endometrioid carcinomaから

-9years after- 卵巣ガン&人生のサバイバル

シングル・キャンサーサバイバー&シングル介護の本音語りです。

お盆・親戚つきあいの災難

 台風が来襲した夜、横殴りの強い雨が降り続いていた。
木製の寸丸の年代物の建具は見るからに丸みがあって美しい。
だけど、こうした横殴りの吹き降りの雨には弱くて、ガラスとの僅かな隙間から水がしみて来る。
なので、この雨の吹き込みの雫を拭う作業をしながら、私はその夜を明かすことになった。

 飼い犬も庭の犬小屋では台風の雨風はしのげないので、玄関の土間に入れていた。
彼は、豪雨の音にも動じずに土間でひたすら眠っていたのだけど、風雨が去ると庭に出て行った。

 母の介護中に掃除が行き届いていなかった座敷の間の修繕がどうにか終わって、日々の肉体労働に疲れ果てた後の台風の被害の修復は、比較的階調に推移していた私の体調を完全に低下させた。

 青天が戻った日の事、家の周囲の被害の片づけを終えた私に、怒涛のように疲れが襲って来た。
徹夜が終ってぐったりした心身を引きづって、やっとベッドで安眠に付いたのは午前9時を回った頃だった。

 ところが、せっかくの眠りは、緊急警報音で妨げられた。
「異常が発生しました。ご確認下さい!」
セコムの警告音声だ。

 この異常警告は、疲れ果てていた私の心身に即座にアドレナリンを巡らせたようだった。
脳内で瞬時の判断機能が作動した。
玄関の施錠は解除したままだったのだけど、門扉も閉めていたし、その日は来客の予定は皆無だった。
 突然の、押し売りや何らかの勧誘や隣人にしても、来訪時のチャイムにも家人が出ない場合、わざわざ締まっている門扉を開けて、玄関のドアを開けて突然家の中に侵入してくることなどあり得ない。

 私は2階を私室に使っている。
不審者の侵入であれば、1階に降りて確認すると、不審者と鉢合わせする危険がある。
これは、最も避けなければならない事で、相手が只の空き巣であっても、逆上して傷害事件に発展する危険性が高くなる。
 とっさに、このまま2階で、様子を見る方が安全だと判断し、念の為に、護身用のスプレーと米軍仕様の威嚇用レーザーライトを手にした。そして、2階への不法侵入時に用意してある小型消化器のノズルを階段に向けた。

 警告音が階下で、鳴り響いている。
不審者はこのセコムの警告音で、退散するはずだ。
セコムからの電話確認が来るはずなので、携帯電話を手元に置いて、警察への通報のダイヤルも確認した。
 これで用意は万全だ。

 ほんとにもう!台風一過くらいは好きなだけ眠らせてくれたらいいのに、災難は続くものだわ・って、この間の悪い憎たらしい侵入者への憎しみは、草刈用の火炎放射器も用意しておくべきだったと思うくらいに昂った。


 ところが、1分程経った頃、素っ頓狂な聞き覚えのある声がした。
「こんにちは~」
???
 あああ・・・。
と、私の緊張と憎悪は、限りない驚愕に変わった。

 そう、その声は、前にこのブログにも記載した親戚、母の介護時期に、私が家を留守にしていた半日の間に大騒ぎをした母の実家の嫁さんの声だった。

 あわてて私は階下に降りた。
先ずは、お騒がせしてしまったセコムへの対応をしなければならない。

「初盆のお供えを持ってきたのだけど、玄関開いてたから・・・」
「ちょっと、待って、セコムが作動してるから止めないといけないから。」
丁度その時セコムからの電話が入った。
席を外して、暗証番号を告げて解除をお願いしていたら、玄関から彼女の
「玄関の鍵は開いていたわ。」という言い訳が聞こえて来た。

セコムは、防犯設備だから、施錠しているかどうかで作動するのではなく、ドアや戸が動いた時に作動するのだけど。。。説明する気も失せて、その場を笑顔で取りつくろって丁重にお礼を申し述べて、早々に退散して頂くことにした。

 全くもう!・・・関西のお盆は通常、8月の13日から15日だから、その間は来客があるかもしれないので接客の用意をするが、未だ先の話だった。

 そして、悪魔のような文句が蘇った。
彼女は、3年前に母のショートステイ中に、私が仕事で半日家を空けた時に突然私宅に来訪して、誰もいないと大騒ぎして、「お母さんと貴方が死んだのかと思ったのよ!」と、平然と抜かしたのだ。
 彼女はいつも家にいる人なので、他の人も家にいると思っていて、自分が訪ねたい時に相手が留守だと、不幸を夢想する人だったし、来訪前に電話をするとか、チャイムに出ない時は遠慮するという常識もない。

 親戚つきあいは選ばなければならない。
だからあの時縁を切っておけばよかったんだ・・・
後悔先に立たず。
 突然、親戚だからと言う大義名分で、アポ無しで、するすると勝手に家に入って来ることなど言語道断だ。


 全く!!!
と、憤懣やるせなく思った。
すると、彼女の電話番号ではない見知らぬ着信歴が入っていた。
台風の後片付けでケガをした急患かもしれない。。。これは職務柄無視することはできない。
一体どういう日なんだろう?と思いつつ、コールバックすると、なんと、これまた母方の従兄だった。

 初盆は7日からだと物知り声で断言する。
なのでお供えを持って行きたい果物なので急ぐから翌日にどうしても来訪したいとのことで、延期して欲しいと言えないタイプCのお人よしさが私にあることで、これにも大変困った。
 仕方なく、翌日の予定を繰り合わせて、また徹夜でおボン飾りの用意をして、対応することに。
一体こ奴らは、私を過労死させたいのだろうか?・・・
どこまで自己中で、相手の都合を考えないんだ!

 内心の憤懣を抑えて、歓待し、丁重にお礼を申し上げると、突然、
「お母さんの遺骨はずっと家に置いておいて上げて欲しい。」と宣い始めた。
な?なにを言い出すのか?
と、彼が正気かどうか顔を見ると、どうも本気で狂気なことを言っているらしいのだけど、その自覚すらなさそうな頓馬な面差しをしている。
「母は、いつまでも独りで置いておいては寂しいだろうから、一周忌に父と一緒に埋葬するんですよ。」
と、彼に正気が戻るように説明した。
「あ、・・・そうだったなあ。」
と、彼は母が父と最愛の夫婦であったことを思い出したかのように、狂気が少し和らいだようだった。
まさかと思うけど、彼は母に恋していたのかもしれないという悪寒が過った。
念の為、
「小さな遺骨は、そのうち私にパートナーが出来たらその人と一緒に、父母の菩提寺に収めに行くのと、一番父母が喜びますので、そうします。」
と釘を刺して置いた。
彼は、またうわごとのように、
「そうなんだね・・・・・お母さんのお弔いしっかりしてやって上げないといけないよ。」と物申す。
同世代なのに、何なんだこの上から目線の物言いは?!
マトモな感性の人なら、「お母さんのお弔いや何もかも一人でこなすのは大変だろうから、何か手伝おうか?」
と言う場面である。
普通の常識として、法事などの用意に際しては、親戚というものは、
「ひとりでは大変だと思いますので、私にも何か手伝うことがあれば幸いです。手伝いに行ってもいいですか?」とか、
「掃除や何か必要なことがあればお供えをもってくから、その時に一緒に準備しましょう・・・」とか、
こちらの多忙をねぎらう話をするのが正常な会話だ。
こ奴らは、面は親戚ぶってるが、実は底意地の悪い傍観者なのだ。

私は、単身の親族の法事に際しては、いつもそのように申し出るし、一番悲しみに暮れているのは本人なんだから、自身の悲しみより本人のこれからが少しでも明るくなるような話題を選んで、元気づけるのだけど。。。

世の中には本当にいろんな人がいる。
上辺の親戚付き合いなんぞ迷惑千万だとつくづく思う。
親戚という柵からの脱出は本当に厳しいし、親戚面した思いやりの無い人が多すぎる。

一方で、父方の親戚は、こういう慇懃無礼な形だけの付き合いは全く無いのがせめてもの救いだし、何と言っても、姉妹のように育った従姉たちは、気持ちがとても通じて、こんなバカげた表面上の面倒は決して起きない。

 大体にして、母方の親戚の多くは、常識に欠ける人が多すぎる。
唯一信頼できる従兄は春に他界してしまった。残ったのは、本当にわがままで自己中で意味不明、訳の分からない人が多いのだ。
 「善人は早く他界し、憎まれ者世に憚る」という格言は、自己中で鈍感な人はストレスが少ないので長生きするという心身相関関係を如実に顕すものだと思う。

 
 更に、私にとっての不幸はこれでは済まなかった。
この暑い中、暑い室内に果物をお供えに置いておくのも気になる。
中見を確認して、私は更に驚愕した。
私が苦手な小さな葡萄の集まり。所謂、種無し葡萄という種類の葡萄がわさんさか入っていた。
 嫌いなものではなくても、独り暮らしの私が、この十房以上もある葡萄を食べることは不可能なのだけど。

 どこに持って行こうかしら?と考えでも、美味しく芳醇な大粒の葡萄が主流の今時、この小粒の葡萄を喜んでくれそうな人は限られる。

 最近、タイプCからの脱却を意識しなくなった私の人間関係はすこぶる悪くなった。
以前と同じく、合わない人とでも、感情を抑えてついつい話してしまうし、気分を害されても、我慢するという悪い癖が顔を出し始めた。

 人生は、気の合う人、気心の知れたマトモナ常識を持った人と付き合うことが、心身共に健康でいられる最大の妙薬だと思う。

 仕事に際しても同様のことが言えるのだけど、少なくとも、プライベートの人間関係は、少数精鋭を念頭に置いて、より良き人との付き合いを選択すべきだと思う。

介護の現状記事を読むと「安楽死」したくなる?!ネット情報のサブリミナル効果

 ここ数日来、パソコンの操作ミスで、ヤフーのホームページが表示されている。
例によって週刊誌レベルの見出しの中に、介護関連の記事が目に入ったので一読してみた。

 『老老介護「75歳以上同士」3割超える…夫婦ともに認知症の世帯も』
と題された記事だった。

 案の定、介護保険制度の中の在宅介護の不行き届きをあからさまに露呈する記事だ。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170728-00010000-yomidr-soci&p=1


 この記事のライターは、老々介護の問題の原因を、、

「東京都板橋区で、高齢者の介護や暮らしの相談に応じる「坂下おとしより相談センター」の水野尚子センター長なる人の言葉を引用して、『人の手を借りることへの抵抗感がある高齢者も多い。自分で抱え込んでしまい、介護サービスに結びつかないと問題になる』」
 という切り口で言及してしまったまま、次に「溢れるゴミ・満足に食事も摂らず」という惨状の記載に続ける。

 この流れは、短文でショッキングな在宅介護の現状を上手く描写した記事だと言えるのだが、原因について非常に浅い次元での取材で書き流してしまっている。

 次の問題に際しても、その原因として、
「同区では、民生委員が世帯状況を調査し、高齢者世帯は、おとしより相談センターの職員らが訪問して重点的に見守る。ただ、高齢者を狙った犯罪の増加から、最近では民生委員が訪ねても、警戒して中に入れない家庭も増えているという。」
 という行政の言い訳に終始している。

 次に、津止正敏・立命館大教授(地域福祉論)の、
「『老老介護は、介護者自身が加齢で弱くなっていることが問題だが、今の介護保険制度には、介護者への支援という視点が欠けている。介護する人も支えながら、在宅介護を補強していく仕組みが必要だ』」
 と、先の二つの原因取材で得た情報とかい離した視点を引き合いに出した上で、最後の文節で、高齢者の介護をしている伴侶や子供などの割合を提示するという脈絡の無い記事で完結してしまっている。

 記事としての起承転結を考えれば、本来であれば、ここで、引用すべき有識者の見解としては、
「誰にでも受け入れて頂きやすい介護の在り方とラポール形成能力を持った介護専門職の育成と既存介護職の再トレーニングが必要です。勿論、民生委員にも介護に関する教育を受けさせることが不可欠な時代になったということです。」てな感じの話の取材をして、話を纏めるべきところなんだけど。


 とは言え、驚異的なサブリミナル問題は、記事の内容よりも、ヤフーニュースに群がる、所謂ヤフコメと呼ばれるコメントを呟く欄に発生していた。

 何故か、この記事のコメント欄が、ご高齢者の生命の尊厳を蔑ろにするような呟きや、介護なんてしたくないしされたくないので「安楽死」を認めるべきだというつぶやきで満ちている。阿呆なコメントにいたっては、ご高齢者の存在自体を抹殺しかねない罵詈雑言までもが。

 この記事を読む劇場のイドラ好きな読者は、介護の現場の厳しさや汚さや訳の分からなさの恐怖に被爆し、介護者への負担の甚大さに怯え、そのうち君たちも介護するかされるんだよ~という現実を突きつけられた反応として、多くの読者が「安楽死」を思い描いているのだ。

 何故、介護という社会問題を取り上げた記事が、「安楽死」に直情的に直結したのか?

 ヤフーニュースのサブリミナル操作はとっても巧妙である。
丁度この介護の窮状を記載した記事の下欄に、「欧米では寝たきり老人がいない」という記事が用意されていたのだ。
 これが、さながら欧米のご高齢者は自力で生きれなくなると安楽死している?(実際は欧米でも胃瘻や栄養点滴は行われているし、介護が必要になったご高齢者が安楽死を選んでいるという訳では決してないのだけど)との妄想を描かせて、ネットサーフィンする世代に解答はここにある!と思わせる暗示を与えている効果が如実に反映している。
 
 所謂ヤフコメ層というのは、普段ツィッターを使っている人たちが、直情的に書き込むような、かつての「にちゃんんねる」以上に、無責任で非常識な発言が圧倒的多数と言って過言ではない。
 知的理性的にある程度のレベルを有する人は、別個の欄にコメントを記載するという区分もあるが、これも正常に機能していそうにはない。

 情報の発信の仕方が、どれ程、群衆心理を煽り、サブリミナル効果をもたらすものか・・・。
それにしても、生命の在り方について、これ程直情的で軽はずみなコメントが多発することは異常としか言えない。  
 
 私の母は、無理な延命は拒否していた。できるだけ、痛みや苦しみの少ない死に方を希望していた。
私は、彼女の意志を尊重したのだけど、それでも、その場に至って自分ではとてもではないけど、決断が全くつかなくって、医学の師のご教示に縋るばかりであったし、今も母の介護と看取りに際して自身の配慮が適切であったかどうか全く自信はない。
 自分としては、精一杯のことをしたのだけど、今も、自分自身の非力を悔いたり、自責の念で暗黒の闇の中に心が彷徨う気持ちになることさえある。
誠実に真剣に物事を考える能力があれば、自分が行った介護や看取りがそれでよかったと思える人は誰もいないのだと思うが、だからと言って「安楽死が認められれば」などと言う方向に逃げるのは、人間として、明らかに間違った考え方だ。
 
 「安楽死」という人間存在の根幹にも関わる概念を、介護が大変だからと言って、浅はかに語ることは、決してあってはならないことだ。

 
 私たちは、これから社会に育ちゆく子供達には、何よりも先に、自分で考える能力と、生命の尊厳と医療・福祉という心の豊かさの分野の知識と体験を教えなければならない義務があるのだと思う。
 
 過日他界された日野原医師が、日本でも欧米のように、小学校から救急救命装置の使い方を教えることが、生命の尊厳を実体験し、自身が人を救うことができるという達成感を子供達にも与えることができることになるだろうと述べておられたように、最低限、生命の尊厳についての教育は行き渡らせなければならない。

 「安楽死」の問題は、特に個人が集団暗示に掛り易いこの国の国民性を踏まえた上で、より慎重に熟考されるべきことだと思う。


 
 

サブリミナル効果と戦争予期不安神経症

 近年のテレビ番組にはバラエティーが激増している。
これは、日本の企業の多くが国内の広告費用を縮小してアジアや業務を拡大している各国に振り分け始めた20年程前からの傾向だ。
 番組制作の仕事をしている友人が、予算が少なすぎてまともな番組が作れないと嘆息していたのももうひと昔前のことになって、その後、事態は好転する様子がない。
 
 かと言って、ネットも然りで、Yahoo!ホームページのニュースの見出しは、さながら女性週刊誌レベルのコピーに埋め尽くされている。
 日々目に飛び込んでくるこれらの情報は、サブミナル効果を伴って、日常の言の葉の質までどんどん低下させてくれる。

 私はテレビ世代に生まれ育ったはずなのだけど、社会に出てから、テレビをたらたらと見る習慣はなくなった。
見たいとか視聴に値すると思われるバ番組のみ、DVDに録画して、自分のリラクゼーションタイムに、ぼ~っと見る程度なのだけど、最近は録画したいと思える番組すらほとんどなくなって来た。

 ネットのホームページはグーグルの簡素な検索のみ表示されるものにしたら、それまで、ネットを開く度に否応も無く視野に入って来る駄文の被爆から逃れることができて、ちょっと清々しい気分が蘇ってきた。

 最近は、政府の広報費用の中のごく一部の4億円が、ミサイルが飛んできた時の警報音と、身の処し方についての広告に使われてることが話題になっている。
確かに、常に、人間存在は死と隣り合わせに生きている。
メメント・モリの意識を持つことは、本当に大切なことだと思うし、万が一の心の準備をするのも悪くはないんだけど、この広報が、核ミサイルを想定している限りにおいて、語られている対応方法は、殆ど役に立たないに近い対処方法だと思うし、仮にも政府の運営に際しては、もう少しマシな経費の使い方があるように思う。

 都市部に居る時なら、地下鉄や地下に逃げ込むという方法はある程度は有効かもしれないし、田舎だと強固な岩盤の洞窟に逃げ込むという方法もある程度は有効かもしれない。
 しかし、しかし・・・


 ふと、米ソ冷戦時代に、戦争帰還兵で今で言う戦争神経症を患っていた伯父が、家が火事に遭った後、新たな家を建てるに当たって、なんと、家の基礎となる地下に核シェルターを建設したことを思い出した。
 伯父の話では、現代に比較して当時は遥かにと言っていい程、核戦争の可能性が高かったと言う。
 その家は、厚さ1~2メートルある頑強な鉄骨と鉛の板をコンクリートで固めた地下室を家の基礎としている。鉛の扉は開くのも重過ぎる程だ。
当時、屈指の建設業者として名を馳せ財を築いていた彼は、いたって真面目に真剣にリジッドに考えて、このとんでもない家を建てた。シェルターの上に建っている住居は、流石に堅牢な基礎に支えられて築50年以上を経ても一分の狂いもないのは素晴らしいのだけど。
 もちろん、核シェルターは一度も使ったことはないまま存在している。
 孫の世代に入って、この家を売却しようという案があった。主要駅まで徒歩3分。普通なら、相当額で売却できるはずの土地だったのだけど、この核シェルターが問題になった。核爆発にも耐える程の強度で作られているのだから、取り壊しがどれほど難しいかは想像に余りある。どうしようもない!とのことで、このシェルターを備えた家は伯父のモニュメントとして永遠に存在する定めとなり、人手に渡らずに済んだ。

 ミサイル警報に関わる政府のコマーシャルが流れ始めた頃から、一般の家の建築に際しても、核シェルターの建築依頼が増えたと聞く。

 伯父は、過酷な戦地を行く抜いた帰還兵だった。「ランボー」程ではないにしても、彼の心に刻まれたPTSDは、とても重篤だった。社会的には優れた実業家であったのだけど、プライベートでは、時として、妄想に苛まれ刃物を振り回すことまであった伯父の姿が、私の幼心に焼き付いている。
だからこそ、伯父がシェルターを作ったのは、十分に理解できる。

 だけど、今、真面目にシェルターを作りたいと依頼する人の心に、もしかしたら、伯父と同様の大きな不安と恐怖と焦燥感が渦巻いているとしたら、これって、戦争の予期不安を喚起する様々な手段を用いたもの凄いサブリミナル効果が発生しているのではないか?!

 ミサイル警報に関わる戦争神経症に匹敵する、戦争予期不安症をこの国の国民に蔓延させるにも、効果的な広報だと言える。

 この政府の広報は憲法改定を進めるツールとも言われている。
また、、国民の目の前に迫る2025年問題に関わる医療・福祉の縮減に対する問題意識を薄くする為のツールとしても非常に有効な方法だ。
加えて、各市町村に数億づつの補助金を出して政府が建築し、騒音公害訴訟のターゲットになり、数多くのクレームの原因となっている災害無線塔から毎日放送されている余計なチャイムや放送の騒音公害クレームを減らすには打ってつけだという政府や行政にとっては代えがたい効果もある。
 そう、上から目線に立つ者おいては、この広報は4億程度の軽微な予算を費やすには最上級の効果が得られる。
 
 一方で、広報する側にとって好都合なこの広告は、聴かされる側に恐ろしい効果をもたらしている。
最もの問題は、戦争予期不安神経症の多発である。
 もうすぐこの世界は滅びるという予言や転変地変が起きるという予測が、人々の心をアドレナリンで浮かれさせ、日々の苦悩を軽くして日常の苦難の認識を希薄化させる効果がある以上に、戦争が始まるという危機意識の喚起は、より多くのアドレナリンで日々直面する他の課題を排他的に二の次にするに充分な効果がある。


 ここ数年、戦争予期不安神経症がかなり増えていることを私は実感している。
過日、ある初対面の男性との1時間程の会話の中でも、戦争予期不安を聞かされた。
彼は、北朝鮮の脅威と中国の脅威を口五月蠅く語り、その恐怖を私に伝播しようとして説得に躍起になっていた。様々な報道を知りながら、平常心でいられる私が憎らしく思っているかの如くの口調で喋りまくる。
この手の話はもう既に聴き飽きた私は、この手の話に触れる度に、
「ああ・・・貴方はヒドイ戦争予期不安神経症に苛まれていて、その恐怖心を自制することができないのですね。お気の毒です。そこまで私に恐怖の押しつけたいと思う貴方の心は、とても傷ついて偏っておられます。私には癒して差し上げられないので、心療内科をご紹介しましょう。どうか平常心を失われないようにお大事に。」と直言してしまう。
 
 思うに、この手の予期不安話をする人って、なんてか弱く、か細い精神なんだろう?・・・と。
最近は、もうこの手の話をするような、他人への迷惑を考えない人とは交友を絶つことにしている。

 私自身、追突事故に遭った後、車に乗れなくなった時期が5年程続いた。
廃車になった当時の愛車の代わりに、日本車の中で最も安全性が高い車を購入したのだけど、その安全性よりもPTSDの恐怖の方が先走って、今も乗り続けている新しい車の走行距離は、13年で3万キロで、通院と日々のスーパーへの買い出し程度にしか乗れないままになっている。
 未だにPTSDによる予期不安で、車の運転に過敏なストレスを感じていることは否めない。
しかし、だからと言って、人に車に乗る危険性を誇張して話すこともしないし、私の感じている恐怖を伝播することも決してしないし、ましてや、事故に遭う可能性を人に話して、人の心に恐怖を煽るようなことなど決してしない。
自分がどれほど恐怖に駆られたとしても、平常心は失いたくないし、人に恐怖をまき散らす程、私は落ちぶれたくはないと思う。

 極東に位置する日本には、冷戦時代と呼ばれる、より戦争に巻き込まれる危険性が高く感じられる時代があったのだけど、当時は、現代ほど日常の会話で戦争予期不安は語られなかったように記憶している。
 現代に生きる人間の心が軟弱になったのか、政府がサブミナル効果を乱用しているのか、いずれにしても、
この困ったサブリミナル広告氾濫世相がどんどん進展し続けるとしたら、余程心を強く保たないと、「一億総労働力」だとか「一億総戦力」どころか、「一億総神経症」が発症しそうだ。 

 
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