こんにちは。短距離パートの澁谷です。
今年の抱負は、「関東インカレで110mH優勝」そして「関カレマイルでラップ48フラで走って、決勝出る」の2つです。
入部時から110mHで全カレ出れるレベルのタイム出すって目標で4年単位の計画立てて、現在入部時からタイムは1.5秒縮み、100mのタイムから見ても射程圏内にあると思います。
マイルに関しても4継より好きだし、去年ラップ49フラは出たし、冬季で練習量は積めてるし妥当な目標だと思ってます。
陸上ラストイヤー。関東大会という大舞台で満足いく結果を出して、競技者として悔いないように出来るだけの努力をしきって終わりたいと思ってます。頑張りますので応援お願いします。
と、つい2,3ヶ月前なら言いきれて、多分本気でそこに向かって努力できたと思います。でも、最近になってその目標がしっくりこなくなってしまいました。
就活とか、新年の始まりとか、内省する機会が増えて自己理解が深まったためです。
なんのために陸上続けてんだっけとか、今目指してるところって妥当なんだっけとか考えてみると、分からなくなって。
きっと関東インカレ優勝したとしても、その瞬間は嬉しいけど、次は全カレ優勝目指して、それ達成したらもっと先の目標目指してって変わるだけなんだろうなとか。マイルで決勝行ったって、それ自体に本当に熱狂するんだろうかとか。
目標のために努力するというよりも、努力し続けるために目標を設定している感覚があって。関東大会優勝するって言って、計画立てれば自然と頑張れるからそう宣言してるだけだと感じます。
もっと言えば、怠惰で無気力な自分が嫌いで、そういう自分から逃げるために努力し続けてるような感覚があります。競技者として筋の通った振る舞いをしているうちは、自分で自分を否定することもないから。
ある種自分を認めるための手段としてそれがある以上、それらを抱負や目標として宣言するのは間違ってるよなあと思って、このテーマを見てから頭を悩ませていました。
思えば中学から、ブロック大会や全国大会みたいな身の丈に合わない目標を設定しては、それに向かってがむしゃらに走る競技人生だったように思います。
最初は純粋に憧れでそれに向かって努力していたものが、
気づけば努力することがスタンダードになり、高い目標に向かって頑張らない瞬間に違和感を抱くようになって、
大学に入ってからは関東大会までの距離が見えるようになって、そうなってからはサボったり別な道を見てみたりする選択肢すらなくなって。
すごく競技者としては幸せな歩みなんだろうなと思いつつ、内面に目を向ければ、高い目標に向かって頑張るワクワク感とか無謀な目標に飛び込む挑戦心とかが消えてて、目標は高いままなんだけど、その質が全然変わっちゃったなと気づきました。
そこまで考えて、関カレ優勝とか言わずに、今年の抱負は「今までの競技人生に恥じないように、1年やり抜くことです」とか書こうかとも迷ったけど、それはそれでどんな結果でも自分を肯定する逃げ道を作るようで、しっくりこない。
俯瞰して自分を見てみると、関東大会出るって決めて目標立てて計画立てて、それに向かって練習こなして、食べたくもないむね肉食べて陸上の勉強して8時間睡眠守って。
俺ってロボットみたいだなー。って思ってモチベーション下がっちゃって、変に自己分析みたいなことするよりか、ひたすら目標と道筋のなかに自分を埋め込んで頑張り続ける毎日の方がラクだったかもって思ったけど、こうなった以上下がったモチベーションをなんとかするしかない。きっと今の時期に自分と向き合うことは必要だったし、だったら別な関わり方で陸上と向き合える方法を探さなくちゃいけないと思いました。
しょうがないから、もう一度丁寧に過去を振り返ると、多分原動力は、「努力してない自己への嫌悪感」以外のところにもあって、「誰かと嬉しい気持ちを共有できること」も、というかそっちの方が大きいかもって気づきました。
俺にとって学内新記録出した瞬間とか、カンカレで準決勝出た瞬間とかはそんなに記憶に残ってなくて、
ふと思い出すのは、
高2で初めてマイル表彰台のぼった瞬間とか、大1でカンカレ標準切った瞬間とか、27大戦で妹尾さんと表彰台のった瞬間とか、
一緒に戦ったメンバーと目標成し遂げて喜んだり、これまでどこか高いところに感じてたカンカレ出場者と肩を並べることができるようになったり、そういう瞬間でした。
自分1人で結果出してもなんにも嬉しくなくて、それはただ自分が怠惰でなく努力できていることを客観的に認められて安心するだけで、目標とは言えない感じがする。
でも、ふと思い出すそれらの瞬間は、紛れもなく心が震える瞬間で、もっといえば27大マイルで4位で表彰台逃して泣いたときとか、別に結果出なくても、誰かとやり切ったそっちの瞬間の方が俺にとって大事な感じがする。
そうやってなんとなく自分を観察して、感情への解像度が上がって、これまで自分が立ててた目標がいかに表面的で、目標としての意味を成していなかったことを理解したうえで、
やっぱり今年の抱負には、「関東インカレで110mH優勝」そして「関カレマイルでラップ48フラで走って、決勝出る」の2つを掲げようと思います。
でもそれは自分が努力するためでも、達成したら嬉しいと思うからでもなくて、この部には同じくカンカレに向かって死ぬほど頑張ってる部員がいるからです。
きっと俺が何となくで関東インカレを迎えてしまったら、彼らと同じ目線で喜ぶことも悲しむこともできない感じがするからです。
挫折して、上手くいかなくて、それでも走るって決めたやつとか、自分には高い目標かもしれないって分かってても出るって宣言したやつとか、自分だけじゃなくて、みんながカンカレに向かって走れるように鼓舞するやつとか、そういう人たちと同じ景色を見て最後の年を過ごしたいから、俺も優勝を目指します。
マイルだって練習はきついし、何回やってもレースは怖いけど、高2のときより良い景色を見れるかもしれないから、メンバーに入って、俺が決勝に連れてきます。
1回自信がなくなったけど、気づけば、また同じ目標を目指したいと思ってしまいました。
誰かと同じ方向を見て、同じ景色を追いかけられる最後の一年が、やっぱりどうしようもなく愛おしいからです。
この一年が、10年間の集大成として胸を張れる一年になりますように。
そう願いながら、また明日から走ります。
明日は志村です!今日は一緒に勉強しようと図書館に行ったのに、グループ学習室でずっと寝てました
今年の抱負は、「関東インカレで110mH優勝」そして「関カレマイルでラップ48フラで走って、決勝出る」の2つです。
入部時から110mHで全カレ出れるレベルのタイム出すって目標で4年単位の計画立てて、現在入部時からタイムは1.5秒縮み、100mのタイムから見ても射程圏内にあると思います。
マイルに関しても4継より好きだし、去年ラップ49フラは出たし、冬季で練習量は積めてるし妥当な目標だと思ってます。
陸上ラストイヤー。関東大会という大舞台で満足いく結果を出して、競技者として悔いないように出来るだけの努力をしきって終わりたいと思ってます。頑張りますので応援お願いします。
と、つい2,3ヶ月前なら言いきれて、多分本気でそこに向かって努力できたと思います。でも、最近になってその目標がしっくりこなくなってしまいました。
就活とか、新年の始まりとか、内省する機会が増えて自己理解が深まったためです。
なんのために陸上続けてんだっけとか、今目指してるところって妥当なんだっけとか考えてみると、分からなくなって。
きっと関東インカレ優勝したとしても、その瞬間は嬉しいけど、次は全カレ優勝目指して、それ達成したらもっと先の目標目指してって変わるだけなんだろうなとか。マイルで決勝行ったって、それ自体に本当に熱狂するんだろうかとか。
目標のために努力するというよりも、努力し続けるために目標を設定している感覚があって。関東大会優勝するって言って、計画立てれば自然と頑張れるからそう宣言してるだけだと感じます。
もっと言えば、怠惰で無気力な自分が嫌いで、そういう自分から逃げるために努力し続けてるような感覚があります。競技者として筋の通った振る舞いをしているうちは、自分で自分を否定することもないから。
ある種自分を認めるための手段としてそれがある以上、それらを抱負や目標として宣言するのは間違ってるよなあと思って、このテーマを見てから頭を悩ませていました。
思えば中学から、ブロック大会や全国大会みたいな身の丈に合わない目標を設定しては、それに向かってがむしゃらに走る競技人生だったように思います。
最初は純粋に憧れでそれに向かって努力していたものが、
気づけば努力することがスタンダードになり、高い目標に向かって頑張らない瞬間に違和感を抱くようになって、
大学に入ってからは関東大会までの距離が見えるようになって、そうなってからはサボったり別な道を見てみたりする選択肢すらなくなって。
すごく競技者としては幸せな歩みなんだろうなと思いつつ、内面に目を向ければ、高い目標に向かって頑張るワクワク感とか無謀な目標に飛び込む挑戦心とかが消えてて、目標は高いままなんだけど、その質が全然変わっちゃったなと気づきました。
そこまで考えて、関カレ優勝とか言わずに、今年の抱負は「今までの競技人生に恥じないように、1年やり抜くことです」とか書こうかとも迷ったけど、それはそれでどんな結果でも自分を肯定する逃げ道を作るようで、しっくりこない。
俯瞰して自分を見てみると、関東大会出るって決めて目標立てて計画立てて、それに向かって練習こなして、食べたくもないむね肉食べて陸上の勉強して8時間睡眠守って。
俺ってロボットみたいだなー。って思ってモチベーション下がっちゃって、変に自己分析みたいなことするよりか、ひたすら目標と道筋のなかに自分を埋め込んで頑張り続ける毎日の方がラクだったかもって思ったけど、こうなった以上下がったモチベーションをなんとかするしかない。きっと今の時期に自分と向き合うことは必要だったし、だったら別な関わり方で陸上と向き合える方法を探さなくちゃいけないと思いました。
しょうがないから、もう一度丁寧に過去を振り返ると、多分原動力は、「努力してない自己への嫌悪感」以外のところにもあって、「誰かと嬉しい気持ちを共有できること」も、というかそっちの方が大きいかもって気づきました。
俺にとって学内新記録出した瞬間とか、カンカレで準決勝出た瞬間とかはそんなに記憶に残ってなくて、
ふと思い出すのは、
高2で初めてマイル表彰台のぼった瞬間とか、大1でカンカレ標準切った瞬間とか、27大戦で妹尾さんと表彰台のった瞬間とか、
一緒に戦ったメンバーと目標成し遂げて喜んだり、これまでどこか高いところに感じてたカンカレ出場者と肩を並べることができるようになったり、そういう瞬間でした。
自分1人で結果出してもなんにも嬉しくなくて、それはただ自分が怠惰でなく努力できていることを客観的に認められて安心するだけで、目標とは言えない感じがする。
でも、ふと思い出すそれらの瞬間は、紛れもなく心が震える瞬間で、もっといえば27大マイルで4位で表彰台逃して泣いたときとか、別に結果出なくても、誰かとやり切ったそっちの瞬間の方が俺にとって大事な感じがする。
そうやってなんとなく自分を観察して、感情への解像度が上がって、これまで自分が立ててた目標がいかに表面的で、目標としての意味を成していなかったことを理解したうえで、
やっぱり今年の抱負には、「関東インカレで110mH優勝」そして「関カレマイルでラップ48フラで走って、決勝出る」の2つを掲げようと思います。
でもそれは自分が努力するためでも、達成したら嬉しいと思うからでもなくて、この部には同じくカンカレに向かって死ぬほど頑張ってる部員がいるからです。
きっと俺が何となくで関東インカレを迎えてしまったら、彼らと同じ目線で喜ぶことも悲しむこともできない感じがするからです。
挫折して、上手くいかなくて、それでも走るって決めたやつとか、自分には高い目標かもしれないって分かってても出るって宣言したやつとか、自分だけじゃなくて、みんながカンカレに向かって走れるように鼓舞するやつとか、そういう人たちと同じ景色を見て最後の年を過ごしたいから、俺も優勝を目指します。
マイルだって練習はきついし、何回やってもレースは怖いけど、高2のときより良い景色を見れるかもしれないから、メンバーに入って、俺が決勝に連れてきます。
1回自信がなくなったけど、気づけば、また同じ目標を目指したいと思ってしまいました。
誰かと同じ方向を見て、同じ景色を追いかけられる最後の一年が、やっぱりどうしようもなく愛おしいからです。
この一年が、10年間の集大成として胸を張れる一年になりますように。
そう願いながら、また明日から走ります。
明日は志村です!今日は一緒に勉強しようと図書館に行ったのに、グループ学習室でずっと寝てました
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