endometrioid carcinomaから

-10 years after- 卵巣ガン&人生のサバイバル

2012年11月

ようこそ!
シングル・キャンサーサバイバー&シングル介護&シングル・サバイバルライフのブログです。


オレオレ詐欺にご用心!

 秋晴れのある日、文化の日のイベントにお出かけをしたら、オレオレ詐欺の防止コーナーという一角があった。

 一応文化人を気取った私が、書画の鑑賞してると、そのコーナーに参加していた警官がニタニタと近づいて来た。やけに愛想のいい警官がニタリと笑って私の前に立っていた。
「えっ?何?」

「や!こんにちは~ははは^^。あきまへんで。警官のカッコしてるさかいゆうて、警官やと信じたら。
詐欺に遭いまっせ^^。
オレ、よしもとからきたんで~すっ。今日は一日警察官でオレオレ詐欺防止のお手伝いしてま~っす。よろしくお願いしま~っす」
 ベタベタの関西弁でまくし立てられた。
「えっ、そうなんだ~。よしもとの役者さん?」
「テレビ見てないんでっか?オレ、出てまっしゃろ。オレオレオレの顔見たことないでっか?
せやけどオレラ日当3万円で~。ここってケチなんですわ~。交通費引いたらアカでまんがな><」
「あ、こっちは、次長役の歌手でおま。」
 いかにも演歌歌手らしい渋いミドルの男性が睨みを利かせていた。
「わっ。シブ~イですね。」
 その次長役の歌手は、おもむろに警察手帳らしきモノを見せてくれた。
「まった~。本物の警察官かと思いますよ。今日は遠路はるばるありがとうございます。どんな歌を歌ってられるのですか?」と、私。
 彼は、仕方なさそうに、今度は、歌手の名前が書かれた名刺を見せてくれた。
テレビドラマに出てきそうな刑事さんらしい刑事さんなのだけど、この方はよしもとの芸人さんに比べると落ち着いた感じがまた警察署次長らしい風格がある。
「それにしても、今年の企画は抜群ですね~。こんな面白い企画初めてです^^」
 と、そこで、ミーハーなオバチャマ気分になった私は、すかさず彼らと一緒に記念撮影して、何だかご機嫌気分で、オレオレ詐欺防止のティッシュを受け取った。すっかりミーハーモード全開の私は、どんな役者さんと歌手さんなのか、後でネットでしらべよ~。facebookにupかも^^・って、密かな楽しみに浮き立った。

 チラホラと始まっている紅葉に、文化の秋の深まりを感じながら、あたたかな木漏れ日を浴びて、私はゆっくりと、このご機嫌なニュースを楽しみに散歩して、帰路についた。 


 夕刻、私宅に帰って、テレビをつけたら、ローカルチャンネルで、この日のイベントのニュースが流れていた。
「オレオレ詐欺にご注意コーナー登場!騙されたあなたは詐欺に要注意!」というテロップが。。。
 えっ???
 私がイベントで出会った一日警官のよしもとの漫才コンビと、次長役の歌手がいかにも警察官らしい風情で真剣な眼差しで画面から注意を呼びかけている。
 ニュースを聞いていると、本物の警官のコヤツらが、よしもとの芸人と歌手に扮して、イベント参加者に詐欺の手口を紹介していたらしい。

 駄目押しするが如くに、ニュースの最後に画面いっぱいに
「騙されたあなたは詐欺にご用心!」
 という文字が出た。

 あ・あああ・これって、私のことだ~~~
私の直感は完全に麻痺してしまってるみたい・・・

 釣瓶落としに暮れた秋の一日だった。

夜のしじまに

 秋の虫の音が遠ざかって、紅葉の始まる季節が巡ってきた。

 母の容体は、昨年のこの季節と比べて確実に進んでいる。
昨日の精神科医との件があって、彼女の心身の調子の落ち込みが酷い。
殆どの時間床についたままであるが、ヘルパーさんが来られる時は、嬉しそうに微笑む。
 来客があると、どうにか、元気を取り戻すのが救いだ。
 
 よくよく確認せずに、母にその病院への通院を勧めた自責の念に、私自身かなり落ち込んでしまった。
入院時の出来事といい、今回の意味不明な診察といい、ここまでの事態は私には予想できなかった。
 私自身も、未だ、セルフコントロールに難儀をしていることは、母の主治医の院長先生にも伝えていたのに、昨日の診察室での出来事が、悪夢のように思われてならない。

 と・後悔しても始まらないので、新しく、母が安心して受診できる精神科のドクターを探さなければならない。

 私自身がお人柄を敬愛させていただいている先生方を頭に思い浮かべるのだけど、私が知っている先生方は、皆さん母に可能な移動範囲を遥かに超えた遠方におられる。

 心に安らぎを与え、患者を少しでも治そうと思ってくれる精神科の先生に、私自身が会いたくなって、今日は、2時間余り車を飛ばした。
 暖かく明るい光あふれる診療室に繁茂する観葉植物、美しい熱帯魚の大きな水槽、ヒーリングdvdが映し出されるプラズマの大きな画面・・・・・・今日、私がおたずねしたドクターは、普段のご無沙汰も顧みずの突然の来訪にも関わらず、誠の心で、心痛める私の相談に乗って下さった。

 超ご多忙のこの先生に、お忙しい診療の合間のお昼休みの時間を頂くことに恐縮しながらの訪問であったのだけど、彼は、全くの不動心で柔らかい笑顔と真心で迎えて下さり、母の窮状への方策を一緒に考えて下さった。
 あなたもお疲れでしょうから、と差し出されたハーブティーを頂きながら、ありがたさに涙がこぼれそうだった。

 そこには、私が夢見た医療の桃源郷があった。
これが、本当の精神科だと私は心の故郷に戻ったような安堵感を覚えた。

 母が通院するには遠すぎるその精神科の先生から、精神科の医療を受ける時は、直感を大切にするようにとの助言を頂いた。
そして、医師は基本的にずべての科を診ることができるので、母のような高齢者は、敢えて、精神科に受診するよりも、母の日常を最もよく知る家庭医の方が的確な診断ができること、科目は問わずに心ある全人的医療が可能な近隣の開業医に診療を一本化してはどうだろうかというアドバイスを頂いた。
 
 昨日の結果をお伝えしたスーパーケアマネさんも同意見であったことを伝えると、そのケアマネさんは、並みのケアマネさんではないですね。素晴らしい知見をもっておられると感動された。

 問題は、家庭医から、精神的な部分は精神科にと指示されたという経緯があって、現在に至ってしまったということだったのだけど、もうこの経緯は無かったことにして、家庭医にお任せするのがいいという直感がしてきた。

 田舎という地域的な問題が大きいし、自身の健康の回復と社会復帰が必要とされている私には、最初から母の介護には大きな無理があったし、気難しい感情的なドクターとの会話の取り繕いにはもう疲れはてた自身にも気がついた。
 
 念のためにと、その病院で、私は血液検査を受け、結果が出るまでの時間に、とびきり美味しいイタリアンを食べて過ごした。

 結果を見ると、ヘモグロビンが高値を示していた。
現在の所、他に疾患はないし、原因も見当たらない。今までの検査では、このような高値を示すことは一度もなかったことで、ストレスの被爆の過剰が疑われ、私自身に休養が必要という診断を受けた。

 卵巣がんにはストレスの受容体があることを思い出した。

 今の私には、スーパーケアマネさんと出会ったことが何よりもの救いだ。
もしも、彼との出会いが無ければ、私は、母への公的介護渋りに完全にぶち切れて、消息を絶つか、昨日の精神科医の言葉の刃を受けて、友人の知人のように自殺を図っていたかもしれないとも思う。

 今年の旅は、逃避行だったと思う。そこまで追い詰められていた自分を労わる気持ちがやっと戻ってきた。
自らの直感を他人の指示や理性や理屈でコントロールすると、昨日のような災難に遭うのだろう。

 タオを感じるには、自身の直感を信じることだ。

 この厄介な社会の中で、ピュアな直感を最優先に生きるのは難しい。
だけど、それができるような「技法」は存在するし、それを身につけることはできるのではないだろうか。

 この技法を思索し、自身の心を修練したい秋の夜です。

赤の魔境・意味不明の精神科診察室

 最近の私は、旧知の人に先立たれるという訃報に触れることが多い。
あの世とこの世の逢瀬に出会う度に、死と隣り合わせに生きている存在であることを実感し、スピリチュアルな面が清浄されてゆく魂の成長を実感することも多くあるのだけど。
 混沌とした政局もそうだけど、この世の混沌の進行を感じる昨今でもある。

 先日も恩師の訃報が届いた。
与えていただいた課題を果たせないまま、恩師が他界されたことを聞き、なんと不出来な弟子であったかと反省しき
りで、今日の私は哀しさに心傷んで、精進したいと心を研ぎ澄ませていた。

 そんなある日のこと、母親の物忘れ外来受診に付き添って行った。
母の容体は、実際よくわからない。
自己意識の希薄化と、短期記憶の欠落が激しすぎて、会話が成り立たないことが多い。
ヘルパーさんが来ない日は、日常生活すら成り立たっていない様子がある。
 認知障害が明らかに進んでいることを多くの人からも指摘されていたので、その進行が懸念されたことから、彼女の日常の病状の説明の為に付き添うことにした。
 
 以前の検査から3ヶ月間が経過して、以前に主治医から指示されていた通り3ヶ月後の検査の為の受診となったのだけど、その診察室で、またしも意味不明の問題が発生した。

 母は、ウツをベースにした認知症と診断されていて、アップダウンを繰り返しながら、徐々に記憶障害が増していた。
 ところが、精神科の主治医は三ヶ月後にと指示された検査の必要性をすっかり忘れておられたのだ。
それどころか、母と会話した結果、治療関係が成り立たない!と、突然怒り出されたのだった。
その感情の吐露は、患者に付き添った家族としては、絶句するものがあった。
 豆鉄砲をくらった鳩の表現そのものに私は唖然とした。

 確かに母の話には意味不明が多い。
母からは、院長先生とは、話ができると言ってたのだけど、その会話を後ろで聞いていると、反射的に優等生的な返答を繰り返している。おまけに、彼女は、本当に自分の物忘れさえも、日常の奇行さえ忘れているから、何も大した問題はないような話しぶりを繰り返していた。
 普通なら、こんな時は、ドクターはご家族から見た状態はどうですか?と聞くのが常道だ。
しかし、彼は、それも聞かずに、突然、治療関係が成り立たたない!と八つ当たりのごとく怒りの口調でのたわまれた。
 全くもって、スピリチュアルケアーどころの話ではない。 

 治療関係が成り立たないなんて言われては、こうした老齢者の家族としたら、専門家のドクターだからと思って安心して受診しているのだから、診療拒否とも受け取れる。
 仕方ないので、私は母の後ろから、主治医の先生に、ご本人から3ヶ月前に指示された検査の件をお願いした。
ら、この主治医は、その必要性はない。とまで仰り出した。
以前2回行なった検査の結果にアップダウンが激しいので、しても同じことだ!と仰る。ctとmrもしないと言う。
 私に記憶障害はない。スケジュール帳にも3月後に検査の必要を指示されたことが書いてあるのだけど、先生が物忘れされてますよ^^とは、この場面ではちょっと怖くて言えない。

 で、母の異常行動について、その原因をお尋ねしたら、この日は、ウツでも認知症でもなく、「性格」だと曰われた。
「性格」???????
 彼は、精神科医で、老人精神医療の権威である。
その立場にあるドクターが仰る以上、素人が悪口で言う「性格」という意味とは違う、と通常は解釈するべきだ。
もしも、本当に、母が、彼女の性格によって、人間関係や日常生活にこれほど物忘れや支障をきたしているとしたら、彼女は「人格障害」という意味になる。
?????
 医者にそう言われると、特に権威ある医者がそう言うと、実際に母に人格障害があるのかと思えてくる。
しかし、母がこの病院に入院した時に、入院時の主治医は、私自身この部分も懸念して確認したところ、その部分ははっきりと否定されていたのだけど。

 何にせよ、大切なのは今とこれからだ。
 じゃあどうすればいいのですか?と、先生に相談したのだけど、彼はなにかしら感情的になっていて、治療関係が成り立たない!と繰り返された。
 この剣幕の様相は私には意味不明なので対応不能だった。
ドクターハラスメントが過ぎる。ご本人に何らかの疾患があるのか?とさえ思えてくる。
 
 こんな問答の繰り返しに時間を費やす程最近の私は暇ではないし、仕方ないので、今までここで診て頂いてきたのですから、もし、こちらでご無理でしたら、他院をご紹介頂けませんか?とお願いしてみた。
 けど、彼は、できません。と言う。
 そんなバカな!と内心呆れ返った私は、
 じゃあどうすればいいのですか?と尋ねた。
 
 彼の言うことの矛盾が私には理解できない。
崇高な学者なのだからそれなりの意図があっておっしゃていることと思い量ったのだけど、意味不明の発言の連打には、驚愕するばかりだった。
 もしかしたら、彼の機嫌が悪いということなのだろうか。いや、彼は堂々たる院長先生であって、プロとしてその席に座っているのだから、いかなる感情も診察室に持ち込むはずはない。
 沈黙が続いた。

 母の治療への意欲を引き出そうとしているのだろか?
 しかし、これほど乱暴な発言は、患者の心を震撼させる暴言としか言えない。
いくら年長者で、葬送たる立場の院長と言えども、この対応はひどすぎた。
 
 友達の知人が、同じ病院の精神科医から、治療関係の中で心をえぐるような暴言を受けて、その暴言への悲嘆の思いを友達に電話したあと、車でガードレールに突っ込んで自殺したという事件を思い出した。 この病院の精神科には問題あるドクターがいるのは事実だ。
 まさか院長はそうではないだろう・・・と母の院長への所感を私は信じていたのだけど、判断力の弱った母の所感を鵜呑みにしていたことが間違いであったのかもしれない。 


 全くもって、この病院は一体何なんだろう。
人の気を狂わせる何かがありそうな気がした。
関わる度におかしな問題が見えてくる。
その問題に被爆してこちらが調子を狂わされる。  

 赤の亡霊が蘇返ってきた。

 正常な人間はこういう異常な精神病院には近づかないに限る。
こんな奇妙な精神病院にこそ、正常な人間さえ狂わせる何かがある。
と・再び私は、確信に近い実証を得た。

 それにしても、一体この病院は何なのだろう?
前の入院時に頻発した事件といい、今回の3ヶ月後の検査の件といい、
メキシコのティワナという街を思い出した。一度しか訪ねたことはないが、イメージが実によく似ている。
 見かけの愛想の良さに油断すると騙されて痛手を受ける。

 もしも、霊媒師であったら、赤の亡霊が徐々に全ての関係者にとりつき尽くしたのだ。と、言うだろう。
 更に優れた霊能力者であったなら、赤の亡霊の仮面が外れたのですよ、と言う場面だ。

 どこか母をみてくれる病院が必要なのだけど、田舎では病院を選択できないという独占企業化した病院のあり方に大きな問題を実感する。私は母が信頼していた院長先生だけは、私も信頼していたのだけど。
信頼を裏切られた失望は計り知れなかった。
 田舎では、病院を選ぶことが出来ないのが、最もの問題だ。

 その日の母は、さすがに、あの先生あんなこと言わなかったらいいのに・・・と大変哀しそうなつぶやきを繰り返し、家に帰った途端倒れてしまった。
 後ろでこのドクターの発言に被爆した私も、かなりの違和感と義憤を感じた。
 
 確かにその日のドクターと母との会話は白々しく、おざなりで、本心からの母の言葉は発せられなかったと思う。
その場面では、確かに治療関係は成り立っていなかったのも事実だ。しかし、治療関係を成り立たせようとする努力を彼はどれだけしたのかは疑問に思う。
 ご自身が3ヶ月後にと仰っておられた検査もせずに、他院を紹介もせずに、患者を投げ出す言動をされたのは一体どういうことなのだろうかが分からない。彼は、一流のプロであると信じたいのだがご人格が全く見えなくなった。

 それに、こんなに診断がころころ変わるのも 異常としか思えない。

 母が診察室から退席したあと、然るべき説明があると思っていたのだけど、「性格」という言葉が連呼されたことに、私は、もう二の句が継げなくなった。聞いているうちに、なんだか、プロではなくって素人とお話をしているような錯覚にとらわれ、こちらまで感情的に憤慨を感じてきた。

 もしも本当に性格の問題であれば、更に話はややこしい。
性格の問題で日常生活に著しい問題が発生している場合には、人格障害・障害者という観点からの介護の申請も必要となる。
 
 しかし、母に近しい立場では、どう見ても、認知障害が進行しているというのが、妥当な見方だと思う。

 dmsⅣに分類された人格障害の項目は、大概の人がどれかに当てはまる部分があるように作られているように
思う。
 それは、性格の問題で日常生活が営めなくなった人を、障害者として社会的に救済するという視点も含めて編成されたと聞いている。

 年老いる毎に、幼児に帰ると言われる。
性格的傾向の偏りも進むことも多いし、母には確かにその傾向も認められる。
 
 もしも、彼の診断に従うなら、性格の問題=人格障害を治すことは厳しい。だから、治療関係が結べない→彼の範疇ではないし、それを治療できる医師は自分は知らない!というのが、彼が私に伝えたかった本懐なのかもしれないのだけど、それならそうと、ちゃんと話をしていただかなければ、いけないし、それなりの診療もしていただくのが精神科医療というものだ。

 元来、精神科の診療室で、患者側が、これほど、ドクターの心理を推測しなければならないなんて、どう考えても異常だとしか言いようがない。

 精神科の診察室が混沌に陥られるのはとても困る。

 過日、友人が、抗鬱剤の常用でパーキンソン様の症状が出るという難儀に遭っているという相談を受けた。15年近く薬を大量処方され続けていたという心痛む状況を耳にした。一体、精神科診療はどうなってるのだろうという疑問が続く。
 
 この国の行方も混沌として見えない昨今では、あらゆる部分の歪が増しているように思えてなたない。 

 さまよえる患者は一体どこへゆけばいいのか?
 

 腕のいい精神科医の見分け方は、患者側が気を遣わないということが、 最大のポイントだ。
話していて、自分に精神安定剤が必要だと思えてくる精神科医には、医者自身に安定剤の処方が必要だ・というアメリカのエッセイを読んだことを思い出した。

 この国の精神科医療は、概して欧米の優れた精神医療先進国に比べると30年以上の遅延があると言われている。(もちろん、優れた先進的な精神科病院もいくつか私自身も知っているので、特に旧態依然とした病院が問題なのだろう。)

 ガンの治療にも、患者が自分で勉強しなければならない知識は多くあるのだけど、精神という最も重要な部分に関わる医療に関しては、下手な介入や投薬が、患者の人心を荒廃させ廃人や自殺にいたらせるという恐ろしい副作用があるのだから、こんな診療に触れると、患者側が、知識を持たずに素手で近づくには危険が多過ぎると思う。
 特に、今回の母への診療のように、患者を責めたり、高圧的な言動を行う精神科はまず避けなければ、取り返しのつかない状態が予感される。

 20年位前に、友人の医師が、とある精神科病院にかなりの高給優遇で勤務を依頼された面接の帰りに、電話があって、ランチをしたのだけど、普段、とても快活な彼は、ひどくやつれて見えて、心配した私が、何かあったのかと聞いたら、彼は、怒りを堪えながら、その病院の診療体制を語った。「あの病院は、動物園のようだ。人間を人間として扱わない鬼畜の医療だ。あんな病院にはいくら金を積まれても魂を売ることはできない。人間性の問題だ。」
 握り締めた拳が、彼がいかに、その精神病院の非人間的運営に医師として社会的義憤を感じているのかを物語っていた。
 その後何年か経って、彼はとある総合病院の副院長に就任され、素晴らしい精神科の外来をされていたのだけど、もしかしたら、彼が怒っていたレベルの病院が未だに多いのかもしれない。
 
 人間回復の医療に注目されて半世紀が経過したというのに、この国の方向性は未だ精神医療後進国の域を出ないのは、精神科が未だに余りにも閉鎖的だからだろう。
 特に精神科に併設されている老人介護施設は、この旧来の人を人として扱わない思想がまだまだ残存しているように聞き及んでいる。
 
 精神科でも、施設選びでも、同様に、よくよく注意しなければ、人が動物に貶められる危険性は否めない。
 
 母の病状は、その院長の診療を機に更に悪化した様子を見ると、心弱った母の精神に触れる医師は、まず、私自身が患者となって、そのドクターの人格と腕を見定めてからにすべきだと、つくづく思った。
 
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