久しぶりに裏庭の草刈りを始めた。

 私の裏庭は、正確には、河岸段丘の南斜面に位置し、段々に畑あり、雑種地あり、山林あり、私宅の屋敷を取り囲むように崖になってる原野もありで、総計2000坪程の扇状に広がる丘陵地域だ。
 日本庭風に庭師さんが整えてくれる前庭は20坪程、中庭も40坪程しかないことに比べても、裏庭は限りなく自然に近い。

 体力と母や愛犬の他界後気力も衰えた私は、今は、家の周囲を維持するだけで精一杯なんだけど、学生時代から自身で開拓した元祖自然農法とも言える野放し畑や、裏山へと続く丘陵に野放しの花たちや果樹などの空間を維持している。病後、自身や友人達のメモリアルツリーとして果樹や桜を植樹した中で、30本に1本くらいが根付いてくれた。

 秋の青天に、家の周囲に近づく原野を屋敷から遠ざけるかのように、草引きや草刈りをした。ふと、見上げると、屋敷の北側を囲擁する常緑の樫木の上に欅の美しい紅葉が空に広がっている。

 なんと満ち足りた幸福な時空であることか・・・・・・
外界から、隔絶された自然あふれる世界が、ここにあったことに気がついた。
ここは、主要駅まで、徒歩ほんの5分にあるのだけど、周囲を自然に守られ、誰の目も気にせずに、自由に暮せる空間だ。


 思えば、この屋敷は、祖父の代に始まった。
祖父は事業家であったのだけど、当時は、自給自足が基本だったから、広い田畑を従えた広い屋敷が一件建てられ、その周囲に事業所や従業員さんの住まいを建てたと聞く。
 戦争で多くを失くした祖父は、子供達にこの屋敷と屋敷の価値相応の負債を譲って他界した。
その一部を、その価値相応の債務と共に譲り受けた父は、母とともに現在の屋敷を維持し、やがて訪れた宅地開発ブーム時に、裏の丘陵が無暗に開発された場合、美しい山の緑が消えるだけでなく丘の上方にあ住宅の建築が進むと屋敷を覗き込まれるというリスクを懸念し、この丘陵の南斜面を買い取った。
 私の祖先たちには、「子孫に美田を残さず」って言うジンクスを死守し、相続する子孫には相続者として相応しいかどうかを計る試練を与える家訓でもあったのか、私もまた、父の他界時に、不出来な兄の連帯保証の債務を支払うことを引き換えに、この屋敷を譲り受けたのだった。

 この屋敷を譲り受けるか、相続放棄するかの決断を迫られた20数年前、多くの人たちが、私が相続することを止めた。債権者も止めたし、相談した家庭裁判所の担当官や精神科医でさえも。
「他の相続人は相続せずに、あなたがひとりでこの負債を相続して、もしあなたご自身が病気などで倒れたらどうされるのですか?人生にはいろんなことが起こります。」
債権者の中には、当時は、私が妙齢の美貌の最高機にあったことで、しげしげと私を見て、「あなたには、働かずにもっと楽に生きる人生が似合います。もったいないです!債務を引き受けることは止めて、ご結婚されてはいかがですか?よいお相手をご紹介させて頂きますから。」とまで言われた。

一方で、母や親戚は、私が屋敷を相続することを当然と主張した。
故郷の旧友たちは、私を励ます集いまで開いてくれた。

 しかし、大切なことは、自分の人生で最も重大な決断には、専門家であってもどんなに信頼関係にある親族であっても、親友であっても、誰もが野次馬に過ぎないってことだ。

 私は人生で初めて、すべての人の意見を完全に排除することにした。

 あの時の私は、父と言う抑圧から解き放たれて、とっても自然に自信に溢れ、晴れやかでクールな心境にあった。それは、その後、発揮することになった自身の実業家としての理知的素養と直感が初めて起動した瞬間だった。

 個人的感情を一切度外視して、都市部にマンションの一部屋を買うことや、新興住宅地に新居を構えることと、この家屋敷を購入することを比較した。
 バブルが崩壊し、不動産価値も下落していた。投資という観点からは、既に少子化が始まっていた時期にあって、都市部のマンションや駅から起伏のある道路を10分以上も歩く必要のあるハウスも田舎の屋敷も早晩、価格崩壊が必須と、私は見通した。

 これからの住まいは経済的価値を生まない投資となるのだから、純粋に自身の好みと都合と感性で判断するのがいい。
では、自身の人生の住まいとして、同じ対価を支払って、見た目はトレンディーでゴージャスに見えても、所詮、人工素材に囲まれたほんの40坪程のコンクリートの小さな部屋か、ほんの100坪程の地面に組み立てられたプラモデルのようなハウスに過ぎない物件は、人生に一度の買い物としては、私には満足できないと直感した。更に、駅から徒歩5分程の至便な立地にある現在の屋敷と同程度の至便さを考えた時、ますます前者の面積は極少になってしまう。
 そんなモノと、この豊かな自然あふれる3000坪程の大地を比較すること自体が馬鹿げたことで、即座に私はこの屋敷を買い取ることを決断した。


 これ程の素晴らしい屋敷は、どれほど大金を支払って願ったとしても、手に入れることなどできるものではない・・・と、私は改めて実感した。
 
 
 やがて夜のとばりが降りて来た。
周囲から人の気配が去った静寂の中、足元で焚火がパチパチと音を立てて燃え盛る。

 こうした焚火さえも、五月蠅い近所があったら、できはしないだろう。

 アウトドアチェアに腰かけて、炎を見つめていた私は、サツマイモを入れるのを忘れたことに気が付いて、立ち上がり際に、ふと、視線を空に向けると、降るような星たちが煌き始めていることに気がついた。

 こういう日は、家の中で夕食を作る気分にはなれない。
焚火クッキングと洒落込むことにしよう♪
台所で、サツマイモとジャガイモをそれぞれアルミホイルに二重に包む。
あり合わせの野菜と鳥のササミにはハーブサルトとバターを添えて、これもホイルで二重に包んむ。
 これらを焚火の下の方に出来たふわふわの灰のあたりに埋めておくと、やがて美味しい夕食になる。
11月の夜は寒いから、アウトドア用のダウンを着込んだ。足元を温めるブランケットも。

 いい感じで燃える焚火の火加減を調節しなから、星たちを眺める。

 先ずは、ジャガイモ。これは、ナイフで十文字に切り目を入れて、中央にバターを入れる。普段はオーブンで焼くのだけど、焚火で焼くと物凄く素敵な秋の香りが、お口の中にふわりと広がる。

 まだ僅かに響く秋の虫の音・・・・・・満点の星と焚火の世界の食卓で味わう自然の美味は、得も言えぬ幸せに満ち満ちている。

 メインディッシュのホイルを開くと、カリフォルニアハーブが香り立った。
程よく焦げた玉ねぎの香りも芳しい。ふと、思い立って、檸檬の木に実ったレモンの実を一つもぎ取って、これを櫛切りにする。
 レモンの香気があたりに広がる。レモンの香りはカリフォルニアハーブの香りにもぴったり合う。爽やかな酸味が美味しい。
 焚火に新しい枯草と薪を加える。

 こういう時のBGMには、スマホのユーチューブが活躍してくれる。
懐かしい70~80年代のアメリカンmusicが最高。
このあたりで、カントリー・ロードなどが流れ始めると、もうこれ以上の世界は無いと思えてくる。
 
 そう言えば、アメリカの中間選挙は、反トランプの意志が示されることになった。
かの国の魅力は、何よりも日本とは違って、一人一人が実際に行動するっていう国民の自立心の豊かさと分かりやすさだと思う。
 オリビアニュートンジョンのカントリーロードを聞きながら、古き良きアメリカンの思いとグローバル化が進む世界の潮流に思いを馳せた。
 そう言えば、この数十年の間にカリフォルニアにはヒスパニック系の移民が随分増えた様子。

 ラ・バンバという歌を聴いてみる。これはメキシコ民謡を原曲とした実に陽気な歌で、ラテンの明るさがとびきり楽しい。ティワナへの小旅行を思い出しながら、まあ、日本で言うと、かつての大阪のミナミの街にも似ているかも?・・・・
 で、次の選曲は、大阪~桑名正博~カリフォルニアが遠ざかる・・・・・大学時代にこの歌に導かれるかのように渡ったカリフォルニアで過ごした数か月は人生で一番楽しい月日だった。
 と、ここまで来たら、次は、カリフォルニアシリーズしかない。カリフォルニアの青い空、花のサンフランシスコ、夢のカリフォルニア、カリフォルニア・・・・・そして、ホテルカリフォルニアから始まるイーグルスサウンド

 これって、自身で、とびっきり幸せな退行催眠遊びをしてるみたいな気分になる。
つまり、年齢を重ねるってことは、幸せな追憶をすることで、人生の幸せをより強く再現することが出来るってとんでもない才能?が備わるってことなんだと思う。

 この心豊かで充実した幸せな時間を過ごせる楽しみに、私はすっかり嵌ってしまった。

 ネットサーフィンならぬ、音楽サーフィン感覚で、サーファー・ソングを聞いてみる。
めちゃハックなサーファーの動画を見ていると、足にサーフボードの感覚まで伝わって来るような感じがする。

 ああ、ラグーンの海に旅したい。。。
カネカ・ミュージックを聞いてると、ニューカレドニアのフランボワイヤンと小鳥たちのさえずりの世界にいる気分になった。あの町のローカルの友人達は、今、どうしているのだろうか・・・

 心が年老いるのはヤだけど、年齢を重ねると心が豊かになるって言うのは、こういう感じを言うのだろう。

 今夜のデザートは、とろっとろの安納芋。
室内では、スプーンで掬って食べるのだけど、こういう時は、外の皮をむいて、そのままガブリと食べる方がいい感じに美味しい。

 ロッド・スチュアートのセイリングに、エメラルドグリーンの海に思いを馳せていると、アイム・セクシーが流れ始めた。続きはディスコミュージックがいい。
 ダンシング、怪僧ラスプーチンまで登場してくる頃には、久々にディスコに踊りに行きたくなってきた。

 そうだ!し、今手掛けてるプロジェクトのモデルハウスで、ディスコパーティーを開こう♪
あの建物は、パーティーにはおあつらえ向きだ♪
 と、プロジェクトを真面目に推進されてる参画企業の皆様にはヒンシュクを買いそうな楽しいビジョンがひらめいた。
 だけど、ヒンシュクを買おうが、人生、ここまで来たら、私が楽しいことをするのが一番素敵!
クリスマスには間に合わないけど、寒いシーズンにこそ、ディスコ・パーティーがいい♪


 BGMを消すと、物音ひとつしない完璧な静寂に包まれた。焚火はそろそろ下火になっている。
大きく伸びをして、私は再び星空を仰いだ。
澄み切った大気と澄みきった静寂・・・・・至福の世界がここにある。

 焚火の炎と匂いが、人間に備わった本能に感作するのだろうか・・・この幸せは、一体何なんだろう。

 バイクに乗ってた時期、私は、気の向くままに奥山へ、ソロ・ツーリングに出かけるのが好きだった。
 単気筒エンジンの響きの心地よさ、ハングオンの無重力感、シールドの中に入って来る清々しい空気と様々な香り。真っ暗な大自然の懐を風のように走って、家路に向かう時に嗅いだキンモクセイの香りは、里が近いことを知らせてくれた。
 藁ぶき屋根の集落のかまどや風呂から立ち昇る薪の燃える匂い。草刈り後の焚火の匂い。


 欅林に抱かれた大地を背中に、南を流れる川に沿って広がる田舎町に目を移す。
都会の夜景と違うのは、田舎の夜景は、星の光を邪魔しないように、お行儀よく、もうすぐクリスマスがやってきそうな感じで可愛い灯りがひとつひとつちゃんと独立して灯ってるってことだと思う。
 かつてそうしたように、ひとつひとつの灯りの中に、それぞれの暮らしがあることに思いを馳せてみる。

 人間って存在は、実は、私はそんなに好きじゃない。
何かと気を使うし、小五月蠅くって、面倒が多い。
だけど、大自然の香気を思う存分身につけて、人里に帰還する時、私は、人間という存在が、ほんの少しいとおしく感じる。

 オリオンが東の空から頭上に昇る頃まで裏庭の焚火の前で粘り込んだ私は、ようやく、今日の労働を終えて、家の中に戻ることにした。
できれば、そのまま星を眺めながら、寝袋で寝てしまいたい所だったのだけど、11月も半ばになるとここでもテントが必要なくらい冷え込むし、そのうち、そういう暮らし方もアリになるかもしれないのだけど、流石に、未だ、私宅の裏庭で寝るのは、ちょっ滑稽な気分がする。

 暑めのお風呂にお気に入りのバスソルトを入れて、冷えた体が温まってゆくのもいい感じ。
バックルームの窓を開けると、秋の香りが流れ込んで来た。
バスサルトの香りが何とまあ人工的に感じられることか。

 多くのアウトドア仲間たちが、そろそろ自分の家に薪ストーブを設置する年代になったように、 30代まで原生林の奥山で楽しんでいたソロのアウトア・ライフを、屋敷内に持ち込む幸せは誠に心地よい。


 そう、元々、私は人間界に長く居ると、原生の森に帰りたくなる習性を持っていたのだ。
都市部で仲間と祝宴を楽しんでいるその時にも、私は、無性に自然が恋しくなって、寝袋とちょっとした野外グッズを乗せた車を5時間程飛ばして、人ひとりいない原生の森に帰り、この上のない幸せな時間を過ごした時期があった。

 故郷の屋敷は、丁度、都市部と大自然の中間地点にある。気が向けば、両方の美味しいとこ取りができる。
そして、我が家は、最も日本の林業が栄えていた時期に建てられた最上級の心身に心地よく優しい木の住まいでもある。良い材料や巧の技がふんだんに使われた美意識あふれる家屋なのだ。

 地球環境の視点からも、この屋敷で暮していること自体が完璧なエコ生活。
自身が消費する酸素と排出する二酸化炭素のバランスを十二分に地球に還元しているっていう、人類としての、最大の貢献を、私は日々行いる続けているのである。


 思えば、余りにも周囲の人達から、広い家に一人では寂しいでしょう・・・・・・と言われサブリミナル効果が、私を孤独だと思い込ませていたのかもしれない。余りにも長い間、人間社会に適応し過ぎていたサブリミナル効果も絶大だったのだと思う。

 今、振り返ると、私が寂しいと感じていたのは、一人称の病気や死という孤独を紛らす方法を見つけることが出来ない寂しさであったり、社会的な栄光や職業が私から遠ざかってゆく寂しさであったり、最も活躍していた時期の自分が社会から忘れられてゆく寂しさであったり、恋人との別離であったり、母が遠ざかってゆく寂しさであり、愛犬が遠ざかってゆく寂しさだった。
 大病に罹患したことが発端となって健康を失ってしまったことは余りにも大きな喪失だった。何よりも未来や人生の指針が描けなくなったことが辛かった。
 それらの巨大な寂しさは、万物流転を忘れて、万物不変に慣れ親しみ過ぎた自身の魂の喪失の悲しみであったのだと思う。

 今、大自然に抱かれていると、一体私は何を寂しがっていたのだろうと思う。
随分長い間、私は大好きな大自然から、自身を切り離して生きて来たように思えてくる。
自然界から切り離された人が、人の中に生きる人間になった時から、孤独や様々な人間関係のストレスが発生したのだ。

 一人で、この広大な屋敷に住まいしていることは、日々の家事労働量の膨大さを除けば、本来は、これほどの幸せはないってことだった。

 マンションにでも引っ越したら?と心配してくれる人達もいるけど、今となってみたら、あんなコンクリートの箱の中の人工素材に囲まれた狭っ苦しい空間に閉じ込められること自体が、私にはかなりの苦痛をともなう行為なんだから、そうした暮らしは、旅先か、病気になって入院した時に楽しめば充分だと思う。

 24時間体制で仕事していた時期であれば、マンション暮らしやホテル暮らしは、日々の暮らしの労力が殆ど必要じゃなかったことが楽で便利で快適だったし、家事労働に費やす時間を仕事に費やすことができる分、多くの収入を得ることが出来ることと、私の場合は、依存癖の強い母から逃れることができるって言う恩恵も大きかったのだけど、断筆宣言ならぬ断職宣言以来、とてもじゃないけど、もう、そんなにまでして仕事する気持ちにはなれないし、体力もついてかない。小五月蠅かった母の存在も追憶の中に遠ざかった今こそ、私の屋敷での暮らしを思う存分楽しむ人生のシーズンが来た気分・・・・

 只、唯一、ラブリーな恋人と二人の世界に引きこもりたい気持ちになる時期には、マンションという密閉箱の中はとっても心地良さそうな気がするので、そういう時は、暫し、俗世間に立ち戻りたくなるかもしれない。