endometrioid carcinomaから

-10 years after- 卵巣ガン&人生のサバイバル

ようこそ!
シングル・キャンサーサバイバー&シングル介護&シングル・サバイバルライフのブログです。


私的・「婚活」という名の自虐活動💦・1・

 猛暑と豪雨と暴風雨と地震の夏が過ぎようとしている。 
今年の夏は本当に暑かった。


 「何故、今までシングルでいたの?」
って聞かれることが多いのだけど、あまりにも多くの理由があり過ぎて、全てを羅列すると、天文学的に長すぎる答えになってしまう。

 簡単に説明しても、以下のような感じ。

1・タイミングの問題は大きい。
 社会に出てからは、仕事が充実し過ぎて、恋愛に費やす時間と体力が少な過ぎた時期が長かったし、元々家事手伝いのフリーターであったのに、気がついた時は経済的に自立して自活が出来ていたことで、男尊女卑が横行しているこの国の中でも、効果不幸か「経済的必要の為の結婚」という切羽詰まったことを考えずに来れたことも一因であったと思う。

2・その上、私の場合は、原家族が何かと気がかりであったことで、実際に放ってはおけなかった時期が長く、無意識的に原家族の中での自身の重責という柵から脱出できなかった分、自身の新しい家族を作る労力を削減されるという状況が、今振り返ると思いのほか大きかった。

3・一方で、社会的には、結婚という制度自体が、鵜雑多過ぎるって問題が大きかった。
 元々、私は超真面目な堅物人間なので、真剣に誠実に物事を捉えてしまうし、恋愛のトランスに酔った勢いで結婚できるほどの陶酔性も、一般の人より少なかったかもしれない。
 なので、結婚制度に拠って課せられる責任と契約事項の重さが先だって、結婚という重い社会的契約、かつスピリチュアルな永遠性を誓うという魂の約束を結ぶかどうかという決断に際して、友達の言葉を借りれば、「石橋を叩いて壊す!」って言う慎重さが過ぎたように思う。
 基本的に責任感が強く、対人関係においても真面目で純朴過ぎることで、結婚という社会制度が示唆するようなお互いの義務の履行を生涯に渡って本当に果たすことが自身に出来るのだろうかというtoo muchな予期不安を感じて臆病になっていた部分も多々あった。

4・条件だけでは男性を好きにはなれずフィーリングや相性を重視するタイプで、理性的に割り切った恋愛や結婚が出来ない性格にも問題があるのだと思う。
 好きになった人とは一途に長く深くつき合い続けるタイプであることで、結婚という制度に頼らなくても深い信頼関係にあるパートナーがいる安心感と自由度も、結婚という制度を利用しないで来れた理由だったように思う。


 そんな感じの私は、お互いの信頼関係に裏打ちされた緩やかなパートナーシップの中で、独立自主のまま生きることが、一番フィットしていたのかもしれない。
 結婚式には憧れていたけど、もしガンに罹患していなければ、結婚という社会制度を利用しようと思う願望はは持ってなかったのかもしれない。
 独身で生きることの過酷さを痛感したことや、心身共に弱った私に降りかかった、社会的マイノリティーであるシングルで且つ女性でありながら生計所帯主として生きていることへの外的圧力や偏見やハラスメントの強烈さに、へこたれた気持ちも大きかったし、いつ果てるともしれない生命の不安に駆られて、万が一の時に、私の人生の忘れ形見に法的権利を持つ人が欲しくなって、結婚という制度を利用しよう!と思いついたのだった。

 だけど、今思うと、いつでも結婚できる状態でフィアンセでいるという形態が、かつてのパートナーとは、お互いに無意識のうちに合意し安住できてた最も好ましいパートナーシップの在り方だったのかもしれない。
 もしかしたら、あの時、結婚!なんて制度に捉われない方向性を見出せていたら、別離することもなく、永遠のフィアンセ関係で、お互いにシングルでありながら別々に自立して暮らしながら、お互いをインスパイアーし合い、勇気づけ合い、イザと言う時には助け合い支え合いながら、一緒にリラックス旅行をしたりして、今もそれなりに幸せを感じながら楽しくおつき合いが続いていたかもしれないとさえ思ってしまう今日この頃。


 そう、今も、私は、「結婚を目的とした『婚活』」をしているのではなくって、ごくごく自然に互いに深く信頼し合えるパートナーを探している。
 これからめぐり逢えるお相手とは、一緒に暮らすことが出来るかもしれないし、やはり別々に暮しながらフィアンセでいるという関係が幸せな形なのかもしれない。
 この年代から、24時間一緒に暮らしたり、お互いの独占欲を満足させたり、法的な権利と義務で縛り合う既存の結婚の形態を最善と考えると、「婚活」には、ますます無理が多くなってゆくだろう。


 それにしても、50代でのパートナー探しを始めた私は、必然的に離婚歴をもつ人達と出会うことが増えたことで、私は、今まで元来結婚には離婚という合法的解約制度が存在する意味を完全に見落としていた事にも気がついた。
 現行の日本の民法の結婚制度には、一般的に、個人が主体性を持って自己責任で選択したお相手と、神様の前で(最近はお互いの肉親や友達などの前で)堂々と終生を共にする約束を誓い合うものであるのに、離婚が可能であるという二律背反が存在する。
 これって、めちゃ無責任で、倫理的にめちゃくちゃな法律なのだけど、その分誰もが、盲目的、或いはイージーに利用しているってのが、現実なのだ。
 婚姻歴を持つ男性のプロフに、「嘘は嫌いです!」と書かれていることをよく目にするのだけど、この言葉に含まれた気持ちを思い量るだけで、結婚を題材にした一遍の物語ができそうだ。


 結婚って一体何なんだろう?
と、真面目な私は、今更にして、ふと考え込んでしまう部分が多い。

 山田先生が造語された「婚活」って言葉がトレンドになり始めて以来、「婚活」ヒートはすさまじいものがある。
 殆どの人達が恋愛結婚する現代にあって、結婚に関する多くのサイトを覗いてみても、恋愛の成就が結婚であるという概念が強烈にアピールされている。
 結婚という制度が法律的に他の異性との交際を禁じていることで、お互いが独占的優位性を保つことができるって部分がクローズアップされる昨今においては、所謂「婚活」という活動自体が、お気に入りの男女の争奪戦であるかのような活況を醸し出している。

 これって、非常に悲惨な状況になってる!・・・と、以前一世を風靡した結婚情報企業を運営していた私の経験から言っても、個人的に争いを煽るような雑言が嫌いな私としても、「婚活」がこのような観点から語られていること自体が、とても嘆かわしい。
 結婚という社会制度を利用することが恋愛の成就なんて短絡的な視点で、独占欲、権力欲や支配欲、金銭欲、性欲・・・様々な人間の欲に執着したがる競争社会の縮図が、結婚によって新たな家庭内にまで伝播するのは恐ろしいことだと思う。

 現実に、新たにお出会いするお相手においても、一体結婚に何を求めておられるのかが、不明な場合も多い。
人生の一大事であると言うのに、恋と愛と結婚をひとまとめの概念として、それぞれの意味も考えることなく、盲目的に結婚を希求する人が大量生産されている。

 
 50代の「婚活」「パートナー探し」がより難しいのは、これからそれぞれの価値観のすり合わせを行うことが、限りなく不可能に近いって問題もある。
 なので、必然的によく似た価値観を持っている人か、脳の機能が若々しくて柔軟性のある人を探すのだけど、運よく見つけることが出来たとしても、恋愛ができて、その恋愛が結婚という制度を利用するに至るケースは、厚労省のエビデンス?においても、僅かな確率に過ぎない。

 ああ、以前、自身が運営に携わっていたブライダルクラブが今あったら、少なくともある程度価値観の近いシングルたちが集えただけでも、どんなに気楽だっただろう・・・と、嘆息。

 30代の未婚の友達が、こんな言葉を漏らしたことがあった。
「『婚活』って行為は、普通の生活をしていたら、振られずに済む相手からも振られるって覚悟が必要なことなのよ・・・そのダメージは計り知れないわ。」
 
 そう、現代の「婚活」は、普通の恋愛とは違って、普通に暮らしていたら振られる所以の無い人からも振られるって言う傷心が常に伴い続ける自虐行為でもある。
 更には、今主流になっている「婚活」ツールを利用した個人的お見合い型式のお出会いでは、それまで見も知らぬお相手と出会うのだから、普通の生活ではあり得ない期待と失望が繰り返される。
 今や、「婚活」鬱、「婚活」心療内科外来なんてのも存在する程、精神衛生上非常に厳しい舞台でもある上に、結果として、友達か、安定した恋愛関係か、婚姻関係にならない限り、全てが自虐ネタになってしまうという物凄く過酷な精神修行の連続だ。
 この点を充分に理解しておられる友達の精神科医は、「婚活」と考えるのではなく、「フィールド・ワーク」と捉ええるのが最適だとのアドバイスをくれた。

 「婚活」においては、お相手と電話で話したり、お出会いした結果、友達にすらなれなかった場合は、究極の期待と失望という不毛な繰り返しが延々と続く。
 本当に「婚活」は、フィールドワークだと考えないと、やってられなくなってくる。 

 それにしても、かつて、この業界のプロフェッショナルの立場にいた私自身でも、自身の「婚活」にこれ程疲れることを思うと、現代の「婚活」という精神的自虐活動を、真面目に根気よく結婚に至るまで積極的に続けることには、宝くじに当たるような確率でのラッキーに比較的早い時期に遭遇しない限り、誰にとっても耐え難い試練であることで、ますます非婚化が進むだろう。



 さて、過日も、心ならずも、期待と失望が私に降りかかった。

 お見合いのお相手は、2歳年上で、武門の誉れと言う家系の末裔で、同世代であるというのに、古式ゆかしく日本男児はかくあるものという高い自負や日本の文化や歴史や美談を、流麗に語られた。
 お写真のイメージより、型っ苦しくて年齢以上に老けて見えるのがネックだったのだけど、日本文化の話題は共通するものがあって会話が楽しめたことで、友達付き合いは可能と思えた。
 お相手は、興に乗られたようで、各地に存在する歴史に名高い一流料亭と名旅館が如何に素晴らしいかというお話や、世界各地の美術館に点在している日本の美術品が如何に素晴らしいかということも、臨場感あふれる会話で披露された。
 お話に感服し賞賛しているうちに、次回は彼のお気に入りの料亭に招待頂く流れになったので、日時の詳細な連絡が来るのを心待ちにしていたのだけど、予定の時期になっても連絡はなくて、これは、私が、お相手から、相応しくない・と判断されてスルーされたのだろう・と、私はその期待外れに肩を落としつつ忘却ポストに入れた後日、一通のメールが届いた。

 慇懃無礼に書かれたメールの内容をかいつまんで言うと、なんともはや、それまでついた嘘の告白だった。
彼は、実は話に出したような料亭や美術館のような一流処に女性をエスコートしたこともないし、する自信がない上に、女性をエスコートする努力もできなさそうで、費用は負担するから、そちらが手配し、私が彼を恥ずかしくないように引率する配慮をして欲しい、今後交際が進めば、先日話したような海外の美術館にも行きたいが語学にも自信はないし欧米への渡航経験が無いのでその計画も私が立てて交際をリードして欲しい、全ての費用は十二分に負担するから・・・、との内容が羅列されていた。

 ???いくらなんでも、これってヒドすぎる。
これじゃあ、恋愛相手や友達どころじゃなくって、援助交際じゃない?!
 私より年上で、社会的にも確たる地位にあるにも関わらず、ご自身が散々ひけらかした自慢話は机上の空論だったなんて、そりゃあ、予約の手配くらいはするし、仲良くなれば計画も立てて差し上げるし、お相手に合わせてエスコートも十二分にできるけど、このなりゆきでは、失敬なお相手の態度への遺憾さが先だって、そうして差し上げるだけの友情も恋愛感情も何も感じるはずないじゃない。
 銘料亭の美味しそうなお食事に釣られやすい私の食い意地の期待さえ、遥か彼方に吹っ飛んでしまった。

 こんな内容を面と向かって言われたら、大いなる失望を露にして、ブラックジョークのひとつでも飛ばして差し上げるのに、今は、メールというツールがあることで、こんな文章が送られて来る時代の変化までもが嘆かわしい。

 この文面に直面した私は、これほど不毛な「婚活」という活動をしている自身に対する嘲笑が込み上げて来て、思いっきり笑い転げた。
 そして、「婚活」における、この種の期待と失望の連続にホトホト疲れ果てている自身を、私は、痛く自覚したのだった。


 そう、私の年代で今時の「婚活」ツールを利用するにおいては、最初のプロフィールによる書類審査で合うかもしれないと思える人は500名に一人くらいしかおられない。
 そして、メール交換をして、お互いに電話で話してもいいと思える人は、20人に1人程度。
電話の会話で、お互いにお出会いしてもいいと思える人も、20名に一人くらいの確率。
更に、お出会いしても、お互いにフィーリングという好みの問題があるから、10名に一人くらいの確率でしか友達にすらなれない。
おつき合いできるのは、お友達になれる方の中で10人に1人おられるかどうか・・・
 これ程の時間と労力を使って、やっと、おつき合いしたい!と心惹かれる人とめぐり逢えたとしても、その交際が結婚に至るかどうかは更に確率が低い・って言うのが、私が今行っている現実の「婚活」事情である。

 これって、最も責任と緊張の連続であった社員採用の面接業務よりも、今の私は、1000倍以上も効率の低過ぎるハードワークを、人生の貴重な時間と労力を使って、期待と失望を繰り返しながらこなしているってことなんだけど。

 都市部では、「婚活」に乗じて、メール交換だけで適当にお出会いの約束をして、日替わりに男性と出会って、美味しい夕食を食べ歩いている女性も多いと聞くのだけど、メールだけで気が合うかどうかも全く予測のつかないお相手との会食に時間を費やすパワーも熱意も私には無いし、そんな遊びにも興味はない。

 そもそも、こうしたお見合い型式のお出会いの仕方が不自然なのだけど、個人的お見合いを自助努力で行う「婚活」ツールを利用しないと、私の年代では、より天文学的確率でしか、同世代との出会いすら皆無なのだ。

 「結婚相談所に入会しては?」「婚活パーティ-に行っては?」と、友達に勧められることがあるのだけど、現存している結婚情報提供業界の内情を熟知している私には、それらを人に勧めることもできないし、ましてや自分が入会したり参加することは、全く考えられない。


 そんなこんなで、ここ暫く続けてきた「婚活」に、かなりくたびれたので、暫く婚活仕事は休眠して、秋が深まるまで、身の回りの仕事をメインにしよう・・・と実生活に専心し始めていたところに、新たに魅力的に見えるプロフィールを掲示した方からのお申込みメールが届いた。
 「婚活」の神様?は、時々、こういうニンジンをぶら下げて、私を再びゲートに立たせようとされる。

 そのプロフィールを確認すると、同年齢。詳しい自己紹介とセンスの良い文章が真面目に書かれてあったし、年齢や価値観の近さも感じられた。既に会社を後進に任せて日々の暮らしに余裕があると記載されているのも最適。今度こそ期待できるかも?
 とは言え、プロフとメール交換で分かることは、お互いの日本語の表現能力と知性くらいで、コミニケーション力や性格やタイプや実際の生活、本人のイメージなど全く分からない。中には様々な巧妙なフェィクも存在する。
 なので、第二段階の電話で会話をするという流れがとても重要になる。
今回のお相手は、共通点が多いにもかかわらず、会話でのコミニケーション力が低い方で、会話のキャッチボールが成り立たない傾向が見られた。
 もしかしたら、鬱傾向にあるのかもしれない・・・と思いつつ、何かしら声のトーンも小さいことが気になって、尋ねてみたら、年老いて心身が弱った親御様と二人暮らしをされているとのこと。
 公的介護は未だ利用されておらず、会社を後進に任せて、ご自身でフォローしているとのことだった。

 そう、50代のシングルのもう1つの問題は、独身の兄弟が、親の介護をすることが異常に多くなっていて、電話で話す10人に3人くらいの割合で、片親と同居介護をしている。或いは、兄弟姉妹が分担して家族内介護をしておられて、公的介護制度を使っていない人もいるので、こうした方々は、親の介護で手一杯になっておられる。
 お節介を顧みず、私は、公的介護制度をフル活用することを勧めるのだけど、彼らのお話からは、これから結婚するお相手の女性に対して、自身が担っている介護を助けて欲しいと思っている本音が、垣間見える。
 彼らは、社会に対して、閉鎖的な家族意識が強く、公共で助け合う社会性が希薄な分を、ジェンダー幻想に固執することで結婚で補おうとしている場合が多いことが実感される。
 
 公的介護制度を利用していた私でさえ、当時、おつき合いしていた方には、自身が自由に外出できないこともあって何かとご不自由をお掛けしたり、ご不審を抱かせてしまって本当に申し訳ないことをしてしまったと思う悔恨が今も多々残っている。
 自身の体調の優れなさの上に、母の介護の手配や心労など自身の身の回りのことで精いっぱいで、本来であればお相手に注ぐべき気遣いや愛情の余裕がなかなか確保できなかったことを思うと、私自身の余裕の無さがお相手を失望させたことも多くあったと思う。
 ましてや、公的介護制度を活用していない状態で、ライフ・パートナーを探そうなんて、基本的姿勢に無理がある。
 今回電話でお話した方の親御様は、子供に戻ったような状態で困っているとの話をされるので、それとなく、公的介護の利用を進めて見たのだけど、異常なほどの拒否の返答があったので、これでは、「婚活」どころのお話ではなくって、友達にもなれないと判断するしかなかった。

 またしても、期待と失望のストレス・・・
 だけど、この程度の期待と失望に、一々落ち込んでたら、この年代の「婚活」なんて、絶対に無理。
ここに挙げた2例なんてほんの軽い期待と失望に過ぎなくって、「婚活」を続ける限り、より強烈な期待と失望が次から次へとやって来るのだから。

 さあ、気持ちを取り直して、次ゆこう!次!
                                                ・・・・・・・・・次回に続きます。
 

 
                                                  

 


お盆の情景~日々の暮らしの楽しみ~

 今年は暑さが長く続き過ぎていて、お盆がお彼岸のように感じてしまう。
ビッグ・ホット・フラッシュからは解放されたものの、エストラジオールの補充から遠ざかると、プチホットフラッシュで目が覚める。

 今年は、毎年のようにお盆に生ける槙の格花を買いにゆくのも、うっかりと忘れてしまった。
ご住職さまがお参り下さる日の前日の夕方に、気が付いて、慌ててスーパーで売られてる花を数束買って、裏庭の花と一緒に、今風のフラワーアレンジメントのように華やかに生けてみた。

 玄関のエントランスの客迎えの花から、上がり間の正面の花、居間の花、そして座敷の床の花へと連なる一連の物語を描いて生けるのだけど、案外今年の物忘れで買い求めた花のイメージが、カラフルながらもいい感じに治まって、一段落。

 お寺さまのお参りには、季節の茶菓子を用意するのだけど、今年はこれも手近なので間に合わせることになった。
 葛饅頭がお好きと聞いていたので、スーパーの茶菓子売り場で葛饅頭を買い求めて、それでは余りにも芸が無いので、手持ちの料理用の金箔を散らすことに。

 暑い季節のお参りをもてなすには涼味が何よりも優先だ。
今年は、真塗の盆に裏庭の葉欄を斜めに敷いた。
抹茶碗は、透明な地肌に白の流れの美しいガラスの平茶碗を。
菓子器には、手びねりの薄緑の釉薬を斑に掛けた蓮の葉をイメージした形のものを。

本来は、お客さまの到着時に出す汲みだし茶碗を、忙しい時節柄に配慮して同じ盆に配することにしていて、これには抹茶の口直しができるように、番茶か麦茶を使う。
今回は、美味しい麦茶が手に入ったので、濃い口にに出したものを冷蔵庫で冷やして、そこに氷を入れることにした。

 抹茶の中に、氷山に見立てたローソンの氷を入れるという景色も真夏の接客時には、よく使うのだけど、これは抹茶だけの一椀で済ませる時には良いにしても、2椀を同じ盆に配する場合は、コントラストを付けた方が美味しく頂ける。

 来客時には、季節に応じて、こうしたもてなし遊びをするのが誠に楽しい。
特に、お正月とお盆や季節の節句は、華人であり、茶人でもあったことを思い出す良い機会になっている。
難しい修行の時期が過ぎた今となっては、日常の中で生きる華や茶を楽しむのがいい感じの暮らしの楽しみになっている。

 かつての茶人さまたちとちょっと違うのは、この殺人的猛暑にあっては、空調をフル活躍させることも、忘れてはならないもてなしの根幹になる。暑い外界から空調の行き届いた部屋で涼んで頂く配慮は、これからの時代欠かせない課題となってくるだろう。

 
 愛犬殺害強盗事件後、私は自身の茶名を門扉に掲示していることもあって、正式な来客には、茶人としてのおもてなしをすることを楽しみにしている。
文化は暮らしの中に生かしてこそ、価値がある。
 茶華道教室も休眠して長いのだけど、現役時代にそろえたお道具は、季節に応じて、とても素敵なインテリアになってくれてもいる。
 母が残した色紙絵を季節に応じて取り換えるのも一興であるし、春夏秋冬に拠って入れ替える様々な季節の設えの幸せは日々の暮らしの中での最上級の充実感と幸福という心の豊かさをもたらしてくれる。

 夜の庭には、防犯灯を兼ねたライトアップが美しい緑を映し出し、蹲に落ちる水音が得も言われぬ安らぎの風情を加えている。
 今年は秋の虫の音が遅いけど、もうすぐ鈴虫やこおろぎの声が聞こえる時期になると、この世の楽園に住まいしているかのような気持ちにもなる。

 
 13日に、お墓に故人のスピリットをお迎えに上がり、15日にお送りするという日本のお盆の風習は実によく出来ていると思う。
毎日、故人のスピリットと一緒に暮らすのは重すぎるけど、年に2~3日くらい精霊がお帰り下さるのは、イメージ催眠による癒し的効果があったりもする。
 スピリチュアルワールドと現世を繋ぐ、暮しの中のグリーフケアとして、これほど最適なスピリチュアルケアは他にはないのではないかとさえ思えてくる。

 とはいえ、こうしたお盆の民俗文化を知る人もごく僅かになって、以前にもご紹介した『しばわんこの和の心』
というマンガの中で、可愛いしばわんこに、人間が日々の暮らしの幸せを教えてもらう時代になってしまったのは、いかにももったいない。

 ネットから派生した「リア充」だとか「インスタ映え」という軽薄さを追いかける人々の傾向は、人を外界へと向かわせる反面、日々の暮らしの幸せは、自己の内面に存在する五感を研ぎ澄まし日常に発露させる心の充実の中に存在するように思う。

 お盆の夜の静謐な時空は、あの世とこの世と行き交うスピリットを感じることのできる幽玄の世界だと思う。

 南無阿弥陀仏と唱える時に、スピリットはそのままお浄土に還るとされる神秘の世界は、お盆やお彼岸や、法事という行事を執り行うことによって、人の無意識の中に深く刻まれてゆくのだろう。

 20世紀の半ば、欧米人から見た日本人観として、宗教を持たずに心安らかに死にゆくことができる民族は稀有であると言われたのは、日常の中に仏教文化が、程よく織り込まれて存在し続けていたことで無意識の信仰心が伝承されていたからではないだろうか。
 現代において、日本人の多くが死を受容し難い現状となったと言われるのは、こうした生活文化の中に融け込んでいた折節の行事の割愛傾向が大きく影響しているのかもしれない。

 父母を見送り、これら儀式を行う自身の心の奥底に、古から続いて来たであろう宗教文化が存在していることを実感する機会が多くなった。
 
 
 欧米に長らく居を置いていた妹のような親友から、久しぶりに電話があった。
若い頃は、毎日のように、私の部屋に寝泊まりしていたくらいに親しかった子だったのだけど、大人になるにつれて、小人の交わり甘きこと蜜のごとくから、今は君子の交わり淡きこと水のごとしのレベルにお互いにちゃんと成長し、お互いにとても心地いい信頼関係にある。

 彼女は、自己沈潜の結論として、シングルを貫く決意をしたとのことで、昨年からとある仏教系の大学院で学んでいると言う。
 彫の深いエキゾチックな美女で、優れたピアニスト&音楽家として活躍する一方で、日本初の大型ヘリコプターの操縦士としても活躍した異色の才能に恵まれた精鋭女史であった。
 骨肉腫を患いながらも、何人かの世界的に活躍する欧州の男性との恋愛も経た後に帰国して、数年前に日本でも選りすぐりの日本男性パートナーと共に暮らし始めたのだけど、日本人男性の精神的な脆弱さと未熟さにはほとほと愛想が尽きたと言う。とはいうものの、これから海外で暮らす気持ちもないと言う。
 それで、彼女なりに沈思熟考した結論として、在家で仏門に入ることにしたらしい。

 思えば、仏教の祖、お釈迦様は、結婚しなさいなんてことは仰っていない。
逆に、孤高を貫くことで現世での悟りに近づけるという観念があり、真の高僧になるためには僧侶の妻帯を禁じる宗派が今も存在する。
 独身であるということは、煩悩を排して、物事を沈思熟考するには最適な環境にある。
周囲の雑音から離れて、純粋に自己に沈潜し、人生や生や死や生きるということについて、哲学的、倫理的な思索を巡らせやすいことだけでも、確かに僧侶としての素養を保ちやすいのだろう。

 彼女は、古式豊かな日本の女性教育を受けた女性であるのだけど、彼女の素養は、日本人の域を超えていたことを自覚して海外で暮すことを決断したのと同様に、人生の旅の途上で彼女は、重大な機縁を得たのかもしれない。


 私自身も、大学時代に受けた宗教学の講義を基礎として、その後、様々な文献を読む機会や実際に修行する機会にも恵まれ続けることが出来たことは、自身がそうした機縁を欲したからなのだろうと思えてくる。
 茶人として禅宗に傾倒したり、巫女として神主になることを所望される程神道に傾倒した時期もあった。山好きが嵩じて山岳修験道にも傾倒したり、恩師の影響でキリスト教にも傾倒した時期もあった。
 世界中の全ての宗教のコアは誠の人間愛であって、そこからどのようにして世界にそれを実現してゆくかというそれぞれの道程があることにとっても興味を惹かれて、幾多の宗教に興味を持ち続けて来た分、自身の宗教観にはさまざまな宗教が混在しているように感じる。
 
 浅学な私には、詳細は分からないのだけど、病後は特に、自身の周囲に流れている大きなタオに意識を向けることが多くなっているのだけど、これは浄土真宗で言う自然法爾とか弥陀の本願を観ずることにも通じるものかもしれない。


 本来であれば、明日の朝、川に精霊をお送りに行く行事は、河川の汚染という環境問題としてのバッシングを受けて、現代では執り行うことができなくなってしまった。お供えものは人間が食して、故人の精霊が帰ってゆかれるのを観ずることで、お盆の行事は終わるのは何だか味気ない。
 だけど、日本のお盆の祀りの中で、あの世に旅立った人達を偲んですごす静謐でゆとりある心の情景が描き出され続けてゆくことは、なんと素晴らしい豊かさだろうか。

   

真夏のエピソード・2・きらめきの季節

 リゾートホテルの白亜の外壁を巡って駐車場へと続くエントランスには、美しいタイルが敷き詰められていた。

真夏の陽射しの中なのに汗ひとつかかずに、制服をきっちりと着こなした門番が、最前方の車近づくと、私たちのリザベーションカードを確認し、厳かに門扉を開いてくれた。

 太陽の陽射しにきらめく白と青のタイルが織りなす模様の両サイドは、広々とした芝生に覆われ、程よい高さを保った街路樹のパームツリーが続いている。
 未だ見ぬ欧州のイタリアを思慕する気持ちが目の前に広がってゆく。

 その日の私は、最後尾を行くベンツのゲレンンデに乗っていたので、一際高い位置から、前方を行く、各種のフェラーリやランボルギーニ十台余りが、豊かな彩色の輝きを放ちながら連なって入ってゆく壮観な眺めを見る機会に恵まれた。
 
 目の前をゆくフェラーリのナンバープレートには、私のお誕生日の数字が刻まれてあった。
この幸せのプレゼントは、長い眠りから目覚めたようなサプライズを私に感じさせてくれた。


 スーパーカーの集いって言うと、自身の身近にある時は、なんだか気恥ずかしくって参加する気持ちになんてなれなかったのだけど、暑すぎる夏のせいで、無性に海が見たくなった私は、ただ、海が見たい気持ちに誘われて、その集いに参加することにした。

 もう十数年も会っていなかった友達からの、心温まるインビティションだった。


 前方を行く宝石のように美しい車たちは、私に、数年前初めてイタリア車を運転する機会に恵まれた記憶を、現実の実感として蘇らせた。

 それは、当時のパートナーが、私たちの会社で購入してくれた車だった。
多くのスーパーカーのオーナーの妻たちと同様に、私はその巨額な価格の車の購入を歓迎することはできなかったのだけど、私宅での闘病中に、彼がその車でお見舞いに来てくれて、初めて運転席のシートに滑り込んだ瞬間、この世のものとは思えない程、言葉には尽くせない感動に包まれた。

 エンジン音の咆哮の美しさと力強さは勿論、車窓の景色の切り取り方まで、日本車とは明らかに違う。
暴れ馬と称されるフェラーリと闘牛のイメージで称されるランボルギーニは、共にスーパーカーと呼ばれるのだけど、それぞれに持ち味が違う。

 これが、ランボルギーニ・ムルシエラーゴなんだ!

 この美しいボディーと内装を纏った闘牛を思わせるパワー。
全てにおいて洗練され尽くしたこの車は、一見高額過ぎるの価格を遥かに上回る至高の芸術品であることを、私は体感した。


 今だからこそ言える事なんだけど、病後の私はヒドイ卵巣欠落症と鬱症状に心身共に弱っていた時間が長かったからか、田舎町の介護のハラスメントや様々なストレス下にあったからなのか、ガンの発覚からこの10年余りの間、何かしら、自身の感覚と記憶が霧の中にあったように感じる時がある。
 鬱病や双極性障害などの気分障害とは発症起転が異なるにしても、かなり重度な同様の症状が微妙に織り交さった、DMSの疾病分類には羅もうされていないとはいえ、かなりシリアスな心身状態だったように思う。

 当時のぼんやりとした記憶が、今になって、突然、リアルな感動をともなって蘇ってきた。

 ジェット機の副操縦席でフライトを楽しませて頂いた時と双峰を成す、人生の追憶の中の至高の経験だった。

 ムルシエラーゴのエンジンの轟と、ジェットエンジンの轟きが、今になって、やっと自身のリアルな感覚として実感された気がした。

 
 ヨットハーバーに隣接したリゾートホテルのカフェテラスの薄絹のシェードに、午後の陽射しが降り注いでいる。
壁面に掛けられた青を基調にした抽象画の統一性が、カフェの時間を緩やかに刻んでいる。

 ゆっくりと揺れる白いマストと、デッキの白いパラソルの海の青とのコントラスト。

 夏を満喫する最上級の空間に、けだるい午後の時間が過ぎて行く。


 カリフォルニアのフリーウェイのドライブを思い出した。
印象派の絵画にも似て、光さざめくサンフランシスコ湾、その向こうに遠く霞む街のビル群のガラスにも夕陽がその輝きを散りばめる、ドラマティックな落日の光景。

 あのアメリカのフリーウェイにも似た北の大地を走るポルシェのエンジン音。
 
  パースからオーストラリアの西海岸を北上するフリーウェイ
藍色の海と赤茶色の大地の素晴らしいコントラストの中に響くBMWのエンジン音。

 エンジンが奏でる音の美しさは、さながら体に響く音楽のようだと思う。

 記憶の彷彿の連鎖は、やがて、20代に乗っていたドカティーデスモとMVアグスタのエンジンの響きをも蘇らせた。
 追憶は更に自身の大学時代にさかのぼって、幾つかの大学の有志が集ったカークラブのツーリングに参加した時のことも思い出した。
 
 あの頃から、私は車が本当に好きだったのだわ・・・
今まで自覚してなかった自身の好きなことのひとつがあることに気が付いた。


  モータースポーツや車やバイクのエンジンの響きに心惹かれるのは、戦時中の学生時代にあって電気自動車の設計研究をしていた工学研究者でもあった父の影響なのだろうか。
 
 最初に乗った車は、父の「翼のついたグロリア」と呼ばれる名車だった。
その車は既に20年の年月を経て、あちこちに傷みがヒドクて、電気系統が故障したり、様々な故障が頻発した車だった。
 初めて私が所有した車も、近所の車屋さんから10万円で譲って頂いた10年以上の年月を経た車で、屋根は無残に剥げてボディーの色も元々何色だったのか分からないほどにくすんだ車だったので、故障が相次いだ。
 最初に、そういう車に乗っていたことで、全く機械オンチの私でも、流石に、故障するとボンネットを開けて、どうにかして修理できないかしら?と考える機会を得ることが出来た。
 当時の私は、外見よりも、ただ、動く車に乗れることが幸せ!だったのだけど、
多分人から見たら、見るも無残!と言える程のおんぼろ車に乗ることを父が勧めたのは、車に乗るならエンジンの構造くらいは自分で学び自分でも修理できるように・という示唆を含んだものだったような気がする。

 バイクも、既に動かなくなったおんぼろバイクをリストアしたものだったから、故障も多くって、その度に私自身で修理して乗るってことになったことで、普通の人よりも車やバイクに愛着が育まれたのかもしれない。
特にバイクに乗っていた時に感じたバイクと私の一体感は得も言われぬ素晴らしい感覚であったし、バイクの心臓と言われるキャブレターを何度か修理して、最後にはもう私の修理能力ではエンジンが動かなくなった時の感覚も、生命の看取りに酷似したモノと生命の一体感があった。

 そうなの。実は、私は車とかエンジンが付いた動くものが大好きなのです・・・
 

 目の前に広がるヨットハーバーの景色もまた、若い頃経験した、ヨットやクルーザーのクルージングの記憶を思い出させる。
 ある朝、ヨット乗りの友達から、
「花火大会があるの。海から眺めてみない?」
と電話を受けて、私たちは海へと向かった。仲間が持っているクルーザーを一艘海に浮かべて、海上保安船の指示に従いながら、一番間近で見た花火の迫力が思い出された。
 ある時は、ヨットかクルーザーでしか行けない内海の島のリゾートに小旅行したこともあったし、ヨットで外海に出た時は、マストのポールの切り返しに頭を思いっきりぶん殴られて痛い目をしたこともあった。
岸で釣った鯵を餌に釣りをしていると、グレが釣れて、美味しい刺身を頂いたこと。
岸による小さなエビをそのままフライにして美味しく頂いたこと。
 ヨットやクルーザーに纏わる楽しい記憶も彷彿されてくる。

 濃厚な幸せ感に包まれた、真夏の時間が過ぎて行く。


 人が眺める景色には、その人の持つ文学や芸術や宗教心が内包され、それらの素養の上に積み重なった年月の経験を重ねる毎に、深く濃くなってゆく。


 感動は、過ごしてきた年月の記憶をともなって、深く濃く熟成されてゆくものですね。
人生で出会う掛け替えのない心温まる友情に、感謝の気持ちを込めて。



 
 


  
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