貫之から
とったものらしい。
以上が基礎知識・・・。
幼少の頃から俳諧に接したのだが
長じて、かなりアバウトな人のようにみえる。
武士になりたくて、仕官したくて
知人に依頼し、その知人が◎◎藩に
話してやろうと言っただけで
仕官がかなったと送別会をしてもらう。
その話、実はうまくいかなかったのだが、
江戸のその藩に出かけてしまう。
そのために、多くの人に迷惑をかける・・・。
何より笑うのは、芭蕉への憧れが強く
芭蕉の「奥の細道」を真似して
京から江戸まで俳諧の旅日記を出版する。
ところが、これはそのための旅などしていない。
いままで旅してきたことをアタマの中で思い出しながら
書いたものなのだ。
途中、随行の仲間なんかも登場する。
この時代はそんなものだったのかもしれない。
武士としての矜持を示したまっとうな逸話もあるが、
今回は俳諧師柿衞の名誉のための作品をいくつか紹介しておく。
  こいゝゝといへど蛍がとんでゆく
この句は8才の時の作品。
  さくら咲くころ鳥足二本馬四本
言葉遊びの作品。
  にょっぽりと秋の空なる富士の山 
初めて江戸へ行った時の句(26才)
  茶花や春によう似た朝日山
  水無月や風に吹かれに古里へ
  行水のすて所なき虫のこゑ
  恋のない身にも嬉しや衣がへ
  白妙のどこが空やら雪の空
「心を深く入れて、姿・ことばにこだわらない方がよい」
などと俳句をつくる時の心構えを言い、
はなし言葉や会話を使って、ふつうの気持ちを素直に
ズバリと詠むことをすすめたそうだ。
なるほど、判りやすい作品が多い。

この本からもうひとつ。
伊丹という町は当時から栄えた町で
文化度も相当のものだったことが想像できる。


漫画で読破シリーズ

あのラストを憶えているか?
みたいなテレビクイズがある。
映画「タイタニック」の最後は?
小説「坊っちゃん」の最後は?などなど。
驚いたのは「長嶋茂雄の最後」の打席は?
あの有名な引退セレモニーの後
実は日米野球に出場している・・・。
ということも含めて
知らないこと、憶えてないことが、ある、ある。
いちばんのショック?は漱石の「坊っちゃん」の最後は?
自信がない。
ということで、購入したのが
「漫画で読破」シリーズ。
漫画坊っちゃん
漫画病床六尺












漫画ではなくてちゃんとした本で読めばいいのだが。
何度か読んだことがあるので
安直に思い出したい。
で、漫画になった。
「坊っちゃん」は最後は東京に戻り、
乳母(お手伝い?)の清と暮らすが
清はすぐに亡くなる。
ほぼ記憶通りで嬉しかった。
では「我が輩は猫である」の猫は?
水瓶に落ちて死ぬ。これも正解!
漫画ではマンガ風に脚色してあり
漱石の文章の醍醐味はない。
でも、それなりに楽しい。

子規の「病床六尺」は原文で読んだとき
理解できなかったことが多かった。
それがマンガでかなりみえた。
漫画がどれだけ原作に忠実かは疑問とはいえ
もう一度、原文を読んでみようという
意欲がわいた。

そして、いまは
「ファウスト」や「蟹工船」・・・・「資本論」など
難しい本を漫画で読んでいる。
青春時代に一生懸命読んだ本のおさらい。
安直だけれど、ストーリーだけ追う気配は
確かにあるけれど。
歳をとるとこういう楽しみ方もいい。


青木亮人「俳句の変革者たち」

NHKカルチャーラジオのテキストとある。
NHKって聴いたことも観たこともない。
ましてこんな講座があるなんて全く知らない。
本屋の俳句の本のコーナーにあったので
ひょいと手にとって、パラパラとめくってみた。
150ページ位の紙のよくない薄手の本。
タイトルもいまどき風でない。
著者青木りょうじん?なんて読むんだよ!

俳句の変革者たち






















ページをめくるたびに
惹きつけられていく。
副タイトルにあるように
正岡子規から俳句甲子園までの
俳句の歴史が書かれているらしい。
そしてまん中あたり。
「全共闘時代の熱気と反骨精神」という項に
私たちのことが書いてあるではないか。
私たちが歴史になっている!

ここまで来たとき、立ち読みをやめ
この本を購入すべきだと思った。
ゆっくり読むべきだと。

俳句の歴史の本は多くは俳諧あたりから始まる。
一生懸命読み取ろうとするが
たいてい途中で挫折してしまう。
面白くないのではない。飽きるのだ。
この本は子規から始まる。
子規とその周辺もなんとなくかなり読んで知っている。
ところがその後、虚子が出てくるあたりから
今度は退屈になる。
ということで、現代までの俳句の歴史の
流れをあまり知らない。

この本はポツンポツンと空白となっていた
俳句史を埋めてくれた。
その上、筆者のキャリアを歴史にしてくれた。
さらには最近流行りの俳句甲子園
そして、その先まで
言及してくれているのだ。
親切で楽しく、よくわかる本である。
とても勉強した気分になった。

ということで、著者青木亮人(あおきまこと)を
とても気にいったのであります。
早速、「俳句の諸相」を購入して
読み始めているのです。
というところに、「その眼、俳人につき」を
いま、読み始めている。


長澤あかね訳「好きなことを次々と仕事にして、・・・」

「マルチ・ポテンシャライト」〜好きなことを次々仕事にして、一生食っていく方法、
これが正式なタイトルの本。

人は、いや日本人はどうやって職業を選んでいるのだろうか。
「天職」などと考えて職業を選んでいる人がどれだけいるだろうか。
偶然選んだ仕事が気に入って、
それがいつのまにか「天職」になった。
そんな人が多いのではと思うのだが・・。

きわめて個人的経験だけれど。
筆者はなんとなく広告業界に憧れて
なんとなくコピーライターになって
シコシコやっているうちに、
業界内のあれもこれもができるようになって、
気がついたら、この仕事が大好きで
「あれもこれも」どころか
この道一本で行きたくなって。
あっという間の40年。
満足の仕事ライフ。
会社を卒業はしたけれど、
そのままこの仕事を続けようと。
運良くというか、
幸いに大好きな仕事が続けられるようになった・・・。
おまけに趣味でやっていたことで
ほんの少しだけれど、
講演や講師の話もいただけて。
「天職」とは思わないけれど
あれもこれも満足。
こんな嬉しいことはない。

やりたいことがいくつかあって
それがすべて大満足に結果が出たわけではないけれど
いくつかの「やりたい」ことで
一生食っていけそう、という感じ。

そう思いながら、この本を読んだ。

で、この本の4つの働き方から選択すると
たぶん、「アインシュタイン・アプローチ」に
なるのではと勝手に判断した。

冒頭に戻るが
日本人は自分の仕事を選ぶのに
あれこれ犠牲にしてというか
あれもしたい、これもしたい
どれを捨てようかなんて
考えているのだろうか。
きっとそういう人もいるのだろうけれど、
そんなに悲壮に考えることもないだろう。
そういう結論に達したとき
この本と同じような考えを
知らないうちに実践していたことに気づくのだ。
気軽に仕事をしていれば
仕事が好きになって、
そこから、あれもこれも仕事にできて
一生、なんとなく食っていけるのではなかろうか。
もちろん、大富豪や偉人にはなることはできないけれど。
好きな仕事をあれもこれもやっていくというのは
そういう普通の生活をしていく方法ではないだろうか。

普通の人が普通に生きるための
応援本、それがこの本ではなかろうか。



柚月裕子「盤上の向日葵」

「本屋大賞」ということで読んだ。
作者についても、作品についても
まったく予備知識なしで。
読後、「本屋大賞」ってなんだろう?
と思った。

盤上の向日葵

















いま、将棋は人気だ。
駒の動かし方くらいしか判らない
筆者にも盤上の戦いの熱が
伝わってくるほどの描き方であることも
十分に読めた。

刑事二人が将棋の王座決定戦が行われている
冬の天童市へ向かうところから物語は始まる。
駒彫りの名人がつくった名駒の
行方を追っている訳だが、
それが殺人事件に関係していると
いうことが判ってくる。
数々の捜査の果てにそこに至った訳である・・・。

ここから、ある少年の物語に変わる。
母をなくし、父のギャンブル好きのため
食べるものもろくに与えられぬ小学生が
将棋に並々ならぬ興味を持っていて
それを元教師が鍛えようとする・・・。

この二つの物語はやがて交錯し
一つの流れになるであろうことは
読んでいてすぐに判る。
そして、きっと、二人の刑事の名駒を
追いかける捜査の旅があまりにも
饒舌というか、
よくある展開であることに気づき、
この長い捜査の話は不要であるように
思えてくる。

少年は成年になり、経済界で成功するが
将棋への想いが残っている。
そこへ学生時代に知り合った
将棋で飯を食う浪人と再び出会い、
将棋への火が再び燃え始める。
そんな展開の方をメインにした方が
よかったのではと思った。

もうひとつの欠陥は時系列はあるのだが
あまりにも交差し過ぎていて
時代感覚を失ってしまう・・・。

もっともっと書きたいけれど
結論だけにする。
将棋の勝負の描き方はたしかに上手い。
しかし、それ以外はあまりにも古くて、
ところによっては稚拙。
これが「本屋大賞」?と思ってしまった。






桐野夏生「路上のX」

最近のこの人の作品は出だしで
とても苦痛になり、
何度か読むのを中断する。

社会的にまったく普通の
主人公がいまにも底辺まで
落ちそうになる。
宙ぶらりんのまま
まだ落ちてしまってはいないのだと思わせる。
こういう連続の展開に
読み続けることも
ぎりぎりになっていく。
そんな物語なのだ、これも。
路上のX
















今回の主役はJKと呼ばれる女子高生。
レストランを経営する両親に
突然、経営が頓挫したと告げられ
女子高生真由は父の弟の家に、
弟は母の妹に家に預けられる。
真由は都内の私立高校へ行く予定が
近くの偏差値の低い
どうしようもない公立校へ進学することになる。
預けられた叔父の家は
叔母はパート、叔父は酒浸り。
狭い家で、
真由は二人の従兄弟のベッドの間に寝るしかない。
もちろん、机はない。
朝ご飯は食べさせてもらえないことが多く、
昼は小遣いからパン1個で済ますしかない。
やがて真由は渋谷のラーメン屋でアルバイトをし
叔父の家に帰らなくなる。

物語の出だしはこんな感じだ。
こんな真由を狙って、
大人の男たちが近づいてくる。
JKビジネスに誘い込まれるが
街で知り合った同じような境遇の
仲間たちの機転で
どうにか大人たちの手から逃げ出すが
すぐに次の手が迫る。
ラーメン屋で寝泊まりしている真由は
その店のチーフと呼ばれる男に
レイプされる。

ようやく親しくなった仲間の手引きで
寝泊まりできるようになった
東大生のちょっと裕福そうなマンション。
東大生はMでオタク。

世の中にはこんな人々が
うようよいるんだ、みたいな話が続いて
警察へ。
そこで大どんでん返し。
真由はどこへどう流れるのか?
この辺りになると
一気に読みのペースがあがる。

そして、最後は
面白いね、この作家。
良かった!!





原田マハ「モダン」

久しく「読書感想文」を書いてない。
再開しようと思う。
再開第一作がこの本。
この人の美術館あるいは画家ものを読むと、
とても絵が判り、絵への関心が高まる。
いわば絵の、画家の、ガイド書みたいな
位置づけである。
今回はニューヨーク近代美術館MoMAを
舞台にした短編集。
モダン














全体はMoMAの物語なのであるが
ワイエスの「クリスティーナの世界」、
ピカソの「アヴィニヨンの娘たち」、
ルソーの「夢」、モネの「睡蓮」などの
絵が登場する。
その背景を
9・11アメリカ多発テロ事件や
東日本大震災などが支える。
そんな興味深い物語の中でも
とくに
27歳の若さでMoMAの初代館長になった
アルフレッド・H・バーの話には惹かれた。
「見えないところで、役に立っていて、それでいて美しい」
そういうものを「アート」と呼んで
「マシン・アート」を展示するとともに
建築・デザイン部門を美術館に拓いたという。

「見えないところで、役に立っていて、それでいて美しい」
それがアート。
この言葉を得ただけで、この著書を
読む価値があった。

きむらけんじ「あしたも世間はややこしい」

 でたらめの唄で草抜く余生
 なりたい人にもなれず天道虫にもなれず
 蛸揉んで妻の秘密を吐かせている

俳句&写真&ミニエッセイで構成される
この著の中から適当に俳句を選んでみた。
上の2句には写真とミニエッセイが付いている。
3番目の俳句にはそれがない。

あしたも世間は
















実はこの著書、ほぼ5年前に上梓された
「きょうも世間はややこしい」の
いわば続編である。
では、中身は同じようなものなのか?
じっくり読むと大きな違いを感じる。
最初に挙げた2句に代表されるのだが
この「あしたも」はやや諦念の気分が強くなっている。
前著にあった3句目のような強い意志を含んだ
俳句作品が少ない感じがする。
さらに、述懐というか、自責というか
自分に跳ね返っていくパワーが弱い。

 働くの向いてないので飴舐めている
 うんとかああとかだけで老いてゆく 
 新人はミネラル豊富面白味なし
 駅舎につばめ来て発車時刻を見ている

この3句目、4句目では作者は観察者の位置に
立ちつつある。

前著と比較するのが目的ではないが
この5年間が著者を変えた。
著者もやはり変わったのである。

どちらがいいというのではない。
そういうことを考えながら読むと
何かしら読者も変わったのかもしれないと  
ということに気づいたのだ。

筆者のような読み方は邪道で
この著を素直に読むことが
ホンとはいいのだろう。

全体に流れる疲労感というか
ペーソスは相変わらずだ、
というだめ押しを最後に付けておく。








京都嵯峨野誕生物語

歴史、地理が好きな人にはたまらないだろう。
京都嵐山、嵯峨野が好きな人にはたまらないだろう。
つまり京都嵯峨野を歴史的に、地理的に一望する一冊。
嵯峨野誕生物語縮小


















門外漢のワタシはびっくりというか
すごい!としか言えなかった。
京都嵯峨野に旧石器時代、弥生時代があったとは!
嵯峨野に古墳群があるなんて!
天竜寺や妙心寺、竜安寺は知っているけれど
嵐山城跡がいまもあるという。
角倉了以が保津川を掘削し、渡月橋が現在の位置に
架けられたという。
この本を読んでいると
京都嵯峨野の歴史があれこれと登場し
いまの姿を合わせると
混乱してしまう。
一度読んだだけでは、整理ができない。
観光地としてしか認識がなかった嵯峨野を
ちゃんと歩きたく思う。
幸いに歩き方、地図も掲載されている。
とうてい1日ではムリだけれど
とりあえず4月10日に歩くことにした(笑)

この本 NPO法人さらんネットの製作。



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