久しぶりに英語でメールを書いた。
日本語よりも英語の方が、何かと話しやすいから。

自分が普段使っている言葉って、なんて不自由なんだろうと、思う時がある。

Ten years I lost.
Dear beings had gone.

 英文学から離れて久しい私には、この英文が正確かどうかは分からないのだけど、思いつくままに
書いた途端、涙があふれた。

 自分自身の為に涙を流すことを、なんて長い間、私は忘れていたのかしら

 凄まじい空虚

 シェクスピアの場面が蘇った


Tomorrow, and tomorrow, and tomorrow
Creeps in this petty pace from day to day,
To the last syllable of recorded time;
And all our yesterdays have lighted fools
The way to dusty death. Out, out, brief candle!
Life's but a walking shadow, a poor player
That struts and frets his hour upon the stage
And then is heard no more. It is a tale
Told by an idiot, full of sound and fury
Signifying nothing.
 

明日、また明日、また明日と、
時は小きざみな足どりで一日一日を歩み、
ついには歴史の最後の一瞬にたどりつく、
昨日という日はすべて愚かな人間が塵(ちり)と化す
死への道を照らしてきた。
消えろ、消えろ、 つかの間の燈火(ともしび)!
人生は歩きまわる影法師、あわれな役者だ、
舞台の上でおおげさにみえをきっても
出場が終われば消えてしまう。
白痴のしゃべる 物語だ、
わめき立てる響きと怒りはすさまじいが、
意味はなに一つありはしない。



 今まで目を逸らしていた空虚が、目の前に広がった。

 デカダン・・・心の底に置き忘れていた甘美で退廃的な世界
もう、随分長いこと、私はそこにいるのだと・・・



 私は、自身を感じることを、なんて長い間忘れていたのかしら、、、、、


 以前、医療職に在った時に、
「体の声に耳を傾けて下さいね」
と、患者さんたちに語り掛けていたことを思い出した。
もう1つ大切なことは、
「感じるままを大切にそのままに感じて下さいね。ありのままが良いのです。」
という語り掛けであったのではないか。

 からだの声や自身をそのままに感じるこ取ることは、とても難しいことだと思う。
そうするには、何かしらの防御を外す必要があるように感じる・・・
 自身を守る防御を外すには不安がつきまとう。
臨床での医療職は、ある意味、患者さんにどれだけ防御を外して頂けるか、或いはその防御の中に入らせて頂けるかで真価が問われる。

 
 季節は一目散に夏に向かっている。

裏庭の草刈りをしていると、数年前に見つけた時は1株だった自然生えの白いシランが5株に増えて咲いているのを見つけた。
自然は確実に季節を巡りながら、幾多の存在を育てている。