2016年03月15日

コラムアーカイブ ユリイカ特集・岩井俊二

特集*岩井俊二
岩井俊二を生み出した環境
大根仁

 僕が最初に岩井さんの作品を見たのは、フジテレビの深夜ドラマ枠『La cuisine』(‘92
)の「オムレツ」か「GHOST SOUP」だったと思います。既存のドラマとまったく違う画面にびっくりしました。それで「岩井俊二」という名前を覚えたんですけど、当時はネットとかないからどういうひとかはわからなくて。
 九三年に、のちに岩井さんとロックウェルアイズを作ったソニーレコードの久保田修さんから「岩井俊二という天才とPVを作ったので見て」って渡されたのがTO BE CONTINUEDの『君とずっと…暮らしたい』で、岩井さんがカメラマンの篠田昇さんと組むようになった初期の作品だと思いますけど、これもすばらしくて、そこで岩井俊二がどういう背景のひとかがちょっとわかったんです。PVを撮りつつドラマを撮るというひとは当時そんなにいなかったので――僕の師匠の堤幸彦なんかもやっていましたけど――驚きましたし、何よりも見たことのない画質の高さ=ルックだったんです。
 そしてその年の夏、岩井さんの代表作である『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』のドラマ版が放映されて度肝を抜かれた。そういうひと多かったと思いますけど(笑)。あまりにも評判になったので、すぐ深夜で再放送されて、そのときもたまたま見ていたんですけど、この人は日本の映像史を動かすんじゃないかと思いました。その頃は僕も二五歳くらいで半分AD、半分ディレクターという感じで、ドラマの作り方や機材の使い方、業界のシステムとかもわかっているつもりだったので、自分たちがやっている環境とそうかけ離れてないところで、これだけ豊かなものが撮れるということに衝撃を受けました。そのときにどんなスタッフで、どんな仕掛けをしたらあんな画が撮れるのか、少し調べたんです。最大の特徴であるルックはビデオカメラで撮影して編集でフィルムタッチに加工するやり方で、それまでも佐藤輝さんとか同時代だと中野裕之さんとかそれこそ堤とかたくさんのひとが追求していたんですけど、まだビデオアート的な表現だったりPVの中での表現になっていて、要するに「カッコ良く見せる」ための手法だったんですけど、それをお茶の間にまで届く表現というか、ドメスティックな背景や人物で表現できていたのはちょっとした“事件”でしたね。「打ち上げ花火」のノリミチの家の居間から始まるファーストシーン〜友達が集まって〜海が見える道を駆け抜ける冒頭のシーンだけ見てそれを確信しました。というかまあただ見惚れたんですよね、撮影も芝居も編集も音楽もひたすら気持ち良くて。
 現場でどうやって撮っているのか知りたくて、当時ミュージッククリップとかの編集を多くやっていたベイサイドスタジオにいて、岩井さんの編集を担当していた茶園さんにわざわざ仕事を作って聞きに行きました。聞いたらやっぱり撮りの段階でカメラの調整をいじったりしてるんですよね。いまもそうですけどTVドラマって基本的にシステマティックな分業体制ですから、撮影は撮影、編集は編集と職分がはっきりしてるんです。岩井さんは、そのへんを打ち砕いたところがすごかったと思います。『Love Letter』とかにしてもそうだと思うんですけど、岩井さんの功績は、当時行き詰まっていた邦画やTVドラマの映像表現の可能性を広げてくれたということ。六〇年代、七〇年代は邦画でも美しい映像表現がいっぱいありましたけど、八〇年代後半以降、ちょっと停滞している感があったんです。あまり映像美に重きが置かれなくなったというか、TVドラマや邦画はカッコ悪い、CMとかPVの方がカッコ良い、という空気があった。それを岩井さんは覆してくれたんですよ。普通の若いスタッフが自分たちのやっている現場でこんなにかっこいい画が撮れるんだ、と思えるようになりましたから。それが岩井俊二の最大の功績だと思います。。現場のスタッフワークに自信を持たせてくれたんです、岩井さんは。



 八〇年代中盤から九〇年代にかけてって異業種監督とかがもてはやされて、邦画が沈滞してた時代だったんですよね。印象としては、伊丹(十三)さんが孤軍奮闘していたというイメージ。あと、周防(正行)さんが出てきたくらいかな。でも、伊丹さんにしてももともと俳優で文化人だったわけだし、周防さんもピンク映画で活躍されて、蓮實重彦さんのような映画批評家から注目されていた。それに比べると、岩井さんはどこから出てきたのか、文法のわからないところはありましたね。今では珍しくないですけど、カット割りで撮影しないとか斬新でした。カットごとに細切れに撮影するのではなく、ひとつ芝居を付けていろんな方向からカメラを回していく。それを特に何かをお手本にしたということもなく、かなり先駆的にやられていた。PVの撮り方をドラマに当てはめたというわけでもないんですよね。前に岩井さんと対談したときに、どうやってあの方法に至ったんですか?と訊いたけど、本人も覚えてなかった(笑)。僕もひとから、あそこどうやって撮ったんですか?と訊かれて、何となくああなったんです、としか答えられないことってよくありますから、そういうものなのかもしれないですけど。
 もちろん僕も間違いなく岩井さんの影響は受けています。深夜ドラマでキャリアを積んで、センスとテクニックが結びついたところで映画を撮るというやり方も岩井さんのまんまです。クオリティは遠く及びませんが(笑)。一昨年『モテキ』というドラマを撮ったときに、その第二話で、原作で主人公の幸世といつかちゃんって女の子が日本海にクラゲラーメンを食べに行くというエピソードがあるんですけど、さすがに日本海までロケに行く予算はないので近場で何かサブカル少女が小旅行に行きたがるスポットはないかって探して、『打ち上げ花火』のロケ地の銚子を思いついて、じゃあせっかくだからというのでカットの完コピをしたんです(笑)。そのとき久しぶりに『打ち上げ花火』を見直したんですけど、やっぱりすごかった。綿密な脚本で演出も見事だし、一カットとして無駄がない。ファンのひとがサイトでロケ地MAPを作られていてそれを参考にしたんですけど、なずなの家の前のシーンだけどうしてもわからなくて、現場で探したんです。それでこれかな?というのを見つけたんですけど、本当に何の変哲もないびっくりするくらいどうでもいい風景なんです。でもカメラを置いてみたらまさにあのシーンで、こういうのを拾い上げるセンスとか、本当に奇跡的な映像だと思いました。あとまあ思ったのは、やっぱり監督って、予算もスケジュールもタイトで、アイデアや気持ちで役者・スタッフ一丸となって乗り切るしかない状況の頃の作品が一番キラキラしてるんだなあということです。



 「打ち上げ花火」や「Love Letter」で岩井さんがブレイクした理由は、やっぱり『La cuisine』とか関西テレビの「DORAMADOS」とか深夜の三〇分くらいのドラマ枠で経験を積めたことが大きかったんじゃないでしょうか。七〇年代のピンク映画とか八〇−九〇年代のVシネとかある程度マーケットが確立してる中で変なことをやるのが許される場というのが、監督が育つための場所としてあったと思うんですけど、そのうちのひとつに深夜ドラマとかミュージックビデオがあって、そこで岩井俊二という個性が磨かれたと言えると思います。逆に今だとビデオでフィルムライクな映像を撮るのも簡単にできてしまうので、研究したり試行錯誤するということがなくなるんですよね。岩井さんがああいう表現ができたのも、彼の才能に加えてそういう技術的な時代背景があったからではないかと思います。
 ミュージックビデオというのも曲は決まっているし尺も予算もあらかじめ決まっている中で作られるわけです。CMにしてもそうだし、『La cuisine』だったら食べ物をテーマにしなくちゃいけないとかみんな枠が決まっていて、そういった規制があったほうが意外と監督って力を発揮するんですよね。何でも自由にできるとなったら、逆にうまくディレクションできなくなることが往々にしてあるんです。『Love Letter』以降、変な話ですけど、成功して自由になり過ぎちゃったと思うんです。『スワロウテイル』にせよ『リリイ・シュシュのすべて』にせよ、すさまじい映画で今観てもさすが岩井さんというのはあるんですけど、映画としてのバランスがよいかと言うと微妙ですよね。それはやっぱりプロデューサーの不在もあるでしょうけど、岩井さんが自由にやれすぎたというのはあると思います。そうするとセンスが裏目に出ると言うか、かっこいいシーンをどこまでも撮れて落とせなくなっちゃうんですよね。脚本、演出、撮影、編集、音楽etc.全部自分でやらないと気がすまないというのは、それだけ自分の見たいビジュアルがはっきりとあるんでしょうね。僕も映像を撮っていてその気持ちはよくわかるんですけど、やっぱりどこかで止めないといけないと思うんです。他人の目を入れることで客観性が出るというか、自分の見たいものってともすれば自分だけの世界に閉じちゃうんです。
 僕は岩井さんは日本のデビッド・フィンチャーになってもおかしくなかったと思うんです。メジャー映画としてエンターテインメントもやれば社会派もやる、しかも圧倒的な映像センスで。そういう監督ですよね。そういう方向に行かなかったのは、良くも悪くも岩井さんにある“チャイルディッシュ”な資質だと思うんです。岩井さんで大人をちゃんと撮った映画ってないですよね。『打ち上げ花火』は小学生の夏の思い出だし、『リリイ・シュシュのすべて』は中学生から高校生にかけてのモラトリアムだし、『Love Letter』にしてもいちおう大人の女性が主人公だけど、彼氏が死んでしまったショックによるモラトリアムから立ち直る話ですよね。少年少女を描くのが抜群にうまいので、誰も言わないと思うんですけど、やっぱり岩井さんの撮る大人の映画って観てみたいんです。少年少女が主人公でもいいだけど、例えばエドワード・ヤンにおける「ヤンヤンの夏休み」のような作品をキャリアのどこかで撮るべきだったのではないかと、僭越ながら思っています。ちょっと大げさですけど「誰が岩井俊二を大人にさせなかったのか?」は、00年代以降の邦画界の大きな問題だと思っています。具体的に言えば「リリィシュシュ〜」の次に何を撮らせるかっていうことをね、本人含め周りがもっと熟考すべきでしたよ。とはいえ岩井さんは過去の人じゃないし、現役バリバリで映画を作ってらっしゃるのでむしろこれからとんでもない作品を生んでくれると信じています。
 とか言いながら、自分も『モテキ』なんてまさにモラトリアム全開映画を作っているので何にも言えないんですけど(笑)、そこからいかに大人になるかは今後考えていくべきじゃないかと思っています。
(おおね ひとし・映像ディレクター)




Posted by hitoshione at 17:42│Comments(2)
この記事へのコメント
って一応誤用。
Posted by 大命題 at 2016年05月04日 08:07
ここにコメントしてすみません。
ハロー張りネズミはキライじゃないけど一般的な女性にはウケませんよ。
大根さんが固執してることは時代錯誤なのかもしれません。
Posted by マーロウ at 2017年08月01日 15:22