endometrioid carcinomaから

-10 years after- 卵巣ガン&人生のサバイバル?

2016年07月

ようこそ!
シングル・キャンサーサバイバー&シングル介護&シングル・サバイバルライフのブログです。いつ死ぬかもしれない・・・と思いつつ生きてきた10年が過ぎて、完治?宣告を頂きました。こんなサバイバーもいるってことで、掲載を続けることに。余命が長くなったように、文章も長~いブログです^^

「家族」という名の国家支配・ハラスメント草案/2/

 憲法草案の異常さについては、語るに尽くせないものがあって、こんな草案について真面目に論ずるには、自身のレベルを下げなければならないトラップに引っかかるようで誠に情けない。

 中学生であっても、国語能力が50点以上あれば、この草案の異常さが解ることが,日本国民として、本当に恥ずかしい。
 この草案を話題にすること自体が、恥ずかし過ぎるし、内閣を筆頭にした草案作成者のお名前を拝見するに際しては、ただちにこの草案を日本の政治史から削除して頂くのが、得策だと思えてならない。

 そりゃあ、こんな草案を出したら、世界各国が日本を変に思うだろうし、中国や韓国からの日本バッシングが燃え盛っても当然だったと、草案が出されて2年後の今になって気が付いた私はかなり時代遅れなのだと思うけど。

 このような草案の論旨が、万が一まかり通るなら、この国は北朝鮮のように、国家の与党となる政党に権力が集中し、私達国民が彼らの奴隷のように従属を強制される国家になり果てるでしょう。
 憲法草案自体が、憲法違反ではないか?国際人権条約にも違反している!と私が直感した感想を分かりやすく法的に説明されているサイトを見つけたので、リンクさせて頂きます。 
http://satlaws.web.fc2.com/0140.html
 ぜひ、皆さまにご賢察頂き、こんな草案を提示する内閣が出す憲法改定案など、これからどんなに校正しても、草案に表された底意地の悪さには変わりないことを忘れないようにして、私達の人権を奪われ、足かせをはめられることのないように、皆で監視してゆきましょう♪


 以前、9条については何度か記載したことがあったけど、最大の問題である9条だけではなくって、法的な専門的知識を持たない私にも、この草案にはまだまだ、突っ込みどころがありすぎる。

 この草案の欠陥を全てブログで指摘するなら、24時間かけても足りない。
突っ込むことに時間を費やすよりも、日本語が使える人なら、誰もが24時間もあれば、この草案よりマシな対案を十二分に作成できるだろう。

 野党から代案が出ていないのは、多くの知識人やマトモな政治家たちが、阿呆らしくて相手にもできないし、余りにも稚拙な草案すぎて、話題にすることによって、世界に注目されたら大恥をかくと思っておられるって配慮も大きいようだ。

 なので、おバカな私が、もうちょっと突っ込んでおきたいと思う。


 少なくとも、ガンサバイバーとして、介護家族として、専門分野のひとつである人間の心理や精神的社会病理の観点から、最も異常だと伺われる点、24条に象徴されるこの憲法草案で使用されている「家族」という言葉についてだけは、徹底的に叩いておきたい。


 先ず、憲法の前文に、
「家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。」
という、とんでも文言が登場している。
 更に、24条では、
「1 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。
などと宣っている。

国家を形成する自然かつ基礎的な単位は、誰もが熟知している通り、ひとりひとりの国民=「個人」であるってことは、揺るがすことのできない自然の定理である。

それを、こともあろうか、不自然にも、家族が自然かつ基礎的な単位!と宣うことから、草案の24条は、権力欲と支配欲の守銭奴的な国家の支配者と化した者どもが、自分たちに支配しやすい国民の在り方の妄想語りに終始する呪文の如き駄文となっている。

明治政府は、一般庶民に「家」意識を植え付けて、税金を取り立てる為の戸籍を作った時代背景について以前こちらのブログでも記載したのだけど、この部分には、それどころじゃない思想的殺人犯と同様の異常さが感じられて気持ちが悪すぎる。

民主主義社会において、「公」とは、「個人」の集合体であることも、言うまでもない。
ブルネイのように国家がしっかりお金儲けをしてくれる国ではなくて、我が国は、個人の年金も目減りさせるような経営下手な国であることも事実であるのだから、私達ひとりひとりの「個人」のお金で経営され維持されていることだけはしっかりと肝に命じておかなければならない。

特に、こちらのブログで以前、介護関係の記事に対するコメントに、「公的介護は『お上のお金』を使っているのですから・・・」などという、中学校の勉強も真面目にしていなかったような人の発言があったことを鑑みると、私達一人ひとりが国家を養い育てていることだけは、全ての人々に自覚して頂かねば、私達すべてが、「個人」が支払ったお金で運営している「国」の奴隷となりかねない。


お話を戻して、24条で語られている「家族」という概念は、決して「自然な基礎単位」ではなく、続く婚姻についての説明で明確に憲法で規定された「権力によって規定された単位」であることに注目頂きたい。
「2 婚姻は、両性の合意に基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」

この文面は、「両性の合意にのみ基づいて」とある現行憲法から「のみ」を外しただけで殆ど変わりはないが、「家族」の発生源となる「婚姻」が日本では、憲法にまで法文化されている。つまり、日本では「婚姻」は先に法的社会制度として存在し、その後に「家族」が生じるのであるから、「家族」は、社会における法的規制の中にあることは明らかである。


言う間でもなく、「婚姻」や「家族」の概念は、国は地方によって、あるいは時代によって異なる。

我が国でも、武家政治が誕生する以前の平安時代などは多夫多妻の最盛期であったし、武家以外の一般庶民社会では、1970年代にキリスト教文化のロマンティックラブが流入するまでは、現在のようなリジッドな嫉妬心は忌避され、より寛大で人間愛に近い多夫多妻的な繁殖形態が残存しており、現在でも残存していることも言うまでもない事実である。
また、アラブの国は現在も一夫多妻制であるし、フランスでは結婚制度自体が崩壊して脱家族化することで、個人間の友愛に近い人間愛の関係の発展によって、少子化が多産の方向へと回復を見せている。
アメリカにおいては、性別を超えた婚姻の自由化と精子バンクや養子縁組の日常化で、少子化傾向が改善していることも事実だ。
原始に近い生活形態を持つ新興国の一部では人類の繁殖の形態はより多彩であることを見ても、「家族は自然な社会の基礎単位」ではないことなど、誰にでもわかる常識だ。

にもかかわらず、「家族」を「自然な社会の基礎単位」とすることは、思想統一とも言える危険性が余りにも甚だしい。

また、憲法において、家族は社会の基礎単位と明言した場合、先のリンクサイトの説明にあるように、社会保障が家族にお仕着せらる上に、国民がその出自による差別と格差を受け続けることが自然と規定されることになる。この結果として予想される国民生活の危機については、先の記事で述べた通り。

・・・・ここまで書いて、こんな叩けば粉々になる叩き台にもならない草案を出して、未だに、たたき台として議論することを求めるような政府の姿勢が、本当に、どういう所存なのか?と・・・これ以上書くのがバカバカしくなってきた。
 これじゃあ、まるでウガンダの大統領とさほど違いはないのではないかと遺憾に思う。

 もしも、「家族」を基礎単位とするようなおバカな草案がまかり通れば、間違いなく、日本は滅びる。
政府関係者やその利権関係者以外で優秀な遺伝子を持った殆どの人達が海外に移住するし、特に、優秀な女性が子供を残すことはますます無くなり、今でも惨憺たる教養レベルに落ちぶれたこの国の頭脳は、もはや救いがたいまでに低下を余儀なくされ、永遠に日の目をみることのできない、アジアの辺境で衰弱してゆく国となるだろう。

 少子化の原因が、どこにあるのかも分からないような愚鈍な政府であれば、心から阿呆としか言いようがないし、原因を分かっていてもなお、「家族」で括りたいのだとしたら、税金取り立てと福祉医療介護教育財源の出し渋りの妄想狂としか言いようがない。

 この、あり得ない憲法草案は、がん細胞と同様に可及的速やかに切除しないと、確実に日本国の命取りになる。
 こんなの通るはずがない・・・
確かに私もそう思う。だけど、官僚は優れた頭脳を持っている。最悪のシナリオは、この駄文が官僚たちによって、名文に校正されて、正当化され、私達の目を誤魔化してその趣旨が通過することだと思う。

 暫く、国民が真面目に政府を監視し監督するか、それが面倒なら、全てに反対するという選択肢を持つことが安全策と言えるだろう。

 それにしても、なんという無様な政府の体たらくなのだろう。
危険が危ないとでも書きたくなる気分!


 


 

皮膚がんの手術の記録

医大での対応は素早かった。

形成外科の担当医の先生に、速やかな切除手術を私はお願いした。


良性であったとしても、自分の皮膚にどんどん色素沈着が広がってゆくのは絶え難い恐怖がある。
治るものであればいいけど、多くのシミがそうであるように黒子やシミというのは増えることはあっても自然治癒力で治る可能性は低そうだ。
レーサー治療が効かない場合、大きなシミになってからだと手術範囲が大きくなってさらに大変なことになる。

3か月で8ミリから12ミリ、一連の経過から急速に悪性化している場合を懸念した私は、周囲から2mm離しての切除範囲とされていたのを5mm離した方が安全ではないだろうかとお尋ねした。円周を大きくすると傷跡が大きくなるのでぎりぎりの所で3mmに決定。その分、最も早急な手術をお願いしたら、2日後に手術予約がとれた。

以前の卵巣ガンの手術時もそうだったのだけど、細胞分裂は二乗で進むことを思うと、私にとっては、待ち時間が何よりも辛いので、素早い手術の予定が本当に有り難かった。


待合室でのひとりでの手術の待ち時間は妙に緊張して長く感じられた。

付き添いを頼むことも考えたのだけど、私はいつもどうしても人に気を遣う癖があることを思うと一人の方が精神的には気楽だと判断した。


局所麻酔なので、頸を挙げたら手術の様子を自身で見ることができる。

先ず、レモン型に(円く切り取ると端っこの皮膚が犬の耳のようになるドッグイヤー現象が発生するとのことで)切り取る範囲が皮膚に描かれた。ちょっと大きめにメスで切開された問題の皮膚は生検用に採取された。

人の表皮の下には黄色い脂肪組織が存在する。これが、ガバリとレモン型に開いて目の前にあった。

こんな鮮やかな脂肪組織を見たのは久しぶりだったし、自分の皮下組織をこんな風に見ているととても奇妙な感覚に捉われた。
「私の意識は肉体に住んでるんだ!」っていう感じ。私は心霊主義ではなくて、肉体は物質だという感覚。
以前、御他界された亡骸を解剖実習させて頂いた時、鶏肉をさばいた感じがしたことを思い出した。
生きている人間の肉体は血色があるので、牛肉や豚肉に近い感じがする。

看護師さんから、

「地を見るのは怖くないんですか?」と聞かれた。

そりゃあ怖いけど、怖いなんて言ってる場合じゃない。手術を自分の目で確認しておかない方が怖い・と内心思いながら。

「はい。」と答えたら、

「医療関係職になったらよかったのに。」と。

「ああ、既になってます。」

と、その後の話は、夏休みの話になって、執刀中のドクターの先生も交えて、以前よく行ってた南の島の旅の話ですっかり盛り上がって、話が一段落する頃に傷は閉じられた。



自分の肉体の手術を見るのは始めてだった。

これは、確かに本当に怖い経験だった。

通院手術はとても疲れるってことに気が付いたのは、30分余り車を走らせて帰宅してからのことだった。

傷口に痛みを感じた時に、私はその日に処方されたお薬をもらい忘れて帰ってしまっていたのだった。

再度の往復・・・これは本当にギリギリの精神力だった。
病院のエントランスに車を留めて、「外来手術をしたのですが、薬をもらい忘れて。。。」と守衛さんに話すととっても親切に車を誘導してくれて、介助が必要ではないか?自分で帰れるかどうか?と心配してくれたのが有り難かった。
無事自室にたどり着いた私は、そのまま倒れ込んだ。

2時間程眠って、ホットフラッシュで目が覚めて、シャワーを浴びた。



傷跡には卵巣ガンの手術と同様のテーピングが半年必要となる。

また、同じ期間が始まることがどうしようもなく憂鬱になった。

体中にある黒子やシミが異化しないかと不安になって、ひとつひとつ確かめていると、ますます不安がつのって、ノイローゼになりそうになったので、思考を停止することにした。


こんな手術は二度と思い出したくない経験なのだけど、二度と無い希少な経験になることを祈って記録しておきたいと思います。


こういう時は、メールは疲れる。
誰か、話ができる人がそばにいてくれるか、話し相手がいたら、どんなに気が休まることかと思った。

今回の手術も、多くの友達や先生方のご厚情に支えて頂いたことに感謝の気持ちでいっぱいです。 


 


 


 

期待と失意のストレスからの立ち直り方

 ブログへのおつき合いを頂いている皆様に改めて御礼申し上げます。
 先日の記事に、「そんなのずっと前から知ってる、暗い話題ばかりになってる」とのご指摘が・・・

 とはいえ、毎回の国政選挙であ~あ~!と思う私には、予測される憲法変更の国民投票でもとんでも事態が起きてからでは遅すぎるという老婆心が先走ります。

 皮膚がんのショックもさることながら、それ以上に、憲法草案全てに今更にして目を通した私のショックは、もうとんでもなく、その文面を最後まで読むにも羞恥を覚える気分は語るに尽くせないものがありました。
 いくらなんでも、日本国民として生きて来た私には恥ずかしすぎる・・・人間だれしも言いたいことはあるけど、時の与党の見解は、私のブログの愚痴レベルに等しい程ボロボロにならずに、もう少しは、例え見解の相違はあったとしても、少なくとも日本に誇りを持てる文面にしてから出して欲しい・・・と。

 自身に発生するがんは自身の細胞なので、自身の精神内である程度は対応できても、政府からのとんでもハラスメントとさえ思える改憲草案は、がん細胞以上に、私の精神をヒドク落胆させるものでした。
 ある程度の奇妙さは感じてはいたものの、まさかここまでヒドイとは・・・一体この国はいつの間にこんな国になったんだろう・・・と。

 このまま放置すれば、少なくとも憲法草案を読んだ時点で、誰しもが、私と同様のショックと異常さを感じ反対票を投じる・・・ それゆえに、このまま放置した方がよいという政府の奇策が働いていると推測したいところですが。この際、前文の一部は、私個人の意見として変えた方がいいと思う所もあるし、変更するなら、国家と国民が選出する代表者の義務も分かりやすく言及されたしところでもあります。

 それにしても、ここまでヒドイ文面はありえない・・・
真面目に物事を受け止め考える私には、ポケモンGOに夢中になれる人たちが本当に羨ましく思える今日この頃です。

 この草案をぶつけておいて、もう少し落胆の少ないのを出せば、変更の衝撃が緩和されると思惑しているのか?
 もしも、国民がこの草案に違和感を持たないようなレベルであるなら、国民は国家がより厳重に支配しないと日本が滅亡すると思料しての発案か?
 はたまた、政府は憲法改定を行う姿勢を見せてはいるけど、実は、国民の合意は得られないことをある意味期待しているのか?

 ここまで来たら、推理小説の次元のようです。


 生きてる限り、期待と失望の繰り返しは続くのでしょう。
失望は辛いですが、期待は夢でもありますので、違った方向での期待を持つと未来の夢は描けるようにも思います。

 それにしても、期待と失望の落差の激しさには、誠に疲れます。


 最初にガンが発見された時、私の脳裏は真っ白になり、青天の霹靂に、人生の全てを失った気持ちになりました。
 平均寿命まで続くと思っていた人生が突然遮断された衝撃的な失望がありました。今回も同様の精神状態を味わっています。
とはいえ、生きていることは死ぬことと隣り合わせにあるという現実は生命である限り真実なのだと思います。

 それが自然と自覚しなければならなくなって、やがて、生きてること、ただそれだけの素晴らしさを実感する幸せを感じることができるようになる・・・
 がんという疾患は、今ここに生きていることが誠に素晴らしいという実感をもたらす不思議さがあるように思います。
 心のどこかに、今ここで見ている景色は最初で最後の景色であるのかもしれないという覚悟ができるにつれて、日々の暮らしで目にするごく日常的な光景が、再び、こんなに美しい光景を見たことがないと感動するほどまでに、輝き始めます。
 愛する人がいるならば、その人と見る景色の感動はさらに素晴らしく輝くことと思います。


 人生に意味を見出すことは案外、とほうもない危険を孕むものかもしれません。

 権力欲&支配欲の権化のように国民の反感を買う憲法草案を読んでいると、憲法を立法府が改定しようとする行為自体が矛盾であり、現在のこの国では非常に危険な行為ではないかだろうか、とも思います。

 日本の成長期の頂点であったバブルの時代に、私も、憲法の一部を改訂するべきではないか?と考えた時代がありました。
あの時代の日本人は世界のナンバーワンであり、世界をリードしてゆく気概と自負に溢れていた時代でした。
もしも、本気で憲法を改定する所存があるのであればあの時代が最適であったと、私は、思っています。
年若い私の視点からも、投票率の低さを見るたびに、国民一人ひとりがこの国を作っているのだという自覚をそろそろ喚起し誰もが自分自身がこの国の国家運営のスポンサーであって舵取り役でもあることを自覚しなければならないことは明らかだと思えたし、特に前文のあたりに記載された戦後に終止符を打つ時期が来ているという直感を強く感じていた時代でした。
 だけど、当時は、そんなことは私の独り言に終わり、話題にもならなかった。


 こんな所で代案を語るのは不如意ですが、 憲法草案は、ユニークな個性を無理に打ち立てようとするものではなく、少なくとも世界の中に存在する日本という国家を語るものであってほしいと思います。

 「日本国民は、『和』の心を大切に平和を愛し、世界平和の実現に貢献してゆきます。ひとりひとりの国民が、国家を形成しているという自覚を持って、個人の自立と自由と人権を守る為に国家が機能することを監護します。」
 せめてそんなイメージが盛り込まれた文面であれば、国民は再びこの国の政治に夢を見ることも可能になるかもしれません。

 投票率が低迷していることは、アナーキズムや無責任もあるでしょうが、沈黙による批判の反映かもしれません。国家が国民によって成り立つ国家である為には、投票率の向上に務めること、せめて国民の代表者を選ぶ選挙では、全有権者の70%以上の投票率を必要とするようなメッセージも必要と思います。

 問題は、今回の都知事選挙のように、選びたい政治家がいないと言われる事態が続いていることでもありましょう。

 もしも現時点において、憲法を改定するのであれば、何よりも先ず第一に、立法府のあるべき姿、国民の代表がどうあるべきかを、厳格に規制する憲法を作るのが急務であると思われます。
立法府の暴走が可能となって、時の権力者が作りたい法律が自由に作れることになるような案は論外であり、何よりも選びたいと思える政治家に出会えない時代が続くことが、最もの国民の喪失であることを織り込むべきと思います。

 暑さ厳しい季節、エアコンでの冷房での体の冷えからの不調が相次ぐシーズンでもあります。
夏に?と言われることがありますが、冷えた足元には案外ホッカイロが役に立ちます。

 
 この暑さが和らぐ頃には、社会情勢も落ち着きを取り戻すことを祈念したいものですが、やはり海外逃亡が良さそうにおもふ今日この頃・・・
ともあれ、この世相にはほとほと疲れます。



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