endometrioid carcinomaから

-9years after- 卵巣ガン&人生のサバイバル

シングル・キャンサーサバイバー&シングル介護の本音語りです。

ジェンダー問題の根深さ

 日本程ジェンダー差別が残っている先進国?はない!と言われて早20年以上が過ぎました。

 この10年を振り返り、最も私が痛感したことは、
日本社会には、未だにジェンダー差別が残っていることです。

 興味深いのは、私がいくつかの業界の第一線で仕事をしていた時は、ジェンダーなど全く感じたことがなかったことと比較して、田舎町ではこの差別は非常に明らかに存在しているってこと。

 ビジネスシーンでは、性差より実力の差が優先されることから、実業の分野では女性であることは全くと言ってハンディキャップにならなかった。もしかしたら、環境的に、私の職業関連の男性の多くは知性的理性的レベルが高かったという傾向があったからかもしれませんが。

 ある程度の知的&理性レベルを有する男性の多くには、所謂ロリコンやSなどの性的偏向を隠せない人以外は殆どジェンダー意識は残っていない、残っていてもそれを理性でコントロールされているようなのですが、その水準にない男性の言動には一貫して未だに非常に男女差別が残っているのがとても興味深く思います。

 海外滞在経験を持ち、欧米の道徳観に触れたことのある方々が、口々に語られてきたように、青春時代の一時期を海外で暮した私の感性からは、日本社会の男性は心に非常に問題性を大きく持っている人が多いと言わざるを得ないものがあります。

 もう言い古されたことですが、このあたりのアダルトチルドレンたちの心の問題の研究と理解が、日本社会を欧米水準のジェンダー道徳観を持った理知的社会に引き上げる為に必要なのだと思います。

 数年前に、県のジェンダー委員会の委員を依頼された時に、ジェンダーなど既に無いと思っていた私はその依頼をおことわりした償いとして、 こちらのブログの新しいセクションとして、日本のジェンダー問題にについても、論じてゆきたいと思います。

pet検査の結果

 ブログの更新を怠っている間に、pet検査の結果をご心配頂くコメントを頂いていることに気が付きました。
心遣いを頂き、本当にありがとうございます。

 自分では、もう何年経ったのかを忘れてしまうくらいの年月が流れ、卵巣ガン罹患からもうすぐ10年が経とうとしています。
 こちらのブログを始めて7年程でしょうか。

 お蔭様で、pet検査も無事通過いたしました。
体調は、自律神経の失調症が残っていますが、これは、心療内科の主治医の診断では、母の介護の際に田舎町の介護関係者から受けたジェンダー差別とパワーハラスメントによる鬱病の後遺症状とのこと。
 確かに、奴らの暴挙が、私を、二度とこんな社会の為に働いてなんてやるものか!と決意させたことを思い出します。
 「一億総戦力!」などと、勇ましい暴言を吐く前に、医療福祉介護分野への財政出動を十分なものにしなければ、国民の健康や生命のいざと言う時に役立たずの政治&行政の現状では、阿呆らしくて、誰も働かない社会になるでしょう。

 さてさて、一連の手術と治療を受けたガン拠点病院からそろそろ追い出されることに。
かといって、近隣の総合病院の婦人科では、ガンの予後は治療した病院でと言われていますので、今後の検査は、1年か2年に1度くらいガン拠点病院でマーカー検査を受けるかもしれないし、もういいかも?状態で、卵巣欠落症の処方箋は近隣の総合病院で頂く予定をしています。

 昨年のボーエン病については、日本の保険会社では、悪性新生物として医療保険対応がなされたのですが、アフラックの保険会社では、WHOの国際疾病分類で上皮内新生物に分類されているので、悪性新生物ではなく、転移や再発の可能性もないのだからと主張されていて、非常に困惑状態。確かにWHOの疾病分類には表皮内新生物に区分されているのですが、表皮内新生物も悪性新生物であるには違いないとの医学的見解があります。
 診断書にも「悪性」とあり、皮膚科医に確認しても「悪性新生物」と言われるのですが、あの手この手で払い渋る保険会社の体質は、未だに変わらない影響で、まあ、大したことないのだろうと心地よく洗脳されてる今日この頃。社会は益々、経済至上主義、利潤の追求がガンの悪性度のランクにも及んでいるようです。

 それにしても、国内の保険会社からは医療保険の手術給付金が契約通りペイバックされてきて、アフラックからはペイバックされてこないのは両会社間の経済競争において、不公平この上なく、こんな差異が存在すると、経済の公平な競争社会の原理に反するのではないかと言う疑問が禁じ得ないので、今後も時間のある時に、たま~に追求を続けようと思っております。
 個人的利潤を考えると、ほんの5万円程の保険金なので、対応するだけ時間的損失が大きいのですが、ここは世の為人の為と割り切らねば致し方ない・・・
あらゆる人が自分が人生の中で出会った社会問題を、特に弱者の視点に立って、見過ごさない姿勢を持てば、社会は良い方向に発展してゆくのですから。

 いつ果てるともしれない生命を常に自覚しながら、自身をどのように社会に生かしてゆくか?を大切に考えて生きて行きたく思います。



 

この寂しさは

 裏庭に出ると一足先に春の花たちが咲き誇っていた。

 毎年、裏の山に続く広い裏庭で私が育てた花たちの目覚めを一番に見つけるのは母だった。
枯草の中から見つけた西洋水仙の蕾を一輪差しに、美しく生ける。

 白洲正子さんの花のような、さりげない花なのだけど、その美しさの感動は、私にいつも新鮮な驚きを与えてくれた。

 私は華道の修練を受けた華道家なのだけど、母の生ける花たちは、茶道で言う「花は野にあるように」、さりげなくありながら、凛とした品格高い美しさを誇っていた。何故、彼女があれほどの生け花ができたのかは分からない。
人に教える立場の私自身の目からも、母の生け花は非の打ちようのない美であった。

 美意識の次元で、母を越える人と、私はこの世で出会うことができるのだろうか?
 彼女の崇高な美意識に匹敵する美意識を持つ人が、一体この世にいるのだろうか?

 現代が失ってしまった人間として最上級の感性を持ち続けた人だったのだと思う。


 自分が育てた花たちを愛でてくれる人がいないこと程寂しいことはない。
母は沢山の花の中から、自分の好きな花を選んで実に無造作に、とっても美しく花瓶に生けていた。
ターシャチューダさんにも似ていたように思う。
但し、花たちを育てるのは私だったのだけど。

 私の庭造りは私自身が始めたことで、田舎暮らしならではの素晴らしい楽しみ・であるのだけど、腕一杯の花を抱えて私宅に帰ると、いつも、
「わあ、きれい!」
と、喜んでくれた母がいないことで張り合いを失くしてしまった。
 私の作った花を摘み、実りを喜んで収穫してくれる人がいないことが、これ程寂しいなんて、思いも寄らなかった。

 あらゆる意味で彼女はクィーンだったのだと思う。

 生命は永遠だと私に信じさせてくれたクィーンであったことは、今も間違いない。

https://www.youtube.com/watch?v=MZl07cIZJLI
 


記事検索
最新記事
人気ブログランキングへ
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ