2010年09月01日

北の国から

ツイッターで漫画家のすぎむらしんいち先生と「北の国から」についてやりとりしてて思い出した8年くらい前、糞ヒマな頃に友だちのサイトに書いたキチガイ文章。前にも貼ったことあるかもしれないけど検索してもなかったんで。我ながら狂ってると思う。

【序章1 「北の国から」考察〜五郎の帽子コレクション展〜】

いよいよ「北の国から」が終わる。
のべ20年、自分が一篇のドラマにこれほど長く付きあう羽目になろうとは思わなかった。連続シリーズ放送当時、誰もが予想できなかったことであろう。

面白いデータがある。「14.8%」。連続シリーズ全24回の平均視聴率である。1983年当時、金曜夜10時というのはまだ大人の時間帯であった。
TBSの金ドラ、テレ朝では仕事人シリーズ、フジTVはこの時間帯にドラマで
勝負を賭けた。今振り返って観てもとんでもない金の掛け方なわけで・・・。
ましてや田中邦衛、誰も知らない子役が主役というのはどう観ても地味なわけで・・・。有名な話ではあるが、連続シリーズの後半、純が石を投げつけて
追い払ったキタキツネが何ヶ月かぶりに戻ってきて親子3人で餌をあげる、あのシーン、あれは「純が石を投げつけた」直後に撮影されたものである。
どういうことかというと、あのキタキツネは動物プロダクションの仕込みなどでは当然無く、リアルなキタキツネを餌付けしたもので、つまり気まぐれにやってくる野生動物を相手に「たまたま来た」時に、後の脚本にあてはまるシーンを即興的に撮影していたのである。つまりどういうことかというと初期の話を撮っている時に後半の脚本がもう出来ていたのである。あえて情緒の無い言い方をすると「せっかくだから後半のあのシーン、ついでに撮っておきましょうよ、あのキツネ、次いつ来るかわかんないっすよ。」ということだ。
1年で12センチ伸びたはずの蛍の身長が、あの後半のシーンだけ急に縮んでいるのは御愛嬌。

何が言いたいのか?脚本作りのシステムについて語りたいのだ。
今のドラマは1クール(3ヶ月)12本が基本。ところが脚本が撮影前から全て出来あがっていることは、まず、無い。視聴率の動向を見るためだ。
初回、もしくは2、3回の数字を見てその後の展開を考えるのだ。
「この路線ではダメだ。もっと展開を早くして」とか「新たな登場人物を出して新味を加えよう」とか「誰かを殺して緊迫感を煽ろう」とか・・・・
どういうことか?作り手に自信が無いのだ。視聴者の顔色を伺いながら話の筋を変えていくのだ。
「北の国から」は腰が座っていた。ドーーーーーン。当時でも珍しい2クール
(半年)放送。しかも放送開始時には全ての撮影を終えていたという。
始まりからして凡百のドラマとは姿勢が違うのだ。

「俺たちひょうきん族」と「北の国から」。同時期にフジTVで放送された二つの番組。個人的なことを言えば、この2番組によって自分の進路を決められたと言っても過言ではない。じゃあお前はあれほどのすげえモン作ってんのかよ!?と問われれば黙るしかないわけで・・・・

当時の時間帯の話をしたが「ひょうきん族」もそうだったのだ。
裏のTBS「8時だよ!全員集合!!」という怪物に対して無名の漫才師たち
という戦士が向かって行き、見事相手の視聴率を失墜させ、ついには番組終了に追いやったのである。フジTVのその後の快進撃はこの二つの番組から始まったのだ。

閑話休題。話を戻そう。巨額の予算と、長期のスケジュール、膨大なスタッフ数、富良野という田舎町を巻き込んでの大々的な撮影。に、対しての地味なキャスティング。これはもう奇跡や美談などではなく「ギャンブル」である。
そして、もうひとつ注目すべき点は脚本家・倉本聰がこの「北の国から」を
描くきっかけになったのはNHKの大河ドラマの降板による東京から北海道への逃避行という所も興味深い。倉本聰もまた、自らを追いやったTV業界に対してのアンチテーゼの気持ちで「北の国から」を作ったのだ。

まとまりの無い文章になってきたが、つまりは「北の国から」は、今となっては「国民的ドラマ」などと呼ばれているが、作り始めた頃は既存の概念に対するパンク精神の塊だったのだ。

「14.8%」。当時、万年3番手だったフジTVのその後の躍進の礎となった
番組のこの数字は決して恥ずるものではない。
数字内の密度が尋常ではないほどに「濃かった」のである。

この項・おわり。


次回のテーマ
「五郎はいつ、令子を許したか?死んだ時?否、蛍の不倫を許した時である。」


おそろしいことにこれには第二弾があってどんだけヒマだったんだよ?

【序章2「北の国から」〜黒板家で蛍の赤飯は炊かれたか?】

「幼少期におけるトラウマ」。このドラマの、あまり気付かれていない視点から「北の国から」を切り取ってみよう。

五郎と令子の離婚の理由は「浮気」「不倫」である。令子は、いつどこで知り合ったのかはドラマ内では明かされていないが、五郎とは正反対のタイプの中年男性(伊丹十三)と倫理に反する関係を持っていた。倉本聰がどこまで考えて「そうしていた」のかはわからぬが、視聴者である我々は、令子の入院のシーンまで、不倫相手の具体的なプロフィール・容姿を含めた人物像を知ることが出来なかった。が、私は倉本聰の脚本家としての高度なテクニックをここに感じる。倉本聰は確信犯的に、我々にその不倫相手を見せなかったのだ。何故か?我々視聴者のほとんどが、あの富良野の糞田舎の厳しい生活に身を置いているわけではない。ブラウン管を通して観るあの親子3人の北海道の生活は、いわば「バーチャルリアリティ」である。しかし、何故ゆえ我々はあのドラマにのめり込むことが出来たのであろうか?そこに気付かざる倉本マジックが仕掛けられているのだ。「仮想敵」。目的の無い不特定の集団を短時間でまとめる最も効果的な術、それは共通の「敵」をつくること。悪意、それはは誰もが根源的に抱える「負のパワー」である。そしてこの「負のパワー」によって結束された集団の意志は強い。その意志が形を作る、それを人は「カルト」と呼ぶ。

倉本聰は視聴者に無意識の内に悪意を持たせることが、このドラマを成功させる鍵になることをわかっていたはずだ。その悪意の対象は、当時倉本聰自身を
北海道の糞田舎に追い込んだ「東京」だったのだ。「東京」とは何か?
「拝金主義」であり「快楽主義」であり「欲望の象徴」だ。それらを具現化したもの・・・それが「令子」だったのだ。東京時代の黒板家の家計は、令子が
自ら経営する美容室によって支えられていたはずだ。単なるガソリンスタンドの店員だった五郎よりも確実に稼いでいたはずだ。そして夫・子供を裏切っての不倫。

そして五郎は自分を裏切った「令子」と、そして「東京」を出た。                              

思い出して欲しい。連続シリーズ冒頭のシーン。五郎・純・蛍の乗った電車が
富良野に近づき車窓から川が見えてくる。蛍「川!」五郎「ああ・・空知川だよ・・・」
この時の五郎の容姿に注目したい。しわくちゃの黒のスーツに不器用に結んだネクタイ。今、このシーンを観ると「ゴロさん、若いなあ!」と安直に思うかも知れない。だがしかし、私はこの五郎のスタイリングに落涙する。
なぜ五郎はスーツにネクタイだったのか?前述したように、五郎は東京でサラリーマンだったわけではない。しがないガソリンスタンドの従業員だ。スーツなどおそらく冠婚葬祭でしか着る必要の無い、この一着しか持っていなかったはずだ。「東京に負けて田舎に出戻る男」を、わかりやすくTV画面で見せるならば、もっとみすぼらしい服でよいのだ。が、なぜ五郎は一張羅のスーツで帰郷したのか?これは推測の域を越えることはできぬが、「笠松の爺さんの葬式」
「令子の葬式」の時に五郎が着用していたのも、同じこの黒スーツであるはずだ。どういうことか?五郎にとっての帰郷はある種の儀式「葬儀」だったのである。誰を葬ったのか?自分である。東京時代の五郎自身を葬ることにより、やっと富良野の地に戻ることができたのである。私事ではあるが、「北の国から」第一回放送を観ていた12歳の私がこのドラマにのめり込むようになったのはこの「五郎のスーツ」に対する違和感からだった。「なんでこんな格好してるんだろう?」本稿の意に反する内訳話を覚悟で書いてしまうが、「北の国から」の田中邦衛衣裳担当の人物は今回の「遺言」のクランクアップ(撮影終了)と同時に、放送を観ることなく他界したそうだ。「北の国から」シナリオ本には五郎の衣裳のことまでは書かれていない。演出・富永氏の指示により、この衣裳担当者が絶妙の「汚し」(通常用意される衣裳は、新品だったりクリーニングされたキレイなもの、脚本の設定や人物像によって衣裳担当者が生活感を出すようにすることを「汚し」という)によって、あの五郎の「帰郷シーン」は生まれた。
その衣裳担当者は「北の国から」で田中邦衛と知り合い、他界するまで深い親交があったと聞く。

さて話を戻そう。五郎を葬ったきっかけは、令子の「不倫」「浮気」だった。
となると、視聴者の感情はどこに移入されるか?当然あの親子3人である。
がしかし、東京で生まれ育った子供2人がいきなり北海道に馴染むわけがない。
かといって、純と蛍を二人とも「田舎」と「五郎」に反発させてもいけない。
いや、いいのだ。凡百のドラマであるならばそうしているはずだ。安直に父及び田舎の生活に抗う子供2人の姿を描けばよいのだ。しかし倉本聰はここでもう一つ、このドラマの世界観を広げる仕掛けを作った。「蛍」である。
「電気がなきゃ生活できませんよ!」「夜になったらどうするんですか?」に象徴されるように、富良野に来た当初、あからさまに描かれていた純の父へ対する反発心。に対して蛍は何故かそれほどでもなかった。蛍は五郎に対してむしろ協力的ですらあった。設定ではあの時の蛍は小学校2年生・8歳。パパ好きの年頃である。ほとんどの視聴者がなんら疑問を抱くことなく「父親思いの優しい子ねえ、それに比べて何よ?あの上の男の子、生意気で」というカンジで観ていたのではないだろうか?実はそれだけではなかったことに我々が気付かされるにはもう少しストーリーを進めなければならない。
令子の不倫が発覚したのは何故か?皆さんは覚えているだろうか?夜勤で帰宅が遅くなるはずだったのに何かの理由で早くに家に帰ってきた五郎は蛍と共に美容室に令子を迎えに行くことになった。着いてみると店の明かりが消えている。令子を脅かすつもりで裏口のドアをそーっと開ける蛍が目にしたものは・・・・情事を終え裸体で横たわりながらタバコをくゆらす令子の姿であった。

知っているだろうか?「純」は令子が付けた名前である。
「蛍」は五郎が付けた名前である。
純は令子になつき、不器用でさえない五郎を軽蔑した。
蛍は父を裏切った令子を憎み、五郎になついた。

二人は大人になりどうなったか?
純は不器用でさえない男になった。
蛍は妻子ある男を愛し、五郎と富良野を捨てた。

この項・おわり


さて、序章はここまで。DVD12本セット買ったんで1話づつ振り返っていきますよ。

次回「第1話・あの人には東京は重過ぎたのよ」
  「第2話・学校、いつからでもいらっしゃい」


さすがにこのつづきを書くことはなかったわけだが、もうちょいどっかで書いてたなあと探してみたらありました。

200012月、たぶん人生で一番気が狂ってた頃に、やはり友だちのサイトに書いた日記。読んでて怖くなる。

12月4日彼女と鍋を食べながら「北の国から」のどこで泣けるか?という話になった。
まあ、これに関してはみなさんの私観なのでそれぞれ否定するつもりも
ないのだがたいていの素人衆は以下のようなシーンを挙げる。
・ 蛍が母の乗る電車を追っかけるシーン。
・ 純がキタキツネに石を投げて五郎に殴られるシーン。
・ 母の葬式のあと、夜中仏前でひとり泣いている五郎を純が見てしまうシーン。
・ 有名なラーメン屋のシーン。「子供がまだ食べてるでしょうが!!」
・ 純が上京するとき、五郎と蛍が古尾谷雅人のトラックを追いかけるシーン。
・ 及びその後の泥の付いた1万円札のシーン。
・ 純が富良野に帰ってきたいと五郎に告白するシーン。
・ 根室での五郎と蛍のシーン。鮭を渡すところ。
・ 蛍と正吉の結婚式、草太のテープが流れるシーン。

まあ、どれもプロの「北の国から」ファンに言わせれば「甘い!」である。
倉本總の上手さはこんなところではない。
俺が何回観ても泣いてしまうシーンはひとつ。
いや、ふたつ。
ひとつめは第8話。川から家までの自家製の水道をひいたシーン。
雪の中で五郎、純、蛍が抱き合って喜ぶところ。ではない。
ここで感動するほど俺は甘くない。
その後だ。様子を一部始終見ていた
分校の涼子先生(原田美枝子)が五郎に語りかけるところだ。
「素敵だわ。」ここだ。そしてその言葉に対してどう対応して
よいかわからない五郎。この表情がいいのだ。意外と見落としがちだが
このシーンはかなり重要。なぜならば富良野に来て、いや令子(いしだあゆみ)
と別れてから、いやひょっとしたら五郎の人生で初めて他人に認められた
瞬間だったのだ。自分のワガママで二人の子供を富良野に連れてきたしまった
五郎に自らに対する疑問がなかったわけではない。子供だけは残したかった
令子の願いを振り切り、都会育ちの子供二人を田舎で育てようと決心した五郎
が認められた瞬間だったのだ。ドラマにおいては感動のシーンの後処理が
大切なのだ。テクニックなのだ。こういう静かな会話で泣かせるのは難しい。
このシーンは何回観ても上手いなあ、と感心してしまう。
続く五郎のセリフ「何がですか?」「あなたたち。」「よしてくださいよ」
あっさりと描いているが本当に良いシーンだ。
意外と見落とされがちだがこの第8話は「北の国から」における
ターニングポイントだ。家族がひとつになりつつある回でもあり、このあとの
このドラマに深く関わってくるサブキャラクターたちの物語が徐々に動き出す
回でもある。草太と雪子とつらら、正吉と母、令子の東京での孤独
この回のラストシーン。令子が自分の美容室でひとりタバコを吸うその表情は
昔のイタリア映画の女優のように美しい。


この頃のオレはなんだったんだ?マジで。


Posted by hitoshione at 21:58