お久しぶりです。自己紹介以来久々にブログを執筆する長距離1年の阿久津です。
まずは予選会標準切りに向けて、色々な面でたくさんの方にサポートいただき、本当にありがとうございました。標準突破に向けて道筋を示してくださった先輩方。日頃からお世話になっているマネの方々。練習でもレースでも引っ張ってくださったコーチ・OBの方々や先輩方。いつも疲れを吹き飛ばすような声援をくれて、記録会に本当にたくさん駆けつけてくれた部員の皆さん。一緒に予選会出場を夢見て高め合ってきた同志たち。本当に色々な人に支えられて今の自分があるんだなと実感する日々でした。結果として今年の予選会には出られませんでしたし、沢山の声援を受けながら2度の10000mで不甲斐ない走りを見せたことは心苦しく思いますが、将来につながる経験ができたと信じています。
特に合宿前後くらいから、「阿久津は高校時代と比べるとかなり伸びたな」と言われることが多かった記憶があります。10000mの5000通過で5000mの自己ベストを30秒以上更新しているので、実際そうなんだと思います。僕は高校の間、めっちゃ遅かったです。5000m自己ベストは高1の秋で止まっていて、それも高1の春の初5000で出した記録を僅かに更新したものなので、実質高1春で止まっていることになります。まあ3年間何してたんって話ですよね。
なぜ僕は高校時代少しも伸びなかったのか、あまり考えたくなくて目を背けていましたが、最近は少しづつ日誌を読み返したり、何か学びは無いかなと振り返るようになりました。色々考えた上で、理由は大きく2つあるのかなと感じます。まず1つには環境だと思います。下に貼るのは高校時代の一週間の練習の例です。
月 5000mビルド 5kmjog
火 3000mペーラン 400+200
水 5000mビルド 1000×2
木 8kmjog
金 20分jog
土 20分jog
日 駅伝4km
他ブロックの方にはヤバさが伝わりにくいと思うのですが、まあ普通に意味不明ですね。このメニューは自分で組んでいた訳ではなくて、当時の顧問の先生が出していたものになります。部の指導者に長距離経験者は居なかったですし、部内に5000mを専門でやってるのは自分と2つ下の後輩しか居なくて、専門的な指導を受けることも無ければ一緒に練習をする仲間もそんなに多くなかったです。
ただこれって本質ではないと思っています。表現を変えるなら、これは言い訳にしかならないと思います。2つ目にはメンタル面です。僕は割と0か100かみたいな性格で、それがかなり自分の首を絞めていたと感じます。中学生の頃はは何も考えずに出されたメニューをやっていたのですが、中3くらいから強くなりたいと思ってトレーニング理論を勉強すればするほど、自分のやっているトレーニングが滅茶苦茶であることを認識するようになりました。しかし顧問は昭和な人間で、メニューに対して意見を発することは歓迎されていなかったのでそれを変えることもできずにただ従うしかなくて、かなりのストレスになっていました。何でこんな練習やってるんだろうなと思っていると練習のパフォーマンスが上がらないのは無理もないです。それが原因なのかメンタル面で崩れることも多くて、高1と高2の秋に、原因不目の目眩などの体調不良で病院に通うことがありました。長距離のレース中に吐き気に襲われることが多くて悩んでいて、当時はフォームや暑さに問題があると考えていたんですけど、今思うとメンタル的な拒絶反応だったのでは?と思います。メニューは変えられないから、それならそれで出されたメニューを最大限効果的な方法で取り組んだり、フォームを改良したり、与えられた環境で出来ることをやるべきだったんですけど、当時の僕にはそれが出来ませんでした。完璧を求めるが故に完璧じゃないなら何でもいいや的な気持ちで、どうせこんなメニューじゃ強くなれないし何を頑張っても意味ないだろうっていう言い訳みたいなものがどこかに常にありました。もちろん筋トレとかストレッチとかドリルとか色々試したことには試したんですけど、そんな状況で長続きすることは無かったです。
しかし今の自分は違うと断言できます。本当に恵まれた環境で競技をさせて頂いてると思います。ただ一緒に走れる仲間が居るだけで本当に幸せなことだし、メニューも自分で考えたりちゃんと考えて先輩方が出して下さったりする。400タータンをいつでも使える。トレ室もある。マネさんがタイムの流し読みだけじゃなくて動画まで撮ってくださる。コーチもいる。陸上に使える時間だってかなり増えた。改めて本当に幸せだなと思います。メンタル面でも少しは強くなれたのかなと感じています。最近久々に会った同期に「高校の頃お前は部活中笑顔があんまなかった」と言われてハッとしました。今は毎日前向きに楽しく走れています。毎年メンブレしてきた魔の9-10月も乗り越えました。0か100かみたいな思考からも抜け出せた気がします。思い通りに行かない時、ただダメだったと落ち込むのではなくて、どこが良くてどこがダメだったのか、考える癖が付きました。同時に、この部分はまだまだ成長の余地があるとも感じています。
殻を破るための期間として、多摩湖の距離走から始まった箱根チャレンジは自分にとって意味のある時間でした。大学で心機一転頑張るぞーと思っていたものの、2年以上停滞していた自分にとって、やはりどこか自分の壁のようなものを感じていました。2年以上ほとんど成長していなくて、その間練習の設定ペースもあまり大きくは速くなっていなくて、例えばペース走で3分30秒台で走るは不可能だと心のどこかで思っていました。でも、あの日々はそんな壁を易々と破壊してくれた。自分はもっと強くなれると将来を見せてくれた。そして最後の最後にレースはそんなに甘いもんじゃないと現実も教えてくれた。
ヒトの真価って、予定通りに行かない時にこそ発揮されると思うんですよ。思い描く自分と今の自分がズレていると気がついた時に何をするのか。高校の自分はそれがダメダメでした。箱根予選標準という目標が達成できなかった今、自分は次に何をするべきなのか。具体的なトレーニング内容については練習日誌やインスタに譲るとして、まずは現状を正確に把握しようとすること、焦らないこと、絶対に投げ出さないこと、やるべき事を一つづつ。
今の自分には強くなりたい理由がある。
今の自分には高め合える仲間がいる。
今の自分には最高の環境がある。
今の自分には明確な指針がある。
この4年間、高校時代の焼き直しには絶対にしない。
前を向いて一歩づつ。やるぞ
明日の担当は、名大マイルで漢の爆走を魅せた大山です。
まずは予選会標準切りに向けて、色々な面でたくさんの方にサポートいただき、本当にありがとうございました。標準突破に向けて道筋を示してくださった先輩方。日頃からお世話になっているマネの方々。練習でもレースでも引っ張ってくださったコーチ・OBの方々や先輩方。いつも疲れを吹き飛ばすような声援をくれて、記録会に本当にたくさん駆けつけてくれた部員の皆さん。一緒に予選会出場を夢見て高め合ってきた同志たち。本当に色々な人に支えられて今の自分があるんだなと実感する日々でした。結果として今年の予選会には出られませんでしたし、沢山の声援を受けながら2度の10000mで不甲斐ない走りを見せたことは心苦しく思いますが、将来につながる経験ができたと信じています。
特に合宿前後くらいから、「阿久津は高校時代と比べるとかなり伸びたな」と言われることが多かった記憶があります。10000mの5000通過で5000mの自己ベストを30秒以上更新しているので、実際そうなんだと思います。僕は高校の間、めっちゃ遅かったです。5000m自己ベストは高1の秋で止まっていて、それも高1の春の初5000で出した記録を僅かに更新したものなので、実質高1春で止まっていることになります。まあ3年間何してたんって話ですよね。
なぜ僕は高校時代少しも伸びなかったのか、あまり考えたくなくて目を背けていましたが、最近は少しづつ日誌を読み返したり、何か学びは無いかなと振り返るようになりました。色々考えた上で、理由は大きく2つあるのかなと感じます。まず1つには環境だと思います。下に貼るのは高校時代の一週間の練習の例です。
月 5000mビルド 5kmjog
火 3000mペーラン 400+200
水 5000mビルド 1000×2
木 8kmjog
金 20分jog
土 20分jog
日 駅伝4km
他ブロックの方にはヤバさが伝わりにくいと思うのですが、まあ普通に意味不明ですね。このメニューは自分で組んでいた訳ではなくて、当時の顧問の先生が出していたものになります。部の指導者に長距離経験者は居なかったですし、部内に5000mを専門でやってるのは自分と2つ下の後輩しか居なくて、専門的な指導を受けることも無ければ一緒に練習をする仲間もそんなに多くなかったです。
ただこれって本質ではないと思っています。表現を変えるなら、これは言い訳にしかならないと思います。2つ目にはメンタル面です。僕は割と0か100かみたいな性格で、それがかなり自分の首を絞めていたと感じます。中学生の頃はは何も考えずに出されたメニューをやっていたのですが、中3くらいから強くなりたいと思ってトレーニング理論を勉強すればするほど、自分のやっているトレーニングが滅茶苦茶であることを認識するようになりました。しかし顧問は昭和な人間で、メニューに対して意見を発することは歓迎されていなかったのでそれを変えることもできずにただ従うしかなくて、かなりのストレスになっていました。何でこんな練習やってるんだろうなと思っていると練習のパフォーマンスが上がらないのは無理もないです。それが原因なのかメンタル面で崩れることも多くて、高1と高2の秋に、原因不目の目眩などの体調不良で病院に通うことがありました。長距離のレース中に吐き気に襲われることが多くて悩んでいて、当時はフォームや暑さに問題があると考えていたんですけど、今思うとメンタル的な拒絶反応だったのでは?と思います。メニューは変えられないから、それならそれで出されたメニューを最大限効果的な方法で取り組んだり、フォームを改良したり、与えられた環境で出来ることをやるべきだったんですけど、当時の僕にはそれが出来ませんでした。完璧を求めるが故に完璧じゃないなら何でもいいや的な気持ちで、どうせこんなメニューじゃ強くなれないし何を頑張っても意味ないだろうっていう言い訳みたいなものがどこかに常にありました。もちろん筋トレとかストレッチとかドリルとか色々試したことには試したんですけど、そんな状況で長続きすることは無かったです。
しかし今の自分は違うと断言できます。本当に恵まれた環境で競技をさせて頂いてると思います。ただ一緒に走れる仲間が居るだけで本当に幸せなことだし、メニューも自分で考えたりちゃんと考えて先輩方が出して下さったりする。400タータンをいつでも使える。トレ室もある。マネさんがタイムの流し読みだけじゃなくて動画まで撮ってくださる。コーチもいる。陸上に使える時間だってかなり増えた。改めて本当に幸せだなと思います。メンタル面でも少しは強くなれたのかなと感じています。最近久々に会った同期に「高校の頃お前は部活中笑顔があんまなかった」と言われてハッとしました。今は毎日前向きに楽しく走れています。毎年メンブレしてきた魔の9-10月も乗り越えました。0か100かみたいな思考からも抜け出せた気がします。思い通りに行かない時、ただダメだったと落ち込むのではなくて、どこが良くてどこがダメだったのか、考える癖が付きました。同時に、この部分はまだまだ成長の余地があるとも感じています。
殻を破るための期間として、多摩湖の距離走から始まった箱根チャレンジは自分にとって意味のある時間でした。大学で心機一転頑張るぞーと思っていたものの、2年以上停滞していた自分にとって、やはりどこか自分の壁のようなものを感じていました。2年以上ほとんど成長していなくて、その間練習の設定ペースもあまり大きくは速くなっていなくて、例えばペース走で3分30秒台で走るは不可能だと心のどこかで思っていました。でも、あの日々はそんな壁を易々と破壊してくれた。自分はもっと強くなれると将来を見せてくれた。そして最後の最後にレースはそんなに甘いもんじゃないと現実も教えてくれた。
ヒトの真価って、予定通りに行かない時にこそ発揮されると思うんですよ。思い描く自分と今の自分がズレていると気がついた時に何をするのか。高校の自分はそれがダメダメでした。箱根予選標準という目標が達成できなかった今、自分は次に何をするべきなのか。具体的なトレーニング内容については練習日誌やインスタに譲るとして、まずは現状を正確に把握しようとすること、焦らないこと、絶対に投げ出さないこと、やるべき事を一つづつ。
今の自分には強くなりたい理由がある。
今の自分には高め合える仲間がいる。
今の自分には最高の環境がある。
今の自分には明確な指針がある。
この4年間、高校時代の焼き直しには絶対にしない。
前を向いて一歩づつ。やるぞ
明日の担当は、名大マイルで漢の爆走を魅せた大山です。
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