endometrioid carcinomaから

-10 years after- 卵巣ガン&人生のサバイバル

2015年09月

ようこそ!
シングル・キャンサーサバイバー&シングル介護&シングル・サバイバルライフのブログです。


今秋の体調

   月影が美しい季節になりました。
体調はいかがですか?というお尋ねを頂きながら、自身の体調について記録するのが疎かになっています。

 体の声を聞くことを忘れる性格というか、自身の体調に真剣に向き合うと、療養生活に逆戻りしそうなことが恐ろしい気持ちがあるのだと思います。
 過日は疲れが限界に達してしまったので、自身の心身と向き合う為に、久しぶりにリハビリスイミングに行くと、気ままに泳ぐどころか、左腕が挙がらないので、水中歩行で、全身を解すしかなく・・・
 ここまで不自由にならないように、リハビリは継続することに意義があったはずなのですが、現実問題で気になることが多くなると、ある程度回復した現在においては、自身の体調管理はついつい怠ってしまいがちです。
 あと数回通えば、どうにか腕が自由に動くように回復する手応えはあるのですが、母という関所を越えてのリハビリ外出はなかなか自由にゆかないのが難儀です。

 おかげさまで、ガンの予後は穏やかな寛解状態が続いています。
卵巣欠落症状も自覚的には一般的な更年期障害程度に落ち着いてきたように感じていますが、これは、エストラジオールの補充と軽い安定剤と睡眠導入剤の服用を続けていての状態ですので、実際はまだなかなか後遺症状からは回復しきれてはいなくて、今も、エストラジオールの補充を忘れるとホットフラッシュなど体調不良を自覚します。
このあたりは、とにかく一ヶ月くらいどこか安心できる環境で療養すれば改善しそうなので、どうにかその時間を捻出したいと真剣に思い続けているのですが、田舎町では未だに、社協や包括支援の24時間体制の見守りもないし、町長と地域の医師会長が24時間体制は不要!とさえ言い切ってしまった地域でもあり、既に私は故郷の町の改善に関わる労力を自身の人生に優先的に使うことを決断した方向性であることで、こういう地域で母の在宅を続ける為には、自身の体調の快気に自由に時間を費やすことは不可能な日々の暮らしです。

 今服用している安定剤は、整形外科で筋肉の拘縮などの治療にも処方されているお薬で、私自身頚椎損傷の後遺症もある故か、母の介護などストレスや重過負荷も重なっていることからか、なかなか服用を忘れるには至っていません。
 睡眠障害に関しても、現在の生活環境が変わらない限り物理的に改善はできないのが辛いところです。
 多くの睡眠についての定説が正しければ、生活リズムを自身でコントロールできる環境に至ることができれば自律神経の調子も快調に回復すると思われますが、現状では、もはや諦め気分。
 この状態は長く続ければ続ける程、リズムの乱れがパターン化するというのが定説になっているので、かなりマズイと思ってはいるのですが。。。

 大病をした上に母の介護問題が降りかかって生活の再建もできていないことから、少々の余病は気にする余裕なく来たのですが、とりあえずガンからは生還しているものの、いくつかの不調はなかなか緩和しないようです。
 生き続けられることは本当にありがたいことですが、大病を越えて生き続けるのは誠に大変・・・と実感することが多いです。

 ストレスが原因とされる片眼瞼の痙攣。これは、対処療法でボトックスの注射を受けると数ヶ月くらい緩和するのですが、この注射が高額なのととても痛いので、できればストレスの緩和を図りたいと・・・、あと、頸部から肩関節にかけて障害が発症しているのと、あいかわらずの田舎暮らしで余儀なくされる日常の肉体労働が筋筋膜性疼痛を再燃させる状況にも、もう諦めが先に立っています。
 過日、筋筋膜性疼痛だけでもかなりの苦痛を訴える方々が多いことを知って、自身の不養生はもう天性の鈍感ってことか、精神力が強すぎる?とも思いつつ、この状況の中で、できる限りサバイブしているのが現在の日常となっています。

 ちょっとした仕事には復帰していますが、以前のようなフルタイムの仕事への復帰は断念。
この状態を客観的に表現すれば、『闘病療養離職』と『介護離職』の二重苦状態・・・とも思います。
 気持ちだけが焦っていた時期はそろそろ通り過ぎて、経済的・健康的リスクを考えると、既に貯蓄を事業資金として再投下はできない年代にも至っているって現実が容認できるようになったってことかもしれません。
 
 自営業を再開する場合には、事業資金の投入が必要です。
しかし、仕事は再開できても、従前程は働けない上に再発や症状が悪化した場合、投入した資金が回収できないという致命的な難題が大きく立ちはだかることから、ガンを罹患した多くの自営業者が廃業に追い込まれてい
るのが現状だろうと思われます。
 なので、万が一の場合を補填するような社会保障システムが完備すれば、復職のハードルはかなり低くなることから、ガンサバイバーの復職支援において、最も必要なのは、住宅ローンのような万が一の場合を配慮した公的貸付金制度作りではないかしら?と思いました。
 更に、誰もがいつ何時災害や病気や障害に見舞われるかもしてないことを考えるにおいて、あらゆる傷病や不幸をフォローするに適した個別のシステムは作れないだろうことを思うと、基本的によりベーシックなところでの万が一の場合の社会保障を充実させることが、これからのこの国の最重要課題ではないかしらと思います。
 万が一の安心感が無いことが、この国の国民に先進国の中でも群を抜く貯蓄癖を持たせ子供離れできない親を増加させ、いわゆるパラサイトシングルも増加させて、少子化が進行してしまった要因になっていたのではないか?とも。
 西欧のいくつかの国家のように社会保障の枠組みが充実する方向性が、個人をいざという時の懸念にとらわれずに、安心して活躍させ、国家を富ませ少子高齢化を乗り越える基本ではないかしら?と感じます。
 
 とは言うものの、社会保障の将来的な危機感や2025年問題の危機感を現代社会で最も感じているのは、介護や医療の衰退を実感している者に限られているのが現状ではないかと思います。
 安保法案に集中した国民の関心は、地味な医療介護福祉の分野に及ぶことがないままに、2025年問題がやってくることに、弱者切り捨ての社会の進行に懸念を禁じえません。

 三親等以内で頼れる者のいない私の立場においては、現在の社会ではセーフティーネットの網から漏れることも多く、確かなパートナーがいないシングルというマイノリティーであることで、どうしても社会的に解決できない問題が多くあることもいかんともなしがたい現実・・・。

 ここで、天涯孤独な私が第三親等以内の親族を持つ為にすべき課題は、結婚か普通養子縁組で、パートナーがいない間は、普通養子縁組の制度を利用するのがよろしく思うのですが、この制度の利用には、養子になる相手が年若く独身である場合は姓名が変わるという大きな困難があります。
姓が変わることは、その人が若ければ若い程、アイデンティティーの形成に支障をきたしかねず、また、お互いの扶養義務が生じる点においても、結婚同様にお互いの相性や相互理解が必要不可欠であることも難題です。
 この制度を利用するよりも、信頼できる同世代のパートナーを見つけて結婚することを最優先に考えなければならないのが現実なのですが・・・このままでは、心優しく、包容力があって、いたわり慈しみ合える人との暮らしを夢見続けることしかできないのも現実かもしれません。
 こういうプライベートで切実な問題は、自己努力が及ばない部分が大きいことで、ならば、自分にできる社会貢献に繋がることへと、ついつい他に気を紛らせがちなところが私の欠点でもあるのは分かっているのですが。

 ともあれ、私が今私宅にいることが良くないという実感は、もう限界を通り越して、私自身を弱らせている期間が余りにも長く続き過ぎました。
 最初は母を叱ることも多くありましたが、今や叱ったところでこちらの世界に戻ってくる状態ではないので、そこに精神力を費やすと私自身の心身に堪えることに疲れて、現在は諦め気分が先に立って、もう、母はしたい放題言いたい放題の暮らしでもあります。

 片付けたはずの空間を、半日も経たずに母が覆してしまう、捨てたはずのモノを母が元の場所に戻す連鎖に、もはや、私宅の片付けは、母が施設に移住してからしか無理というのも現実・・・
 何度私が意を決して私宅を片付けてから自分の航路を進もうとしても、それは理想でしかなく、理想通りにゆかない日々の暮らしの繰り返しに、更に私が疲弊していることにも気がつきます。
 
 仕事をしたり家のことをしているとそちらに気持ちが集中できることで、自分がおかれている大変な状況から気を逸らせることができますが、これが、私自身を人生の航路から逸らせ続けていて、一体私はいつまでこの繰り返しから脱皮できないのかしら・・・と、溜息もしきりです。

 我が不出来な兄弟は、後先を考えずに行動する決定的な欠点を持った人でしたが、それを補填するかの如く、私は余りにも後先を考えすぎる決定的な欠点を持っていることが、ほとほと情けなく思います。

 思い立ったが吉日に恵まれるには、私の場合はプライベートでは計画性や責任感から脱皮して、時には思いっきり向こう見ずに行動できる実行力を持つことが大切・と、思い至る秋の日です。

 私の心身の調子と現状はそんな感じで、全てにおいて何よりも私宅を離れることが最優先課題とすべき時期に至っています。

 予定としては来年にならないと無理だろうとは思うのですが、これ以上、意識的に自身をコントロールしたり、コミットメントしたり、チャレンジすることで誤魔化し続けて忍耐すると、またしてもガンに限らず何らかの心身症を発症してしまいそうな限界地点にいることを実感しています。


 こちらのブログは、私が罹患した卵巣がんという罹患患者さんが少ない病気の一例の記録として始めたブログでしたが、愚痴ブログになって久しい状態で、読んで頂く皆様には申し訳なく思っております。
また、ブログの更新も気まぐれになりがちなブログに多くのアクセスをいただいていることに、心より感謝申し上げます。感情的なコメントも頂くことがありますが、それらも、私がこのブログを続ける原動力になっていることに感謝しております。

 最後になりましたが、再度、ガンも介護も、それぞれに異なる事情や背景、病状や予後がある、ひとりひとりによって異なる、個別の個性を持つ事柄ですので、私の経験は、私にしか当てはまらないものであることをご理解賜りたく思います。

 また、折に触れこちらへの記録も続けたく思っております。 
 
 皆様におかれましても、深まりゆく秋に実り多い季節となりますように。
秋の味覚も美味しくなりますので、美味しいものを少しづつ食べて元気を養って下さいますように
季節柄、くれぐれも、あたたかくしてお過ごし頂きますように、
 ゆっくりまったり生命を繋いで生きてゆきましょう。

 
     
 

 



 


『介護離職ゼロ』?への具体案・1・配食センターの完備

 介護保険制度ほど二転三転して悪化する制度は他にはないと思えるほど、とんでもない方向性を持って手薄になりつつある感が否めない。

 根本的に医療介護への財政支出の割合が低すぎることもあるけど、制度的な問題は、ソフト面での手抜かりと行政の工夫の無さから派生しているとしか思えない実態を経験してきたことで、じゃあ、どうすれば、介護保険制度が充実し、介護家族の負担が減るかという道筋だけは、明確に分かる。

 母の介護に際して、最も必要不可欠と実感したのは、食事の提供である。
現在のヘルパーで、平均的な料理ができる人はごく僅かしかいない。
また、調理師資格もなく、外食産業での調理従事経験もない人が食事を作るのは衛生管理面でも問題がありすぎる。
 なので、私が、最初に地方自治体に提案したのは、給食センターの完備だった。

 既に学校給食や施設での給食が完備しているのだから、それを拡張することで、全町を羅もうする配食を可能にできる。その予算は、毎日12時と5時に煩い時報を鳴らして、台風などのいざという時に何ら情報提供をしない防災無線塔に費やした予算の半額程度で可能だ。
 栄養士もいるから、ある程度のバラエティーに富んだ配食サービスを行うことで、介護現場は画期的に稼働しやすくなる。
生活支援のヘルパーが調理を行うのに必要としている50分の時給が約2300円程であるので、そのうちの500円程を弁当代として実費負担として、配給代を一件100円としても、在宅介護の財政にも必然的にゆとりができる。さらに、介護家族の分も購入したり、病気やケガで食事が作れない時に一般家庭からも注文できるシステムにすれば、尚経営が潤滑に機能するし、町民全てが安心して暮らせるまちづくりができる。

 こんな素晴らしい発案を実行しないとは何事か!?と怒ったことまであったが、介護保険を管轄する保険課長は、大いなる誤魔化しに終始した。

 このあたりには、私の故郷の町の介護保険施設との強烈な内部癒着が横たわっていることが、こういう現実的な解決案を推進しない原因となっていて、もうこれは、警察や司法絡みでの改善しか方策が無かったのだけど、未だに敵は尻尾を出していない様子でもある。

 こうした具体的効果のある政策を中央が推進してくれたら、田舎町の体質も変わるのだけど。


 一方で、、特養利用者を減らす為に財源を投入すべき在宅介護において、ここ2年ほどの間に、要支援の人たちへの介護を老人会やボランティア団体に補助金を下ろして、即席ヘルパーを作って賄うという政策が現実化する。
 これにも、実に弊害が大きいことは誰が考えても明らかだ。
 その教育期間はなんと、1~2日の講習で、時給1000円以上の私たちの税金が給与として支払われることになっている。
 今でさえ、優秀な人材が少ない介護の現場で、昨日まで井戸端会議のおばさんであった人が、レベルの低い講習を受けて、突然介護にやって来られたとしたら、一体現場はどれほど混乱するだろうか?
個人情報の流出は勿論、在宅での虐待や手抜きがどれほど蔓延するだろうか?
介護は、軽度な時点でどれだけ真面目に専門的観点を持って、介護環境を整えることができるかどうかで、その重篤化への進行速度が決定するし、ある程度悪化が防げると実感している。
今でも、素人さながらのヘルパーが多いことで、本来は刑事事件になるような水面下での問題が続出状態なのに、これ以上介護業界が素人レベルに落ちたら、ますます介護環境は悪化し、犯罪の巣窟となりかねず、介護度が急速に重篤化する要介護者が急増することは明らかだ。

 おまけに、それが私たちの税金を使っての生業として行われるに至っては、もう、国家のレベルダウンも甚だしいとしか言い様がない。
 私は、ボランティアという言葉は好きではないが、任侠心と義侠心に裏付けられたボランティア精神は素晴らしいと思うし、ヤクザじゃあるまいし、その精神は決して金銭で売買してはいけないと思う。 ボランティアにも実際の活動費用は必要だけど、それ以外は結果的に提供されるもので報酬を受けるという前提がある以上は、プロとしてその報酬の10倍以上の成果を社会に提供することで現在までのこの国の発展が成り立ってきた。
 この在宅介護方針が正しい教育なく現実に稼働し始めると、ますます人の心も荒廃が進んでしまうだろう。

 現代は、大型スーパーの解禁によって、経済的基盤で日常生活の助け合いが成立していた地域社会が崩壊した時代であることは既に記載した。
 昔の「御用聞き」や「通い制度」で維持されていた地域の台所はもう復興することはない。
しかし、現在ある学校給食システムや、施設の給食システムを拡張し、給食センターと配食を完備することで、その地域の住民の健康的な食事を賄い、配食を行うことで、1日2~3回の見守りまで充実させることが出来る。
  
 厚労省れべるで、自助、共助を考える時に、何故、人間が生きてゆく為に必要不可欠な「食事」について具体案を示唆されないのだろうか?
 『介護離職ゼロ』というキャッチコピーの裏側に、政府に至るまでいわゆる介護貴族との癒着が存在するのだろうか?

 私自身、要介護の母と共に、餓死しかけた経験者として、介護担当行政官各位に、これだけはポイントとして押さえて頂きたいと思う。

『介護離職ゼロ』?の構図

 「『介護離職ゼロ』を目指して、特養施設の増設を行う」という指針を、我が国の政府が打ち出したというニュースを見た。
 いくらなんでも、このキャッチコピーは酷すぎる!!!と思わず絶句してしまった。 
ニュースの中身を見ると、本来このキャッチコピーは、「介護の為に仕事を辞める人をゼロにする」という意味で作られたもののようなのだけど、コピーライターの倫理としても論理の展開としてもここまで酷いコピーは言語道断が過ぎて、ブラックジョークとしか思えない。

 介護業界の離職率の高さが抜きん出ていることは周知の事実だ。
現存する老健や特養の人材不足は深刻で、フロアが閉鎖されている施設もある。当然、介護従事者からは、介護職の離職ゼロを目指した職務環境の改善などの政策のキャッチコピーだと速解される・・・と思ったら、案の定、様々な懐疑がsnsで飛び交っている。

 この人材難の状態でいわゆるハコモノ・特養施設を増設するなんて、一体どこから人材を集めてくるのだろう? 
 それに、特養の待機入居者をゼロにしたところで、家族の『介護離職』は減るものではない。

 自身が母の介護に関わって長年が経過し、同様の介護家族の方々のお話をよく伺う中で、そもそも、『介護離職』は、決して特養の不足によって生じるものではないのは常識だ。
 介護保険の改訂で、現在、特養に入れるのは、要介護3以上の方々に限られている。
多くのご高齢者の方々は突然要介護3になるのではない。
徐々に心身能力が喪失して、年数をかけて要介護3に至る方が大半である。 
介護の為に離職されるご家族は、介護家族が要介護1状態の時期に最も多く発生する。

 何故かと言うと、家族の心遣いから言えば、要介護1~2状態の時が最も困惑と困窮の極みなのだ。
そこで、家族が四苦八苦してでも在宅介護の専門職を充実させることに成功すれば、その後の介護度の悪化はある程度遅らせることが可能であるし、家族は仕事を離職しなければならない程の難儀な状況は避けることができる可能性が高まる。

 つまり、最も放っておけない状態が1~2の段階にあって、この間に想像を絶するような様々な問題が発生するし、この間の微妙な変化をまだ大丈夫だと思って、介護専門職と名乗るだけで基礎知識も身につけていない一部のおバカなヘルパーやケアマネや介護認定員や介護保険係なんぞに任せておいたら、我が母のように大金を無したり、衣服を遺棄され身ぐるみ剥がされて、家族は自分の仕事どころか、日常生活まで成り立たなくなるし、介護関係者うつ病に罹患する。
 更に、この時点で、家族が努力しない場合は、余程恵まれた地方自治体で優れた介護専門職に偶然めぐり合うことができなければ、的確な介護認定を受けることができずに介護難民になるという重大問題が発生する。
 ここが、介護家族にとっての本当の最大の離職理由なのだ。

 つまり、ご高齢者が病気や事故で突然要介護3状態にならない限り、一人での生活が不自由になった段階から『介護離職』なるものが発生する訳で、要介護3になるまで一人で放っておいて、要介護3になって『介護離職』する家族は物理的に滅多に発生しないのだから、このキャッチコピーは明らかに作成者のアエロニーだとしか言えない。

 それにしても、一体誰がこんな酷いコピーを考えたのだろう???
2025年問題にもはや打つ手が無いことが明白となった政府関係者の限りなく本音に近い皮肉が露呈してしまったのだろうとは思うのだけど、もう少し人間として、倫理的でマシなコピーは思い浮かばなかったのだろうか?

 それを堂々と語る前に首相自らが、こういうキャッチコピーを何故採用したのか?

 ごく普通に考えて、こういう真面目であるべき問題に関して、真面目にキャッチコピーを作るとしたら、「特養待機入居者ゼロ」が、冷静かつ分かりやすい表現だ。

 なのに、『介護離職ゼロ』と嬉しそうに堂々と首相が発表したに至っては、もう、現政権担当者の心の病巣の深さが感じられてならない。

 私たちが直面している2025年問題がいかに重篤で解決方法が無いと認識されているかが、露呈したキャッチコピーに感じられてならない。


 福島原発の爆発以降、特にこの国は、度が過ぎるポジティブシンキング傾向に汚染されているかのようだ。
原発の爆発は小康状態でおさまってるとはいっても終わったわけではなく、日々莫大な放射能の放出は続いていることは全ての国民が知っている。多くの人たちが被爆してしまったし、更に日々新しい作業員たちが被爆者となってしまっていることも否めない。だけど、放射能という人間が作り出した怪物は誰にも手懐けることはできないことが明らかになるにつれて、誰しもが、その恐怖を無意識の次元に閉じ込めて、もう終わったことのように振舞っている。
 どうにもできないことに直面した人間には、悩んでも心が病むだけだから意識に上げないようにするという自己防衛本能が働く。
人生においても、多くの人々が様々な精神的負債=ストレスを抱えながら、実直な人であればあるほどそれを様々な方法で、心理的には昇華という言葉なども含めてして誤魔化して生きてゆかねばならないって現実に際して、ストレスのコントロール方法が必要となるのだから、国家レベルの問題としては、国民的パニックを避ける為に、同様の危機回避は必要不可欠でもあるという意識が強く働いているようだ。

 政治家は、国民に夢と未来の希望を与える役割を担うのだけど、余りにも現実乖離したアジテイトは危険過ぎる。それでなくとも、日本国民は、自立心が弱く依存心が強くて、洗脳されやすい傾向が顕著なんだから。。。
まさか、特養を増設することで、介護家族の離職がゼロになるなんて言葉を信じる人間はいないだろうけど、もし、いるとしたらこれまた恐ろしい。
 
 どうしても、このキャッチコピーが使いたかったのなら、介護専門職の職場環境の改善・人材確保とレベルアップを同時に行い、在宅介護の充実政策を打ち出すべきだ。


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