2005年02月

2005年02月28日

三国湊の雪明り 出村・魚志楼

三国湊の夜 三国湊の今年の冬は寒かった 大雪にはならなかったものの、平均して気温が低く雪の降る日も多かったように思う
今日も朝と夕方に小雪が降り、出村の小道もうっすらと雪化粧をした 湊の夜は駅前と出村の飲食店街を除くと、以前と比べ明かりも消え静かな佇まいである  四季美しい町であるが、特に雪明りの出村は風情が格別である 

2005年02月27日

三国湊の留番所 木場・丸岡藩・福井藩・朝倉・織田信長・柴田勝家・豊臣秀吉

三国湊の留番所 三国湊は古くから領主朝倉氏、織田信長、柴田勝家、豊臣秀吉、福井藩と保護され栄えてきた 
江戸期に九頭竜川河口は辰巳川沿いの留番所が境となって上流が福井藩、下流が丸岡藩であった 福井藩は港の統制と保護をするために、沖ノ口法度と沖ノ口定目を定めた
 法度は人倫的なあり方を示している 定目は港の運営大綱のようなものである 川口番所は港の警備、検査、取締りなどをする役所であるが、隣の丸岡藩との権益関係を特に重要視していた 福井藩は財源の確保のため、物資集散の藩唯一の湊として三国湊と湊の商人の権益の保護に努めた 

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2005年02月26日

三国湊と松平忠直 まな板石・暴君伝説・福井城

 三国湊の港修築記念碑三国湊と福井城  

松平忠直は徳川家康の孫で2代目福井藩主であった
忠直を有名にしたのは菊池寛の「忠直卿行状記」である 福井にも暴君伝説があり、他人の妻を奪い、領民を殺すなど様々であるが、その一つに愛人が笑わないため、妊婦の腹を引き裂き喜ばそうとしたという 左の写真の「三國港修築記念碑」の上に四角い石が二つ乗っているが、忠直が妊婦の腹を裂くときに使った「まな板石」といわれている 港修築のとき川から上がったとされる 右の写真は福井城跡で左の少し石垣が高くなっている所に天守閣があった いまは県庁などの建物が建っている 



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2005年02月25日

三国湊の港修築記念碑 まな板石・松平忠直・漁連三国支所

三国湊の港修築記念碑 三国湊の滝谷地区の護岸道路沿いに「三國港修築記念碑」がある 碑には概ね次のようなことが記されている 「三国港は河口に位置し、船の出入りで大変賑わった。しかし泥砂の堆積で浅くなり、また陸地は狭小で急斜面で、大きい船の入港接岸が困難になって、港の勢いも衰微している。本県沿岸は魚介類の宝庫であるが港の施設が伴っていないことを憂う。県はこれを見て昭和4年以降3ヵ年の事業で工費14万円を投じて河口の水面5千余坪を埋立てその前面に岸壁および荷揚場等の施設を作り商港ならびに漁港としての設備を完成する。想うに沿岸一帯の仕事が便益を受け地方産業の発展に資することができる。茲に本工事を完成するにあたって概要を録して以って記念とす。」
埋立てられた場所は、福井県漁連三国支所をはじめ諸施設が立地し、三国港の中心となっている

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2005年02月24日

三国湊の指定文化財 三国神社・随身門・三国祭

三国湊の文化財 本日、三國神社楼門(随身門:写真)が三国町指定有形文化財に、また三國神社例大祭「三国祭」が三国町指定無形民族文化財に指定された 
「随身門」は森町大工の安右エ門が棟梁となって1864年から工事をはじめ1870年に完成した 楼門上の「光華閣」の額は松平茂昭公(第17代福井藩主)の寄進で左右の随身の像は松ケ下区の寄進である
「三国祭」は三國神社の例大祭で毎年5月19日〜21日に行われる 北陸三大祭の一つとされ、福井県内最大の祭である 中日の20日には山車の巡行がある 多くの人出があり、街中には露店が長く続く 今年の山車人形も決まり、義経や弁慶も登場する


 



2005年02月23日

三国湊の町並み みくに龍翔館・模型・笏谷石

三国湊の町並み みくに龍翔館に昔の町並みの模型がある 川端には道路は無く北前船の荷物を運ぶ伝馬船が着けるようになっている そこから倉庫、蔵、中庭、店が続いて表の通りとなる 中央には笏谷石が敷き詰められた通りが延びて、表は三国独自の「かぐら建て」の様式で建てられている 道路は丘陵に沿って曲線を描いているが現在でもそれは変わらない 上の方が上流であるが、汐見橋が架かっているが、現在は河川改修で撤去されてなくなった 模型は忠実に再現されており、今の家と照合が出来る  



2005年02月22日

三国湊の嵩山 陣ヶ岡・三国湊新古名所記

三国湊に山は無い 一番高い場所は陣ヶ岡という標高80.6mの小高い丘である そこへ上る道は四方からあるがどれも長いが急な坂は無く大きな台地である 遠方から見てもどこが頂上か判らない そこに東尋坊レーダーが立っているから判るだけである それに比べて「嵩山(だけやま)」は標高こそ67.3mであるが遠くから見てもすぐわかる三国唯一の山らしきところである 三国湊の嵩山そのような姿を「三国湊新古名所記」はよく表している 「嵩山トイフハ嵩村ニ在ルトコロノ山ナリ。湊ニ近キ山々ニハスベテミナ岡ニシテ高キモノナシ此ノ嵩山モ山トイフホドノ山ニテハナケレドモ岡ノ上ニモウ一重高キ処ノアルユヘ遠方カラ望ムトキハ外トハ格別高クミユ・・・」 福井あたりから三国を探すときにはこの嵩山が目印となって見当をつける 最近写真のとおり嵩山にも鉄塔が立ち見苦しくなったが、三国で本当に一番高いところは火力発電所の2本の煙突で200mを超える 送電線の鉄塔も何本もあって、それはそれは高いものだ 

2005年02月21日

三国湊の護岸 浚渫・パラペット・福井豪雨・九頭竜川・港

三国湊の護岸 三国湊の川岸は昭和20年代までは、写真の左の黄色線あたりであった 岸辺は水深が浅いため、少し大きな船は右の船が停泊している付近に錨を下ろし、伝馬船で船と岸を行き来した 昭和30年過ぎに護岸道路(写真の左の道路)が完成するが、なお水深は浅く伝馬船が必要であった 川は土砂が堆積しやすく、何時も「川堀り蒸気」と呼ばれた浚渫船が川底から土砂をすくいあげては運搬船に乗せ海へと運んだ その後駐車してある部分が付け足され、さらには右の荷捌き施設と、洪水から町を守るため高さが1.3mほどのパラペット(写真の中央の構築物)ができた パラペットによって道路と漁業関係の施設が分離されたが、道路から川が見えないと湊の住民からは不評である しかし昨年の福井豪雨のとき、パラペットが本来の役割を果たし、水の町への浸入を防いでくれた 今後、洪水防止と景観を両立させることの出来る施設も考えられるであろう

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2005年02月20日

三国湊の小野忠弘顕彰 オノ メモリアル

三国湊の小野忠弘の顕彰 小野忠弘については12月に投稿したが、この度三国湊に「小野忠弘を顕彰する会」が発足した この会は小野忠弘の人と芸術を顕彰し、その業績を広く一般に知らしめることを目的としている 三国湊を愛し住み続けた小野忠弘の芸術は三国湊から全世界に発信され、多くの人に力を与えた 小野忠弘の宇宙を知ることによって、さらに多くのひとが力を得ることが出来るであろう 一人でも多くの方が小野忠弘とかかわって欲しい 
小野忠弘が住んだ家から日本海の方を望む

2005年02月19日

三国湊の製塩 遺跡・高見順・米ヶ脇・浜地

三国湊の製塩 三国の浜地地区には平安時代と思われる川端製塩遺跡があり、古くは製塩業が営まれていた 高見順の文学碑がある断崖下にコンクリートの建造物が見える これは戦前塩不足のとき政府が塩の増産を指導したときに出来た開放式電気製塩法(海水に電流を通して直に煮る方法)という近代式製塩工場の海水を汲み揚げる場所であり、工場はその上の文学碑近くにあった 壮大な構想で年産8000トンを上回る生産量で日本一を目指し、昭和26年ごろにそれに近い生産が可能になった その後、幾度か社名が変わり廃止されるに至ったが、今も塩工場跡として語り継がれている

hk392 at 16:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip! 
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