遅れました。すみません。追いコン芸超おもろくするんで許してください。ちなみに前々からやりたいと言っていたリアルちいかわは誰に言っても却下されるので、そろそろ諦めて別のネタを探します。私は出オチができればそれで良かったんですが、、、
これを書いているのは中距離パート4年、2026年3月卒業見込みの秋山です。

ブログあるある、1回半分以上は書いたやつをボツにする。
話す時もそうですが、頭の中の情報を整理して表現することが本当に苦手です。いつも話長くてごめんね。
取捨選択が苦手です。全体を概観することが苦手です。情報処理が苦手です。

まあ本題は引退ブログなわけですが。
主に今年1年が不完全燃焼すぎたせいで、なんか引退っていうか、日頃の生活から集合に出席する義務が消えただけって感覚がずっとしているんですが、まあそれでも引退ブログは書かないといけないわけでして。
名大戦で引退してから2ヶ月弱経とうとしてますが、その間に思い浮かんだことを色々と書いていきたいと思います。



私は弱い。身体的にも精神的にも。
そもそもここまで煮え切らない感じで引退ブログを書いているのも、今年1年、またはここ2年があまりにも不調なままだったからですね。
2年間で2度入院してるだけでなく、度重なる謎の発熱が続き、今年参加できた対校戦は思い返せば東大戦・27大戦・名大戦の3つだけ。
対校で出場する機会が多いわけではないが、割と対校戦の日程までをターゲットレースにして練習をしてたことが多かったので、「なんかレースに出ようとする度空回りするなあ、、、」という感覚にずっと付きまとわれていました。

私は運動経験や運動習慣が元からあったわけではなく、体育の授業すらも嫌で嫌でしょうがなかったので、“ちゃんと”スポーツをすること自体が人生初だったわけなんですが、うーんやはり20年近く付き合ってきた自分の身体を数年で変えることはなかなか難しかったですね。
習慣の変化による自分の体質の変化になかなかついていけなかったんだろうなと思います。体重は入学時より10kg以上減ってますし。
引退してからというもの、明らかに自分の思考回路だったり、他のことに見出す興味だったりが増えて鮮明になってきているので、自分が思っている以上に週4〜5という日々の練習の負担は大きかったのだろうなと感じます。

別にうまくいかなかったことへの言い訳をしたいのではなくて、もっとその自分のスタート地点を正確に捉えることができていたら、もっと上手くこなせてたかもしれないなあって。
もっと記録を追求できていたかもしれないし、もっとかっこよくやり切ることができていたのかもしれないなって。
まあそんなことをずっと考えてはしまいますね。

しかしこの煮え切らない感情も全くもって悪いことではないと思っていて、

というのも、知ってる人は知ってると思いますが、私は中学の時に吹奏楽部に所属してたんですね。
かなり強豪校でした。東北に1枠しかない全国大会に出て、大阪城ホールで演奏したことが何度もあるくらいには。イメージは、所さんの吹奏楽の旅みたいな感じです。
けれど高校に入る頃には辞めました。飽きたからです。
自分が本来持っていた音楽をやりたいって気持ちと、強豪校でい続けるための強迫観念とが曖昧になってしまって、本当にそれが自分がやりたいことであるのかが分からなくなってしまったからです。

嫌になったのではなく、なんかもういいやって思ってしまった。
苦しいのではなく、それを続けた先に見える世界に興味を失った。
そして今でも、なんとなく距離を置き続けたままである。

陸上競技に感じている気持ちは、これとは全くの別物で。

あーうまくいかなかったな、うまくいかなくてももうちょっと貪欲であれたらよかったのかな、自分のことをもっと理解してうまくやれればよかったのにな、

今この陸上競技との繋がりを切ってしまうのは、もったいないな。

私は今後もなんとなくジョグしてしまうだろうし、なんとなく脂質を摂りすぎないように気を配ってしまうだろうし、なんとなく陸上部で出会った人にまた会いたくなる。
うまくできなかったからこそ、まだ続きがあると感じられる。
だってまだ競技歴4年、高校から競技を始めた今年入学の1年生にやっと並んだところなんだから。
まだこれからでしょ、十分に。
たとえ80歳で死んでしまうとしても、あと60年近くは時間があるのだから。



、、、などと、こと自分に対してはそう感じつつあるわけですが、実際はそうではない人が大半どころか、「今この瞬間、大学4年間という時間で成し遂げられるか」を追求する人がほとんどであるということも、まあ理解はしているわけで。
そのような私とは同列に語ることなんてできないほど高尚で尊い人が多数である環境で、私みたいなスタンスの人って死ぬほど腹立つと思うんですよね。
私にとって陸上競技である必然性とは何も無くて、ある意味手段として利用しているとも言えるわけで、それってめちゃくちゃ競技という神聖なものに対して冒涜的です。
常日頃からごめんねとは思っていたけど、まあこんな機会なので最後にちゃんと謝らせてね、本当にごめんなさい。

私にとって陸上競技である理由は、
①チームスポーツ前提ではないので、自分の行動によってチーム全体の勝利から遠ざかるという状況が考えにくい
②体育会の中では続けやすい競技だと思った
③けれど運動が元から得意ではない自分にとっては簡単に克服できそうな競技ではなく、自分にとっての高い壁として機能してくれそうだと感じた
まあこんなもんですかね。
舐めてますね相変わらず。

「これを極めようと決めたから」
「どうしても超えたい壁があるから」
「それが楽しくてしょうがないから」
このような理由で何かを続けることができる人は、本当に心の底から素晴らしいと思う。私はずっとそうなれないからこそ、それがずっと当たり前すぎて今更なんとも思ってない貴方より、そうであることの真価をかえって理解しています。

一橋大学陸上競技部とは、そのような素晴らしい集団です。
そこに居させてもらえるだけで本当に幸せだったし、居させてもらえることが申し訳なかった。
だからなんとか、その分の恩返しってほどじゃないけど、最低限の役には立とうとは思ってはいたんだけど、、、
、、、なかなか難しかったなあ

引退ブログなわけだし、4年間を振り返ってなんか私が役に立ったことを頑張って羅列してみたけど、
・2年の時の関西駅伝に出て、とりあえずオール一橋のチームとして成立させた
・去年の名大戦の総務やった
・今年の名大戦でやり投げに出て、2点とった
、、、う〜ん、そりゃそうするのが当然だろってのばっかり、、、
もっとなんか、めっちゃ事務的なことで役に立つとか、記録はカスでも背中で語るレベルの貪欲さを見せるとか、カス競技者だからこそその立場を活かして後輩の相談に乗るとか、なんかそういうちゃんと役に立つことできなかったんですかね、、、

まあでも過ぎ去ったことはしょうがないので。
今後私ができることと言えば、27大駅伝で欠場者が出ても補欠として最低限の役割はちゃんと果たす、早いこと出世して高マット購入代くらい余裕で支援できるようになる、対校戦の時にセンスのいい痒いところに手の届く差し入れを持ってくる、そんなところですかね。
果たしてここまで仕事ができない私がどれほどまで出世できるかは、甚だ疑問ではありますが。



せっかくの機会だし、ここまで読んでくれた物好きな皆さんに今改めて伝えたいことでも最後に記して、ちゃんと有意義な情報にしてから締めくくるとします。

① 身体には気をつけよう

マジこれ大事。
どれだけ練習してきても、その日そのレースへの気持ちが強くても、出れなきゃ意味ないです。
まあ私が度々苦しめられた発熱なんかはあまり予防ができるものでもなかったんですが、インフルのワクチンは打つとか、マスクはつけるとか、早寝早起き朝ごはんとか、気を配れることはたくさんありますので。
ちなみに3年時に虫垂炎になったが、どうやら盲腸は盲腸で一般的ななんも役割のない臓器のイメージに反して免疫の保存?なんかに役に立ってるらしいので、虫垂炎なんかもならないに越したことはないです。

あとこれは主に女性向けの話ではありますが、自分の身体のことはちゃんと検査してもらって、適切に対処してもらった方がいい。
私はホルモンバランスの問題で元々不調が多く、活動ができる時とそうでない時にものすごい波があったのですが、ちゃんと検査してもらって薬飲んでからは安定してきて、生活のしやすさというか日々のハードルがぐんと下がりました。
これ女性だけではないですね、男性もですね。自分の身体の問題点や、身体が持つ傾向なんかも含めて全部ちゃんと把握しておいた方が、陸上だけじゃなく様々な側面で生きた時間を過ごせるようになると思います。
そのためにちゃんと病院には行きましょう。保険証は持ち歩きましょう。

② 自分のことをちゃんと知って、肯定しよう

案外人間は自分のことをよくわかってないと思う。
特に、陸上部の皆さんは、自分を正しく褒めることが下手であるケースが多いように感じる。

今年の名大戦で私はやり投げに対校で出た訳ですが、その際マヒロ=ヨネヤマ氏をはじめとした皆様に大変教えを受けたわけですが。
(本当にありがとうございました。この場を借りて感謝申し上げます。あと、繰り返しますがHPに歴代記録として残ってるのガチはずいので、特に一橋女子の皆さん、さっさと私の記録を超えて欄外に追いやってください)
そこでやっと、「自分がどう運動神経が悪いのか」を理解することができました。上半身と下半身が繋がっていることが理解できない。空間の中で自分の手足が存在する位置を把握することができない。1度に3つ以上のことを意識することができない。
もっと早く知れていたら、自分の走り方に抱く違和感をもっと丁寧に解消できていたかもしれないし、成長も早かったかもしれない。そう思うと、まじでもったいなかったなと感じます。
それと同時に、周囲と自分の感覚の差を実感することもできましたね。感覚の違いを知ったところで違うことには変わりないですが、違うのだという前提を持って話を聞けるか否かだけでもだいぶ大きな差があると思います。

(余談だが、私はここで初めて、「どう足掻いても理解ができない」という感覚を思い知っている。幸い勉強には向いているようなのでこれまでにあまり“ガチ”で理解できないという感覚、それにまつわる劣等感や拒否感、孤独感を意識することはなかったが、ここで初めて私は身をもって知ることができるようになったのである。
だから私は今後他人にもっとずっと優しくなるだろうし、優しくできると思う。正直これが理解できただけでも、大学4年間のお釣りは十分に来るレベルだと、私個人としては感じている。)

これは自分の得手不得手に限ったことではないし、能力に限った話でもない。
自分の性格や考え方の癖、大事にしている価値観はなんなのか、それを無意識のものではなく、意識の下で自覚的に起こる反応にしておくだけで、自分と向き合うのも他人と向き合うのもずっと楽になると思う。
たとえそれがコントロールできないものであっても、なにかうまくいかないことがあってもただいたずらに不満やフラストレーションを抱くのではなく、建設的なものへと昇華させることができるので。
そういう意味では就活で求められることって、間違ってはないと思うんですよね。評価方法がおかしいだけで。

あとはちゃんと自分のこと肯定しましょうね。
人間って思ってるよりずっと、自分の根幹を肯定できているかどうかで生活や考え方が変わります。肯定の有無で、生活のエネルギーが自分を導く方向が変わります。
みんな素晴らしい人間なんだから、間違いやうまくいかないことがたとえあったとしても、それでもこれでいいんだって思いながら、生活を重ねてほしいですね。
生きてるだけで偉い!はあまりにも詭弁すぎて嫌いだけれど、まあ自分を肯定する方法がわからなかったら極論それでもいいのだよ。
自分って意外とこれが得意かもな、こういうふうに物事を理解しているんだな、これを目指しているんだな、その目標への向かい方はこうなんだな、ああ今日も自分は意味のある人生を生きているな!
こんなもんでいいんです。
自分の褒めどころが分からなかったら私に聞いてくれると嬉しいかも。人のこと褒めるのは地味に得意です。唯一の特技です。
まあ私じゃなくても、貴方の想像以上にみんなは貴方のいいところを見てると思いますけどね。



なんか話が広がりすぎて引退ブログの体を成さなくなってきそうなので、この辺にしときます。

本当にありがとうございました。4年間本当に幸せでした。
たとえどう思われていたとしても、私は皆さんを愛しています。