2017年03月24日

台湾への武器供与

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成29年(2017)3月22日(水曜日)
        通算第5231号   
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 トランプ政権、過去最大の武器供与を台湾へ
  総額18億ドル、対艦ミサイル、フリゲート艦など
****************************************

 トランプ政権は台湾の安全保障のため、要請のある武器供与を過去最大の規模に拡大する模様である。
もっとも米国は「台湾関係法」により、台湾への武器供与を条約上も義務付けているが、オバマ政権では北京からの抗議の少ない、「比較的穏やかな武器」(ネッド・プライス前安全保障会議スポークスマン)に限定してきた。

 トランプ大統領は昨年12月3日に、蔡英文台湾総統からの祝賀電話を受け、「ひとつの中国」という過去の歴代政権が取った原則には拘らないと発言し、北京を慌てさせたが、その後、やや発言を修正し、浮上した北朝鮮のミサイル実験以後は、中国との関係重視に傾いた。

 4月6日には習近平主席をフロリダ州に招待し、北朝鮮問題を主議題に話し合う予定が組まれている。
このため、事前のつめの目的でティラーソン国務長官を北京に派遣した。

 こうした情勢を踏まえ、台湾への武器供与は米中会談が終わるまで表面化することはないが、ロイターは(3月18日)、政権内部で真剣に議論されており、供与される武器は対艦ミサイル、フリゲート艦など、総額18億ドルを超えるだろう、と報道した。

 しかしながらトランプ政権は肝腎の政権高官人事が遅れに遅れており、国務省、国防省ともに副長官、次官、次官補人事が難航している。
このため、実際に台湾への武器供与が決められるのは、2018年に持ち込むことになろうと観測筋はみている。
         ▽△◎み□◇▽や□◎○ざ◎□○き○□◇
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


2017年03月23日

tyuusohunnsou tomannsyuukokukennkoku


今日のブログから

中ソ紛争(1929年7月-10月)こそ満州建国の直接要因である。

 重大なる歴史事象が昭和史において忘れられている。忘れ去られていると言うよりも、日本共産党とその手下であった東大歴史閥が忘却せしめたと言った方が妥当であろう。
 満州事変(1932年)の3年前、中ソ紛争が発生している。これは1922年末に誕生したソ連邦がその権益をロシア帝国から継承した満州中東鉄道(東清鉄道)の支配権をめぐり中華民国政府とソ連邦との間に発生した軍事衝突である。
 
 当時、関東軍(満州駐留の日本軍)はこの紛争は中華民国軍が勝利し、満州に侵入してきたソ連軍を押し返すものと考えていた。それは支那軍の中核であった張学良軍のほうが装備の近代化が進んでいたからである。しかし、結果は反対で、ソ連軍は北満を蹂躙した。満州はソ連により占領され、共産化される危機に陥ったのである。関東軍と満州族はこの事態に大きな危機感を抱いた。何故なら満州族は17世紀初頭にこの満州から北京へ出でて清国を樹立した。20世紀初頭における清国崩壊により行き場を失っていた満州族は祖先の地である満州に独立国家を樹立する希望を抱いていたからだ。

 日本共産党左翼と東大左翼歴史閥は何故かこの中ソ紛争に蓋をして、あたかも関東軍が満州利権を確保するため、勝手に行動を起こし、満州国を捏ち上げたかのように歴史を捏造している。何故日共左翼・東大歴史閥がこのようにソ連邦に有利となる歴史観を捏造したのであろうか、その理由は簡単である。

 日本共産党はソビエト共産党の犬だったからである。ちなみに現在はシナ共産党の犬をやっている。

参考:中ソ紛争
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%...
***************
この番組は”ラジオ学問所 嫌なら視るな聴くな、勝手に視て文句言うな”です。 
塾長経歴
氏名:安濃 豊(あんのうゆたか)
1951年12月8日午前2時(真珠湾攻撃から丁度10年後)札幌にて誕生
1962年4月11日(10歳と4ヶ月)深夜
知らない初老の紳士が亡霊として枕元に立つ。(20年後、その亡霊が雪氷学者 中谷宇吉郎であったことを知る。4月11日は中谷の命日)
1967年4月
道立札幌北高校入学
1968年4月
物理学教師疋田裕先生に師事、疋田氏は北大理学部物理学科、低温研出身で中谷宇吉郎の弟子。
1975年3月
北大農学部農業工学科卒業
1975年4月
内閣府(北海道開発庁)キャリア
1976年12月
吹雪風洞実験法・理論を世界で初めて実用化。
1978年5月
黒岩大助北大低温研所長に師事。黒岩氏は中谷宇吉郎の弟子。
1982年2月
10歳の時枕元にたった初老の亡霊が中谷宇吉郎であったことを雑誌ニュートンの特集により知る。直ちに黒岩先生に報告。中谷は吹雪実験のための風洞を未完のまま残置して死去したことを知る。
1985年5月
北大農学部に残置された中谷宇吉郎制作の風洞実験装置を吹雪風洞に改良。
1985年6月
米国CRRELへの赴任が決まり、中谷宇吉郎の自宅(東京 原宿竹下通り近く)を訪問、中谷の霊前に報告。
1985年8月
米国陸軍寒地理工学研究所(CRREL)研究員
吹雪風洞実験法・模型理論を米軍に供与するため、米陸軍より招聘され渡米。CRRELは中谷宇吉郎がマッカーサー将軍の依頼を受けて設立した、米国版”北大低温研”。
1985年8月
ニューハンプシャー州立大学土木工学科研究員
米国陸軍が安濃の研究就労ビザ取得を容易とするため、大学に研究ポジションを創設し、陸軍と兼務とする。招請窓口となったマルコム・メラー博士は中谷宇吉郎の弟子。
1986年6月
北大農学部より農学博士号取得:博士論文「邦訳;吹雪模型実験による農業施設の防雪」全英文)、学位担当教授は北大理学部物理学科出身で中谷宇吉郎の弟子。
1986年11月
米陸軍参謀長 ウィッカム大将が安濃が制作した吹雪風洞施設を視察、重要研究に指定。
1987年2月
参謀長視察後、研究所内での人種差別、嫌がらせが酷くなり、それに嫌気がさし帰国。対米開戦はこの人種差別が原因であるとの確信を得る。
1989年1月
アイオワ州立大学(アイオワ州エームズ)航空宇宙工学科客員研究員。
火星表面の砂嵐研究のため招請される。
2000年4月
戦勝解放論普及のためラヂオノスタルジア(FM78.6MHz)を開局。
2006年5月
小説「戦勝国は日本だった」を上梓、内容はGRRELでの人種差別体験談。
2012年8月
歴史書「大アジア解放戦争」を上梓。
2014年5月24日
靖国神社にて公演、演題「有色人種を解放した大日本帝国」
2014年8月
北大博物館に保存される中谷研究室を訪ねる。中谷が制作した風洞装置制作図面を確認。
2015年8月11日
札幌護国神社にて公演、演題「国家神道こそ世界最強信仰」

ラヂオノスタルジア(FM78.6MHz)代表取締役
評論家、歴史家、作家、雪氷科学者,ラヂオDJ
2007年6月 
 難病ギランバレー症候群を発症、後遺症のため重度2級障害者となり、歩行困難者に認定される。移動には杖、車椅子を必要とする。

出自
「私は自分のご先祖様が判明したとして、2千年前に第11代陛下垂仁(すいにん、実在が確認された2代目天皇、父は一代目崇神天皇)天皇に仕えた安濃宿禰(アノウスクネ)について述べました。安濃宿禰は当時伊勢国の国造(くにのみやっこ、知事)で垂仁(すいにん)天皇((紀元前29年−紀元後71年))の第4皇女倭姫命が陛下の命によりアマテラスオオミノカミ(ご神体は八咫鏡)を祀る御廟の建立地を探していたとき、伊勢の地をその地に定めることに尽力したお方です。この御廟が後の伊勢神宮として大成することになります。原始伊勢神宮建立の立役者の一人であるようです。また、垂仁天皇の皇子は聾唖を煩っていましたが、この皇子が出雲国への出張から戻ると病が完治していたという因縁に鑑み垂仁陛下は出雲国にお宮の設置を命じましたが、そのとき出雲のお宮建立に伊勢から馳せ参じたのが安濃宿禰の一族だったと言うことです。そのため出雲には安濃郡と呼ばれる地域があったそうです。このお宮は後に出雲大社と呼ばれることになります。
私の先祖である安濃宿禰は日本神道開基のころ原始的神官として活躍された方のようです。私は子供の頃から霊感が強く不思議な霊的現象を体験してきました。本年3月10日のブログでトランプ氏がニューヨークで大統領就任パレードを行っている夢を見たと報告しましたが、これが予知夢となったことはご存じの通りです。何故私は霊感が強いのかという疑問は今まで解けなかったのですが、ご先祖が伊勢神宮、出雲大社出現に関わったお方と知りようやく理解できたわけです」
寄付金
パブリックラジオ ノスタルジアのブログ、ネット放送、動画配信はすべて視聴者からの寄付金、授業料で賄っております。CMスポンサーは独自の言論を確保するため、受け入れておりません。
授業料振り込み口座です。
ゆうちょ銀行 店番号908 振替口座 02770984615
北洋銀行東屯田支店 普通口座 3572609




口座名 ラヂノス倶楽部ご支援をお願いします。
Tuition fees, Donation transfer bank accountPublic radio nostalgia, blog, Internet broadcasting, on-demand video is all we are funded by donations from viewers and listeners. We never accept CM sponsors to ensure the freedom of opinion.
The tuition fee transfer account.
Japan Post Bank
Branch No. 908
Giro Account: 02770984615
Account name = Radinos Club
North Pacific Bank
East Tonden Branch
Ordinary Account: 3572609
Account Name = Radinos Club
Thank you for your support.


カテゴリ
ニュースと政治


ライセンス
標準の YouTube ライセンス



いっそのこと相続税は廃止したほうが良いのでは

FBを転載
相続税と遺留分制度の廃止で日本を元気に!
2017.03.23
HS政経塾 第6期生 野村昌央
◆改めて見る、相続税改正
平成27年から相続税法が改正されました。
改正された内容のうち、基礎控除については、「5000万円+(1000万円×法定相続人数)」から「3000万円+(600万円×法定相続人数)」に改正されています。
これによって、相続税が適用される人が増え、課税対象者は全人口の4%程度から8%になりました。実質的な増税です。
日本における相続税の税収は、平成5年度の2兆9000億円をピークとして、平成27年度には約1兆5000億円と減少が続いていました。
平成27年に相続税が改正され、平成28年度の相続税収は約1兆9680億円と増加しています。
しかし、相続税収は全体の税収に対して約2%しかありません。それに比べ、相続税があることの弊害は大きなものがあります。
◆相続税のもとにある思想
平等の面を強調すれば、相続税を100%にすることで誰もが平等な人生のスタートを切ることができると考える方がいますが、そのような考えは行き過ぎた個人主義ではないかと筆者は考えます。
人間は家族を持ち、社会を形成して、互いの自由と権利を脅かさないために法律というルールを設けて生活を営んでいます。
家族に対して、有形無形にかかわらず、自分自身が人生で得てきた財産を残していきたい、引き継いでいきたいというのはごく自然な考えではないでしょうか。
もし、相続税を100%にして、そうした家族や近しい人での助け合い(互助・共助)を否定してしまうのであれば、ゼロから始める自助と、公助しかない社会になってしまいます。
そしてそれは、マルクスの言った社会主義思想に他なりません。
そうではなく、私有財産を認め、チャレンジして成功する人を称えることのできる社会でなくてはなりません。
他の人が成功できるということは、もちろん自分自身も成功することができる社会だからです。
そして、公的な支援に頼るのではなく、騎士道精神をもってよりよいコミュニティを築いていくことができる社会を目指さなくてはなりません。
また、相続税や贈与税は、所得再分配の思想をもとにしています。格差を否定し、努力し、チャレンジして成功することをも否定することにつながってはいけません。
◆遺留分制度で家族の絆が奪われる
なにより、相続税のために、子供が親の面倒を見ることが少なくなっている面があることを政府はしっかりと考えなければなりません。
例えば、遺留分制度があるために、親の面倒をみなくても、つながりがなくても、その財産を相続する権利があります。
どのように家族と交流を持とうが、社会福祉で生活することができ、相続も変わらないのであれば、子供は安心して親と別居します。
また、相続税があるために、家や土地を売らざるを得ず、お金で配分するということもあります。これでは家を持つ、家族で支え合って生きるということができない社会と言えます。
◆家族の絆を深め、機会平等の社会を
生きて働いている時に所得税などの税金を納めてきたにも関わらず、死んでからもまた税金を取ることに、正当性があるのでしょうか。
憲法29条には「財産権は、これを侵してはならない」とあります。相続税は憲法に明記されている権利を侵している可能性があります。
この根底には、「お金は個人が持つのではなく、国が管理して、みんなのためにと考えたことに使うのが正しい」という社会主義思想の価値観が入り込んでいると言っていいでしょう。
遺留分制度が存在し、相続税がとられるということは、長い目で見れば日本には伝統的で文化的な価値のある家屋や資産は残りません。
家を大切にすることも、家族のつながりを大切にすることも無くなる、ということになりかねないのです。このような、国家が家庭の文化を破壊する相続税を廃止し、家族の絆と文化を守りながら、すべての人にチャンスが開かれる社会にしていかなくてはなりません。

執筆者:野村昌央
HS政経塾6期生

キリスト教徒は何か

マザーテレサとプライベートジェット。
豊臣秀吉は正しかった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
西村眞悟の時事通信
━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━
キリスト教の本質と我らが守らねばならないもの

                        平成29年3月23日(木)

昨日の本時事通信では、
キリスト教を弾劾するとともに、
そのおぞましい偽善と欺瞞を体現した人物として
マザー・テレサを取り上げた書、
「キリスト教を世に問う! 〜マザー・テレサの仮面を剥ぐ〜」
について記した。
 この書は、奥山篤信さんが、
六十歳を過ぎてから、上智大学大学院に入学して神学修士号を得て
さらにフランスのパリ・カトリック大学(ISTA)に留学して
西洋(本場)のキリスト教神学とフランス語で格闘し、
その格闘の中から
キリスト教の偽善と欺瞞を摘出して書き上げたものである。
まさに、尋常の生き方をしていては書き上げることができない本である。
同時に、八百万の神々の国に生まれた日本人だから書けた本である。
五月の連休前には、
展転社から出版される予定である。
この本は、
文明の転換点であり歴史戦の時代である現在の必読書といえる。
諸兄姉の、ご一読を願う。

さて、昨日は、奥山篤信さんの著書を紹介するなかで、
私自身のキリスト教に関する考えを記したのであるが、
本日は、私自身の体験からくる思いをもう少し記したい。

明治という時代は、西洋に扉を開いた時代だった。
そして、日本人は、
もっとも純粋に西洋からもたらされる精神を受け取った。
例えば、内村鑑三、新渡戸稲造そして新井奧すいらは
幕末に藩士の子として生まれ明治に入って西洋を学び
キリスト教の精神を純粋に受け取った人々である。
また、あの足尾銅山鉱毒事件と闘って無私に生きた田中正造翁は、
新井奧すいに深く学び、亡くなった枕辺に残したものは、
頭陀袋のなかの数個の小石と新約聖書だけだった。
確かに、キリスト教は、明治の人々の「生き方」
つまり「倫理や道徳」に影響を与えた。

私の母方の祖父も、西洋のものを純粋に受け取った世代であった。
宮中の雅楽を続けていれば、昔と同じように家は禄を貰えるが、
祖父は、雅楽から洋楽のバイオリンに転じた。
そして、その娘、つまり私の母は、キリスト教に親しい雰囲気で育ち、
戦後に生まれた私を、毎週日曜日に、カトリック教会のミサに連れて行った。
そして、私は、幼児洗礼を受けた。但し、その時のことは覚えていない。
私が、母に感謝することは、
幼い時に、
スペイン映画の「汚れなき悪戯」をみる機会を与えてくれたことである。
童心の時代に、
母に連れられて通った教会と
母に連れられて観た映画「汚れなき悪戯」は、
生涯消えることのない暖かい思い出である。
それと、同時に、
カトリックのあの雰囲気の中にいると、
身体に合わない服を無理やり着せられているようで、
窮屈でイヤだった。

このような童心の時代を過ごした私は、一般平均よりキリスト教を知っていると思う。
そして、このことがよかったと思っている。
何故なら、西洋人・白人が信じるキリスト教の欺瞞を見抜く手がかりを、
いち早く与えられていたと思うからである。
これは、六十過ぎてパリ・カトリック大学に留学してカトリック神学を学んだ
奥山篤信さんが、
却って徹底的な反キリスト教になって帰国してきたのと同じかも知れない。
知れば知るほど、愕然としておぞましいのがキリスト教である。

確かに、明治維新以降、キリスト教は、
日本人の生き方や倫理と道徳に影響を与えた。
キリスト教に心酔し、生涯をキリスト教に捧げた日本人もいただろう。
しかし、それらの日本人が、
聖母マリアの処女懐胎を信じない隣人を、
村の広場に引き出して火炙りにして殺すであろうか。
誰かが「魔女だ」と叫んだら、その女を焼き殺すことができるか。
聖地エルサレムに住む総ての異教徒を殺戮して根絶やしにするであろうか。
異教徒は人間ではないとしてキツネの狩りを楽しむように平気で撃ち殺すであろうか。
日本人は、そのようなことはしない。いや、できない。
従って、日本人は、
まさに、それを、千年間してきて世界を制覇したのが、
キリスト教徒だということを知らねばならない。

ビルマ戦線でイギリス軍の捕虜となった学者の会田雄次は、
その捕虜の体験を「アーロン収容所」という本に書いた。
そのなかで彼は言っている。
実際に収容所で接したイギリスとは、
まさに怪物であったと。
彼らにとって、日本人捕虜は人間ではなく便器であり家畜であった。
彼らは日本人捕虜に跪いて口を開けろと命じ、
その口の中に小便をした。
イギリスの女は、家畜の前で平気なように、
日本人捕虜の前で裸でも平気であった。
彼らは豚小屋の横に日本人捕虜を収容し、食事は横の豚よりも粗末なものとした。
日本軍将校がイギリス軍将校に、
せめて豚と同じものを食べさせてくれと頼んだ。
すると、その時だけ、イギリス軍は日本人を人間扱いした。
イギリス軍将校は答えた。
我々は人道主義に基づいている。
従って、豚に食べさせているものを人間に食べさせることはしない。

マザー・テレサは、カルカッタに
「死者の家 The house for dying」を造って
世界から巨額の寄付を集めた。
基金を集めることに熱中する彼女の教えは、
十字架の上で肉体的に苦しんで死んでいった「キリストに倣え」というものであった。
従って彼女は、
延命を願う収容者に薬を与えず、ただ祈りなさいというだけで、
また、死の直前の耐え難い苦しみの中にいる収容者に
モルヒネなどの注射のすることを拒否して、
「苦しんでいる人間を見ると神を見て美しい」と言った。
彼女の「死者の家」はもっとも不潔な場所を選んで造られ
内部も不潔にされていた。
そのほうが寄付が集まりやすいからである。
そのくせ自分は、大富豪の自家用ジェットを乗り回し、
アメリカの最先端医療に執着し、
常にアメリカの近代施設に入院していた。

このようなことを日本人ができようか。
日本のキリスト教徒ができるか。
会田雄次は、正しい。
やはりこれは、怪物ではないか。

昨日、キリスト教を禁教とした秀吉を賞賛した。
秀吉は、明治人が見抜かず会田雄次が捕虜になって実感した「怪物の正体」を、
直ちに見抜いた慧眼をもっていたのである。

最後に、この怪物に滅ぼされていった高貴なる魂を紹介する。
アメリカのワシントン州にシアトルという都市がある。
ここは肥沃な土地でかつてスクァミッシュ族というインディアン(レッドマン)が住んでいた。しかし、一八五五年一月、ワシントン総督は、彼らに居留地に移動するように命令を下した。
そこで、スクァミッシュ族の酋長であるシアトルが次の抗議文を提出した。
滅び行く彼らの信仰こそ、普遍的で基本的で根源的な本当の意味の宗教である。
そして、彼らと我々は、彼らがベーリング海峡を渡る何万年か前に、
ウラルアルタイの何処かで、共通の祖先をもっている。
彼らは滅ぼされたが、我々は今もここにいる。
彼らのためにも、キリスト教というカルトに滅ぼされた人類の為にも、
我らは、この日本を大切にし、守り抜かねばならない。



 はるか遠きあの空は、数えもつかぬ昔から、
私の民族に憐れみの涙を流してくださってきた。
一見すると永遠に不変であるかに思える空も、いつかは変わる時が来るものだ。
今日は天気でも、明日は雨雲におおわれるかも知れぬ。
 が、私の心は夜空の星のごとく変わることはない。冬のあとには必ず春が訪れるように、総督閣下、どうか私の述べるところを言葉どおりに受け止めていただきたい。
 この土地は、かつて我が民族が自由に使用した時代があった。が、その時代も遠い過去のものとなった。民族の偉大さも、悲しい思い出となってしまった。が、愚痴は言うまい。女々しい懐旧談はよそう。ホワイトマンの暴挙を非難することも止めよう。われわれレッドマンにも責められるべき点がなかったわけではないからだ。
 が、この度のあなたの命令は、言うとおりにすればわれわれを保護してやる、という趣旨のようである。勇敢なる兵士が城壁のごとく守り、軍艦が港を埋めつくして、われわれの積年の仇敵ハイダ族とチムシアン族も婦女子や老人を襲うことはなくなり、かくしてレッドマンも同じ総督のもとでホワイトマンと兄弟になるとおっしゃる。
 果たしてそうであろうか。それは有り得べからざることではなかろうか。
何となれば、そもそもあなた方の神ゴッドと、われわれの神グレイト・スピリッツ(大霊)とはまったく相容れないものだ。
 ゴッドは自分の民は愛しても異民族は嫌う。白い肌のわが子をやさしくかばい、あたかも父親がわが子を可愛がるように手引きするが、赤い肌の者のことは一向に構わない。
 われわれの崇める大霊はそんなえこひいきはなさらない!
 このようなことで、どうしてホワイトマンとレッドマンが兄弟になり得ましょうぞ。もしもゴッドが宇宙の神だというのであれば、それはよほど好き嫌いをなさる神に相違ない。ホワイトマンに都合のよいことばかりを教えて、われわれレッドマンのことは何も述べていらっしゃらない。が、かつてはこの大地で無数のレッドマンが生きていたのだ。
 あなた方の宗教は活字によって書き記されている。レッドマンはそれが読めないし、したがって理解できない。
 それとは違い、われわれの宗教は先祖からの伝統なのだ。厳粛なる儀式のもとに、夜の静寂のなかで、大霊より授かったものだ。それが偉大なる先祖のビジョンとなって、われわれの胸に刻み込まれている。
 あなた方の先祖は、墓の入口を通り抜けると、それっきりあなた方のことを忘れる。あなた方も彼らのことを忘れる。が、われわれの先祖霊は地上のことを決して忘れない。
 うるわしき谷、のどかなせせらぎ、壮大な山々、木々に囲まれた湖・・・、彼らはしばしばその美しさが忘れられず舞い戻ってきては、われわれのもとを訪ね、導きを与え、慰めてくれる。
 かつて、レッドマンがホワイトマンの侵入に敗走したことはなかった。が、われわれの命運も尽きかけている。もはや余命いくばくもないであろう。あたりには恐ろしい殺人鬼の足音がする。が、われわれはその運命(さだめ)に毅然と立ち向かう用意ができている。
 何ゆえにその運命を悲しむことがあろうか。一つの部族が滅びれば、また新しい一部族が生まれる。一つの国家が滅びれば、また新しく国家が生まれる。海の波と同じだ。それが大自然の摂理なのだ。 あなた方ホワイトマンの命運も、今すぐではなかろうが、いつかは尽きるのだ。ゴッドを誇るあなた方も同じ運命から逃れることはできないのだ。
 その意味において、お互いは同胞なのだ!この地球上のどこにも孤独な場所、誰もいない場所は一つもない。いずこも先祖の霊でにぎわっているのだ。ホワイトマンも実は決して孤独ではない。人間として正しく、そして優しい心さえ忘れなければ、先輩の霊たちが力を貸してくれる。
 私は、「死」という文字は一度も用いていない。
「死」は存在しないからだ。ただ生活の場が変わるだけなのだ。

━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━
お問い合わせ:西村眞悟事務所
TEL:072-277-4140 E-mail:sakaioffice@n-shingo.com
http://www.n-shingo.com/


森友、西田議員

FBを転載
森友学園の籠池氏の証人喚問で、流石に西田議員の正論は素晴らしい!
森友学園に対する寄付金額(自己資金を含めた建築予算)が、建築を可能にする予定建築金額に達していないのに、自分だけの解釈で盛りに盛った建築予算を作り上げ、着工に至ったのは、自己資金不足を補う援助や寄付を前提として、何処かを偽装して承認を得ていたと言う事なのだ!

中国に抗議、フィリピン

FBを転載
フィリピン 南シナ海での建設で中国に訴え c AP Photo/ Rolex Dela Pena, Pool
アジア 2017年03月22日 01:28
諸国が領有権を争う南シナ海の島や岩礁において環境モニタリング基地を建てる準備を中国がしていると発表された後、フィリピンは中国の行動に対して強い抗議を表明した。ロイターがフィリピンのビタリアノ・アギレ法相の声明を基に報じた。
スプートニク日本
先に、諸国が領有権を争う南シナ海の諸島や岩礁において中国が環境モニタリング建設を予定していると報道された。環境モニタリング基地は南シナ海のスカボロー礁を含む6つの島と岩礁に建てられる可能性がある。
アギレ法相は、中国政府の行動に対してフィリピンが裁判所に訴えを出すつもりだと発言した模様。
ロイターによると、フィリピンのアベリヤ大統領報道官は、フィリピンが自国主権を守るため不可欠な措置を取ると述べた。フィリピンはスカボロー礁を自国の海域だと主張している。同岩礁のフィリピン名は 「Bajo de Masinloc」。
先に、海上自衛隊は今年5月、日本最大の最新鋭ヘリコプター搭載護衛艦「いずも」を南シナ海に派遣する。日米印の共同訓練「マラバール」参加などが目的。ロイターが自衛隊の複数の関係者の情報を基に報じた。

日本人拉致の実態

FBを転載
北朝鮮、日本の漁民50人以上を殺害か…元工作員が証言
高英起  | デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト 3/22(水) 13:09
北朝鮮の元工作員が、海上における日本人の拉致に関する衝撃的な証言をした。北朝鮮による日本人拉致疑惑に関しては、いまだに明らかにされていない事案が存在していると見られているが、今回語られた海上における日本人拉致の証言は彼以外からは出ていない。
漁船ごと沈没
今月17日、東京で日本・韓国・タイの北朝鮮による拉致被害者の家族が集まるシンポジウムが開かれた。主催は、北朝鮮反人道犯罪撤廃国際連帯(ICNK)、韓国の対北朝鮮放送協会と北朝鮮民主化ネットワーク。シンポジウムでは、元偵察局(現偵察総局)要員であり、現在はデイリーNKで記者として活動するチェ・ソンミン氏が加害者の立場から海上における日本人拉致の手口について具体的に語った。
チェ氏によると、海上拉致は「漁民作戦」と名付けられ、日本海側の元山(ウォンサン)近くなどを拠点に60年代から80年代中頃まで繰り返された。作戦に使用する工作船の船体には漢字で「〇〇丸」と日本式の船名が書かれ、乗り組む工作員たちはある程度の日本語を話す。さらに、日本製の腕時計や服などを身につけるなど、日本の漁船を装って、夜に無灯火で日本漁船に近づき、船を襲撃するのだ。
工作員たちは、日本漁船に乗り込むやいなや、ナイフや銃で船員たちを制圧し、10〜30代の健康そうな若者だけを連行する。その他の船員たちは船倉や船室に閉じ込めて、証拠隠滅のため、船ごと沈める。作戦は、年に3回から2年に1回ほど実行されたことから、拉致被害者は10人以上、殺害された人は50人〜60人以上に上る可能性もある。
漁民拉致の目的は、日本海沿岸の地理や軍事基地などの状況を把握するためだった。
一昨年、東京新聞が入手した極秘資料には、北朝鮮の工作員は拉致を実行する際、対象が抵抗したら毒殺などによる「処断も可能」(殺害)と記されているという。先日、マレーシアで起きた金正恩党委員長の異母兄である金正男(キム・ジョンナム)暗殺事件もそうだが、海上拉致の手口が事実だとすると、北朝鮮の工作活動は殺人もいとわないものなのだ。
(参考記事:抵抗したら殺せ…北朝鮮「拉致指令」の動かぬ証拠)
チェ氏は、こうした作戦に少なくとも1回以上、参加したという。現在は自らの行いを深く悔いており、謝罪の気持ちを込めて証言に踏み切った。ただ、この証言が事実であるかどうかは、客観的には証明されていない。デイリーNKジャパンでも裏付け情報の収集に動いたことがあるが、古い時代の話でもあり調査は困難を極めた。
たくみに証拠隠滅が図られていれば、襲撃された漁船は海難事故として処理されたはずであり、そもそも拉致の疑いすらもたれなかった可能性が高い。
はたして、この情報を日本はどうとらえるべきか。チェ氏は、現在も北朝鮮国内の元同僚と極秘に連絡を取り合っており、作戦が実行された正確な時期や場所などについての情報も入手するつもりだという。その情報と過去の日本で起きた海難事故の情報が一致すれば、北朝鮮による海上拉致の実態が明るみに出る可能性もある。

チベット・ペマギャルポ

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成29年(2017)3月23日(木曜日)弐
        通算第5233号   
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
   ♪
「チベットの現状と今後の運動展開」(その1)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

アジア自由民主連帯協議会 会長 ペマ・ギャルポ氏

   ▽
 五十数年間、私たちは毎年この時期に、来年、ラサで乾杯しようと言い続けてきました。きょうの題は「現状と今後の活動展開」ということですが、まず何よりも言わなければならないのは、これから話すことはすべて私個人の責任であるということです。もちろん、かつては政府の一員としてやってきましたが、特に政府、または活動している人たちを代表して話しているのではないことを前置きしたいと思います。
 日本で50年間生活をして、本来であればそろそろきょうの演説あたりで独立に向けてとか、あるいはこういう国をつくりたいというようなビジョンがあれば一番いいのではないかと思いますが、残念ながら60年近くなっても、チベット問題は悪化することがあってもあまりよくなってはいないと思います。

もし、何か評価できるものがあるとすれば、チベット問題が世界的に一応分かるようになった。これは評価できることだと思います。
 ただ残念ながら、なぜそもそもチベット問題なのかということを考えると、やや喜べない部分もあります。
なぜかというと、いまチベット問題で一生懸命にやってくださっている方々は、環境問題や人権問題を一生懸命にやっています。もちろん、これも大切な問題です。しかし、そもそもチベット問題とは何かというと、一国の独立国家が他の国に侵略された。そして、その独立をもう一回取り戻そうというのが本来のチベットの目的であり、またそれが目標であるべきだと思います。

 そういう意味では今もう一度、われわれも考えなければならない時期に来ているのではないか。
幸いにしてというか、今の北京政府、一見、非常に強く見えますが、総合的に見ると、そろそろ自らのさまざまな矛盾から崩壊する可能性もないわけではない。かつて私の恩師の倉前先生が、ソビエトが崩壊することをおっしゃってご本にも書きました。そのときに周りから、そんなことはあなたの推測にすぎない、
小説だと言われ、いろいろと批判を受けました。しかし、先生はもう一度ご本の中で、中華人民共和国という帝国も滅びる、そういう日が必ず来るとおっしゃっていましたが、残念ながら先生が健在のときにはそういうことが起きなかった。しかし、私はその予測が当たるだろうと信じています。

 ▼、チベットは決して非文明国家ではなかった

今のダライ・ラマ法王の時代になり、初めて私たちはある意味で統一した国家になりました。それまでは中央政界がありましたが、世界中同じように、私たちも中世から近代に入るのに少し出遅れました。
中華人民共和国という国がチベットを侵略したときは、まだチベット自身が本当に近代国家としての形があったかというと、必ずしもあったとは言い切れない部分があります。
 それから、日本が1860年代に明治維新を行いましたが、それまではたぶん、文化の面において、歴史の面において、あるいは民族の特有性において、どう考えても日本に負けないぐらいの国家としてチベットは存在したと思います。
中国は、野蛮で非文明国家のチベットに文明の光を照らした。そして、そのためにチベットを封建社会から解放したと言っていましたが、たとえ封建制があったとしても、文明の面においては、ポタラ宮殿をご覧になっていただいても、あれだけの技術があの時代にあった。
そして、チベット医学、あるいはチベットの占星術。あるいはチベットの歴史、特にチベットの歴史の場合には宗教を中心とした歴史ではあるけれども、すばらしい書物がたくさんありました。インドの仏教の教えも、世界で一番多く翻訳されているのがチベットです。普通、私たちはお釈迦様の教えは8万4000あると言いますが、少なくともチベットで約4000が翻訳されています。
中国では2000ぐらい翻訳され、日本には200ぐらいしか来ていないわけです。そういう意味で、チベットは決して非文明国家ではなかったということです。

 しかし、残念ながらチベットは、世界中が近代化して近代国家として中央集権国家をつくったときに、私たちはヒマラヤの奥地で自分たちだけの平和な生活をし、そして鎖国政治を約400年取りました。この鎖国政治により、私たちは自分たちの文化文明を発達させるには大いに役に立ったと思います。しかし、近代国家としては出遅れました。これがたぶん、私たちがいま直面している運命の原因です。

 1949年に中華人民共和国ができ、そしてすぐ毛沢東は、この革命は本来わが祖国、これは中国的なわが祖国ですが、わが祖国の領土を全部開放するまではこの革命は終わらない。そして、それはもちろん、チベット、東パキスタン、南モンゴル、あるいは日本の尖閣諸島、琉球、沖縄も含めてのことです。彼らが直接的、間接的に一度でも影響力を及ぼしたり、あるいはかつて朝貢を受けた国はすべて中国の一部であるという考え方に基づいています。
そして1950年、一番近く、一番武装していない、お坊さんが27万から30万人ぐらいいても軍隊は2万人しかいない国、まさにどうぞ侵してくださいというような環境にあったチベットに入ってきました。
 1951年に17条条約を結びました。
17条条約を結んでから約8年間、1959年3月まで、残念ながらチベットは中国の一部でした。これは認めざるを得ません。なぜならば1954年、中国は憲法をつくりました。1949年に独立したけれども、中国は憲法ができたのは1954年です。このときにはダライ・ラマ法王もパンチェン・ラマ尊師も、あるいはそのほかチベットのそうそうたる方々が人民大会に参加して1票を投じています。給料ももらっています。しかし1959年、ダライ・ラマ法王がインドに亡命してから、テスブというところで3月に、もうあの条約は無効であることを発表しました。

 ▼チベット分裂を企図したパンチェン・ラマという仕組み

 私個人の考えでは、あの瞬間からチベットは占領下の国家です。私たちはまだ国家であるはずです。
なぜならばチベット人の自発的な、あるいはチベット人の同意を得て、いま中国がチベットを支配しているのではありません。彼らは約束をことごとく破りました。あの条約の中では少なくともチベットの外交、防衛以外のことに対しては尊重することを書いています。
 そして、それまで、本来であればダライ・ラマ法王は私たちの宗教、政治でも最高の地位ですが、パンチェン・ラマ尊師はダライ・ラマ法王の先生であり、決して副大統領みたいではないです。
副王様でもない。中国はわざとチベットの中で分裂をつくるために意図的に法王、そしてパンチェン・ラマというような仕組みをつくり、そして中国はダライ・ラマ法王を中国とチベットが一つになるための準備委員会、つまり自治区の準備委員会の主席、副主席に任命しました。

 この状況においては、残念ながらまだ東チベット、そして今の青海省、アムド地方、この辺に関してもあまり明確なチベットとしての立場を明記していません。むしろ多くの東チベットの人たち、あるいはアムド地方の人たちも、長い間、中央集権に対し権威として存在したけれども、近代国家としての権力ではなかったと思います。ですから、東チベットで1957年、最初の決起が起きても、中国政府はこれという手を打つことができなかった。

 しかし、インドに来て1963年、チベットの各種族、各宗派のトップ、みんなが初めてダライ・ラマ法王を頂点とする、自分たちの、日本で言ったら藩の権限を当時、中央に返上したような形でインドのブッダガヤで誓いを立てました。そして、その誓いとは、最後の1滴の血まで祖国の独立のために使うということでした。

 さらにその後、1972年までゲリラ活動をしていました。
ゲリラ活動に関してはアメリカの支援もありました。インドは当初、あまり積極的ではなかった。インドとしては、特にネルー首相としては、できればチベットを不干渉地帯として中華人民共和国と直接ぶつからないために残したほうがいい。そこにアメリカとか、あるいはヨーロッパの国々が、もう一回、チベットを助けるような意味で入ってきたら、せっかく日本の先の戦争の結果、独立したアジアの国々、アジアにもう一回、西洋の勢力が帰ってくる。そのようなことは、ネルーは望まなかった。したがって、インドも最初はゲリラ活動、あるいはアメリカが関わることについては必ずしも積極的ではなかったのです。

▼インドはチベット支援に最初は積極的ではなかった

 インド自身が中国と友好条約がありました。インドと中国は1960年代まではインド人の売買、バンドン会議においてネルー首相と周恩来、特にネルー首相の発想で平和五原則、パンチャシラを。パンチャシラはサンスクリット語で、中国語ではありません。日本の学者によっては、これは周恩来の哲学だと言っているが、周恩来の哲学ではないことは名前から言っても分かります。つまり、平和五原則の最も大切なことは、お互いの内政を干渉しない。他の国を侵略しない。主権を尊重する。

 ネルーは非常に理想主義的な要素がありました。
例えば1957年、法王がインドをいったん訪問してそのまま残ろうとしたときも、周恩来が来てネルーを説得し、帰ってください、あとはわれわれが仲介して、チベット問題は平和裏に何とかしましょうというようなことを言っていました。
しかし、1962年、インドそのものが突然中国に侵略されました。ネルーはショックを受けました。サッダ・パティルはじめ当時のインドの国民会議派の世間で言う右派、この人たちからも、「言ったじゃないか!」。なぜかというと、サッダ・パティルは1951年にもう既に武力を使ってもチベットを支援したほうがいいということを提言しています。しかしネルーは、いや、これは平和的に解決できる、周恩来と私の人間関係がある、などと言い、パティルさんとか、そういう人たちの意見は聞かなかった。

 ですから当然、インドは第1回目の中国との戦争では負けました。
なぜ負けたかというと、インドは戦争するつもりがなかった。中国はチャンスがあればという準備をしていました。しかし、その中国の準備も当時はまだ不十分です。一つは、まだ道路がない。軍は簡単に入れない。それから、高山病にかかる。中国人自身はチベットへ戦いに来ても、高山病にかかる。だからモンゴル人とか、高地で戦える人たちを使って来ましたが、その人たちは積極的に喜んで兄弟たちを殺すようなことはしません。彼らはインドのアルナーチャル州から、2〜3週間ぐらいで結局撤退しました。
 一昨年、僕はアルナーチャルへ行きました。
そのとき、アルナーチャルの人たちが言うのは、決してその後もインド政府が力ずくで中国と戦い、あるいはインド政府が政治力で中国を説得して撤退したわけではない。何かというと、中国人が来て現地の人たちに、あなたたちは私たちと同じ顔だ、兄弟だ。あなたたちを助けに来たと言っても、彼らは兄弟ではない。
中国は今のようにロジスティクスがないです。彼らは協力しなかった。食べ物でさえ協力しなかった。そして、冬になりました。そうすると中国は撤退せざるを得なかったのです。その後、ネルーの娘のインディラ・ガンジーは二度も中国と戦争したけど、勝った。それはインドも学ぶことがあった。

 1962、63年になり、インドは初めてダライ・ラマ法王をインド国内において国家元首並みの扱いをするようになりました。
そして、ネルーは法王に対し、長期戦になるかもしれない。だから私たちインド政府はあなたの国の人たちをいろいろな学校に入れたり、インド社会に受け入れるのは簡単だけれども、そうではなく、自分たちの学校をつくりなさい。チベットの学校をつくると、そこは私立の学校ですから、インドのカリキュラムをやらなくてもいい。そこでチベット語を教える。チベットの歴史を教える。チベットの文化を維持する。チベットの音楽を教える。そして、チベットの坊さんが一人、必ず学校に精神指導としていました。そういう配慮をするようになったのです。

 そのおかげで今日も、僕はときどき人民解放軍のカーキ色の軍人と、私たちの赤い色のお坊さんの軍人、どちらが勝っているというけど、世界的には私たちが勝っているだろう。なぜかというと、幸いにして1960年代、ベトナム戦争などもあり、アメリカを中心として、世界中のある意味で精神的な空白がありました。
そこでビートルズやインドの聖者、聖マヘーシュ・ヨーギーとか、そういう人たちが出てきて、それと一緒にチベットの聖者ミラレパが最初に注目されました。それがきっかけで『チベットの死者の書』が外国の資料になりました。
 それから、チベットのお坊さん、最初に外に出て活躍したのは、スコットランドにいらした先生二人、それからのちに一人が交通事故に遭い、アメリカへ行ったのです。あれも偶然ではなく、本人が帰ろうと思ったときに車の事故に遭ったのです。
たまたま運転していたのがアメリカの金持ちの女の人で、その人がアメリカに招待した。その人を通してアメリカで教えるようになりました。

 その次がカルマパ。カルマパに対しては中国人の香港にいる人が協力しました。それから、日本人でアメリカ人と結婚した龍村さんの妹さん。そういう人たちが少しずつチベットのお坊さんたちを西側に呼ぶようになった。
最初はどちらかといえばカル・リンポチェやチベットの学者よりも行者の人たち、それからアメリカにおいてはアメリカンインディアン、特にホビの人たち。彼らの伝説の中に、いずれ東から赤い衣を着ているお坊さんが来る、聖者が来るというようなことがあった。そういうことで、最初はそういう人たちが私たちに関心を持ちました。

 日本でも、東大をはじめとしてインド哲学の延長線でチベット仏教がありましたが、残念ながら、それはあくまでもインド哲学の延長線でしかなかった。チベット仏教について研究している人はなかった。むしろ最初に関心を持ってくださったのが、いまホビット村にいる当時の日本のヒッピーたちでした。この人たちがチベットに関心を持ってくれました。世界全体が似たようなことだったと思います。

 正直言って、最近はチベットの支援者は外国でも金持ちがたくさんいますが、最初にチベットに関心を持ってくれたのは、どちらかというとヒッピーでした。何となくインドへ行き、そこで麻薬でもやり、そして人生を考える余裕のある人というか、そういう人たちがチベット仏教に関心を持ってくれたのです。そのおかげでチベットは知られるようになりました。

 ▼アメリカ人富豪らの支援はチベット仏教への関心からだった

 そうこうしているうちに、1972年、中華人民共和国はアメリカと関係ができ、アメリカは私たちに対し、あと6カ月でゲリラに対する援助を打ち切ると言いました。そのとき、ネパール政府に対し中国、アメリカ、両方から圧力がかかりました。ネパールのマヘンドラ国王は最後の最後までチベットの人たちに対し、非常に親切でした。ムスタンを基地にして、われわれが中国と戦っています。

 そこで最後にゲリラの人たちは結局、ネパールからも追い出さなければならない。中国は向こうから追ってくる。法王は、少なくとも他の民族の地を私たちのために犠牲にしてはならない、ネパールと戦ってはならない。
ですから、ネパール軍に降伏するということをおっしゃいました。最初何名かいて法王のそういう言葉を伝えていたけど、ゲリラの人たちはみんなあまり信じません。
なかには友達と。独立のために最後まで戦うと誓い、その友達が死んでしまっている。だから、その友達のためにも自分は戦わなければならないという人もいました。

 最後に法王の義理のお兄さんが法王のテープを持っていき、そのテープをゲリラに聞かせたのです。それでも一部の人たちは中国、あるいはネパール軍に降伏するのだったら自殺したほうがいいと言い、自分自身に鉄砲の銃口を付けて死んだ人もいます。もしかしたら僕の代わりに来る予定の人もいました。学校にいるときは何となく競争相手ですから、僕はその人のことを尊敬もしていなかったし好きでもなかった。しかし、僕が日本に来て数週間後に彼はゲリラに入った。そして、数年後に彼は死にました。

 そのとき、僕は彼に負けたような気がしました。
それまで憎たらしいと思った人が急に恋しくなり、そして偉いと思うようになったのです。だから、その後の僕の日本での活動は、常に彼のことが頭の中にあります。もし私の代わりに彼が来ていたら、彼は何をやっただろうか。確かに、彼は生きているとき、命を懸けていたことに対し報われることはなかった。しかし、その尊い命を大きな目的のために捧げることができた。それを私はいまできていない。だから永遠に彼は、少なくとも私にとってはヒーローです。

 どこの国でも、最後においしいときはヒーローがたくさん出てきますが、歴史の中で名前も残らないヒーローが本当はたくさんいます。
私たちと一緒になって戦ってくれた、アムドキャシという中国人もいます。彼はもともと中国の人民解放軍でした。しかし、途中から、中国のやっていることはよくないということで、われわれと仲間になってくれた。そして、一緒に戦ってくれました。恐らく彼のことも、チベットの歴史にも、中国の歴史にも載らないかもしれない。いずれにしても、この1970年代は私たちにとっては非常に大きな転換期でした。
   (つづく、三回連載です)

      ○◎○▽ □◎◎○ ○◎○▽ ◎○◎○ 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
★宮崎正弘の新刊   ★宮崎正弘の新刊
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
♪♪
宮崎正弘新刊 緊急書き下ろし
『米国混迷の隙に覇権を狙う中国は必ず潰される』(徳間書店)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
https://www.amazon.co.jp/dp/4198643660/
 定価1080円(税込み)。 
        ○◎○▽◎◎○○◎○▽◎○◎○
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  宮崎正弘の新刊案内 http://miyazaki.xii.jp/saisinkan/index.html
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
宮崎正弘 vs 石平 対談第八弾
『いよいよトランプが習近平を退治する!』(ワック)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
https://www.amazon.co.jp/dp/4898317537/
  (定価税込み994円。↑ 予約を受付けております)


今の境遇は、必要な成長を

おはようございます。
今日(3月23日)の珠玉のリーディングをお届けします。


あなたの今の境遇は、物質的にも、精神的、霊的にも、あなたがより大きなもの、もっと優れたものを成し遂げるのに必要な成長をもたらすものであり、あなたは今の状況をやり抜かなければならない。

In the environ as the body finds self in the present is that necessary for the body-consciousness, the body-mind, to pass through for that development necessary for bigger, better, greater things the body may accomplish in a material, in a mental, in a spiritual manner.
(311-5)


それでは今日も素晴らしい1日になりますように!
NPO法人 日本エドガー・ケイシーセンター
http://edgarcayce.jp


加瀬英明

■「加瀬英明のコラム」メールマガジン

本メールマガジンに心当たりのない場合には、info@kase-hideaki.co.jpまでご連絡下さい。

----------------------------------------------------

 トランプ政権のゆくえを読む 
 日本の最大の資源は「人」。なすべきことを着実に進めよ

 冷静な目で見るべきで言動に右往左往する必要なし

 トランプ大統領の一挙手一投足に世界中が翻弄されていますが、それほど過敏になる必要はないと私は考えています。

 そもそもオバマ前大統領の8年間は、少なくとも外交政策についてはひどいものでした。中国には南シナ海での実効支配を許してしまい、中東も混乱、ヨーロッパではウクライナもバルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)も危険な状況になっています。もし、ヒラリー大統領が誕生していたとすれば、オバマ政権の第3期のような政権になっていたでしょうから、それよりはずっと良かったと私は考えています。

 まだ読めない部分もありますが、トランプ政権の経済政策では、長期的には円安傾向が続くと考えられます。大幅な法人税の減税、そして向こう10年間で1兆ドルの公共投資を行なうことを明言していますから、インフレ傾向が強まるでしょう。それを抑制しようとして金利が上昇し、その結果、ドル高円安が進み、長期的に見ればアメリカの輸出産業は伸び悩む可能性が高いと思われます。

 トランプ大統領は、国内雇用を増やすために、国外に工場移転する企業に対し重い国境税を課すと警告していますが、国内雇用、特に正社員が激減したのは、工場移転ではなく、AI(人工知能)のせいです。例えば、コンビニのATMがどれだけ多くの銀行員の職を奪ったことか。経営の合理化を進めるなかで起きたことですから、そこへの対応を考えないと根本的な解決にはなりません。

 また、トランプ大統領は、NAFTA(北米自由貿易協定)の再交渉を明言するなど輸入に高い関税をかける姿勢でいますが、そう簡単ではないと思います。かつて私は、福田赳夫内閣(在任期間1976年‐78年)で首相特別顧問という立場でカーター政権を相手に対米折衝を行ないました。アメリカ製のテレビが日本製のテレビに食われたため、日本製のテレビだけに高い関税を課しましたが、その分のマーケットシェアは韓国と台湾に奪われただけで、アメリカの国内状況は改善しなかったのです。つまり、特定の国を狙い撃ちにした関税はうまくいかないのです。

 アメリカの工業製品は、その部品の多くを輸入に頼っています。関税によって部品価格が高くなれば、結局はアメリカ国内で製造した製品も高くなります。つまり、今の世界で保護主義がうまく機能するとは思えないのです。

 世界恐慌が起き、ヒトラーという化け物が誕生し、第2次世界大戦が勃発した原因は、保護主義にありました。恐るべきことですが、今述べたような理由から、戦前のような保護主義にはならないと思っています。「グローバリズムの終わりの始まり」という人もいますが、輸入部品に頼らざるを得ない今の世界では、それは大げさです。トランプ大統領にもメンツがあるので今後、方針転換は難しいと思いますが、NAFTAにもてこずるでしょうし、TPP(環太平洋連携協定)からの離脱は結局損だということもいずれわかってくるでしょう。

 ですから、過度に恐れる必要はないのです。私たちはあまりにもトランプ政権の力を過大評価しているところがあります。冷静な目で見るべきで、その言動に右往左往しないほうがいいでしょう。

 学ぶことに謙虚で貪欲な日本人の遺伝子は今に通ず

 日本は長い目で見ると、経済的には強いと思います。なぜなら、政治的にも経済的にも社会的にも、世界で一番安定している国だからです。特に、中小企業がこんなに強い国は、日本の他にありません。

 日本の一番大きな資源は、「人」です。日本人のなかにある匠の心、和の心です。世界でも珍しいほど人の心を思いやる民族です。ものづくりにおいても、「人のことを思って作る」からこそ、いいものが作れるのです。

 それは近現代に始まったことではありません。縄文土器のデザインなどはどこにもないものですし、翡翠加工の技術をもっていたのは日本とインカ帝国だけでした。ポルトガルから種子島に鉄砲が伝来して以来、全国の大名が所持していた鉄砲の数は、ヨーロッパや中東の数倍にもなったと言われていますが、それは、日本の鍛冶技術が極めて優れていたからです。

 現在の日本の中小企業を見渡しても、世界のマーケットシェアの6、7割を占めるような部品メーカーが数多くあります。これは日本人の中に営々と受け継がれてきた和の心、そこから生まれた匠の心があるからです。

 「日本化」とでも言うのでしょうか。日本という国は不思議な国で、海外から取り入れたものに改善を加えて、良質で優れたものに変えてしまいます。それはものだけではなく、思想や文化でも言えることです。例えば、儒教はもともと人民を統治するための統治思想で、普遍的な優れた価値を生み出すものではなかったのですが、日本に来ると優れた精神修養哲学になりました。仏教もしかり。車に代表されるような工業製品も同様です。ありとあらゆるものがそうです。

 また、教育程度が高いことも日本の強みです。歴史的にみても、日本人は学ぶことに対して謙虚であり貪欲でしたが、その遺伝子は現在にもつながっています。

 こうした日本の素晴らしさを守っていけば、トランプ大統領がどう出ようが、臆することはありません。冷静に長い目で見ながら、自分たちがなすべきことを着実に進めればよいのです。


キリンビールブログ発ブログパーツ
12/10発売「キリン 明治のラガー」「キリン 大正のラガー」の ブロガー限定モニター企画、800名大募集! 応募締切:2008年12月1日(月)17:00までの送信分有効