endometrioid carcinomaから

-9years after- 卵巣ガン&人生のサバイバル

シングル・キャンサーサバイバー&シングル介護の本音語りです。

介護の果てに

 窓を開けると、一面の銀世界だ。
雪の香りがする。

 大学時代から、私はスキーが大好きだった。
最初は当時流行った学生ツアーで年に2~3回スキーツアーに参加していたのだけど、慣れてくると、個人で夜行バスとホテルの予約を取ってスキーに行くようになった。

 20代の半ばに1年に30日くらいスキー場に滞在していた時があった。
人生で一番スキーが上手になった時期、もう、急斜面でもコブの多い斜面でも転ぶことは無くなっていた。
 雪山に暖かい太陽の陽ざしが降り注ぐ春に、Tシャツでスキーするのが好きだった。
熱くなる体に、雪の香りをいっぱいに含んだ風が冷やしてくれる感覚が心地よかった。
 林道コースが一番のお気に入りで、時折野生の動物に出会うのも楽しみのひとつ。

 最後にスキーをしたのは、シアトルのクリスタルマウンテンだった。

・・・・・・その後、父が倒れて、私の職責が重くなって、自身は決して怪我をしてはならない立場になったこともあって、もう20年以上スキーをする機会には巡り逢えていない。


 寒い冬は暖かい南の島の心地よさに魅了された。

 ウィンドサーフインが好きになった。
透き通ったラグーンの海をマストに風を受けて滑るように走る心地よさは言葉には尽くせなかった。

 ウィンドをする体力を失くした私には、ダイビングが楽しみになった。
やがて、その体力も失くした私は、スキューバダイビングの楽さと自由さにも魅了された。
世界で最も美しいと言われるラグーンの内海で、その数年後、ラグーンの外海のもう少し深い海にダイビングして、それからの私のやってるスポーツはというと、時折、プールで気ままにスイミングする程度になってしまった。
 寒い夜は、プルメリアや南の島に咲く花たちの香りがする温浴材やボディシャンプーで、気持ちだけ南の島にいる気分に。
  
 香りは、五感の中で最も記憶を蘇らせ易いのかもしれない。
昨夜、眠る前に嗅いだ雪の香りに無性にスキーがしたくなった。


 昨夜降り積もった雪が解けない。
年に数日しか雪は降らないので私の車は冬仕様ではなくて、雪の日は走行できない。
本日の予定はキャンセル。
 
 家にいると更に孤独感が深まる。

 より田舎で一人暮らしをしている人たちもいるのだけど・・・

 自身が鬱と観念する方がいいのかどうか?
薬の適用について、真面目に精神科医の友達に相談してみた。

「それは、君が都市部の暮らしもしてきた人だからで、ずっと田舎で暮らしてる人たちとのようにはゆかないよ。広い屋敷で不便な田舎で独りで暮すなんて想像しただけで、僕ならその環境が怖いし寂しいと思うし、逃げ出すよ(笑)。
それに、君はパートナーと一緒に何かを実現してゆく楽しさを知ってる。パートナーと協働する心の豊かさを経験した人が独りで生きて行くのは相応しくない。
 その気鬱は、余りにも長く、厳しさに堪えている状態から来てるんだろう。
お酒を飲まない人だから、僅かに抗うつ剤と安定剤を使うのは気晴らしにいいと思うよ。
だけど、そのままでいるのは良くない。君の若さではあり得ない。
先ずは、パートナーを見つけることでしょう!
年齢的に上を見たらまた苦労が降りかかる可能性が高くなるから、同世代かそれより年下で探してみるのがいい。東京はどうなの?東京には君に相応しい優れた独身男性も多いし職場も多いから、いいと思う。」
と、鋭い洞察を頂いた。

 随分前に、脚本家でありプロデューサーの友達に、ある演劇の端役に駆り出されたことを思い出した。
貧乏から成りあがった中流の人と、富豪から転落?した中流の人を描いた演劇で、同じ環境で同じ状態の暮らしぶりであっても、人には上昇することで得られる幸福と、下降することで実感する不幸があることを、鮮やかに描き出し、そのケースに応じた心理的適応の方法を追求した作品だった。
 その作品は、満足感が幸福感として描かれていて、人は知らないことで現状に満足するケースが多いのだけど、知らないことを自覚することが必要であって、知っている以上は、その知恵を生かさなければならないというような視点であったように思う。
 
 確かに、私は滅多にお酒を飲まない。
大学時代は親には知られない所でかなり飲めた記憶があるのだけど、父の言いつけは厳しかった。
父は、武道家であり、漢方医師でもあった故か、精神というものを非常に重んじた人だった。
アルコールには精神の酩酊作用がある。タバコは沈静作用と精神を清明にする作用がある。
「タバコは吸っていいが、お酒は飲むな。酩酊した精神の危険は計り知れない。飲むなら酩酊しない精神力を身に付けてからにせよ。」というのが、父の口癖だった。
微量の抗うつ剤や安定剤には、酩酊作用は少ない。

 現実問題として、今の暮らしの環境のメリットはというと、自然好きな私にとって自然との共生が実感できることと、音楽好きな私にとては、音楽をコンサートホールのような音量で聞いても、エレキギターを弾いても、大声で歌っても誰にも迷惑が掛からないことくらいで、山の祠に籠る行者さんのように、物音ひとつしない環境というのは、意識を更に清明にセンシティブにしてしまう。私は未だ決して、悟りの境地を求めて静寂の中で暮しているのではない。

 更に、私の知ってる範囲の同世代は?と見まわすと、リ・シングル者の多くは、以前の結婚の資産分割の債務や養育費等の債務で、とてもじゃないけど新しい暮らしの生計が立たない人ばかりでパートナーとはなりえないし、私のようなスーパー・シングルはいない。そもそも、新しい出会いの機会が皆無。

 とはいっても、未だ、これからの暮らしの方向性が見いだせない。
家の整理と補修という仕事を終わる頃には、気持ちも一新できるかもしれない。
 
 一番いいのは、先に、新しい人生を共にできるパートナーを見つけることだし、それは、母が他界するまでにしなければならない私の人生の大仕事だと思っていたのだけど、こればかりは、互いに合う人に出会う確率が少なすぎる。


 福祉後進国の日本では、ガンの闘病が完解で終わるものではないように、介護も要介護者の他界で終わるのものでは決してないのだとつくづく思う。

 現状で、理想的な介護があるとしたら、それは、『介護の達人』であった親友のように、頼りがいのあるパートナーに見守られながら、子育てと一緒にすることだと思う。
親は他界しても、その悲しみは子供が育つ喜びに補完されて、世代交代の自然な体系の中で、暮らしてゆくことが可能になる。

 シングルでの介護は決して誰にもおすすめすることはできない。
パートナーがいて子を持つ子供が、親の介護を行うことが最も良好なパターンだと思う。


 ふるさとの冬は寒くて深い。
地方社会では、都市部に比較して、あらゆる人生の仕事が、生活の糧を得る職務以上に遥かに大変だと思う。

 気晴らしに、スキーか南の島にゆきたいと思うのだけど・・・そういう楽しみはパートナーがいないとつまんない。
 暖かいリゾートでエステとマッサージとスイミング三昧の暮らしがしたいのだけど、ペットホテルも無い田舎町で、この寒い季節に老犬を置いてゆくこともできないことも、美味しい食べ物屋さんがないことも、おもてなしのマナーを持ったエステやサロン無いことが、私を更に気鬱にさせているのは間違いない。

 暖かくなって、飼い犬を庭に置いてゆけるようになったら、一旦、元居た自身の世界に帰ろう。

人生のショーは続けなければならない。その為にはエネルギーの補充が必要ってこと。

 もう一息、この寒波を越えて、それまでは、どうにか健康で生き抜いてゆかなくてはと思う。

 


遺品整理のきっかけ

 梅の香りがほのかに漂っています。
南天や万両、千両の赤い実が無くなると、早先の梅が咲き始めます。

 紅葉が終わる頃に木の実が色付き、日本水仙や山茶花が12月の中頃から2月いっぱいにかけて咲いて、梅へと花暦が移ろってゆきます。
 この季節に、芽をだした蕗の薹を見落とすとそのまま花が咲いて苦くて食べられないことになるので、一日一度の散策の楽しみに。

 今年は家庭菜園への腐葉土のすき込みも怠ってしまいましたし、去年の夏草も未だ燃やし尽くせてなくて、枯草の中で春咲きの洋水仙の芽も出始めてるのが困りもの。
日陰で大きくなると丈が長くなり過ぎて、春の雨にすぐに倒れてしまいます。
 野良仕事は季節を待ってくれないことが、現代社会で生きている私を、時折強引に自然に還してくれる有り難いきっかけになります。
 年齢と共に、疲れが増して来ましたが、心疲れた時の野良仕事は格別です。
肩の痛みが徐々に薄らいでゆくにつれて、身体を動かすことも心地よくなってゆきます。
 
 屋敷に咲く多くの花や実る野菜は私が育てるのですが、花を摘み実りを喜ぶ母がいなくなったことが寂しいです。
 「もろともに眺めし庭の盆栽をひとり眺めし・・・」
という俳句の書かれた喪中の葉書が、昨年末、つれあいを亡くされたらしい母の友達から届いていました。


 母が急変した頃、屋敷には野菊がとても美しく沢山咲いていました。中庭にも裏庭にも。
母が好きだった野草のひとつで、昨年に限って、これ程美しく咲くものだろうか?と思う程に沢山の花をつけました。さながら、自然界からの母への手向けのようでした。
 
 都会と田舎の美味しいどこ取りをして暮して来て、私にとってのふるさとは、郷里というよりも郷土・・・この「土」であり、山を渡り谷を越えて吹き渡る「風」なのだろうと思うことがよくあります。
こういう時には、いつも、 『風と共に去りぬ』の映画のワンシーン・タラの土を握りしめたスカーレットオハラのシーンが、心に浮かびます。


 介護は長い看取りだと思っていたのですが、まさかこんなに急逝してしまうなんて。

 母が他界するほんのひと月前に、秋用に新しく買った母の洋服を見ると、一緒にゆくはずだったコンサートが思い出されます。
 毎年取り寄せていたお節料理や、フグ鍋や、生うには勿論ですが、普段の買い物でもネットショッピングでも、母のものを買う楽しみがなくなったことがとても寂しく思います。最近は、代わりに飼い犬のものを買うことで気を紛らせていますが、私にとっての母は、出来る限りのことをして差し上げたい最愛の人であったと、今になって気が付きます。
 時代の変化もありましたし、自身が卵巣ガンに罹患して以来、すっかり力を失くしていたこともあり、十分なことをして差し上げられなかったことが悔やまれますが。。。

 振り返れば、私が私宅を買いとる形で相続したのも、母を守らなければという気持ちも大きくあったようです。彼女が悲しい思いをするのは避けたかったし、多分私自身が、母にはクィーンとして君臨し続けて欲しかったのだと思います。
 この20年程の間にすっかりゴーストタウン化した田舎町の家を残したことは、経済的には割に合わないことでしたし、母が施設へ入居し数年くらい経ってから逝去してくれていたら、物理的な整理もできたし、心的な距離もできて、別離のダメージが少しは少なく済んだとは思いますが、最後まで母がこの家のクィーンでいてくれたことも、「土」を残すことができたことも、安心できることだったように思います。
 人生の喜びの多くは、誰かを守ったり、喜んで頂くことにあるのかもしれません。

 さて、遺品の整理の苦痛から逃れるにはどうしたらいいだろうか?
と苦肉の思案を巡らせていると、父の遺品の整理のきっかけを思い出しました。
 父の遺品の整理が進んだのは、父と丁度同じサイズの友人がいたことでした。父も長く着られる上質なものしか買わない人でしたので、貰って下さる方がおられました。
 母も上質なものを長く大切に着用する人でしたので、素敵な洋服が沢山あります。だけど、私とはお洋服の趣味が違う。私は普段はカジュアルで、外出時も膝丈より長いスカートははかないし、私の方がワンサイズ大きいのでサイズが合わない。
 同じようなお洋服の趣味で、同じサイズで、喜んでもらってくれる人を探せばいいんだ!と。

 もしかしたら!?・・・と思い立って、母とも親しかった母と同じようなお洋服の趣味の友人に電話すると、「喜んで!」と二つ返事が返って来ました。来月見に来て気に入った洋服を持って帰ってくれるとのことでした。
 それに、従姉のお姉さんたちもサイズを気にしなくていいい小物類ならもらってくれそうなのでそれぞれに合いそうなものも選びたいと思います。

 これで、やっと、遺品整理のやりがいができました。
誰かの役に立ってこそ仕事はやる気になるものとおもう本日。

 クリーニングや洗濯をして仕舞ってあったものの、人様に貰ってもらう以上は、もう一度クリーニングに出すか、ちょっとオシャレな香のサプリメントを加えて洗濯してラッピングしないと失礼に当たります。

 友達の気に入りそうな洋服を選ぶついでに私にも着用できそうな洋服も選んでいると、なんともまあ、母は美しい絹を纏っていたことかと、老人性鬱が入る前の彼女のいつも綺麗にしていた姿が蘇りました。

 私の洋服以上に、7彼女の洋服や小物たちは美しい。
私自身が彼女の為に買った洋服もあり、それらの半分は母のイメージですが、半分は私のイメージなので、母が呆けてからの買い物では、母の趣味に合わないことも多かったかもしれません。。
 私自身の洋服は色目はパステル系で華やかな女性らしさはありますがどこか働きウーマン的で、見かけは柔らかでも背筋をまっすぐに伸ばして着る、ある意味戦闘服?的意義を付加したモノが多く、彼女のは、あくまでも上品で女性的で優雅で柔らかなイメージです。それに、彼女のお洋服の方が素材が断然上質なのです。

 母の洋服を見ていると、誰かに真剣に守られ愛されて生きて来た女性と、独力で生きて来た女性の違いを強く感じさせられました。圧倒的に、彼女の方が文化意識も美意識も豊かです。
文化や芸術がパトロンがいる時代に最も花咲いたように、女性の美しさは守られ愛されることで、より優れてゆくのだと思います。

 遺品の中に残された、古き良き時代の夫婦であった父母のそれぞれの生き方を辿っていると、父は、母をこよなく愛し尽くす男性だったんだなあと、そして、父の強さを支えていたのは、母の文化意識や美意識の高さだったんだなあと、羨ましく思えてきます。

 母の世代の女性たちは、男尊女卑と言われる時代に生きて来ましたが、どうも、実際はそうではなくて、彼女たちは私の世代より、美しく生きるという人間の最も崇高な能力を十二分に持ち合わせていて、実存的には、女尊男卑の時代を生きて来たのではないかしら?とも。
 
 母の持ち物のひとつひとつから感じられる品格高い女らしさは一流で、元気だったときの母を思い出すと、清貧ながらもなんともまあ優雅で日々美しく暮らしていたことかと・・・

 私が、時折、三島由紀夫氏の嘆きに、身分違いではあるけれど自身の嘆きをオーバーラップさせてしまうのは、ストレスの根源の一つが、かつての美しい暮らしが崩壊した現状があまりにも長く続き過ぎた悲しみでもあったように思います。

 偉大な父母を持った子供は、生まれながらにして大変なハンディキャップを背負うものだとつくづく思います。
 
 教師をしていた時期に、社会では精神的能力的な面においても、物理的経済的な面においても、下層と上層のそれぞれ10%の家庭に生まれた子供達に問題が多いということを知りましたし、30代に友人だった同性の代議士さんから、「立派なお父様をもって大変ですよね~」と同情?の言葉を投げかけられたことで、様々な角度から見て優れた両親を持つと大変なんだと思い当たりました。

 子供はいつか親から離れなければならないのは当然ですが、親を越えなければならないという試練が生涯続くように思います。
 離れている時は、仕事などで自立して成功すれば既に親を越えて独立したと思える時もあるのですが、また違った角度からみると、これって一生かけても超えることができない障壁かもしれない・・・と溜息が出ます。

 このような意味において、私はコンプレックスが強い人間かもしれません。 ともあれ、遺品整理という悲しみの深い作業の中で、喜んでくれる人がいるってことは何て有り難いことかしらと思います。

  母のセンスのお蔭で、遺品の片づけにようやく取り掛かり始められそうです。
安いモノが氾濫する時代ですが、同じ金銭を使うのなら、少しでも良いモノを大切に長く使うことを習慣にすれば、美しい暮らしが育まれ、そのモノを所有する主が他界した後にまで、誰かを喜ばせることができる・・・母の生き方の恩恵を感じます。

 私が蘇るのと同時に、この家も少しは蘇らせてゆけたらと思います。
万が一、私自身がこの家で年老いることを考えて、一階をできるだけ快適な状態に戻して、普段は、友達や従兄姉や親戚の若者たちが郷土に帰った時用のゲストルームにして、私がそのまま年老いたり、傷病に罹患した場合も不自由少なく暮らせるように、かつて、母も私も元気であった時代のように、美しく整備してゆきたいものです。


 母を亡くして、人生の終盤を強く感じるようになって、ヨーロッパへの旅とクルージングの旅がしたいと思うようになりました。
 ヨーロッパにゆく機会は何度かあったのですが、私の気持ちはいつも、より若くエネルギッシュで自由に満ちた国やフレンチ領の南の島に誘われて来ました。
 これからは旅の方向性も、私自身の人生の流れに協働してゆくのかもしれません。

 父母の遺品の整理には1年、或いは、皆さんが言うように整理が終わるまでには3年くらいはかかるかもしれませんので、休み休み、少しずつ、誰かに喜んで頂けることを励みに勧めて行きたく思います。

肩関節亜脱臼?のその後

 久しぶりのブログ更新にも関わらず沢山のコンタクトを頂きありがとうございます。

 私自身の肩関節の脱臼若しくは亜脱臼のその後について、お尋ね頂くコメントを頂きました。
ご心配頂き本当にありがとうございます。

 母の他界の前々日にこの負傷が発生したことで、固定も不十分なテーピングが中心となって、全くと言っていい程、自身の負傷の手当に気が回らなかったことと、折からの緊張状態で痛みををさほど感じていなかったこと、整形外科でのリハビリが不可能であったこと等が相まって、自身でストレッチやリハビリはするものの、挙上時や負傷姿位での痛みが取れずにいました。

 これ以上、拗らせると所謂四十肩になっては更に時間がかかりますし、自分で自分の治療なんて土台できないと思い至って、ヒアルロンサンの注射を受けることに。

 肩関節がご専門の最も信頼できる整形の先生のクリニックにお願いに上がりました。

すると、なんということでしょう!

この注射の気持ちよさとビフォー&アフターの違いにびっくり!

 ヒアルロン酸の関節への注入の効果は知っていましたが、注射の痛みを考えるとどうしても億劫になっていたのですが、この先生の注射は全く痛くないどころか、誠に気持ちがいいのです。
 疼痛緩和の為に整形外科で注射をして頂くのは十数年ぶりになりますが、以前頸椎を負傷した時の痛みを伴う注射と全く違う!
 注射針の選び方の問題か、ドクターの腕の問題か、時代の移り変わりなのか???
 きっちりと問題を生じている肩のツボに入ってゆく心地よさはもう最高の気分で、何かしら押し上げて来る感じも・・・これってすごすぎる!

 お蔭様で、この注射がとてもよく効いて、未だ負傷姿位での痛みは残っていますが、驚くほど肩が軽くなりました。
 動作時の痛みは自覚していましたが、自発痛はないと思っていたのですが、緊張状態が続いていたのか私はとても鈍感になっていたようで、実際に痛みが無くなってとても腕が動きやすくなったことで、初めてそれまで常に微細な自発痛が発生していたってことが分かりました。

 痛みが取れると、周囲の筋肉が拘縮していることが実感されて、神経叢にも違和感があること、負傷時の外力で肩と頸の付け根あたりも衝撃を受けたようで、肩から頸にかけての疼痛やピリピリとした神経痛?が残っていることにも気が付きました。

 このあたりは、温めてストレッチングしたり、指圧したり、とあれこれ工夫の最中です。
ゴッドハンドと呼びたく程の只今の整形の主治医の先生の凄腕に頼らせて頂いて、丁度この冬眠中に、全治するように頑張っています。

 思えば、痛みはblueの原因になりますので、肩関節が完全に治癒する頃には、少しづつ気持ちも階調に向かってゆくことと思います。

 取り急ぎ、返信に代えて、本文にて、失礼いたします。
 
 あと、冬眠中に幾つかのコメントを頂いていますが、個別に返信させて頂くのが億劫になって申し訳けありません。
 また、いつか、本文内で、ご返信をさせて頂く機会があればと思っております。


 それでは、今しばらく、寒い間は暖かくして、ゆっくりする時間を作って暮らしましょう。

 皆様が、少しでもよりお元気でいて下さることを祈り上げます。
 
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