アランヒルズのリング上での演奏とスクリーン映像の音響を担当したのが音援隊森泉。

プロレス・会場音響は信州プロレスのにんじゃりばんばんさん(公式ではOBとなっています)

リングアナウンサーに同じく信州プロレスのシャンソン篠塚氏(セカンド篠塚選手のリングアナとしてのネーミングであるようですが、当日誰一人として〝シャンソン〟という名称を発する者はいなかったような・・
ということで、以下 S・篠塚氏 とする)

当日のタイムテーブルを滞りなく進行するにはこの三者と私の連携が必要となったわけです。

音援隊様とは事前に打ち合わせは出来ていたものの、プロレスに関する私が作成したタイムテーブルを実際に机に並べて打ち合わせを行ったのが当日の朝。

数々のビック大会を成功させてきた信州プロレスさんは私にとってとても心強いものがありましたが、当日の朝にようやく詳しい打ち合わせが進められるという状況に私は強い不安を抱えていたわけです。

そこにグレート無茶氏も加わり、当日の詳しい進行についての確認が始まる。当日まで未発表で進めてきた対戦カードについては、当日発表の予定でしたが「入場をもっての発表」に変更。

更に、進行についてあれこれと事決めを行って行く。それに対して、一言二言で完結させるS・篠塚氏に対して、うなずきもせずただ静かにタイムテーブル一点を見つめるにんじゃりさん、、、ただでさえ
不安な私をさらに不安にさせる(笑)

打ち合わせを終え、控室を出るとなにか「よろしくお願いします」的な静かな言葉を放ち、静かに背中を向け音響室へと入室していくにんじゃりさん。

S・篠塚氏についてもその後は何一つ主催者側に確認もせず、開場となれば打ち合わせ通りに、時にはアドリブを加えながら円滑に進行を進める。また、お客様の安全の確保も言葉を通じて促してくれていたため事故なく大会を終えることができたのも篠塚氏のお陰です。

そして不安をよそに完璧までに音で会場を操ったにんじゃりさん。入場をもっての発表は入場曲を取り違えるなんてミスは絶対許されないし、何か急に無音になったな??という状況では台本にない挿入曲を流してくれたりと本当に助けられました。

アランヒルズの演奏が終わり退場する際には、演奏を聞いたにんじゃりさんが、台本にはないのですがこの二人(アランヒルズ)が「金の雨を降らせる!」とにんじゃりさんの感情を表した、オカダカズチカ選手の「RAIN MAKER」を流すというアドリブ。

そのアランヒルズの演奏も体育館という難しい環境の中で音援隊森泉がリハーサルから本番まで最善を尽くし、また限られた機材の中で沢山の苦労があったかと思いますが、多くの人にアランヒルズのライブを届けることが出来たのは感謝しかありません。ありがとうございました。


と・・・続けて
プロレスの事も記録していくべきと思いましたが、大会については目の当たりにしたその事実だけを思い出として残してもらえばと思います。

どのようにXが浮上したのか・・なぜカードは当日発表にする必要があったのか?
当日裏側で何が起きていたのか・・・それはまた機会があれば!
ということで、ボンバイエの記録については一旦この辺で終わりにしたいと思います。

多くの方のご協力、そしてお客様のマナーのおかげで無事に小諸ボンバイエ2024を開催することが出来ました。本当にありがとうございました。

思った事をただただ書き記してきましたが、沢山の想いが繋がったこの大会に感謝しかありません。

来年も更にパワーアップして開催することをお約束します🔥

最後に、私の馬鹿げた本気の夢を叶えてくれた信州プロレス様、そして「赤い戦士」小諸ボンバイエ運営スタッフならびにIKTリン魂会様にに心から感謝申し上げます。


小諸ボンバイエ2024実行委員長 竹内浩太
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会場も決まり、自分のやる気スイッチもすべてONとなりマッチメイク、ポスター制作等大会に向けての準備を早速始めました。

信州プロレス代表、グレート無茶さんに仲介してもらい参加選手のオファーをして頂きました。今まで無茶フェスに参戦した選手をはじめ、多くの選手に熱烈なオファーをさせて頂きました。

レザーフェイスやフレディクルーガーは熱烈ではない・・・ですが・・

もちろんすべてがうまくいった訳ではなく、オファーした選手の中ではスケジュールが合わず参戦できなかった選手も・・こちらは「お楽しみはこれからだぁー」ということで来年以降、必ずボンバイエのリングには上がってもらいましょう!!

参戦選手が決まり、ポスターやチラシ制作も本格的に始めました。外部に依頼するとここの費用って割と大きく占めてしまうので、昨年同様自主制作することに。

参戦選手も多く予想以上に今年のポスター制作は大変でした💦それでも、プロレスのポスターを作る。というのはお店のメニューを作るといったのとはまた違ったワクワクがあり、楽しく作業することが出来ました。

と、同時にスポンサー様集めのためのお願いも始めていくのですが、、今まではどちらかというとイベントに協賛する側のほうが多く、中々自分からお願いに行くというのは勇気が出ませんでした。

それでも勇気を出して、少しづつご挨拶にまわり、社長様が社長様を繋いでくれたり、ご縁が広がっていきました。中でも嬉しかったのが「来年も開催するなら協力するよ!」と継続的な思いがあるなら協力する。という企業様も何社かいらっしゃり驚きました。「もちろんです!」と答えるしかなく(笑)
来年度の開催も決定してしまうのです(汗)

こうして多くのスポンサー様、団体様、個人様にご賛同、ご協力を頂き「入場観戦無料」を実現できました。本当にありがとうございました!!


ポスターもいよいよ完成し、印刷工程に入り、あとは物が届くのを待っているころ、、、

無茶さんから一本の電話。
「藤原組長参戦できるかも・・・・」

自分「おおお~組長!?」

75歳現役の組長の試合を小諸ボンバイエで観戦できるというチャンスは今しかないかもしれない!
迷うことなく、無茶さんからの一報を受けることにしました。

しかしポスターは既に出来上がっているので、、直ぐにポスターの構成を変更し新たなポスターをデザインしました!

組長のいないポスターもある意味貴重!500枚刷ったポスターは幻のポスターとなり一枚も配布されることなく倉庫に保管されることとなりました(笑)
※ほしい方いましたら何枚でも差し上げます

ポスターを各所に配布していると、多くの選手が立ち並ぶポスターの中で、「組長くるんだね~!!」と組長の参戦を楽しみにする声が一番多かったですね。

これが確か8月の上旬の話。
世に小諸ボンバイエ全参戦選手がお披露目となりました。

この時まだXの存在は浮上することもなく・・・・

つづく

2パターンのポスター↓↓↓
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久々のブログになってしまいました。

2024年10月14日に小諸市総合体育館で初開催となった「小諸ボンバイエ2024」について記録を残しておこうと思います。

はじめての投稿は「会場編」
この日に会場を押さえるということにも奇跡的なドラマがありました。


昨年雨のため延期となった小諸ボンバイエ。第一回開催時も実はパラパラと雨が・・・
雨イベントとして定着してしまったボンバイエ。。

昨年延期となった際に、これ以上の延期は避けられないと、延期日に実は小諸市総合体育館を押さえてあったのです。結果的には使わなかったのですが・・この〝保険〟のために予約した体育館が、今年の歴史的開催へと繋がりました。
予約のために訪れた体育館を見渡し、「あれ??ちょっと待てよ・・保険ではなく!小諸ボンバイエをここでやりたいぞ!!」と心が燃えてしまったのです。

自分「館長!来年の10月14日押さえてください!ここでプロレスやります!」

館長「ええええ!プロレス!??でもな、それは出来ないのだよ・・来年度の予約は3月1日からと決まっているんだよ・・それでも頭にいれておくよ」と、レスリング出身の館長もその実直な言葉とは別に嬉しそう。


前例のない開催に一般予約と同じく3月1日からの予約開始とのことで、昨年のまちタネ広場大会で来年は小諸市総合体育館でやりたい!という強い意志はあったのですが、〝小諸市総合体育館〟という名称ははっきりとは出せずに、「アリーナでやりましょうよ!!」と濁す形になってしまいました。

ここからが奇跡の始まり(笑)

小諸ボンバイエ2023が終了し、燃え尽き症候群に陥っていた自分は、予約を取りにいかなければならない、3月の時点では少し開催に向けて揺らいでいるものがありました。準備やスポンサー様依頼など、その労力の事を考えると素直に踏み込めない自分がいました。

3月が過ぎ・・・4月が過ぎ・・・5月の連休が明けた頃でしょうか・・
店も上半期最大の繁忙期を乗り越えひと段落したころ、、

もう一度自分の想いに向き合いました。
ずっと自分が叶えたかった「小諸市総合体育館でのプロレス大会」への夢に向け、後悔はしたくない!
最初で最後でもいい!「やるだけやろう!」と覚悟を決めました!

その想いを胸にいざ小諸市体育館へ!

自分「館長!遅くなりました!小諸ボンバイエの本予約に来ました!」

館長「本予約???本当にやるだかい??〝本〟もなにも、仮も何も取ってないぞ???」

自分「えーーー!ちょっと待ってくださいよ!頭には入れといてくれるって!?」

館長「ひとまず予約表見てみよう・・・・」

プロレス大会を行うにあたり、必要な予約は前日準備の半日と、当日の終日が必要となる。
ペラペラと紙をまくる館長。その様子を緊迫した表情で見つめる自分が見える・・

「ダメならやめよう・・」どこかそんなことも期待していたかも知れません。

館長「おっ、、8月〇〇日ならいけるぞ!」

自分「2か月ちょっとじゃ無理ですよ・・・💦」

例え、体育館の一面でも予約があれば当然プロレスなんてできない。ましてや休日開催でなければ意味がない。年間を通してほぼ何かしらの予約が埋まっている中・・・

9月全滅・・・

10月・・・
館長「あれ~~!竹内さん!14日空いてるに!!」

自分「マジっすか!!!」

館長「ただ。前日が終日埋まっていて準備が出来ないわ・・・」

自分「いやいや、とりあえずそこは何とかするので14日押さえてください!」

その後の予約表も確認しましたが、一年を通して、休日に丸一日体育館が空いていたのは10月14日(祝月)だけだったのです。
そしてそれは昨年勝手に仮予約をしたもんだと思っていたその日でもあったのです。
体育館なのに一年間で唯一終日予約がなかったのがなんと〝スポーツの日〟だけであったのという奇跡であり複雑な思いのなか予約が成立したのが5月の連休明けでした(笑)

前日の準備については、日曜日は体育館が17:00閉館ということで17:00までは予約が入っていたのですが、職員様のご厚意で閉館後21:00までお時間を頂き準備をさせて頂きました。

会場を押さえたあの日。全てのスイッチがONとなりました。



つづく

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