endometrioid carcinomaから

-10 years after- 卵巣ガン&人生のサバイバル

ようこそ!
シングル・キャンサーサバイバー&シングル介護&シングル・サバイバルライフのブログです。


かぐや姫?のフリードン♡便利な田舎暮らしのしあわせ

 久しぶりに裏庭の草刈りを始めた。

 私の裏庭は、正確には、河岸段丘の南斜面に位置し、段々に畑あり、雑種地あり、山林あり、私宅の屋敷を取り囲むように崖になってる原野もありで、総計2000坪程の扇状に広がる丘陵地域だ。
 日本庭風に庭師さんが整えてくれる前庭は20坪程、中庭も40坪程しかないことに比べても、裏庭は限りなく自然に近い。

 体力と母や愛犬の他界後気力も衰えた私は、今は、家の周囲を維持するだけで精一杯なんだけど、学生時代から自身で開拓した元祖自然農法とも言える野放し畑や、裏山へと続く丘陵に野放しの花たちや果樹などの空間を維持している。病後、自身や友人達のメモリアルツリーとして果樹や桜を植樹した中で、30本に1本くらいが根付いてくれた。

 秋の青天に、家の周囲に近づく原野を屋敷から遠ざけるかのように、草引きや草刈りをした。ふと、見上げると、屋敷の北側を囲擁する常緑の樫木の上に欅の美しい紅葉が空に広がっている。

 なんと満ち足りた幸福な時空であることか・・・・・・
外界から、隔絶された自然あふれる世界が、ここにあったことに気がついた。
ここは、主要駅まで、徒歩ほんの5分にあるのだけど、周囲を自然に守られ、誰の目も気にせずに、自由に暮せる空間だ。


 思えば、この屋敷は、祖父の代に始まった。
祖父は事業家であったのだけど、当時は、自給自足が基本だったから、広い田畑を従えた広い屋敷が一件建てられ、その周囲に事業所や従業員さんの住まいを建てたと聞く。
 戦争で多くを失くした祖父は、子供達にこの屋敷と屋敷の価値相応の負債を譲って他界した。
その一部を、その価値相応の債務と共に譲り受けた父は、母とともに現在の屋敷を維持し、やがて訪れた宅地開発ブーム時に、裏の丘陵が無暗に開発された場合、美しい山の緑が消えるだけでなく丘の上方にあ住宅の建築が進むと屋敷を覗き込まれるというリスクを懸念し、この丘陵の南斜面を買い取った。
 私の祖先たちには、「子孫に美田を残さず」って言うジンクスを死守し、相続する子孫には相続者として相応しいかどうかを計る試練を与える家訓でもあったのか、私もまた、父の他界時に、不出来な兄の連帯保証の債務を支払うことを引き換えに、この屋敷を譲り受けたのだった。

 この屋敷を譲り受けるか、相続放棄するかの決断を迫られた20数年前、多くの人たちが、私が相続することを止めた。債権者も止めたし、相談した家庭裁判所の担当官や精神科医でさえも。
「他の相続人は相続せずに、あなたがひとりでこの負債を相続して、もしあなたご自身が病気などで倒れたらどうされるのですか?人生にはいろんなことが起こります。」
債権者の中には、当時は、私が妙齢の美貌の最高機にあったことで、しげしげと私を見て、「あなたには、働かずにもっと楽に生きる人生が似合います。もったいないです!債務を引き受けることは止めて、ご結婚されてはいかがですか?よいお相手をご紹介させて頂きますから。」とまで言われた。

一方で、母や親戚は、私が屋敷を相続することを当然と主張した。
故郷の旧友たちは、私を励ます集いまで開いてくれた。

 しかし、大切なことは、自分の人生で最も重大な決断には、専門家であってもどんなに信頼関係にある親族であっても、親友であっても、誰もが野次馬に過ぎないってことだ。

 私は人生で初めて、すべての人の意見を完全に排除することにした。

 あの時の私は、父と言う抑圧から解き放たれて、とっても自然に自信に溢れ、晴れやかでクールな心境にあった。それは、その後、発揮することになった自身の実業家としての理知的素養と直感が初めて起動した瞬間だった。

 個人的感情を一切度外視して、都市部にマンションの一部屋を買うことや、新興住宅地に新居を構えることと、この家屋敷を購入することを比較した。
 バブルが崩壊し、不動産価値も下落していた。投資という観点からは、既に少子化が始まっていた時期にあって、都市部のマンションや駅から起伏のある道路を10分以上も歩く必要のあるハウスも田舎の屋敷も早晩、価格崩壊が必須と、私は見通した。

 これからの住まいは経済的価値を生まない投資となるのだから、純粋に自身の好みと都合と感性で判断するのがいい。
では、自身の人生の住まいとして、同じ対価を支払って、見た目はトレンディーでゴージャスに見えても、所詮、人工素材に囲まれたほんの40坪程のコンクリートの小さな部屋か、ほんの100坪程の地面に組み立てられたプラモデルのようなハウスに過ぎない物件は、人生に一度の買い物としては、私には満足できないと直感した。更に、駅から徒歩5分程の至便な立地にある現在の屋敷と同程度の至便さを考えた時、ますます前者の面積は極少になってしまう。
 そんなモノと、この豊かな自然あふれる3000坪程の大地を比較すること自体が馬鹿げたことで、即座に私はこの屋敷を買い取ることを決断した。


 これ程の素晴らしい屋敷は、どれほど大金を支払って願ったとしても、手に入れることなどできるものではない・・・と、私は改めて実感した。
 
 
 やがて夜のとばりが降りて来た。
周囲から人の気配が去った静寂の中、足元で焚火がパチパチと音を立てて燃え盛る。

 こうした焚火さえも、五月蠅い近所があったら、できはしないだろう。

 アウトドアチェアに腰かけて、炎を見つめていた私は、サツマイモを入れるのを忘れたことに気が付いて、立ち上がり際に、ふと、視線を空に向けると、降るような星たちが煌き始めていることに気がついた。

 こういう日は、家の中で夕食を作る気分にはなれない。
焚火クッキングと洒落込むことにしよう♪
台所で、サツマイモとジャガイモをそれぞれアルミホイルに二重に包む。
あり合わせの野菜と鳥のササミにはハーブサルトとバターを添えて、これもホイルで二重に包んむ。
 これらを焚火の下の方に出来たふわふわの灰のあたりに埋めておくと、やがて美味しい夕食になる。
11月の夜は寒いから、アウトドア用のダウンを着込んだ。足元を温めるブランケットも。

 いい感じで燃える焚火の火加減を調節しなから、星たちを眺める。

 先ずは、ジャガイモ。これは、ナイフで十文字に切り目を入れて、中央にバターを入れる。普段はオーブンで焼くのだけど、焚火で焼くと物凄く素敵な秋の香りが、お口の中にふわりと広がる。

 まだ僅かに響く秋の虫の音・・・・・・満点の星と焚火の世界の食卓で味わう自然の美味は、得も言えぬ幸せに満ち満ちている。

 メインディッシュのホイルを開くと、カリフォルニアハーブが香り立った。
程よく焦げた玉ねぎの香りも芳しい。ふと、思い立って、檸檬の木に実ったレモンの実を一つもぎ取って、これを櫛切りにする。
 レモンの香気があたりに広がる。レモンの香りはカリフォルニアハーブの香りにもぴったり合う。爽やかな酸味が美味しい。
 焚火に新しい枯草と薪を加える。

 こういう時のBGMには、スマホのユーチューブが活躍してくれる。
懐かしい70~80年代のアメリカンmusicが最高。
このあたりで、カントリー・ロードなどが流れ始めると、もうこれ以上の世界は無いと思えてくる。
 
 そう言えば、アメリカの中間選挙は、反トランプの意志が示されることになった。
かの国の魅力は、何よりも日本とは違って、一人一人が実際に行動するっていう国民の自立心の豊かさと分かりやすさだと思う。
 オリビアニュートンジョンのカントリーロードを聞きながら、古き良きアメリカンの思いとグローバル化が進む世界の潮流に思いを馳せた。
 そう言えば、この数十年の間にカリフォルニアにはヒスパニック系の移民が随分増えた様子。

 ラ・バンバという歌を聴いてみる。これはメキシコ民謡を原曲とした実に陽気な歌で、ラテンの明るさがとびきり楽しい。ティワナへの小旅行を思い出しながら、まあ、日本で言うと、かつての大阪のミナミの街にも似ているかも?・・・・
 で、次の選曲は、大阪~桑名正博~カリフォルニアが遠ざかる・・・・・大学時代にこの歌に導かれるかのように渡ったカリフォルニアで過ごした数か月は人生で一番楽しい月日だった。
 と、ここまで来たら、次は、カリフォルニアシリーズしかない。カリフォルニアの青い空、花のサンフランシスコ、夢のカリフォルニア、カリフォルニア・・・・・そして、ホテルカリフォルニアから始まるイーグルスサウンド

 これって、自身で、とびっきり幸せな退行催眠遊びをしてるみたいな気分になる。
つまり、年齢を重ねるってことは、幸せな追憶をすることで、人生の幸せをより強く再現することが出来るってとんでもない才能?が備わるってことなんだと思う。

 この心豊かで充実した幸せな時間を過ごせる楽しみに、私はすっかり嵌ってしまった。

 ネットサーフィンならぬ、音楽サーフィン感覚で、サーファー・ソングを聞いてみる。
めちゃハックなサーファーの動画を見ていると、足にサーフボードの感覚まで伝わって来るような感じがする。

 ああ、ラグーンの海に旅したい。。。
カネカ・ミュージックを聞いてると、ニューカレドニアのフランボワイヤンと小鳥たちのさえずりの世界にいる気分になった。あの町のローカルの友人達は、今、どうしているのだろうか・・・

 心が年老いるのはヤだけど、年齢を重ねると心が豊かになるって言うのは、こういう感じを言うのだろう。

 今夜のデザートは、とろっとろの安納芋。
室内では、スプーンで掬って食べるのだけど、こういう時は、外の皮をむいて、そのままガブリと食べる方がいい感じに美味しい。

 ロッド・スチュアートのセイリングに、エメラルドグリーンの海に思いを馳せていると、アイム・セクシーが流れ始めた。続きはディスコミュージックがいい。
 ダンシング、怪僧ラスプーチンまで登場してくる頃には、久々にディスコに踊りに行きたくなってきた。

 そうだ!し、今手掛けてるプロジェクトのモデルハウスで、ディスコパーティーを開こう♪
あの建物は、パーティーにはおあつらえ向きだ♪
 と、プロジェクトを真面目に推進されてる参画企業の皆様にはヒンシュクを買いそうな楽しいビジョンがひらめいた。
 だけど、ヒンシュクを買おうが、人生、ここまで来たら、私が楽しいことをするのが一番素敵!
クリスマスには間に合わないけど、寒いシーズンにこそ、ディスコ・パーティーがいい♪


 BGMを消すと、物音ひとつしない完璧な静寂に包まれた。焚火はそろそろ下火になっている。
大きく伸びをして、私は再び星空を仰いだ。
澄み切った大気と澄みきった静寂・・・・・至福の世界がここにある。

 焚火の炎と匂いが、人間に備わった本能に感作するのだろうか・・・この幸せは、一体何なんだろう。

 バイクに乗ってた時期、私は、気の向くままに奥山へ、ソロ・ツーリングに出かけるのが好きだった。
 単気筒エンジンの響きの心地よさ、ハングオンの無重力感、シールドの中に入って来る清々しい空気と様々な香り。真っ暗な大自然の懐を風のように走って、家路に向かう時に嗅いだキンモクセイの香りは、里が近いことを知らせてくれた。
 藁ぶき屋根の集落のかまどや風呂から立ち昇る薪の燃える匂い。草刈り後の焚火の匂い。


 欅林に抱かれた大地を背中に、南を流れる川に沿って広がる田舎町に目を移す。
都会の夜景と違うのは、田舎の夜景は、星の光を邪魔しないように、お行儀よく、もうすぐクリスマスがやってきそうな感じで可愛い灯りがひとつひとつちゃんと独立して灯ってるってことだと思う。
 かつてそうしたように、ひとつひとつの灯りの中に、それぞれの暮らしがあることに思いを馳せてみる。

 人間って存在は、実は、私はそんなに好きじゃない。
何かと気を使うし、小五月蠅くって、面倒が多い。
だけど、大自然の香気を思う存分身につけて、人里に帰還する時、私は、人間という存在が、ほんの少しいとおしく感じる。

 オリオンが東の空から頭上に昇る頃まで裏庭の焚火の前で粘り込んだ私は、ようやく、今日の労働を終えて、家の中に戻ることにした。
できれば、そのまま星を眺めながら、寝袋で寝てしまいたい所だったのだけど、11月も半ばになるとここでもテントが必要なくらい冷え込むし、そのうち、そういう暮らし方もアリになるかもしれないのだけど、流石に、未だ、私宅の裏庭で寝るのは、ちょっ滑稽な気分がする。

 暑めのお風呂にお気に入りのバスソルトを入れて、冷えた体が温まってゆくのもいい感じ。
バックルームの窓を開けると、秋の香りが流れ込んで来た。
バスサルトの香りが何とまあ人工的に感じられることか。

 多くのアウトドア仲間たちが、そろそろ自分の家に薪ストーブを設置する年代になったように、 30代まで原生林の奥山で楽しんでいたソロのアウトア・ライフを、屋敷内に持ち込む幸せは誠に心地よい。


 そう、元々、私は人間界に長く居ると、原生の森に帰りたくなる習性を持っていたのだ。
都市部で仲間と祝宴を楽しんでいるその時にも、私は、無性に自然が恋しくなって、寝袋とちょっとした野外グッズを乗せた車を5時間程飛ばして、人ひとりいない原生の森に帰り、この上のない幸せな時間を過ごした時期があった。

 故郷の屋敷は、丁度、都市部と大自然の中間地点にある。気が向けば、両方の美味しいとこ取りができる。
そして、我が家は、最も日本の林業が栄えていた時期に建てられた最上級の心身に心地よく優しい木の住まいでもある。良い材料や巧の技がふんだんに使われた美意識あふれる家屋なのだ。

 地球環境の視点からも、この屋敷で暮していること自体が完璧なエコ生活。
自身が消費する酸素と排出する二酸化炭素のバランスを十二分に地球に還元しているっていう、人類としての、最大の貢献を、私は日々行いる続けているのである。


 思えば、余りにも周囲の人達から、広い家に一人では寂しいでしょう・・・・・・と言われサブリミナル効果が、私を孤独だと思い込ませていたのかもしれない。余りにも長い間、人間社会に適応し過ぎていたサブリミナル効果も絶大だったのだと思う。

 今、振り返ると、私が寂しいと感じていたのは、一人称の病気や死という孤独を紛らす方法を見つけることが出来ない寂しさであったり、社会的な栄光や職業が私から遠ざかってゆく寂しさであったり、最も活躍していた時期の自分が社会から忘れられてゆく寂しさであったり、恋人との別離であったり、母が遠ざかってゆく寂しさであり、愛犬が遠ざかってゆく寂しさだった。
 大病に罹患したことが発端となって健康を失ってしまったことは余りにも大きな喪失だった。何よりも未来や人生の指針が描けなくなったことが辛かった。
 それらの巨大な寂しさは、万物流転を忘れて、万物不変に慣れ親しみ過ぎた自身の魂の喪失の悲しみであったのだと思う。

 今、大自然に抱かれていると、一体私は何を寂しがっていたのだろうと思う。
随分長い間、私は大好きな大自然から、自身を切り離して生きて来たように思えてくる。
自然界から切り離された人が、人の中に生きる人間になった時から、孤独や様々な人間関係のストレスが発生したのだ。

 一人で、この広大な屋敷に住まいしていることは、日々の家事労働量の膨大さを除けば、本来は、これほどの幸せはないってことだった。

 マンションにでも引っ越したら?と心配してくれる人達もいるけど、今となってみたら、あんなコンクリートの箱の中の人工素材に囲まれた狭っ苦しい空間に閉じ込められること自体が、私にはかなりの苦痛をともなう行為なんだから、そうした暮らしは、旅先か、病気になって入院した時に楽しめば充分だと思う。

 24時間体制で仕事していた時期であれば、マンション暮らしやホテル暮らしは、日々の暮らしの労力が殆ど必要じゃなかったことが楽で便利で快適だったし、家事労働に費やす時間を仕事に費やすことができる分、多くの収入を得ることが出来ることと、私の場合は、依存癖の強い母から逃れることができるって言う恩恵も大きかったのだけど、断筆宣言ならぬ断職宣言以来、とてもじゃないけど、もう、そんなにまでして仕事する気持ちにはなれないし、体力もついてかない。小五月蠅かった母の存在も追憶の中に遠ざかった今こそ、私の屋敷での暮らしを思う存分楽しむ人生のシーズンが来た気分・・・・

 只、唯一、ラブリーな恋人と二人の世界に引きこもりたい気持ちになる時期には、マンションという密閉箱の中はとっても心地良さそうな気がするので、そういう時は、暫し、俗世間に立ち戻りたくなるかもしれない。


  



~セックス・シリーズ・終章

 ちょっと前に~恋のささやき~シリーズの記載をupして以来、何故だか、卵巣ガン手術後のセックスの解説者?のように思われてしまった私は、実は、少し前に、とあるインタビューを受けた。

 これって、誠に気分の良くない取材だった。
一応、医療職の端っくれてあるので、出来るだけ客観性をもって誠実に質問にお答えしたけど、内心、この問題の対応には、ほとほと疲れた。

 この取材を受ける気持ちになったのは、それまで全く気が付かなかったのだけど、どうも、卵巣や子宮を失った場合の女性や、精巣や前立腺を失った場合の男性は、セックス出来なくて当然・というのが、世間一般の認識レベルであるらしきお話を遺憾に思ったからだ。

 こうした誤解は、先の「がん情報センター」のサイト記事に由来するものであるとのことだったのだけど、私は腰を抜かすほど驚いた。
 
 AV女優さんが、卵巣がんに罹患されたニュースが流れた時に、セックスのし過ぎで卵巣ガンになったなんていう大バカなカキコをした2チャンネル住民レベルの人たちであれば放っておくのだけど、一般の認識が、そのようであっては、婦人科手術後の女性や男性科?手術後の人々に対する微妙な偏見を生みかねない。

 で、とりあえず、一応インタビューには、お答えすることにした。
だけど、これには、途中でかなり私のご機嫌が斜めになった。

「卵巣の摘出手術後も、セックスできるものでしょうか?」

「ええ、できますよ。」

「最初は、いたいとか、出血はないのですか?」

「一般的な平均値が確実に伺えるような調査資料を見つけることはできてはいませんが、個人的にはあり得ないです。今後、こうしたことは、医学か性科学の分野で研究されてゆくことが希求されますね。」

「普通にセックスして支障はないのですか?」

「普通にって?」

「体位による問題があるらしいのですが。」

「はあ?」

「ですから、可能な体位があると聞きましたが。」

「現代は、さまざまな風評被害を生むような情報に満ちていますから、先ず、あなたが入手された何らかの情報の内容の確実性を検討するべきでしょう。その上で、ご質問頂くならお答えしますが、あなたの質問の仕方は、どうも、好奇心が先立ってるように思えてなりません。」

「一般的な統計は見当たらないのです。しかし、多くの婦人科手術後の女性や精巣ガンや前立腺がん手術後の男性が、出来なくなると言われています。このことをどのように考えられますか?」

ここまでの会話で、私はかなり頭に来ていた。ので、
「『関係ありません!以前と変わりは全くありません!』」
とちょっとヒステリカルに断言し、言葉を続けた。

「と、私は手術後に、主治医に言われたことが良かったと思っています。私個人に限っては、全く変わりませんし、更に年齢とともに様々な感性が素晴らしく深まっています。女性は成熟するとともにその魅力が深まってゆく神秘を宿していることは、フランス人だけじゃなくって各国共通の人間の特性ですから。
 
 ただ、神経分布を考える時、様々な要因が重なれば、セックスに関する何らかの障害が残存する可能性はあり得ると思います。
 だけど、もしも、多くの方々が、あなたのような先入観を持っているとしたら、その先入観の方が神経損傷よりも遥かに数多くのセックスレスの原因になるでしょう。ある種の宗教では、セックスを子孫を残す為の行為と規定しているようですから、そうした認識も、卵巣や精巣が無ければセックスできないという妄信や妄想を生みやすいのでしょう。」

「セックスできなくなることには、妄信や妄想も影響するのでしょうか?」

「すべてがそうではないですが、影響は大きいと思います。
実際に器質的・機能的問題が発生する可能性もあるかもしれません。
先ず、必要なのは、器質的変化を知ること、次に必要なのは、機能的変化を知ること、但し、機能的変化に関しても器質的な変化に起因するものもあるでしょうし、心理的問題に起因するものもあるでしょう。
本来、病気などの場合は、あらゆる器質的問題や機能的問題を先に精査して、そこで問題が無ければ初めて心理的な疾患を疑うという流れがあると思うのですが、セックスは、先に検査することはできないですから。
更に、セックスは、理性の発達した人間にとって非常に高度で精密な精神的感作が必要な行為ですから、ちょっとした心理的要因でもその行為に影響が及ぶ。
これらを勘案すると、できなくなる!と思い込むことによる影響はかなり大きく左右すると思いますから、一般的にはできる!と思っていることが、先ず、大切なことだと、私は、思います。
ケースにもよるとは思いますが、先に、出来なくなっると思い込むより、もしも、出来ない時には、然るべき医師に相談すれば大丈夫ってくらいに考えておけば、心理的要因が少し改善するのではと。

逆説的に言えば、精巣や卵巣を失ってもセックスができるってことは、セックスは生殖という機能に限定して存在するものではないと言うことができるでしょう。

もしや、それまで何らかの理由で致し方なくセックスをしていた場合などは、手術を機会にセックスレスになるってケースもあるかもしれませんが。。。

私、今、あなたの質問の仕方に、かなり頭に来ていますので、ヒステリカルにあなたを叱りたくなっています。
19世紀ではヒステリーは子宮の痙攣と真面目に信じられていたとはご存じですよね。あなたの観念は、19世紀のようです。
そもそも、取材する前に、あなたはご職業としてご自分でどの程度の予備知識を持っている事が必要だと自覚されているのですか?」

「先入観を持たずに、一般的ながん情報センターの知識程度の観点からインタビューさせて頂こうと思いました。」

「あなたが一般的と思い込んおれらるがん情報センターがまき散らした困った先入観を、あなたは、思いっきり持っておられます。
先に、然るべき婦人科医師や泌尿器科医師に取材されてから、当事者に取材するのが基本でしょ!」

「・・・・・・」

「今回の取材は、『こうした生殖器ガンのサバイバーは性機能障害を持つと一概に決めつけられることを大変遺憾に思っている』という私のコメントを取ることを目的にされてるのではないですか?あの滑稽過ぎるな「がん情報センター」のSM好きなライターが書いたかのようなセックスリハビリ記事の広報に関しては、既に訂正を求めておきましたが。
取材の条件として申し上げた通り、記事にするなら先にその文章に関して私の了解を得て下さいね。これは、全ての取材に関しての私のスタンスだから、例外はありません。」

「了解しました。」

 ということで終わった僅かな会談であったが、がん情報センターの記事は無事取り下げられて、その後取材元から記事の草稿も送られて来ない。

 もしかしたら、あれは、昨今の医科大学の不正入試問題の多発時期にもあって、次は、国立ガン研が監督するがん情報サービスの情報提供の中に見つけたジェンダー問題(女性の性機能障害についての記載と、男性の性機能障害についての記載を比較すると、女性には苦痛や出血を我慢してまでセックスすることを勧め、男性にはお相手の女性に理解を求めることを勧めている・っていうジェンダー差別的記載も見受けられたので)についての、一種のスクープを狙ったものであったのかもしれない。

 ジェンダー問題は、人間の理性の発達とともに解消してゆく種類の問題だと思う。
こういう端々の問題よりも、戸籍制度という問題が最も大きいとわたくしは見ているのだけど、それに言及するオピニオンリーダーが未だに出現していないこと自体が、この国の集合的無意識の洗脳の強さを物語っているかのようだ。

婦人科手術後のセックス~ちょっと真面目なセックスのお話~その後

 ~ちょっと真面目なセックスのお話~シリーズの終章を書いて、このブログを一段落させて、そろそろ整理しようと思っていたのだけど、これらの記事に頂いたコメントを拝読している途中で、婦人科手術後の一例としての記事の掲載をしている場合ではない・って気持ちになって、先の記事は一旦閉じていた。 校正しないつれづれ語りにもご指摘を頂いたので、一応の校正も。 

 同病や婦人科手術をした女性からのコメントは、最初の「恋のささやき~ちょっと真面目なセックスのお話~」にも頂いていたのだけど、今回頂いた幾つかのコメントの内容はより深刻で、セックスという問題の根底に横たわる男女の心の機微が拝察されるに従って、根本的には、婦人科手術後のセックス以前の問題として、セックス適齢期になるまでに、男女共にセックスに関する本質的な教育が必要不可決ではないかと痛感された。

 セックスは、心から愛し合う2人が二人で創る限りなく自由な喜びであって欲しい。

 中でも、最も悲しく思ったのは、「がん情報サービス」の「(女性)性機能障害のリハビリ」の内容を参考にしたと言う方からのコメントだった。
 「婦人科手術後のリハビリとおりにしましたが、痛みや出血が怖くて、上手くゆかなくて諦めてました。もし出来るようになれたら・・・・・・・・・・・以下省略」

 このコメントの詳細を拝見し、パートナーのご心情を思いご自身を自責しておられる余りにも痛々し過ぎるお心の悲しみは察するに余りあって、本当に心が痛んだ。

 改めて、私は、コメントを下さった方が参照された国立ガンセンターが関与する「がん情報サービス」の「リハビリ」項目の女性の「性機能障害」についての内容を精読した。

 これは、酷い!
これでは、まるで、『「痛み」や「出血」を我慢して行うセックスリハビリの勧め』だ。
こんな文章が流布すると、手術後のセックスについて、患者さんとそのパートナーに、必要以上の予期不安を煽り立て、恐怖を植え付けるに充分な「暗示」と「刷り込み」、ひいては「洗脳」効果の方が大きくなる。

 この文章の冒頭には、「もう無理なのではないか」「うまくいくはずがない」などの不安や思い込みが大きな障害となってしまうようです」と、課題提起しているにも関わらず、不安や思い込みを更に増幅するとしか言えないそこに書かれている解決方法は、読むだけでも、本当に恐ろしく気持ち悪くなった。

 おまけに、婦人科手術を受けた患者さん全てをひとまとめにして、「性機能障害」が生じるので、可及的速やかなセックスのリハビリが必要だと言わんがばかりの誤解まで生む記事でもある。

 医療は全人的視野を持って行われるべきものであるのは言うまでもないことだけど、ましてや、こういう個人的に異なる微妙な問題に関しては慎重を期さなければならない。こうしたリハビリについては、より慎重なアドバイスが必要であるし、テキトーな指示文章を独り歩きさせるような種類のものでは決してない。
 個別に異なる患者さんに配慮した上で、心身両面の角度からどのように受け止められるかという幾つものバターンを想定した上で、綿密な構成を考えて、文章の校正を繰り返した上で、あらゆる観点からの精査を経て社会に配布するのが本義である。
 
 セックスは、女性が苦痛や出血を強いられる状態でリハビリしなければならないものなのだろうか? セックスという行為を、女性が痛みや出血まで我慢して男性を思い遣る度量の深さだけに頼るのは如何なものか!?
 この文章に露呈した、作成者の潜在的な女性差別意識とセックス観の異常性には、誠に驚愕するものがある。

 がん情報サービスのセックスリハビリ記載の内容と同様のパンフレットまで作成され、配布されていたと聞くに及んでは、もう、これは、社会的な「問題文書」だとしか言いようがなくなってしまった。

 旧式なリハビリ独特の人間を物のように扱う未熟で不勉強な粗っぽさもさることながら、女性に苦痛を我慢してセックスするように勧めるこの馬鹿げた文面は、日本独特の男尊女卑思想の表象なのか、筆者の個人の性的嗜好の露呈なのか・・・、
いずれにせよ、内容が余りにも粗野で、低レベルに過ぎる。
 公的機関が、文責も明記せず、このような内容の書きっぱなしの文章を長年掲載し続けていることには本当に無責任が過ぎる。。。と嘆息。

 21世紀の医療において、大きな手術で心身共に傷つき疲れた女性とそのパートナーの「心」に、これほど無神経で何ら配慮がない文章が堂々と広報され続けていることに、現在まで、誰も、何ら疑問を感じたり、批判すらしていない我が国の現状も、私には本当に信じられない。

 ので、一応、情報サービスにご意見を・・・

 頂いた他のコメントの中には、手術後セックスしたくなくなった。気持ちがついてゆかないのに迫られる。どうしたら上手くできるのか。痛かった、出血が怖かったなど、早急な性交渉で傷ついた女性の本音もあって、どうにかして回復できないかしらとのお尋ねも頂いたのだけど、個別な詳細にお答えできる能力は私にはないので、私に分かる範囲で、セックスに不安を感じる時のセックスの始め方について、追記したいと思う。


 先ずは、私の先の記事についても、痛くなかったか、出血しなかったか、何かさしさわりなかったか?とのお尋ねを頂いたり、更には、痛みを我慢して出血してでもセックスしたかったの?との突っ込みコメント(笑)まで頂いたのでそのご返信を。

 気が進まないようなセックスや「痛み」や「出血」を危惧しないといけないようなセックスには全く興味がないので、がん情報センターお勧めのリハビリ・セックスなど思いも寄らないことだったので、前の記事のコメントを見て、それに気が付き、唯々驚愕した。
 私のセックスは、あくまでも、素晴らしい心地よさにとろけそうなラブリーなセックスであって、指摘されているような「痛み」や「出血」を、想像させられること自体が、セクシュアルハラスメントだ!(笑)。


 頂いた真面目なコメントの中にあった多くの問題は、「痛みを伴ったり出血覚悟のセックス励行リハビリ」などの偏った情報に頼ったり、そうした先入観に洗脳されることで生じた婦人科手術後のセックスへの恐怖感や、始め方のタイミング・ミスとお相手との関係の問題が大きいように感じられた。

 なので、今回は、ごく自然なセックスの始め方についてちょっとだけ。。。。


1・セックスは、心と身の両面が、自然とセクシーな気持ちになった時に行うのが安全で安心です。 
  個人によって、心と体の回復の時間は全く異なります。平均値に拘るよりも自身の体の声を聴いて、自身の
  体を大切に思い遣るのが一番大切です。
 
  早くセックスしたい人は、少なくとも主治医の許可があるまでは、セックス以外のことに意識を向けてゆったり
  とした気持ちで時間を過ごしましょう。

  パートナーがいるいないに関わらず、セックスを焦らない人は、よりゆったりとした気持ちで、新しいロマンス
  の始まりに期待しながら、素直な心のささやきに耳を傾け、安心して、タイミングの合う時に、トライしてみま
  しょう。真っ白な空白の時間を経たあなたは、まさに、ニュー・バージン(或いは正真正銘のバージンかも)で
  す!自信と誇りに満ちたエレガンスな魅力にあふれています。  
  大切なことは、やがて心身が安らぎ、より豊かな感性が育まれて、ちかい未来に、ラブリーな恋のささやきの
  タイミングがやってくること、より素敵なセックスが楽しめるようになるってことを心の片隅でしっかり覚えておく
  ことです。

  (お相手がセックスに粗野?な気配があったり、セックスコミニケーションが出来ない傾向がある場合は、セカ
   ンド・バージン(或いはバージン)であることを伝えて、男性を教育することも必要かもしれませんし、ご一緒
   に婦人科医師の指導を受けることも必要になるかもしれません。)

2・セックスは、愛しあい慈しみあいお互いを理解し合い心配りと心尽くしが出来るお相手と、日常よりリラックス
  できるセクシーなムードの中で行うと、素晴らしい親密感と快感に満たされます。

3・セックスは、女性と男性のどちらかが、一方的に行う行為ではありません。
  パートナーが、思い遣りに満ちた心遣いできて、セックスマナーを心得た心豊かな男性であれば問題ないの
  ですが、そうでない男性の場合には、事前にある程度の教育が必要かもしれません。
 
4・セックスは、とてもディケートな行為です。
  愛し合うパートナーであれば、どちらかが人生で大きな心身の痛手を受けた時には、どちらの心も傷ついて
  います。
  必要なことは、何よりも、2人の心が癒え、より豊かに愛が満ちるように、ゆっくりと寛いで、気の向くままに
  過ごす時間を思う存分楽しむことです。
  心が癒え、触れ合うゆとりを取り戻した時に、どんなサプライズをプレゼントするかは、お2人それぞれの楽し
  み。
  あなたの心と、お相手の心が、安らぎ、くつろぎ、豊かな感性が満ちる時の到来を、心から祈っています。

 SEE ME ,  FEEL ME , TOUCH ME ,
 みて・・・・・・・感じて・・・・・・触れて・・・・・・・

 人間には、本能として、食欲と睡眠欲と性欲というすこやかな欲求が備わっています。
無理せず、自然に、恋のささやきに従って、素敵なラブ・トランスの五感を楽しんで下さいますように。

 セックスに問題がある時には、女性の本当の「性機能障害」についての説明が、こちらのサイトに適切な記事が掲載されているのでこちらを参照ください。
http://www.jspog.com/general/details_40.html


 私は、恋愛していない時期にはついついセルフメンテナンスも忘れがちになってしまうのですが、美しく魅力的でいる為には、セルフメンテナンスがとっても大切なことであることは、今や常識となっているようです。
 なので、一般的に、女性に定評のある女性専用のサイトもご紹介できればと思いましたが、リンクできません。
イマドキ女子には有名なサイトなので、女性ファッション誌や週刊誌などにも掲載されているとのことです。
こちらのサイトの「ラビットちゃん」らしきものは、インターナショナルサイズ?らしく日本女性には合わない場合があるとの口コミも。男性女性共に、決して、太くて長い方がいい(笑)というものではなくって、それぞれに適したサイズがあるはずですので、購入の際は、くれぐれも無理のないものを選ぶ必要がありそうですが。



 では、再び、ちょっと真面目な記載を。

 セックスについては、婦人科手術を受けていない女性であってもそれぞれに悩みを持つことが多い。
個体差や手術の種類や予後によっても悩みも異なるのが当然だと思う。
 性科学やセックスについての医学を専門分野とするアメリカのサイトには、初めてのセックス時から酷い痛みがあって、セックスを苦痛にしか感じられない女性の例が記載されていて、その痛みの原因は彼女の膣を取り巻く末梢神経の分布の個性から来る問題であったことで、膣の手術により、快適なセックスができるようになったとの症例が発表されている。これは、女体というものが、如何に個人によって異なるかを証明する如実な一例であると思う。

 更に、セックスはパートナーと行う行為だから、価値観は勿論、器質的・機能的にも男性女性両方の個人的な格差を前提として二乗の違いがあるってことからも、本物の「性機能障害」やセックスのリハビリについては、一概に語れるほど、安易なものでは決してない。

 末尾に、先の記事へのコメントの根源になった「がん情報サービス」から発信されているハチャメチャな性機能障害?のリハビリというお題目を掲げた文章内容の問題点を指摘しておくべきなのだけど、手術後のセックスに不安をもっておられる方は、あくまでも主治医の先生にご相談頂くことをお勧めします。
※注:不安な方は、以下の記事は読まない方がよいと思いますので、既に、当該記事に近いリハビリの勧めを読んで余計に不安になったり、セックスができなくなった方のみ、ご笑覧下さいますようお願いいたします。


「長い間性生活を持たないと腟の伸びが悪くなってくるので、あまり心配し過ぎず、はじめるほうがよいでしょう。」 

「子宮の手術をした場合は、腟も一緒に切除し縫ってありますのではじめは痛みます。性交の回数を重ねていくうちに、縫った部分がやわらかくなり腟の伸びもよくなるので痛みは軽くなります。」

 「両方の卵巣をとっている場合は分泌物が少なくなり、摩擦による痛みを伴うことがあります。そのような時は潤滑剤の使用をお勧めします。市販の性交用の潤滑剤(リューブゼリーなど)は、不快なべとつきがなく安全性も確認されており、水溶性のものが多いのでぬるま湯で洗い流すことができるなど使用方法が簡単です。」

「腟の傷が切れたりすることは普通はありません。刺激で出血する場合もありますが、少量であれば自然に回復していくので問題ありません。はじめは挿入の浅い体位からはじめるのがよいでしょう。出血が続くようであれば担当医に相談して下さい。」

「腟を切ってしまっても性生活が行えます。腟を切除しているために、はじめは腟が短くなったように感じると思います。実際に性交をする時には、ペニスが深く挿入されないような体位をとり、ゆっくりと挿入するようにするとよいでしょう。性生活を重ねていくうちに、数ヶ月で手術前とほとんどかわらない感覚が得られるようになります。むしろ長い間性生活がないと、腟の伸びが悪くなってきます。」(日本語は主語が省略されがちなのだけど、これほど「主語」不明な記載は意味不明でもある。)
      以上は https://ganjoho.jp/public/dia_tre/rehabilitation/sexual_dysfunction_female.htmlより抜粋
 
 『婦人科手術後の可及的速やかなセックス励行の勧め』と題した方がぴったりな文章であるし、一般的な感性を持つ男女であれば、こんな無神経で気持ち悪い文章は読みたくないし、こんなセックスは怖いし困る!って思って当然だ。

   痛みを我慢してセックスするの?
   傷口からの出血を伴うようなセックスをするの?

 いいえ、そんな必要はありません!
誰だってこんな記載を読んだら不安になるし、真面目にこの内容に従っていたしてしまったら、セックスが嫌になって当然です。
 いくらなんでも、痛みや出血を伴うセックスの必要性を説くなど、もってのほかである。

   でも、長い間セックスしなければ、膣の伸びが悪くなってきますって書いてあるじゃない?

 私もこの点に関しては、当時出版されていた婦人科がんの本の一節に「インサートだけがセックスではありません」と書かれていた無神経さにノックアウトされ、不安のあまりに、主治医に尋ねたのだけど、
「膣の萎縮は、もっと先、高齢になって生じることです!」
と、自身のおバカを完全に証明してしまった苦い経験があります。
 冷静に考えれば、普通、彼氏いない歴2年以上なんてよくある話です。40代以上の『セカンドバージン』世代だと、10年以上のセックスレス歴の女性も多々おられるけど、皆さん、彼氏ができれば、溌剌とラブ・トランスを楽しんでおられます。
 70歳で3~40年ぶりにセックスした女性が、20代や30代とは違うことに驚いて、受診されるという例もあるようですが、現代は、美容整形で光線治療による膣の若返り治療が完備されているとのことです。

 性欲に関しては、女性ホルモンよりも男性ホルモンが司る範疇とされ、更年期を過ぎた女性は女性ホルモンよりも男性ホルモン優位になるのでで、性欲が衰えるということは医学的には考えにくいとされることを鑑みても、更年期後の女性のセックス離れは、パートナーとのラブリーでロマンティックな恋愛感情の低下や、パートナーとの精神的違和感の問題が、最大の原因と思われます。

 問題のサイト記事には、卵巣欠落症を更年期障害と一緒にしてこれらも「性機能障害」に区分したり、様々な不適切な記載がありすぎて、挙げればきりがないですので、国立ガンセンターの情報サービス事務局が早急に改善されることに期待します。

※注・この記事を書いてる途中で、問題のサイト記事は削除されていました。。。あらららら・・・・


 セックスは、本当に個人によって千差万別の繊細で微妙な問題です。
このブログに私が掲載している記載も、あくまでも千差万別な人間の心身の一例に過ぎませんので、心配なことは、主治医、或いは、セックスについて真面目に詳細な相談ができる産婦人科医師に、相談されることを強く強く、お勧めいたします



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