こんにちは。冬から始めた一人暮らしが板についてきた2年の岡本です。意外や意外にも基本的に自炊してるのですが、先日存在を忘れていた玉ねぎを腐らせてしまいました。SDGsやらフードロス問題やら叫ばれる中、自分が腐らせてしまった玉ねぎを見て悲しい気持ちになりました。



さて野望というテーマについてですが私も例に漏れず、うーむあるかなーって最初思いました。今まで自分が力を入れてきたことは全て、あくまでも短期的な目標に対する努力。それらは独立していて、何か大きな野望のための中間目標ではない。




けれども最近自分の過去を省みる中で、何事にも共通する原動力を見つけたような気がしています。

それは、
『成長したい』
『成長している自分でありたい』

という利己的な感情です。



例えば陸上。

大学で陸上競技部に入部し、中高と違う環境で同じ種目を継続する中で、向き合い方に深み出てきたことを実感します。それは技術的な話も精神的な面においてもです。

怪我ばかりで満足するパフォーマンスができなかった一年目でも、今振り返ると確実に成長した感覚があります。

『まだ成長できるな。伸び代あるな。』

成長への期待感が自分の脚を進めているのだと思うようになってきました。




成長。





どんなことでも何かしらやっていれば成長はする。しかしどういう環境を選び、どういう成長をしたいか、これは自分に選択の余地がある重要な変数です。


振り返れば、自分が望むようになった環境というのは、自分が成長できると直感的に思えたところだったように思います。


一橋大学という選択肢を志望した中学3年生。

ふと強烈に惹かれる職業を見つけた高校2年生。

自分のキャリアを考えるようになった大学1年目。

これらの選択肢が、全部自分一人で考え、決して他人に唆されたわけではないことに気付く。なんなら、その時にいた環境からは少しずつ遠い選択肢ばかり。


振り返ってみて、自分は常に「どういう環境にいたいか」というのを考えるのが好きなんじゃないかと思いました。そして幸運なことに、そういう自分が成長できる環境を探すのが得意なんだとも思います。


びびっとくる。ここに行きたい。これをしたい。こんな成長をしたい。

言語化する必要のない本能的な感性。

この感性を失った時、成長は止まって、自分の身体は腐ってしまう。あの時、暗いところで気付かれず腐っていった玉ねぎのように。

だから、たとえ波があったとしても長い目で見て常に成長している人生でありたい。



これはある意味で、人生を通して貫くべき野望なのかもしれません。決して野望に対してバックキャストで努力していく構図ではないけれども。
心から「ここで活動したい」と望む環境がある、「こういう成長をしたい」と描く将来像が常にある。そういう人生でありたいです。



うん、すごくつまらない話になってしまいました。自分もパン屋さん開いてみようかな。



ちなみに今シーズンの競技での目標は関東新人1500m出場です。冬季出遅れた分6,7月にターゲットレースを控えています。

先日小堺さんが1500で関カレ標準を切り、また5月頭には梶岡さんが800で標準を切るっぽいので自分も中距離パートのいい流れに乗っていきたいです。可愛いポジは一年生に取られるのでそろそろ結果ださないとという危機感と共に。



明日は角光です。彼、野望めっちゃありそうじゃない???楽しみです。