M1の佐々木海です。
2/27(日)に大阪マラソンに出場したのでその振り返りをします。将来マラソンを走ろうと考えてる後輩とかいればこれをちょっとだけでも参考にしてくれると嬉しいかもです。
ちなみに初マラソンです。
結果、
レースまでの練習、
レース当日、
全部を振り返っての感想、
の4部構成です。
【結果】
【レースまでの練習】
昨年9月末から12月末まで怪我が連続し、ほとんど走ることができませんでした。具体的には、9月末に右の股関節、11月頭くらいに治ったかと思ったら今度は右膝、その右膝が年末まで続くといった感じです。大晦日くらいにやっと走れるようになりそこから1週間ちょっとはジョグのみ、1月10日前後にはビルドもできるくらいまで回復させました。そしてそこらへんからメニューも少しずつ再開。ですが、これまたうまくいかず体のいろんなところが痛くなり(左膝とか右足首とか背中とか)、その度に量を減らすという感じでなかなか思うような練習ができない感じでした。右膝もなかなか完治しない。そんなこんなで2月に入り、以下の流れ。
2/2(水) 8000(86)
5(土) 12000(88)
7(月) 16000(88-82)
9(水) 22000(86)
12(土) 30km(86)
14(月) 6000(82)+2000(78)
16(水) 16000(84)
18(金) 36km(3‘40-3’30)
21(月) 6000b-up+2000(77)+1000(75)
23(水) 12000(82)
25(金)6000b-up+2000(76)
27(日) 本番
これ以外は基本的に15-17kmくらいのジョグです。
2/4くらいまでは右膝が緩い、ガタついてる感じがあって大体10km超えると痛みが出てきてたのですが、5日にそれが消えて一気に走れるようになりました(膝が上手くハマった感覚です)。人間の体は不思議なもので「いける」って思ったら一気にいきます。そこからはトントン拍子で量も質も増やしていくことができました(膝は今なお完治してませんが)。
本番9日前に36kmを入れたのもふざけてたわけではなく、あまりに練習量が足りていなかったのでこれはやらざるを得ないと感じたことにあります。また、練習をできない期間が長く蓄積型の疲労が溜まってるわけでもなかったのでここで一発ガツンと入れてもちょっと休めばすぐに戻ってくるだろうと思ってました。実際その後も36kmの疲れが残ってるっていう感覚はなかったのでこの練習をしたことは間違いではなかったと思ってます。
ただ、23の練習で動きがあまりにも良くそれに筋肉が耐えられなかったらしく左のハムを若干痛めました。本番当日までこの痛みは残っていたのですが、本番はアドレナリン出るから大丈夫だろうって感じでした(実際本番もこれについては最初だけ気になったけど後は気になりませんでした。レース後も反動で痛くなるとかはなかったです)。また、仕上がりが良すぎて体が軽くなりすぎてる感覚があったので前日は15kmくらいのジョグにして重さを出しました。
あと、本番前日にコロナの検査もしなければいけなかったので2週間前くらいからは図書館やマーキュリーはもちろん、部室にも極力入らないようにしたり、練習の時間帯を後輩と若干ずらすなどして感染対策を徹底しました。この自主隔離は結構しんどかった。
総じて、できる限りの準備はできたと思います。充実感を持って当日を迎えることができました。
【レース当日】
前日の夜はやよい軒、当日の朝はすき家です。
初めてのマラソン、長丁場のレースだったので当日は何度もトイレに行きました。走ってる途中でヤバくなったら困ると思ったので。あと体のいろんなところにワセリンを塗りました。
スタート10分前くらいからセレモニー的なのが始まり、なんかお祭りみたいだなって感じた記憶があります(寒かったから早くスタートして欲しかった)。実業団選手等付き添いがいる人は直前まで上着を着ていることができたのですが、僕みたいに単独で来てる人はそういうことができません。体が冷えます。ですが、市民ランナーっぽい人たちがギリギリまでビニールのポンチョ?みたいなやつを着てて、スタート直前にそれを脱いで脇のゴミ箱に捨ててたの見ました。その作戦はアリだなって思ったので僕も次からは実践しようと思います。
そしてスタート。良さげな集団ないかなって思いながら走ってると2kmくらいから僕が集団を引きつれる形になってました。ですが、いつも練習は基本1人だし、1人でリズム作った方が楽だし、って考えてるタイプなのでこれはそんな気にしませんでした(結果的に30km手前くらいまで単独で走る形になってしまったのですが)。というか、こういうこともあるだろうと思って1人で練習してた面もある。けど今振り返ってみると風強かったし小刻みにアップダウンがあったので単独走で体力を無駄に使っちゃったのは事実かもしれないです。
だいたい3‘25くらいのペースで走って、その後20kmで自分で作ったスペシャルドリンクの出番!!のはずだったのですが撮り損ねました。元々スペシャルドリンクはそんなに重宝するタイプではなかったのでそこはあまり気になりませんでした。
23kmくらいで若干差し込み。そこまでの痛みではなかったのでここではペースを落とさず行けました。そして28kmくらいから結構な高低差のアップダウンの連続。徐々に脚が動かなくなります。その後30kmで再びスペシャルドリンク!!のはずだったのですがこれも撮り損ねました。なんか悲しくなりました。
アップダウンが33kmくらいまで続き、ここら辺から体に力が入らなくなってきます。35kmくらいで右の脇腹も左の脇腹もみぞおちあたりも痛み始めいよいよヤバくなってきます。
そして、手足の感覚が消えて視界もなんかおかしくなりました。終了です。
そこからは止まったら絶対動かなくなると思って必死に体を動かしました。40km手前くらいでたもつさんが僕を抜く際に声をかけて下さったのですが、もはや反応する気力もありませんでした。
そしてラスト500mくらいのところで脚がもつれて転びました。その衝撃で手袋とアームウォーマーがビリビリになりました。ゼッケンも破れました。
ただこれのおかげで意識がはっきりしました。倒れた僕を見て沿道の方々が頑張れ!!ってめちゃくちゃ声をかけてくださって本当に泣きそうになりました。そこを越えてラスト300mくらいの直線、もう本当に泣きそうでした、というよりあれはもう泣いてました。
ゴールする瞬間は自然と笑顔になりました。
けど喜びも束の間、その後はしばらく放心状態で動けませんでした。満身創痍です。
【全部を振り返っての感想】
簡単に反省点、
・スペシャルドリンクのボトルはもうちょいちゃんと作りたい。せめて取手をつけるなりした方が良い。
・3’25の速度帯の練習が圧倒的に不足してた。ただ、今回に関しては練習期間が短かったので長く走る練習をより多く入れた方が良いと思ってたので致し方ない部分もある。次は速めの速度帯の練習もしっかり入れて臨みたい。3‘25くらいで行ったことに関しては後悔してません。遅めのペースで置きに行っても面白くないと思ってたので。
・単独で走りすぎた。練習は遅めのペースだったから1人でも問題なかったけどいきなりそれより速いペースで走るのは今考えると体がびっくりする。今回は風も強かったのでなおさら。その辺の力の無駄遣いが後半の差し込みに起因してると思ってます。
全体的に、
マラソンを舐めてました。
1ヶ月弱の練習で走れるほど甘い競技じゃないってことを痛いほど感じてます。そして(まだ一回しか走ってないので絶対ではないと思いますが)マラソンにはハーフマラソン以下の距離のレースではおよそ感じることのないきつさがあると感じました、全くの別競技だと言っても過言ではない気がします。一方で、準備期間やレースそのものが大変なので終わった後の達成感、解放感はとてつもないです。結果がそんなに良くなくてもゴールした時は感動です。
また、練習期間、脚の状態を考えれば今回マラソンを走るのは間違っていたかもしれません。無理に今回走ったことで、学生最後のトラックシーズンを棒に振る、ってこともあったかもしれません。でもそんなリスクを背負ってでも何としてもマラソンという競技を肌で感じてみたかった。
2020年の年末にマラソンをやりたいと思いマラソン練習を始めたもののコロナの影響で予定してた大会は尽く中止になりました。今回のマラソンを走らなかったら次いつ走る機会があるのかもわからない。実際に今回走ってみて得るものはとても多かった、と感じています。悔いはありません。そして今回開催に尽力していただいた方々には感謝しかありません。
最後に、
やっとマラソンという競技に触れることが出来ました。散々な結果でしたがここがスタートラインです。「2023年の東京マラソンにエリートの部で出場」という大学院入学時に立てた目標があるので、そこを達成できるように頑張ります。
というわけで応援ありがとうございました!!!以上です!!
最後の最後に、
筋肉痛がとてつもないです。怪我してた膝にも若干きてます。あと転んでぶつけた色んなところがとても痛いです。