2022年の年末、地方の県立高校から一橋大学を目指していた。モチベ維持のためだと言い訳して一橋の部活紹介を見漁る。中高と運動部に所属していたものの、弱小チームで、活動はゆるい。引退試合で予選敗退しても別に悔しくなかった。
大学では競技に本気になってみたかったから、テニサーで人生の夏休みを謳歌する生活など言語道断である。団体探し(まだ受かってないけど)は、体育会一択だった。そのころから一橋map的なのがあって、見ると、「ボート部」「アメフト部」「ラクロス部」「バドミントン部」「陸上部」と面白そうなのがたくさん。その中で一番惹かれていたのは、正直、ボート部だった。寮で共同生活するチームメイトと一緒に戦うという絵に描いたような青春とか、水しぶきを上げながら進むキラキラ感とか、かっこ良かった。
大学では競技に本気になってみたかったから、テニサーで人生の夏休みを謳歌する生活など言語道断である。団体探し(まだ受かってないけど)は、体育会一択だった。そのころから一橋map的なのがあって、見ると、「ボート部」「アメフト部」「ラクロス部」「バドミントン部」「陸上部」と面白そうなのがたくさん。その中で一番惹かれていたのは、正直、ボート部だった。寮で共同生活するチームメイトと一緒に戦うという絵に描いたような青春とか、水しぶきを上げながら進むキラキラ感とか、かっこ良かった。
しかし、俺は陸上を選ぶことにした。ボートに冷めたわけではない。陸上をやりたい気持ちがやはり大きかった。というのも、実は、陸上は高校1年生の時にバド部に入る代わりに諦めた競技だった。父の影響もあって陸上には興味があったし、小さい頃からちやほやされてきた自慢の俊足を本気で磨いてみたいとずっと思っていた。確かに、経験者が多い中で新しいことに挑戦するのは楽ではない。でもむしろ、そのようなアウェー環境の方が成長できると思ったのだ。
俺は一度決めたら突き進んでしまう性格である。それからというもの、毎日この陸上部のブログだのSNSだのホームページだのを見漁った。繰り返すが、まだ共通テストも受けていないただの高校生である。
2023年3月、一橋大学に合格した。合格直後の有頂天だから、とにかく自分が一橋生になれるってことを感じたかった。陸上部に入ることは自分の中で決めていたが、わざわざ群馬県の実家から一橋のサークル紹介に出かけた。一応、勧誘されるがままに主要な体育会からテニサーまで、色々な団体のブースに行った。最初は嬉しかった強引な勧誘がだんだん鬱陶しくなってきた頃、陸上部を探しに行った。端っこの小さい部屋でお菓子の袋を広げる陸上部を見つけた。部活のこと聞こうと思っていたのだが、テーブルに置かれていたのは学士課程ガイドブックで、気づいたら履修相談が始まっていた。別に履修相談したかったわけじゃないが、まあ一応話を聞いた。何となく印象に残ってるのは、初心者だけど陸上始めたいと言ったら先輩が驚きながら理由を聞いてきたこと、もう入ることは決めてると言ったら先輩が喜んでいたこと、他の体育会と比べて陸上部の盛り上がりがなかったこと、くらいである。だから、サークル紹介の日ではこの部への期待値はあまり高まらなかった。むしろボートとかラクロスとかの方が楽しそうだった。ただ、一度決めたら突き進んでしまう性格である。陸上部への入部を躊躇うことはなかった。
2023年4月、陸上部の体験に参加した。「陸上初心者大歓迎!」というから、てっきり先輩が初心者の自分に手取り足取り教えてくれるのだと期待していた。が、そんなことはなかった。先輩は先輩で各々練習しているし、同期と思われる奴もテンポ走だの訳の分からないワードを言って練習している。これが「練習体験」なのか。放置された自分はただフラフラするしかなかった。さすがにマズイと思って先輩に聞こうとすると「今カンカレに向けて大事な時期だからあまり話しかけない方がいいかも」とか言われる始末。お客様気分だった自分は理想との落差に勝手にガッカリしてしまった。経験者の先輩や同期に対する部外者感みたいなものを感じた。
しかしもう決めたことだ。2023年5月、予定通り陸上競技部へ入部した。
2023年7月、三商戦。
当時は三商戦について「なんか全員参加の大会があって、1年の俺もオープンって枠でレースに出れるらしい」くらいにしか思っていなかった。同期は、短短と短長の適性を見るために、100と400に出ると良いと言ってくれた。そういうことだから、ここで100mと400mの両方、人生初めてのレースに出場することにした。で、三商戦が近づくにつれて、どうやら400ってめちゃキツい種目らしいことを聞いた。だから棄権しようとしてますって言ったら先輩が「出ない理由はないだろう」「300mまでガンダすれば終わる」と教えてくれたから、予定通り行くことにした。
当時は三商戦について「なんか全員参加の大会があって、1年の俺もオープンって枠でレースに出れるらしい」くらいにしか思っていなかった。同期は、短短と短長の適性を見るために、100と400に出ると良いと言ってくれた。そういうことだから、ここで100mと400mの両方、人生初めてのレースに出場することにした。で、三商戦が近づくにつれて、どうやら400ってめちゃキツい種目らしいことを聞いた。だから棄権しようとしてますって言ったら先輩が「出ない理由はないだろう」「300mまでガンダすれば終わる」と教えてくれたから、予定通り行くことにした。
まずは400m。号砲に合わせて慣れないスタブロを一応蹴り、走り出した。とにかく300を目指して全力で走った。200地点でもうやめたくなった。今まで感じたことのない苦痛だった。そこから何とかカーブを抜け、ホームストレートに差しかかってからは意識が飛びそうになりながら脚を回しても前に進まない。ゴールラインで倒れ込み、1時間は動けなかった。記録は57.50。当然その後に控える100mを走る余力などなく、結局三商戦が何かもよく分からず、気づいたら1日が終わっていた。これ以降、絶対に400mはやらないと決め、もっぱら100mで頑張ることにした。
入部してしばらくすると、(新歓芸や三商400のインパクトもあってか)少し部に馴染めたような気持ちだった。しかし、経験者との差を意識せざるを得ず、居心地の悪さを感じるシーンは依然多かった。特にメニューを自分で決めなければならず、かといってテンプレもない環境は、初心者の自分には酷だった。それに、対人スポーツをやってきたから、練習なんて相手がいるのが当たり前だった。とにかく目の前の相手を倒すことをイメージすればいいし、対戦形式の練習は特にゲーム感覚でモチベーションが保ちやすい。一方で、1人で黙々とやるフィジカル強化は、声を掛け合って乗り越える普段の練習というよりも自主練のイメージである。だから、陸上部ではずっと「自主練」をしている気分だった。メニューを考えるにも知識がないし、練習を振り返るにもポイントがわからない。何が正解かわからない状況で、何となく周りの真似して走ってみて、何となく撮ってもらった動画見て、「自主練」する日々だった。
そんな中、メニューに誘ってくれる同期や、ドリルを教えてくれる先輩がいた。正解かもわからない「自主練」をしている自分には、これがすごく嬉しかった。この頃の自分は完全に他力本願である。彼らがいなければもたなかったかもしれない。もっとも、顎を上げて腰を反って踵から接地して走っている超初心者である。経験者からしたら指摘するポイントだらけだろう。案の定周りからは有難いアドバイスが絶えないのだが、これを素直に聞こうとする一方、どこか鬱陶しく思ってしまう自分もいた。経験者の中に飛び込み、アウェー環境で自分を成長させたいと思っていたのに、いざ周りとの差を突きつけられると目を背けようとする。そんな感情と戦ってみるものの、どうしても疎外感を感じてしまっていた。
そんなこともありつつ練習しているうちに、ある違和感を感じ始めた。アンクルホップをしている時である。脛に痛みを感じた。痛みはどんどん強くなってきて、さすがに我慢できないから周りに言ってみると、先輩が「あーそれはシンスプですね〜」と一言。経験者のみんなも中高時代にシンスプになったことがあるそうだ。調べてみると初心者に結構よくある症状らしい。いや、初心者あるあるなら最初に言ってよ!と思ったが、発症してしまったものはしょうがない。接骨院通いに足底ほぐしなどのセルフケアをし、ランメニューの量を削った。
1〜2週間もすれば良くなると思っていたが、一向に治らない。焦った。練習したいのに、しなきゃいけないのに、できない。同期は高校時代の感覚を順調に取り戻しているようである。気にしていた経験者との差は、縮まるどころか開くばかり。まだ専門の100mでレースに出れていないし、「自主練」ばかりの陸上競技に魅力を感じることができていなかった。陸上競技を好きになれていなかった。当然、モチベーションが下がった。
2023年10月、名大戦。
記録は12.01(-1.2)。東大戦での手動12.1よりかはマシかもしれないが、11秒台を目標にしていたレースだったから少し悔しかった。ただそれよりも、自分の立ち位置が分かったことが嬉しかった。今までは目標も現在位置もぼんやりしてて、本当に漫然と練習するしかなかったから。
記録は12.01(-1.2)。東大戦での手動12.1よりかはマシかもしれないが、11秒台を目標にしていたレースだったから少し悔しかった。ただそれよりも、自分の立ち位置が分かったことが嬉しかった。今までは目標も現在位置もぼんやりしてて、本当に漫然と練習するしかなかったから。
このあたりで感じていたのは、対校戦への熱量の差だ。先輩も同期も熱量がすごくて、一方、疎外感すら感じている自分は当然部活への帰属意識もなく、大して熱くなれていなかった。「対校戦は熱量もって取り組むべきだ」みたいなのを押し付けられている気がしてしまって、白けた気持ちが募ってしまっていた。
2024年4月、四大戦。
バイクばかりの冬季練習を経て迎えたシーズン初戦、初めて11秒台の壁を超えた。記録は11.96(-0.4)。これは嬉しかった。やっとスタートラインに立てたような気持ちだった。しかしこの後は短期留学も挟まって十分に練習が積めず、12秒台に戻ってシーズンアウトしてしまう。
2024年12月、納会。
主務になった。その一番の理由は、陸上競技の個人競技としての側面をあまり好きになれていない中、1年の時はなんとも思っていなかった対校戦だったが、2024年の三商戦で逆転優勝したのに心動かされ、陸上競技のチーム競技としての側面に惹かれたからだ。主務は、対校戦で事務の中心となって動くことが多く、部の原動力にもなる全ての対校戦に関わり、その舞台を用意できる。その仕事に大きな魅力を感じた。もちろん対校戦だけではない。他の役職に当てはまらないような仕事をとりあえず引き受けるみたいなポジションゆえ忙しいと言われる主務だが、言い換えれば組織運営に対して色々な切り口から関わることができる。かなり気合いを入れて色々な施策をやった。競技を諦めたつもりは毛頭ないが、普段の練習では教わるばかりだし、対校戦で点を獲る形でも部に貢献できていない分、違う形で自分の持つ知見を還元しようと思った。
2025年4月、日体大記録会。
2回目の冬季を経て迎えた沖縄での100m 12.02(-0.7)から、一気に0.3秒更新した。記録は11.69(±0.0)。
これが転機になった。入部時からずっと感じていた、経験者との実力差による場違い感・疎外感が小さくなったのである。12秒台前後に留まっていた2年間を経て、ついに周りの経験者と同じ土俵に立てた思いだった。少し、個人競技としての陸上競技を好きになれそうだった。もっとも、この後は怪我もあって11.7~8で伸び悩む。
2025年11月、冬季練習開始。
飯塚さんによる定期的なコーチングが本格化し、サンプル練習メニューの提示もしていただけるようになった。全体練習の頻度が増えたことでチームメイトと声を掛け合って練習する機会が増え、きつい冬季練習も継続的にやり切れた。コーチングでは飯塚さんによる丁寧なフィードバックをいただけるし、サンプル練習メニューのおかけでコーチング日以外も中長期的な目的意識をもって質の高い練習が積めるようになった。自分としてもAIを練習の振り返りに使うようになり、それまで何となく練習日誌に書いていた薄い振り返りじゃなく、意味のある振り返りができるようになってきた。練習でも、シーズンの好調を期待させるタイムがぼちぼち出始め、個人競技としての陸上競技をもっと好きになっていた。
そしてこれこそが、2026シーズンでの飛躍のきっかけとなった。
2026年3月、春季オープン
11.57(+1.7)でPB。シーズン初戦で、気温10度で、なんとPBを更新してしまった。引退までの目標として10.99を掲げていたが、その目標達成の自信度がちょっと上がった。
2026年4月、日体大記録会。
11.33(+0.4)でPB。自分でも驚いた。この後の5/10国公立戦は向かい風に遭って伸び悩み、5/16日体大記録会は疲労管理がうまくいかずにPB更新とはならなかったが、上振れれば10秒台が見えそうだった。
2026年5月、関東インカレ。
自分には縁のないものだと思っていた選手IDを首から下げていた。4月のPBを受けて、4継の補欠に入れてもらったのだ。もちろん他種目にエントリーしている選手との兼ね合いもあるから完全な実力ベースで部内5位というわけではないが、4人に不調があった場合はまず俺が候補になる。学内記録メンバーということもあってプレッシャーは大きかった。同時に、カンカレでもマイルなら冬季練習次第でワンチャン狙えるかなくらいに思っていたものの、選手層が厚めな4継なんて11秒後半には縁がないと思い込んでいた自分が、4継メンバーに入る資格があるのかとも思った。ただ、入れてもらった以上は覚悟決めるしかない。自分が走るという前提で調整した。室内練習場は至近距離のトップ選手に気が引けたが、いつでも走れるように堂々と(内心ビビりながら)アップした。
決勝でも正規メンバーで行くということが確定すると、やっぱりホッとした。4人に不調がなかったということよりかは、自分が出走しないことに対して。一方で、自分が走ると思い込むようにしていたから、走れないのは若干歯痒くもあった。
このカンカレでの経験は、自分がカンカレに出る一流選手だと錯覚するような体験でもあり、不思議と競技者としての自分に自信を持つきっかけにもなった。
2026年6月、日大記録会。
11.28(+2.0)でPB。引退レースに向け、場数を踏み現状確認をする意図だったが、追い風の恩恵もあってPBを出してしまった。+2.0の追い風ならもう少し伸ばしたかったものの、引退レースでの10秒台が現実に感じた。
2026年7月、新座市記録会
11.24(-0.4)でPB。少しだけテーパリングして臨んだレース。フィニッシュタイマーが11.21で止まったから11.1台もあるかなと思ったが、11.2台で残念。ただ、1週間前の日大記録会から明らかに伸びている。しかも11.2台で悔しがれるなんてそれだけで大きな成長だ。引退レースでの10秒台を確信した。
2026年7月11日、三商戦。引退。
完璧にコンディションを整えた。前日調整の感覚は最高だった。当日のアップは少し時間が足りなかったものの、体がよく動いていた。結果、11.06(+0.4)でPB。追い風の効果はわずかで、それで11.0台。10秒台には乗らなかったものの、最高の気分だった。12秒台前後で伸び悩んで、11秒後半で伸び悩んで、個人競技としての陸上競技を好きになれないとか言って、モチベが上がらないから練習積めないとか言っていた、そんな弱い自分はもういない。あれほどこびりついていた疎外感など、面影すらなかった。
そして約1時間と少し空けて、3年前に人生初のレースとして57.50で走った三商戦の400mを、今年は52.13で走り、俺の現役としてのレースが全て終わった。
そんな陸上競技人生だった。
さて、
ボート部とか他の部活に入っていたらどうだったか、何度か考えることがあった。新歓期間から入部後しばらくは、正直、陸上部にも陸上競技にも大して魅力を感じられていなかった。その状態で漫然と時間を費やしていたのは、大学生活における無駄だったのではないか。でも、たらればを検証する術はない。ボート部に入っていたら、今度は陸上を始めなかったことを後悔していただろう。この議論に意味はないからやめた。
ボート部とか他の部活に入っていたらどうだったか、何度か考えることがあった。新歓期間から入部後しばらくは、正直、陸上部にも陸上競技にも大して魅力を感じられていなかった。その状態で漫然と時間を費やしていたのは、大学生活における無駄だったのではないか。でも、たらればを検証する術はない。ボート部に入っていたら、今度は陸上を始めなかったことを後悔していただろう。この議論に意味はないからやめた。
そもそも、少なくとも2年間感じていた疎外感のようなものは、自分の弱さゆえだったのか。そうとも言い切れない気がする。メニューを自分で決めなければならないのに、決めるための知識もテンプレも、与えられるわけではない。振り返りのポイントも分からないまま、何となく周りを真似て「自主練」を続けるしかなかった。これは初心者の努力不足という問題だけではない。当時の部の受け入れ体制が未整備だったという、構造の問題であるように思う。先輩や同期はアドバイスをくれたり、メニューに誘ってくれたりしたから、個人の問題というわけではなく、組織の問題だ。
では、アウェー環境に飛び込むという陸上部を選んだ判断は合理的な賭けだったか。経験者だらけの環境に、対人競技から個人競技へと飛び込むのは確かにリスクのある選択だった。しかし、少なくとも結果は、その判断を否定していない。100mは、手動12.1から11.06まで伸びた。競技者として、別人と言えるほどまで成長した。この点に後悔はない。
じゃあ、過程はどうか。2年間、競技を好きになり切れず、疎外感を抱えたまま過ごしたこと自体は、ネガティブな評価を避けられない。もっと早く体制が整っていれば、もっと早く成長し、今違う景色を見れていた可能性はある。だから正直、過程については後悔が残っている。構造の整備が不足している環境で、自分から型を作りにいく姿勢が足りなかった。同じ失敗パターンは繰り返したくないと思う。
その点、Notion導入によりナレッジを蓄積する試みが見られるようになったのには大きな意味があると思う。自分自身はナレッジ蓄積の箱を整備しただけだが、その箱を媒介として、自分が初心者として苦しんだ組織としての構造の問題に対する解決策が、コーチング内容の整理や脱初心者マニュアルの作成などといった形で示されているように思えて、感慨深いものがある。
さらに、自分が帰属意識を持てずに疎外感を感じていた点については、引退間際であるが、部内報という形で解決策を提案できた。今後部内報がどうなっていくか分からないし、実際自分と同じ境遇の選手がいるのか分からないが、ボトム層の選手までスポットライトを当てるような企画が続き、自分のようにボトム層で燻っていることを理由にある種の疎外感を感じる選手がいなくなれば嬉しいなと思う。
というわけで、
陸上競技には、これまで大学生活の多くを費やしてきた。約3時間の練習を週4日。2023年5月27日から2026年7月11日までで1959時間。
その貴重で膨大な時間のうち、少なくない部分については疎外感を感じていたりして、決して順風満帆だったわけではない。一見すれば無駄という評価を避けられない時間だ。しかしそんな時間も、自身の記録を伸ばすためであることはもちろん、自分が経験してしまった苦労を後輩が繰り返すことのないように準備するための時間でもあったのなら、それは固有の意味ある時間だったと言えるのではないだろうか。そういう意味づけをして、1959時間の総括としたい。
最後に、
今まで陸上競技を通して関わってくれたみなさま。
初心者である自分を受け入れてくれて、時間を割いてアドバイスをしてくれて、普段の練習やレースを見守り・支えてくれて、組織運営に関してやりたいことを否定しないでやらせてくれて、でかい声で応援してくれて、練習の合間にしょうもない話で笑ってくれて、本当にありがとうございます。
陸上を始めた選択にも、結果にも、後悔はありません。そしてその過程についても、少なくとも今シーズンについてはやれることをやり切ったので、後悔はありません。でも本当のことを言うと、やっぱり10秒台で走ってみたかったし、もっと一緒に練習したかったです。声を枯らして応援するのも、吐きそうになりながら芝生のフィールドを横切るのも、ケツワレするのも、タイムに意味はないとか言って試合前にブロック蹴るのも、試合前夜に富士そばでうどん食うのも、あれが最後だったなんて考えると寂しくてたまりません。それでも、何事もどこかで区切りをつけなきゃいけなくて、陸上の区切りは昨日だと決めたので、俺はここで次のステージに進むことにします。
自分には次に達成したい目標があって、今日からそれに向けて集中しなきゃいけません。目標に向かってひたむきに頑張れる部員のみんなと同じグラウンドで練習できたのも何かの縁だと思うから、これからもお互いに良い刺激を与え合いながら頑張れるのなら嬉しいです。
近い将来、良い報告をし合いましょう。
近い将来、良い報告をし合いましょう。
そして短距離パートの先輩・同期。
って1人ずつ書こうとしたけど、恥ずかしいのでみんなが引退する時にまた色々話をさせてください。とにかく、残りのシーズン、それぞれが決めたゴールに向かって駆け抜けちゃってください。これからも練習動画やタイム、レース結果を追って元気をもらいつつ、応援してます。
それでは、改めて、今までありがとうございました。
短距離パート4年 髙橋直人
明日は十若子
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