平成天皇の「お気持ち」を受けて、歴史的瞬間を目の当たりにした感動の余韻が覚めやらない。

 これほどの深淵で多くのお気持ちのこもったお言葉は、あらゆる現代詩を超越した輝きを発している。
まさに、玉韻という言霊が現代の日本にも存在するのだと感ぜられた。

 現在の政権を代表する安部首相の頸動脈に突き付けられたクサナギノ剣の一際あざやかな輝きが、日本の社会を照らしたことに至っては、歴史上最上級の玉韻だと深く感じ入る。

1・先にリンクした自民党の憲法草案なるもので、草案発起者たちが、「象徴としての天皇」の存在を「元帥」に変更しようとしていたことが、見事に打ち消された。

2・私達国民の「個人」としての権利が消され、「家族」を共同責任体として国家の構成単位としたことも、天皇自
らが、「個人として」というお言葉を持ちいられたことで、ものの見事に打ち消された。

3・平和憲法を軍事化憲法に変更しようとしていた目論見に対しても、「平和」を超えてあまねく端々に行き届く平
和と安心を表す「安寧」という言霊を用いることで、見事に打ち消された。


 何故、8月8日がこの「お気持ち」の放送の日に選ばれたのか?を調べて行くと、このお言葉には、軍国主義へと暴走する安倍政権、安倍総理の姿勢への「諫めのお気持ち」がこもったものであることが明らかになってゆく。

 安部首相は、「非核三原則」を定めた安部新太郎元諸相を父に持つ。
父方の祖父は、反戦を訴え続けた代議士安部寛氏であり、母方の祖父は、真逆に軍国主義を推進したとされる岸信介元首相であった。この両極の間で、安部首相は特に母方の祖父岸元首相を敬愛したと聞く。
 岸元首相のご命日は8月7日だった。
天皇ご自身のご逝去を前提とした「重い殯(もがり)の行事」への言及は、安倍首相に、自身が最も敬愛して政治家としてモデリングしてきた祖父岸元首相のご葬儀を想起させるものであったに違いないし、翌日の長崎原爆の鎮魂に当たっても、15日の終戦記念日に当たっても、安倍首相は、戦争の現実と平和の尊さに直面せざるを得ない。
 彼が、真面目に考える人であれば、この葛藤の強烈さは如何ばかりかと思われる。

 国会でも、心ある代議士は、安部首相の暴走を止めるべく意見を述べて来られたが、安倍首相は、その意見を受け入れるどころか、天邪鬼のように軍事化へと暴走を続けた。
この暴走を止めようとした代議士の全てが国会を去った今となっては、天皇以外に安部首相の暴走を止める者はいなくなっていたのだとも思う。
 アメリカのオバマ大統領さえもが、原爆投下の地広島に鎮魂の祈りを捧げに来られて、世界平和を祈った真心さえ、現政権は感じ取ることができなかったのだろうか。
 
 にこやかで物静かで重厚な響きと光を放つ天皇のお言葉を、果たして安倍総理はどのように重く受け止めるのかに、注目したいと思う。

 この「お気持ち」を受けても、軍国化へと突き進むようでは、残念だけど、もはや、国民の代表としての首相の価値は無きに等しく、人としての真心も日本国を愛する思いも何も無い、現代の内閣は軍事オタク集団と、思わざるをえない。
 
 本来であれば、天皇からこれほどの「お気持ち」を受けた以上、安部首相は、潔く辞任するか、現内閣を可及的速やかに解散し、しかるべき組閣を考えざるを得ない。
何故ならば、天皇は、私達国民の総意に基づく、私達日本国民の象徴であるのだ。
 憲法上、政治的発言は許されない立場にあられるが、「個人として」、国民の総意を象徴してこの「お気持ち」発せられたことは否めないのだから。

 昨日の新聞に静かに取り上げられていた、首相の後任の考察を匂わせる記事が目に留まった。日本本来の話し合いによる内外交能力をもった代議士の存在が取り上げられていた。
 天皇が国民を代表して、国家安泰を祈る言葉を発せられた重みを、現内閣が実際にどのように受け止め、どのように今後の政局を進めてゆくのだろうか?

 最近、いろんな会議の中で「戦略」という言葉が乱用されている有様は、非常に聞き苦しい限りである。
安部内閣は「戦略」という言葉が大好きなのだ。
2.26事件の史実に鑑みると、暴走団と化した彼らは新たなる戦略を練っているかもしれない。

 象徴としての天皇のお言葉を受け、天皇陛下からそのお気持ちへの理解をお願いされた私達国民が、注意深く監視、監督しなければならないとても大切な時節に、私達は生きている。
   
 天皇陛下自らが、憲法違反の謗りをも顧みず「お気持ち」を発せられたのであるから、天皇のお言葉を受けた私達国民一人ひとりがより大いに発言しなければならないし、政治家各位におかれましても、利権や票田におもねることなく、しっかりと自立して、国民に寄り添った「個人」としての発言をしてゆく方向性を目指して頂きたく思います。 もちろん、マスコミやネット管理者においても同様のお気持ちを持って頂きたい。


 更に、天皇は、象徴としての天皇の務めについてのご説明の中で、次のように述べられている。
「天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。」
  
 歴史的に考えてみると、この国の天皇という存在は、西欧のキングやエンペラーとも、或いは宗教的な法王とも一線を画する特殊な存在だ。日本という国の自然に培われた神々に最も近く暮らす日本国民全ての願いと祈りの象徴と言えばいいのか、私自身、特に海外の友人達に説明する時に、天皇という存在の意味をそのような言葉で説明してきたのだけど、この文言の中で、天皇自らが、日本国民の総意に基づく象徴としての天皇の務めを明確に宣言された。
 そして、この文面からは、天皇ご自身が全国行脚で市井の声に耳を傾け、寄り添って来た上で、国民を理解した上で、理想として見出して来られた日本の方向性までもを描き出しておられる。

4・遅々として地方の創成は進んでいない現状、政治家がいつのまにか芸能人化し、本来の役割である国民の  
声を聞き国民に寄り添い国民を理解しなくなった現状、において、「地域」と「共同体」という言葉に暗喩を込め、今後の日本が、理想とする政治の在り方、国民の心の拠り所までもを示唆されておられることにも思いを馳せることが本義ではなかろうか?

 
 「象徴としての天皇」「安寧」「個人」そして、「地域」「共同体」、天皇陛下がお話になった多くの言霊は、まだまだ私には、表現の及ばない重厚な意味を含蓄している。

 このお言葉の深淵を読み解きながら、これから始まる未来を考えてゆきたいと思う。
 
 
 私達日本国民の象徴としての平成天皇の後に続かれる天皇は、国内のみならず、大日本帝国下にあったアジアの各地に赴かれる日が来ることをも予感させられた。
 次代の天皇も、平和を愛する国民の「象徴としての務め」を積み重ねられてゆくことが実現すれば、憲法9条は勿論、私達の象徴天皇=私達日本国民全員が、ノーベル平和賞を頂くに値する存在になってゆくだろう。