endometrioid carcinomaから

-10 years after- 卵巣ガン&人生のサバイバル

2013年06月

ようこそ!
シングル・キャンサーサバイバー&シングル介護&シングル・サバイバルライフのブログです。


考察・「アイデンティティー・クライシス」 

 ガンネタは尽きた・・・と書いたけど、ある方のコメントを頂いて、尽きてはいないことに気づかせて頂いた。
ここで、本来のブログに戻って、ガンに罹患していることが発覚してから、自身の心に生じた大きな現象を記録しておきたいと思う。

 ガンに罹患していることが発覚した時の晴天の霹靂に出会ったような衝撃、
その衝撃を受けた私の内面では、私自身の生存(生きているのが当然という意識)に関わる決定的危機が発生した。
ガンという病名に、私が死を連想したこと、それも美的な死ではなく、抗がん治療という悲惨なイメージを纏った死が連想されたことで、私には、さながら、天からの生存への否定を受けたかのようなダメージがあった。
 それは、科学的には、自然というおおいなるもの、宗教的には天或いは神から、突然突きつけられた、私が生きてゆくことへの拒絶だった。
 
 当時の私は、友人にこう語っていた。

「死刑囚になった気分だわ。いえ、死刑囚より酷い。酷すぎる。なぜ私が?こんなに真面目に生きて来たのに。罰を受けなければならないことなどしていないのに!運命は不公平で残酷すぎるわ。」


 自己同一性(アイデンティティー)という言葉がある。
自分が自分であるという絶対的肯定感であり、社会的自己の肯定感でもあるとされている。

 「私って何?」「僕ってなあに?」という哲学的思索が始まる青年期において、人間は、このアイデンティティーの確立に苦悩するとされてきたし、私なりにも、確かにそのようなモラトリアム期間を経験してきたと思う。

 アイデンティティーの確立が語られる場合の多くは、社会的役割の選択や、職業や対人関係において、ある意味外界から規定されがちな自己同一性への納得と肯定が主流であるように思う。 
 こうしたメジャーな社会的アイデンティティー・クライシスの発生機転は、以下のように図式化されている。 

 <他者からの拒否>

<自己否定>
自分 ≠ 自分・・・・「こんな自分は嫌だ。」

<自己探求>
自分 = ? ・・・・「自分は一体誰か?」

<自己肯定>
自分 = 自分・・・・「これが本当の自分だ。」

<他者からの承認>

 
 この図を利用させて頂いて、「他者からの拒否」を、「自然界・天・神など大いなる絶対者からの私の生存への拒否」と置き換えると、当時の私には、それまでの前提が完全に覆される、以下のような大きなメンタルエピソードが起きていたことが説明しやすい。

 <大いなるものからの私が生存することへの拒否>

<自己否定>
自分 ≠ 自分・・・・「こんな自分は嫌だ。」

<自己探求>
自分 = ? ・・・・「自分は一体何者なのか?」

<自己肯定>
自分 = 自分・・・・「そのまま・ありのままの自分でよいのだ。」

<大いなるものからの私がありのままに存在することへの承認と支援>

 自己が生き続けてゆくことが当然と思っていた想定が、「大いなるもの」或いは、人が運命と言う「時空」によって拒絶されたというダメージは、私自身の存在の危機となって、心が錯綜した。

 いつもどんな人間にでも、死はすぐ隣り合わせにあるという至極当然の事実を忘れていた自分のそれまでのアイデンティティーのコアが打砕かれたダメージは計り知れなく大きかった。
 人は、滅多に死を意識しては生きないのだけど、当時の私にとってはあまりにも死は異次元と言っていいくらい遠くにあったのだと思う。

 常に死を思え!という意味を持つmemennto mori という言葉について、以前書かせて頂いたことがあった。
死は常に隣にあるということをリアルに認識できていなかったことが、私のアイデンティティーの脆さだったと思う。

 喉元すぎれば、このmemennt moriから遠ざかりつつあるのだけど、当然のように生命が続いてゆく未来を想定して生きることを前提とした現代社会の人間の生き方・幸せ?の方向性というものと、死を意識した私自身が内面に自覚したmemennt moriの意識とをどのように統合してゆくかという葛藤は、今も続いているように思う。

 死を意識する病気に罹患した時、社会的アイデンティティーも勿論脅かされるのだけど、心の根底において、生存を司る絶対的な自己肯定という深い部分でのアイデンティティーの危機に直面したように思う。
 
 一旦、memennto moriを強烈に意識させられた瞬間から、私の心の中では、今までのアイデンティティーが崩壊し、それまで前提としてこなかった傷病老死を前提として組み込んだ新しいパラダイムでの新しいアイデンティティーの形成が始まったのではないかと思う。

 あの時、自分が生存することを当然としてきた深い部分でのアイデンティティー・クライシスから救ってくれたのは、星野道夫氏のエッセイに表現されているような本来の自然の営みの壮大なパラダイムの自覚であり、自然科学という事実であり、宗教的には弥陀の本願・自然法雨といった魂の肯定だったように思う。

 それと同時に、私のそれまでの社会的アイデンティティーも崩壊し、現在そちらの新生も模索している過程にある。
 
 傷病老死に際してのメンタルエピソードの最たるものは、こうした深層と浅層の両面に発生するアイデンティティー・クライシスなのではないか?と、私は思う。
 
 この両面でのアイデンティティー・クライシスからの再生や新生が妨げられる時、傷病を苦に自殺という途方もなく悲しい方向性に向かってしまう部分があるような気持ちがしてならない。

 
 最初の頃の私は、生きるという意思と、死の恐怖をから遠ざかることで、生存という部分でのアイデンティティーの「回復」を信じたし、それは、再発しないて生きている時間が長くなるにつれて、表層上は「回復」しているように感じられたのだけど、心の奥深くでは、「回復」するだけでは、私は、再発や今後の人生でまたいつかは起こるだろう傷病老死の不安から、逃れることはできないことに気づいていた。それは、人間が人間である限り逃れることのできない根源的恐怖や不安なのかもしれない。

 必要なのは、ただ、ガンから生き延び元の状態に「回復」するということと言うよりも、この部分を根底から組み替えた心のパラダイムを「新生」することなのではないか?
 それこそが、「キャンサーサバイバーの真髄」ではないか?
 私は高僧でもなければ哲学者でも賢人の部類に入る人間でもないけれど、古くからの哲学書や様々な宗教書を紐解き先人の軌跡に道を探しながら、この事実を組み込んだパラダイムの「新生」を育む時の流れの濃厚な豊かさを感じ続けることを、私の持っている脆さを支える心の糧としてきたように思う。

 他方で、長い闘病の時間は、刻刻と変化する時代から、古い自分が取り残されてゆく切迫感をもたらす。
社会的なアイデンティティーも「回復」というよりも、「新生」してゆくものなのかもしれない。

 私自身、それらの「新生」の途上にいる。


 オバマ大統領は、就任演説の中で以下のような内容を語っている。

「この国では、自由は幸運な人だけのものでもなく、幸福も限られた人だけのものであってはならない。

 どれほどしっかりと責任を持って人生を生きていても、仕事を失ったり、突然病に倒れたり、 また、嵐で家を流されることは誰にでも起こり得ることだ。
 医療制度や社会保障制度を通して、お互いに助け合う共同体意識は、私達を強くする。
 こうした制度の完備は、私達を人生の様々な危機から自由にしてくれる。」

 
 隅々にまで行き届く社会制度の充実とともに、傷病や老や死に直面した時に発生するアイデンティティ・クライシスへのメンタル面での理解とサポートが充実する未来を見届けたい。


補足・抗がん治療~予後3年~それぞれの予後

 このブログを始めたのは、ガンのショックやそれに付随する難儀のショックが少々和らいだ頃、3年程が経過しようとしていた時点だったかと思います。
 従って、それまでのことは、トピックス的に記事にしてきましたが、時系列的な経過は充分に記載できていません。ここで時系列的な経緯を再度まとめておこうと思いました。
 
 抗ガン治療後の体調について、・軽微な影響しかなく比較的お元気に過ごされた方・と・重篤な影響を抱えた方・から、ご意見ご質問をコメントに頂きました。

 どのような傷病もそうですが、ガンもその治療後、患者さんの数だけ、異なる予後があるはずです。
私が予後の体調が、良好な部類に入るのか?、そうではないのか?は、総体的な統計無いので、小さなスケールでは全く計ることのできるものではありません。
 良好な方に比べると良好でないでしょうし、重篤な方と比べると良好と判断されるかもしれなく思います。
とはいえ、病気の予後は、本当に千差万別ですので、決して誰かと比較したり、競ったり、慢心したり、卑下するものではないと、私は思っています。

 
 
 私個人の場合、抗ガン治療中は、確か3回目くらいまで、以前の仕事の残務処理ができる状態でした。
しかし、車での通院は運転に自信が無くなり、電車での通院は全く不可能でしたので、「事故るリスクを覚悟するか?」「通院を諦めるか?」という二者選択に苦悩していた時期があったことを覚えています。

 当時私の病院での日課として、外出の散歩やエレベーターではなく階段を使う等、出来るだけの筋力や体力の低下を予防を行っていましたが、その後3回、合計6回の抗ガン治療を経て、確実に体調が悪化し、衰弱し、最後の抗ガン治療が終了した時は、起き上がることも至難な状態で、主治医から、入院の延長を勧められました。
 しかし、入院生活から逃れてたい気持ちが先走り、それを辞退して、退院し、自宅療養に切り替えましたが、その後半年程は、トイレと入浴、食事の摂取以外は、殆ど寝たきり状態でした。
 飼い犬の散歩は、最初は僅か2000歩くらいからでしたが、体調の良い日は、最低限の体力確保のリハビリと思い日課にしていました。

 半年後くらいから1年半後まで、ちょっとした仕事の所用で、都市部に1週間に1度出かける予定がありましたが、体調の悪い日がありましたので、結果的には2週間に1度程だけ、2時間くらいのレクチュアーに参加していました。
 電車で片道1時間半余りの距離であったので、当時はホットフラッシュ全盛期であったことと、全体的な体力の低下によって、その通勤?だけでも精一杯以上の状況で、何度か、途中で、虚脱感に襲われ、倒れそうになったことを覚えています。今思うと、回復への気力が先走っていたものの、当時の私の体調での外出は、かなり無理があったと思います。

 体力の回復は、卵巣欠落症状と相殺されていた感じがありますが、年単位で進んできていたように思います。


 抗ガン治療終了後、約1年後に、筋力の低下から来る諸症状を緩和しようと、リハビリの為にスポーツジムでのトレーニングを始めましたが、これは私の失敗で、微小な負荷でのトレーニングでしたが、その後約1年間関節炎が続きました。
 

 約2年後に、南の島に転地療養に滞在しました。
この時も体調はまだ半分足らずの回復で、飛行機での移動の疲れも出て、半分くらいは、コンドミニアムの自室を中心とした滞在でした。それまで、ある程度使えていた英会話が殆ど使えない自身の頭脳の低下状態を自覚しました。この時点では、まだ、日本語でも会話をすることに少し疲れる感じがありました。

 その後、どうしてもしなければならない諸事情があって、自宅で出来る仕事を中心に約2ヶ月程フルタイムで復帰しました。
が、卵巣欠落による症状はその頃、最盛期?を迎えたようで、私自身は、それは、仕事の過労によるものと思いがちでしたが、今ふりかえると、卵巣欠落による諸症状が最も強かった時期であったのかもしれなく思います。

 私の場合は、治療後2年目に、仕事のひとつを失ったダメージに加えて、母の要介護状態が進行し、重くのしかかってきて、田舎町のありえない公的介護の杜撰さを目の当たりにするたびに、その問題解決の為の難儀な折衝へのストレスが発生していました。
 それまで、かなり社会的に難しいとされていた交渉事もスムーズにこなしてきた私的には、何故、このような簡単な交渉がスムーズにできないのかという自責の念も強く感じていましたので、予想を大きく上回って予後の回復が遅々として進まないことへのどうしようもない強い焦りにとらわれて、デプレッションが入る事が多くなっていたように思います。
 当時から抱えてきた、私の「介護関係者ウツ」は、私が在住する地域の行政の独特な体質の問題であり、もし全く同じ経過でガンの療養中であっても、私が、公的介護が円滑に機能している隣町に住んでいたら、寝たきり状態にあった自身が老母にかけた介護の負担や、その老母をサポートすべき公的介護の不備に関する苦悩は、十二分に社会的にサポートされていたことでしょう。
また、行政に介護保険の円滑な運用を求めることから始めなければならないという普通であれば無用なエネルギーはかなり縮小され、少なくとも、「介護関係者ウツ」と「社会不信」いう精神的ストレスに被爆することはなかったでしょう。


 そして、私は、抗ガン治療終了後、3年後に、このブログを始めました。
それまでは、ブログを書く元気も無い体調であったと言って過言ではありません。

 当時、「ステロイドがセルライトになった!」と嘆いていた体幹の状態も、体力的に負担の少ないヨガがストレッチング等を続けてきたからか、年毎に着実に、以前の状態に略回復してきた感じがあります。
 只、低下した筋肉量がなかなか回復して来ないことと、たるみが気になるお年頃にもなってきてもいます。

 最近、スポーツジムでのトレーニングをごく僅かに再開しました。
今回は、関節炎等の支障はなく、トレーニング効果も一度ずつ自覚できる体調にあって、ゆっくリズムですが、体力の回復に進んでゆけることを期待しています。

  
 病気にさえならなかったら・・・
予後が厳しければ厳しい程、また、周囲の理解が得られない状況下におかれた場合は尚一層、そのような悲しい気持ちに打ちひしがれることが多くなります。

 どんなに健康な人でも誰でも、どんな時でも、傷病に罹患する可能性は回避することができません。
傷病の予後にも、個人によって大きな格差がある。

 私のブログはあくまでも一例に過ぎず、私自身が3年間そうであったように、ブログを書く元気も無い状態でおられる方々の方が、ブログが書ける状態にある者よりも、遥かに多いはずです。

 ネットには、前向きでいいことしか書かないという潮流の中で、私自身も、空元気に書いている記事も多く掲載しています。しかし、現実の日々の暮らしは、ここに書いている程そんなに安易ではないことは実感しています。
 けれど、私には、『人間失格』を書いた太宰治のように、自身の心の暗闇と対峙する精神力も、それを文章として表現できる精神力も能力も筆力もないのです。


 5年以上生き延びていることで、私の歩んでいる予後が良好だと解釈される現状にありますが、日々の体調については、これが良好なのか、不良なのか、スタンダードなのかは、全くわからなく思っています。

 予後の経過は、それぞれの予後がそれぞれにスタンダードなのだと思います。
何度も書いてきたことですが、読んで頂く皆様には、引き続き、個人によって全てに千差万別があるということだけは、忘れないで頂けたらと思います。 

 病気を苦にした自殺者の数は減る気配がありません。
傷病に苦しむ者への社会的な理解とセーフティーネットの完備が進む未来を、私達が作らなければならないのだと思います。

 長いブログにおつきあいを頂いた皆様には心から感謝申し上げますとともに、病気に罹患した場合に実際におきる心身の苦悩を鮮やかに文章にすることは、このブログを書いている私の能力と筆力では、とても及びつかない・・・自身の至らなさを陳謝いたしたく思います。

介護保険破綻を防ぐには?・・擁護されるべき要介護者の社会的人権

 彼らは、巧妙である。

 権力はどの時代においても、庶民を様々な手法で脅迫し追い詰め、権力への迎合と従順を強圧し続ける傾向があるのかもしれない。

 私の在住する地方自治体における公的介護保険の不法な支給渋りについては、このブログであらまし述べてきた。
 その背景で、要介護者の施設への誘導を緻密に画策している。


 ここでは、地方自治体による公的介護における国民への権力の抑圧方法について述べたい。

 我が国の政府の方針は、住み慣れた自宅で最後まで生きることを主眼に、国民の介護計画を推進している。
しかし、私の住む田舎町では、全く逆に、老齢者の施設の利用を推進し続けている。

 介護保険係長と包括支援センター長と、社協とそのケアマネがその施設誘導ケアプランに躍起になっている。
ターゲットにされているのは、在宅でも生活援助を必要とする要介護者である。
行政が、ケアマネの判断という名目で、必要とされた生活援助に介護保険係長が日数制限をかけているのだ。
 それに従わないケアマネには、ありとあらゆる理由とつけて、或いは、行政と社協との密接な癒着関係における、雇用主体の従業員への圧力を振りかざして、本来、ケアマネに委ねられるケアプランを施設誘導型に変更させるのだ。

 仕方なしに、ケアマネは、自分の判断で在宅介護は不必要と判断したと言って、生活援助を必要とする要介護者をあの手この手で説得して、無理やりディサービスに誘導する。
 ディサービスの通所によって、うつ病になっても、介護保険係長もケアマネもその原因が自分のケアプランやディサービス誘導方針が、要介護者をうつ病に追い込んだという事実にすら気がつかないし、家族も、まさかそんなことが起きるなんて予想もしていない。

 生活援助に抑圧をかける、最もたる名目は「老齢者の介護は家族がして当然であるが、それを、行政がやってやるのだ。それは相互扶助の制度であって、必要に応じて使える制度ではない。なので、行政が要介護者に必要最小限のサービスを決めるのだ!」という介護保険係長の独断的文言である。
 彼のこの独断的な、或いは、何らかの意図を持った物言いは、町内の介護事業者全てを集めた会議でも公言されている。

 この町では、要支援認定を受けた老齢者は、包括支援センターが独占してそこのケアマネを付けるシステムになっている。
 包括支援センターは、町長を長とする社会福祉協議会が委託業務を行なっている。
社会福祉協議会は、一般企業という立場であるが、実は、その上層部は、町長や、町役場の天下り職員が牛耳っている。
 勿論、従業員の採用や配置は、町長をはじめとする行政関係者が決定るする。
 故に、社会福祉協議会並びに包括支援センターのケアマネは職員は同じ穴のムジナ状態と言って過言ではないだろう。

 更に最悪なことに、この町では、要支援と認定された人々は、包括支援センターが独占してそこに所属するケアマネを担当させることになっている。
 実質的に、要支援から、要介護に進んだ場合は、この包括支援センターが、その要介護者に、事業所やケアマネを紹介するというシステムが確立している。
 本来、ケアマネや事業所は、要介護者やその家族が自由に選べるとされているが、どこがいいか分からない状態なので、必然的に、トコロテン式に、社会福祉協議会が委託事業としている社会福祉協議会に多くの要介護者が紹介されることになる。
 この状況が延々と続いてきたので、この地域では、他の民間企業は殆ど育っていないし、おこぼれに預かった他の事業所も、介護保険係長の間違った指導をご神託のごとく受け続けているし、行政の誤りを指摘したが最後、その事業所には、利用者の紹介が頓挫したり、無法な指導を受けることになるようだ。

 従って、この町では、町の介護保険運営の方針が、間違っていても、文句を言う業者はいないのだ。


 「生活援助は最小限役場が認める程度しかできない!財政には限りがあるので協力下さい!」
何ども何ども、その文言を、この町の介護係長は要介護者にも言い聞かせるが如く、額に汗をかきながら熱心に弁論する。
 そして、要介護者にその文言を言い聞かせた後で、介護の必要性を要介護者に質問するのである。
その抑圧を前にして、自分に必要な生活援助を主張できる要介護者は殆どいないだろう。 
余程、世間に長けた、心身が元気な?要介護者以外は、遠慮と緊張と諦めで、何もリクエストできなくなるのだ。
 この強圧的連呼が、それでなくとも、第三者への自己主張を慎みがちな我が母を、アレキサイシミア(失感情表現症)に追い込んだのだった。

 勿論、同居家族への暴言や嫌がらせは、先にも書いたけど、常識では考えられないスゴさだった。
私が寝たきり状態であった時、老母が脊柱管狭窄症からくる腰痛と歩行困難で寝込んでしまったときでさえ、その時のケアマネは、「同居家族がいるのだから、週2時間以上の生活援助は無理です!腰が痛ければ、痛み止めを飲めばいい!ガンは末期じゃないんでしょ!」
 同行した看護師の資格を持つというケアマネは、私に言った。
「卵巣がんの後遺症はよく知っています。更年期障害もリンパ浮腫もあるし、いろいろと大変でしょう。でも、無理なことは無理です!お母様と助け合って下さい!」

 助け合って日常生活が保てる状態であれば、誰もヘルプは求めない。
 あの時の私の頭はケモブレインだったし、抗弁する元気すらなく、母と私は、水さえ飲めず餓死しそうになった所を、友人に助けられた。

 どこかの収容所ではないが、衰弱した状態で、何ども何ども同じことを、高圧的に言われると、人は悪質な催眠にかかった状態になる。
 たとえ、、僅かに戻った元気を振り絞り、行政に掛け合っても、「家族がいるのだから」と主張を繰り返される。
何度も何度も同じことを言われると、それが、間違った理屈であること、不法であることが分かっていても、抗弁する気力すら奪い去られてゆく。

 元気な時には、だれも、社会のセーフティーネットを利用すようとはしない。
衰弱して初めて、福祉制度の利用が必要となり、それを探し、求めるのだ。

 その衰弱状態の弱者を虐待し、ヘルパー派遣を渋り、また、ヘルパーの資質の向上には無関心で放置し、その質を最低にキープすることによって、自分の家では充分な介護が受けられない状況に追い込む。
 洗脳された家族は、公的介護が受けられないのは当然と思い込み、或いは、ヘルパーのミステイクについて、要介護者がヘルパーに意思の伝達ができないことにいらだちを募らせ、精神的に介護ノイローゼ状態に追い込まれ、要介護者には施設入所が余儀なくされるという構図が出来上がっている。
 
 このようにして、施設利用に追い詰めてゆくのが、この町の介護行政であり、この町の社会福祉協議会と包括支援センターのやり方であった。

 おかげで、現在、この町の多くの施設はディサービス並びに、ショートスティ、入居、など全てにおいて、人数待ち状態がますます加速し、介護施設は、社会福祉協議会と共に協栄し、ホクホクと巨額な利益を産み続けている。


 ある地方の自治体では、生活援助が行き届いたことで、3つある施設の1つが廃業し、さらに、もう一つの施設も定員の半数の入居者になってきたという。介護財政には余裕があるものだから、その財政を従業員の待遇改善に利用し始めていると聞く。
 ヘルパーの多くをパートから、常勤に変えて、徹底した指導と教育を行なっているという。。

 同じ国内でも、都道府県内でも、地方自治体というものは、その町によって、格差が大きすぎるのではないか?
私の住む町は、間違いなく特殊な町であるので、これは、異常な地方自治体の一例であろう。


 母の要介護が進んで、2年が経過した。

 社協のヘルパーのひとりが、私に言った。
「こんな風に、ヘルパーの派遣が受けれるなんていい時代になりましたね~」

 それが、まともに仕事をしてくれるヘルパーの発言であれば、違和感は少ない。
要介護者とのコミニケーションがとれない、要介護者のニーズに応じたごく普通の料理が作れない、勝手に材料を使い食べれない料理の調理を行い、なぜこのようになるのですか?と尋ねると、材料が無いと言う。
ならば、メニューを言って頂けば材料を用意します・・・と言うと、
驚くことに、私は頭が悪いからそこらにあるもので作るだけで、メニューなんてわかりません!・・・と宣う。
 
 で、「ヘルパーが派遣されるっていい時代になりましたよね。」」とのたまう。
 私は、穏やかに彼女に、語りかけた。
「いい時代ではないのですよ。
これは、都市計画と行政が行なってきた大型店解禁政策が破壊した地域社会の経済と人間関係の助け合いの、ささやかな代替政策なのです。
 かつての小さな商店が大型店の進出によって閉鎖していなかったら、少なくとも、夕食の材料は、商店の配達でまかなえたのです。通いという制度があって、食品店はその地域の台所と、生活必需品の供給を行なっていたのです。少なくとも、現在よりは、その時代の方が老齢者は一人暮らしが自力で可能だったのです。病気になった時もその地域社会の経済的つながりがあったから、不自由することはなかったのです。
 私は、大型店の進出について、それによって予想される地域社会の繋がりの崩壊がもたらす危機の代替サービスの必要性を十二分に行政にレポートし、要請してきました。
しかし、未だに、その代替サービスが正常に機能していないのがこの町の現状なのです。ヘルパーさんの仕事はこの新しい社会を担っているのです。」

 「頭がいい人には敵いませんわ。」
ぴしゃりと言われたヘルパーからのこの言葉を受けて、私は気がついた。

 社協の体質自体が、「してやっている介護」なのだ。
お上の行政姿勢が、もろにヘルパーにまで行き届いているのだ。


 こういう状況に長らく直面していると、現在の介護保険制度のシステムは本管の部分で、機能不全を及ぼしているとしか言えなくなる。


 更に、専業主婦やゆとりのある家族構成の同居家族がいる場合は、この同居家族がいる場合における生活支援すら全く受けられないので、家族への大きな負担が強いられ、ディサービス利用は激増するわ、姥捨て山状態で施設入居を余儀なくされる要介護者も激増状態なのだ。
 
 政府が提示し推進している「老齢者が、本当にいつまでも住み慣れた家で暮せる方向性」は、介護保険の破綻の予防策でもある。
 けれど、このように、地方自治体に浸透することもない現状、そして、介護保険を払っているのに、「してやってる介護意識」がまかり通っている現状を観察するにつけて、一つの提言をさせた頂きたくなる。


 「子供手当て」のように、介護保険の在宅での費用は、まずは、要介護者或いはその成人後見人や家族に手渡されるべきではないだろうか?


 医療保険のように、ケアマネとヘルパー全てが医師や看護師並のレベルとプロ意識を持って、行政の払い渋りの抑圧に屈しない、「してやってる介護意識」に毒されないマインドを持つ日が来ることが期待できない地方にあっては、介護保険制度は弊害が多すぎる。

 もし、要介護者が、主体性を持って、その保険を使うことができれば、生きがい喪失による老齢者ウツは激減する。
老齢者のプライドも良好に保たれ、自分に適切な介護を求めるという社会的な仕事意識が育成される。

 要介護者とヘルパー、要介護者とディケアセンターが、経済的に直接結びつくことで、ともすれば、「お世話される側とお世話する側」「してもらう側としてやってる側」という介護業界の労働者意識の荒廃を予防することができる。
 要介護者の社会的弱者としての立場はケアマネが擁護するという公式を用いることができる以上、、要介護者には、直接的にサービスを買う消費者としての社会的立場が保証される。
 要介護者が、主体的に介護サービスを買うという意識が喚起されれば、どんな田舎の介護業界であっても、その質を向上さざるを得なくなるのではないか?要介護者が気に入れなければ、要介護者がその業者を取捨選択できるようになる。


 現在のように、お上の言うがままの、介護を頂戴する・という図式では、地方自治体に霞ヶ関レベルの行政官と、医師並のケアマネと、家事と介護にプロフェッショナルな腕を持つヘルパーと、より上質で老齢者に啓発的なディサービス運営が無い限りは、要介護者の日常生活の健全性は保護されることなく、施設への追い込みによって、介護保険財政の悪化が進むばかりとしか言えない現状を目の当たりにしていると、介護保険の破綻の一因が垣間見えてならない。

 「子供手当て」の直接受給には、受け取る親の資質によって様々な問題が語られているが、「要介護者手当て」においては、ケアマネージャーがアドバイサーとして配されることで、要介護者の無用な部分への金銭の乱用はある程度予防できる可能性もある。

 介護保険の健全な運営には、地方自治体任せにしないで、要介護者の個人力を活用することが必要不可欠なのではないだろうか?



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