皆さま、お久しぶりです。4年の磯﨑です。このブログを執筆するのも最後になるかと思うと感慨深いものがあります。長くなるかもしれませんが、最後までお付き合いいただけると幸いです。
改めまして、僕は先日の名大戦をもって11年間にわたる競技人生に幕を下ろしました。ここまでの道のりは決して順風満帆なものではありませんでしたが、一競技者としてこうして万感の思いで引退を迎えられたことを心から嬉しく、そして誇りにも思います。他にも、ここまでやり切ったという達成感や、中高時代を懐かしむ気持ち、もうトラックのスタートラインに立つことはないんだなという寂しさなど、胸にこみ上げてくる思いは尽きず、まさに感無量です。しかしそんな多様な感情の中に、実はある種の恐怖も感じています。一般的に、人が長く歩んできた道を離れるとき、そこに恐怖という感情が介在するケースはあまり多くはないのかもしれませんが、それでも今の僕の胸の内には恐怖と呼べる感情が確かに存在しています。
2014年の秋、この陸上競技というスポーツに出会っていなかったら、今頃どんな人生を歩んでいたのだろうと想像したときの恐怖を、今確かに感じています。そのことを考えただけで背筋が冷たくなる思いです。何が言いたいのかというと、それくらい僕の人生は陸上に強く影響を受けてきたし、こうして引退を迎えると同時にこれまで生きてきた道のりを振り返った今、陸上のない人生など考えられないということです。800mという競技そのものに魅了されるどころか、ある時期は陶酔すらしていました。陸上を通して出会えた人やお世話になった人は数えきれませんし、陸上をやっていなければ決して訪れることのなかった場所や見ることのなかった景色、感じることのなかった感情に、いくつも巡り合うことができました。だからこそ、陸上のない世界線の自分を想像すると、そうした数々の出会いが全て無かったことになるのだという事実に襲われ、だとしたら今頃どんなにつまらなく味気のない人間になっていたかと思うと怖いのです。そうした意味で、陸上から得られた財産は枚挙に暇がありませんが、あえて一つあげるならば、陸上を通じて僕自身の感情の幅が広がったことでしょうか。
僕は陸上を通して、本当に様々な感情を経験しました。悔しくて嗚咽が止まらないほど涙を流したこともあれば、心臓が芯から震えるほど嬉しい思いをしたこともありました。自分はこんなにも悔しい、嬉しい、といった感情を本気で心の底から抱くことができるんだと、自分で自分に驚かされました。陸上を通して自分の中にこんな感情が存在していたんだと気づく瞬間が多くあり、陸上が新しい自分に出会わせてくれたと言っても過言ではありませんでした。
さらには、朝目覚めた瞬間から夜眠りに落ちる直前まで、四六時中陸上のことを考えている時期もありました。そうした時期に、ありもしない正気を失ったような幻想を抱いたのは一度や二度ではなく、そこに向かって少なくない量の努力も費やしました。しかしその多くは叶わず幻想のまま終わりましたが、この11年間を振り返って何度か、そうして頭の中で思い描いていた夢がレースの場で結果として現れ、現実になる瞬間を経験しました。2017年の秋、2018年の夏と冬、2021年の春と秋、2024年の秋。比較的最近のものもあれば、かなり前のものもありますが、いずれの瞬間の心が跳ね上がる感覚も、その時の景色も含めて鮮明に記憶しています。夢が現実になるあの瞬間の高揚感というのは、本当に筆舌に尽くしがたいほど特別なもので、生涯忘れることはないだろうと確信しています。しかし物事には往々にして二面性というものがあり、陸上でしか得られないそうした喜びの裏には、陸上でしか味わうことのなかった非情な現実に直面せざるを得ない時間がありました。
約11年という長い競技人生の中で、僕は二度、陸上に対して極めてネガティブな感情を抱いていた時期を過ごしました。周りのチームメイトがいつものように練習に取り組む中、自分だけがどうしてもうまく走れませんでした。だから練習しようと思うのですが、練習しようとすればするほど、自分が走れないという現実により近いところで向き合うことになり、それがさらに憂鬱を呼ぶような日々が続いていました。補足しておけば、当時何か深刻な怪我に悩まされていたわけではありません。走ってもどこも痛くないし、どこかに違和感があるわけでもないのに、本当に走ることができませんでした。そのことがより一層僕を苦しめました。最初のうちは、走れないのに何のために練習しているんだろうと考えたりもしましたが、次第に走ることをやめる理由を考えるのに、多くの時間を費やすようになっていきました。
先ほど競技に陶酔するくらいのめりこんでいた時期もあったと書きましたが、当時は朝目が覚めると真っ先にその日の練習のことが頭に浮かんで、数時間後にグラウンドで疾走する自分に想像を膨らませながら練習までの時間を過ごしていました。何をするにも、常に陸上のことが頭にありました。そのようにして、半ば狂ったように競技に情熱を注いで取り組んでいたころからは露ほども想像できないくらい、全く反対側の遠く離れた光のない場所で苦しんでいる自分がいました。部活に行くのも、シューズを履くのも、スマホで陸上のニュースを見るのも、心も体も全てが陸上を拒絶していた時間を、今までに二度経験しました。そうした意味で、2020年の春と、2024年から2025年にまたがる冬というこの二つの季節は、僕にとっては陸上という文脈を抜きにしてもあまり良いものとして記憶されておらず、簡単に言えば暗黒期とも呼べるものでした。よく思い出せば、陸上以外のことでうまくいっていたことや楽しかったことが無かったわけではありませんが、とにかく僕の記憶の中ではこの二つの時期は、色で言えば黒に近い灰色のようなイメージで、なかなか覚めない嫌な夢の中に閉じ込められているような感覚でした。
しかしこれは、裏を返せばそれだけ自分の生活や日々の調子が、陸上を中心に動いてきたということだとも言えます。嫌ならやめてしまうことだってできるし、別に陸上以外の何か打ち込める対象を見つければよかったのですが、そうすることはできませんでした。もちろんその当時とても苦しくて辛くて、逃げ出したいとも思いました。「もう潮時かな」そう思って、もっと早めにこの勝負の世界から去る選択肢が脳裏をよぎった瞬間もありました。そもそも陸上を始めていなかったらこんなに思い悩むこともなく、プレッシャーを感じることもなく、もっと楽しいことに溢れた日々を送れていたのにと、くだらない妄想に時間を費やしたことだってありました。
しかしそうした中でも、競技から離れる決断をしなかったのは、先ほども述べた夢が現実になる時のあの感覚を知っているからです。レースに出て、記録を出す。ライバルに勝つ。そのライバルというのが過去の自分であっても良いところが、陸上競技の魅力です。いずれにせよ、陸上の醍醐味ともいえる、そうした瞬間にしか味わうことのできない恍惚の境地をずっと追い求めていました。しかし追い求めても追い求めても届かないことばかりで、いつしかレースで勝ちたいのか、記録を更新したいのか、もう分からなくなっていました。そのどちらもうまく達成できない自分には、ただただ失望するばかりでした。
というのも、僕は小学5年生の時に陸上を始めましたが、中学3年生の時にいわゆるブレイクスルー・飛躍的なタイムの伸びを経験しました。それまでの自分の実力からは全く想像もできなかったような、そんな夢みたいな舞台に二度も立つことができたのが2018年という年でしたが、まさかここが自分の競技人生を通しての全盛期になるとは、そのときは思ってもみませんでした。それ以降、高校、大学と人生のステージが進むにつれ、周りのライバルたちはどんどん速く、強くなっていきましたが、僕は彼らの成長速度についていくことができませんでした。中学の時に勝てていた相手に高校に入ってから負ける。高校の時に勝てていた相手に大学に入ってから負ける。そうしたことが多くありました。同世代だけでなく、自分より下の世代からもどんどん強い選手がでてきて、自分だけが置いていかれる感覚がありました。最初のうちはそのことにショックを受けましたが、次第にそれが当たり前のように感じられてきました。そうした中で、レースに勝てないし記録も伸びないという現実に直面するたびに、何のために競技に取り組んでいるのかについて考えを巡らせたことも一度や二度ではありませんでした。やめる理由ならいくつか思いつきましたが、そのどれもが決定的なものではなく、あの暗黒期においてさえも僕をトラックから遠ざけるには至りませんでした。一方で、やめない理由はわずかしかありませんでしたが、数えるほどしかないその理由は考えるまでもなく胸の奥から自然と湧き上がるものでした。一つは書いた通りですが、もう一つありました。特に高校、大学と人生のステージが進むにつれ、この理由のために走っている部分が自分の中で多くを占めるようになってきました。周囲の人の存在でした。
辛い時も、やめたいなと思った時も頑張れたのはひとえに、日々競技に取り組んでいる僕に対して「明日頑張ってね」と試合があることを気にかけてくれる人がいて、実際に試合会場まで足を運んで応援しにきてくれる人もいて、試合が終われば「おめでとう」や「お疲れ様」などの温かい言葉をかけてくれる人の存在があったからです。大学で陸上部に入り約2年ぶりに800mを走った時、2分12秒かかりました。かつていた位置からは程遠いタイムでの競技復帰でしたが、それでもレースが終わった後には、無条件に「よく頑張ったね」という労いの言葉をかけてくれる人がいました。その時は本当に、胸の中で熱く込み上げるものがありました。速く走ることこそが正義であり、結果を出してこそ認められる条件付きの肯定が当たり前であった世界に長く身を置いていた自分にとって、このどこか救われたような感覚は新鮮かつ深甚なものでした。かつて世代の上の方で戦えていた自分が、陸上を通して悔しくて涙を流したことはそれまでにもありましたが、こうした形で涙が流れたのは初めてのことでした。
それ以来、まだ小学生だった頃から先日の引退に至るまで、陸上を通して出会えた人たちはもちろんですが、家族や友達をはじめ僕の周りにいる人たちが皆共通した僕を応援したいという気持ちを持ち続けてくれて、それを僕に分かる形で届け続けてくれたことが、何よりも部活に行って練習をこなし、試合に出て記録を狙うというサイクルを回す原動力になっていました。ハーフマラソンのラスト1キロや800mのラスト100mといった、レースの中で一番しんどい瞬間に僕の脳裏に浮かぶのは、いつだってそうした人たちの存在でした。調子がいい時には活力になりました。辛いときには支えになりました。そのどちらでもない時が一番感謝を忘れそうになりましたが、今ここで改めて申し上げたく思います。ありがとうございました。感謝、感謝。
中学で一定の成果を収めた僕の競技人生は、こうして競技の第一線から退く今、結果だけに目を向ければ、競技者としては言ってしまえば早熟という言葉で片付けることもできてしまうもので、それゆえに思い悩んだことは幾度となくありました。しかしこの世界に足を踏み入れた2014年以来、陸上という存在が僕の脳内から完全に姿を消した瞬間は一度もなく、必ずどこかでその炎は燃えていました。大きなブランクもありましたが、その時ですらいつか自分はもう一度走り始めるんじゃないかという予感さえ抱いていました。陸上が自分と全く無関係なものとはどうしても思えませんでした。確かに時期によってその気持ちに程度の差こそありましたし、姿かたちこそ変えながらではありましたが、時には生きる活力として、時には悩みの種として、これ以上なく身近で当たり前なものとして、陸上競技は常に僕の中に存在し続けてきました。
陸上を始めたころ、僕は100mを15秒27でしか走ることのできない小学生でしたが、11年たった今は800mを1分56秒で走れるようになりました。自分の成長が記録という客観的な指標で目に見えてわかるのはこのスポーツの良さでもありますが、それ以上に、引退に際してこんなにもあれこれと多様な感情が自然と胸にこみあげてくるほど、これまで信じて進んできた道に一切悔いはないと堂々と言えるほど充実した人生を歩ませてくれたことが、陸上競技が僕にもたらしてくれた最大の財産でした。陸上が楽しくない時間もありましたが、それ以上に陸上を楽しいと思う時間が多くありました。その時間を、普段は面白いのにいざという時頼りになる先輩や、無邪気に慕ってくれるかわいい後輩、そして互いに刺激し合い、時には同じ頂を目指して切磋琢磨し高めあってきた仲間と共有できたからこそここまで走って来ることができました。まだ22年間しか生きていませんが、こうして一つ区切りになる場所で、今まで陸上を頑張ってきてよかったと胸を張って言える僕は幸せ者だと強く思います。ただ速く走るというシンプルなことを追い求める道のりを通して、それ以上の人間的・精神的な成長を享受できたことに加え、自分の知らなかった新しい自分にも出会うことができ、ましてやかけがえのない人との繋がりをももたらしてくれたこの長きにわたる競技生活は他の何にも代え難く、表現の限りを尽くしても及ばないほど最高なものでした。人生で二度とない貴重な経験を、本当にありがとうございました。
引退に際して、自らの内に去来する感情を思うままに書き連ねていたら、結局支離滅裂で冗長な文章になってしまいました。ここまで書き終えて読み返してみた今、多少の推敲や文の体裁を整える作業を加えるべきかとも考えましたが、やめておくことにしました。最後くらいは虚飾を排し、誰にも媚びずにありのままの自分を、またとないこの青春への訣別の辞として書き残しておきたいと考えたからです。流れも拙く論理的な整合性や一貫性にも欠け、重複や矛盾も多く残る文章であるかとは思いますが、ここに綴られた言葉の一つひとつが紛れもない僕の本心であることだけは、最後に記しておきます。
磯﨑丈
明日は会うたびに体がデカくなっているような気がする大島凛士くんです。少しでいいのでその逞しい筋肉を分けてほしい気持ちです。
改めまして、僕は先日の名大戦をもって11年間にわたる競技人生に幕を下ろしました。ここまでの道のりは決して順風満帆なものではありませんでしたが、一競技者としてこうして万感の思いで引退を迎えられたことを心から嬉しく、そして誇りにも思います。他にも、ここまでやり切ったという達成感や、中高時代を懐かしむ気持ち、もうトラックのスタートラインに立つことはないんだなという寂しさなど、胸にこみ上げてくる思いは尽きず、まさに感無量です。しかしそんな多様な感情の中に、実はある種の恐怖も感じています。一般的に、人が長く歩んできた道を離れるとき、そこに恐怖という感情が介在するケースはあまり多くはないのかもしれませんが、それでも今の僕の胸の内には恐怖と呼べる感情が確かに存在しています。
2014年の秋、この陸上競技というスポーツに出会っていなかったら、今頃どんな人生を歩んでいたのだろうと想像したときの恐怖を、今確かに感じています。そのことを考えただけで背筋が冷たくなる思いです。何が言いたいのかというと、それくらい僕の人生は陸上に強く影響を受けてきたし、こうして引退を迎えると同時にこれまで生きてきた道のりを振り返った今、陸上のない人生など考えられないということです。800mという競技そのものに魅了されるどころか、ある時期は陶酔すらしていました。陸上を通して出会えた人やお世話になった人は数えきれませんし、陸上をやっていなければ決して訪れることのなかった場所や見ることのなかった景色、感じることのなかった感情に、いくつも巡り合うことができました。だからこそ、陸上のない世界線の自分を想像すると、そうした数々の出会いが全て無かったことになるのだという事実に襲われ、だとしたら今頃どんなにつまらなく味気のない人間になっていたかと思うと怖いのです。そうした意味で、陸上から得られた財産は枚挙に暇がありませんが、あえて一つあげるならば、陸上を通じて僕自身の感情の幅が広がったことでしょうか。
僕は陸上を通して、本当に様々な感情を経験しました。悔しくて嗚咽が止まらないほど涙を流したこともあれば、心臓が芯から震えるほど嬉しい思いをしたこともありました。自分はこんなにも悔しい、嬉しい、といった感情を本気で心の底から抱くことができるんだと、自分で自分に驚かされました。陸上を通して自分の中にこんな感情が存在していたんだと気づく瞬間が多くあり、陸上が新しい自分に出会わせてくれたと言っても過言ではありませんでした。
さらには、朝目覚めた瞬間から夜眠りに落ちる直前まで、四六時中陸上のことを考えている時期もありました。そうした時期に、ありもしない正気を失ったような幻想を抱いたのは一度や二度ではなく、そこに向かって少なくない量の努力も費やしました。しかしその多くは叶わず幻想のまま終わりましたが、この11年間を振り返って何度か、そうして頭の中で思い描いていた夢がレースの場で結果として現れ、現実になる瞬間を経験しました。2017年の秋、2018年の夏と冬、2021年の春と秋、2024年の秋。比較的最近のものもあれば、かなり前のものもありますが、いずれの瞬間の心が跳ね上がる感覚も、その時の景色も含めて鮮明に記憶しています。夢が現実になるあの瞬間の高揚感というのは、本当に筆舌に尽くしがたいほど特別なもので、生涯忘れることはないだろうと確信しています。しかし物事には往々にして二面性というものがあり、陸上でしか得られないそうした喜びの裏には、陸上でしか味わうことのなかった非情な現実に直面せざるを得ない時間がありました。
約11年という長い競技人生の中で、僕は二度、陸上に対して極めてネガティブな感情を抱いていた時期を過ごしました。周りのチームメイトがいつものように練習に取り組む中、自分だけがどうしてもうまく走れませんでした。だから練習しようと思うのですが、練習しようとすればするほど、自分が走れないという現実により近いところで向き合うことになり、それがさらに憂鬱を呼ぶような日々が続いていました。補足しておけば、当時何か深刻な怪我に悩まされていたわけではありません。走ってもどこも痛くないし、どこかに違和感があるわけでもないのに、本当に走ることができませんでした。そのことがより一層僕を苦しめました。最初のうちは、走れないのに何のために練習しているんだろうと考えたりもしましたが、次第に走ることをやめる理由を考えるのに、多くの時間を費やすようになっていきました。
先ほど競技に陶酔するくらいのめりこんでいた時期もあったと書きましたが、当時は朝目が覚めると真っ先にその日の練習のことが頭に浮かんで、数時間後にグラウンドで疾走する自分に想像を膨らませながら練習までの時間を過ごしていました。何をするにも、常に陸上のことが頭にありました。そのようにして、半ば狂ったように競技に情熱を注いで取り組んでいたころからは露ほども想像できないくらい、全く反対側の遠く離れた光のない場所で苦しんでいる自分がいました。部活に行くのも、シューズを履くのも、スマホで陸上のニュースを見るのも、心も体も全てが陸上を拒絶していた時間を、今までに二度経験しました。そうした意味で、2020年の春と、2024年から2025年にまたがる冬というこの二つの季節は、僕にとっては陸上という文脈を抜きにしてもあまり良いものとして記憶されておらず、簡単に言えば暗黒期とも呼べるものでした。よく思い出せば、陸上以外のことでうまくいっていたことや楽しかったことが無かったわけではありませんが、とにかく僕の記憶の中ではこの二つの時期は、色で言えば黒に近い灰色のようなイメージで、なかなか覚めない嫌な夢の中に閉じ込められているような感覚でした。
しかしこれは、裏を返せばそれだけ自分の生活や日々の調子が、陸上を中心に動いてきたということだとも言えます。嫌ならやめてしまうことだってできるし、別に陸上以外の何か打ち込める対象を見つければよかったのですが、そうすることはできませんでした。もちろんその当時とても苦しくて辛くて、逃げ出したいとも思いました。「もう潮時かな」そう思って、もっと早めにこの勝負の世界から去る選択肢が脳裏をよぎった瞬間もありました。そもそも陸上を始めていなかったらこんなに思い悩むこともなく、プレッシャーを感じることもなく、もっと楽しいことに溢れた日々を送れていたのにと、くだらない妄想に時間を費やしたことだってありました。
しかしそうした中でも、競技から離れる決断をしなかったのは、先ほども述べた夢が現実になる時のあの感覚を知っているからです。レースに出て、記録を出す。ライバルに勝つ。そのライバルというのが過去の自分であっても良いところが、陸上競技の魅力です。いずれにせよ、陸上の醍醐味ともいえる、そうした瞬間にしか味わうことのできない恍惚の境地をずっと追い求めていました。しかし追い求めても追い求めても届かないことばかりで、いつしかレースで勝ちたいのか、記録を更新したいのか、もう分からなくなっていました。そのどちらもうまく達成できない自分には、ただただ失望するばかりでした。
というのも、僕は小学5年生の時に陸上を始めましたが、中学3年生の時にいわゆるブレイクスルー・飛躍的なタイムの伸びを経験しました。それまでの自分の実力からは全く想像もできなかったような、そんな夢みたいな舞台に二度も立つことができたのが2018年という年でしたが、まさかここが自分の競技人生を通しての全盛期になるとは、そのときは思ってもみませんでした。それ以降、高校、大学と人生のステージが進むにつれ、周りのライバルたちはどんどん速く、強くなっていきましたが、僕は彼らの成長速度についていくことができませんでした。中学の時に勝てていた相手に高校に入ってから負ける。高校の時に勝てていた相手に大学に入ってから負ける。そうしたことが多くありました。同世代だけでなく、自分より下の世代からもどんどん強い選手がでてきて、自分だけが置いていかれる感覚がありました。最初のうちはそのことにショックを受けましたが、次第にそれが当たり前のように感じられてきました。そうした中で、レースに勝てないし記録も伸びないという現実に直面するたびに、何のために競技に取り組んでいるのかについて考えを巡らせたことも一度や二度ではありませんでした。やめる理由ならいくつか思いつきましたが、そのどれもが決定的なものではなく、あの暗黒期においてさえも僕をトラックから遠ざけるには至りませんでした。一方で、やめない理由はわずかしかありませんでしたが、数えるほどしかないその理由は考えるまでもなく胸の奥から自然と湧き上がるものでした。一つは書いた通りですが、もう一つありました。特に高校、大学と人生のステージが進むにつれ、この理由のために走っている部分が自分の中で多くを占めるようになってきました。周囲の人の存在でした。
辛い時も、やめたいなと思った時も頑張れたのはひとえに、日々競技に取り組んでいる僕に対して「明日頑張ってね」と試合があることを気にかけてくれる人がいて、実際に試合会場まで足を運んで応援しにきてくれる人もいて、試合が終われば「おめでとう」や「お疲れ様」などの温かい言葉をかけてくれる人の存在があったからです。大学で陸上部に入り約2年ぶりに800mを走った時、2分12秒かかりました。かつていた位置からは程遠いタイムでの競技復帰でしたが、それでもレースが終わった後には、無条件に「よく頑張ったね」という労いの言葉をかけてくれる人がいました。その時は本当に、胸の中で熱く込み上げるものがありました。速く走ることこそが正義であり、結果を出してこそ認められる条件付きの肯定が当たり前であった世界に長く身を置いていた自分にとって、このどこか救われたような感覚は新鮮かつ深甚なものでした。かつて世代の上の方で戦えていた自分が、陸上を通して悔しくて涙を流したことはそれまでにもありましたが、こうした形で涙が流れたのは初めてのことでした。
それ以来、まだ小学生だった頃から先日の引退に至るまで、陸上を通して出会えた人たちはもちろんですが、家族や友達をはじめ僕の周りにいる人たちが皆共通した僕を応援したいという気持ちを持ち続けてくれて、それを僕に分かる形で届け続けてくれたことが、何よりも部活に行って練習をこなし、試合に出て記録を狙うというサイクルを回す原動力になっていました。ハーフマラソンのラスト1キロや800mのラスト100mといった、レースの中で一番しんどい瞬間に僕の脳裏に浮かぶのは、いつだってそうした人たちの存在でした。調子がいい時には活力になりました。辛いときには支えになりました。そのどちらでもない時が一番感謝を忘れそうになりましたが、今ここで改めて申し上げたく思います。ありがとうございました。感謝、感謝。
中学で一定の成果を収めた僕の競技人生は、こうして競技の第一線から退く今、結果だけに目を向ければ、競技者としては言ってしまえば早熟という言葉で片付けることもできてしまうもので、それゆえに思い悩んだことは幾度となくありました。しかしこの世界に足を踏み入れた2014年以来、陸上という存在が僕の脳内から完全に姿を消した瞬間は一度もなく、必ずどこかでその炎は燃えていました。大きなブランクもありましたが、その時ですらいつか自分はもう一度走り始めるんじゃないかという予感さえ抱いていました。陸上が自分と全く無関係なものとはどうしても思えませんでした。確かに時期によってその気持ちに程度の差こそありましたし、姿かたちこそ変えながらではありましたが、時には生きる活力として、時には悩みの種として、これ以上なく身近で当たり前なものとして、陸上競技は常に僕の中に存在し続けてきました。
陸上を始めたころ、僕は100mを15秒27でしか走ることのできない小学生でしたが、11年たった今は800mを1分56秒で走れるようになりました。自分の成長が記録という客観的な指標で目に見えてわかるのはこのスポーツの良さでもありますが、それ以上に、引退に際してこんなにもあれこれと多様な感情が自然と胸にこみあげてくるほど、これまで信じて進んできた道に一切悔いはないと堂々と言えるほど充実した人生を歩ませてくれたことが、陸上競技が僕にもたらしてくれた最大の財産でした。陸上が楽しくない時間もありましたが、それ以上に陸上を楽しいと思う時間が多くありました。その時間を、普段は面白いのにいざという時頼りになる先輩や、無邪気に慕ってくれるかわいい後輩、そして互いに刺激し合い、時には同じ頂を目指して切磋琢磨し高めあってきた仲間と共有できたからこそここまで走って来ることができました。まだ22年間しか生きていませんが、こうして一つ区切りになる場所で、今まで陸上を頑張ってきてよかったと胸を張って言える僕は幸せ者だと強く思います。ただ速く走るというシンプルなことを追い求める道のりを通して、それ以上の人間的・精神的な成長を享受できたことに加え、自分の知らなかった新しい自分にも出会うことができ、ましてやかけがえのない人との繋がりをももたらしてくれたこの長きにわたる競技生活は他の何にも代え難く、表現の限りを尽くしても及ばないほど最高なものでした。人生で二度とない貴重な経験を、本当にありがとうございました。
引退に際して、自らの内に去来する感情を思うままに書き連ねていたら、結局支離滅裂で冗長な文章になってしまいました。ここまで書き終えて読み返してみた今、多少の推敲や文の体裁を整える作業を加えるべきかとも考えましたが、やめておくことにしました。最後くらいは虚飾を排し、誰にも媚びずにありのままの自分を、またとないこの青春への訣別の辞として書き残しておきたいと考えたからです。流れも拙く論理的な整合性や一貫性にも欠け、重複や矛盾も多く残る文章であるかとは思いますが、ここに綴られた言葉の一つひとつが紛れもない僕の本心であることだけは、最後に記しておきます。
磯﨑丈
明日は会うたびに体がデカくなっているような気がする大島凛士くんです。少しでいいのでその逞しい筋肉を分けてほしい気持ちです。
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