2006年09月17日

三国町の成立と行政区

三国湊の全景 出世山古墳公園より三国町は前年の市制・町村制公布に基づいて明治22年(1889年)三国町と滝谷町の合併によって誕生した 
一般的に三国町制施行○○年とはこの時を起点としている
その後昭和29年旧三国町、雄島村、加戸村、新保村の1町3村の合併に始まり、
翌30年旧本荘村の竹松、西今市、藤沢、玉ノ江の4区(現在の東部地区)を編入する 
さらに32年には浜四郷村11区の内、横越、下野、西野中、、山岸、黒目、米納津、沖野々の7区(浜四郷地区)の分村編入 
また同時に坂井村、旧木部村の内、楽円、請地、川崎、池見、金井、野中、石丸、油屋の8区(木部地区)が分村編入により現在の三国町が出来上がった

三国(旧三国町)は三国湊とも言われ、古くから地域の中心として栄えてきた
明治5年の坂井港組別によれば12の組42町がある 
昭和30年三国地区の行政区は九頭竜川の上流の方から「一の部」、「二の部」、「三の部」、「四の部」の四つの部に分けられる 現在の住居表示では、一の部は山王・三国東、二の部は南本町・汐見・殿島、三の部は北本町・錦・緑ヶ丘一〜三丁目、四の部は神明・滝谷・つつじヶ丘と概ね一致する
江戸期には一の部から三の部までの地域は福井藩の領地で、四の部は丸岡藩であった 

村部は「雄島」、「加戸」、「公園台」、「新保」、「浜四郷」、「木部」、「東部」となるが、雄島地区の宿・米ヶ脇区と公園台地区は三国地区と住宅が続いている

三国湊河口 福井港昭和45年には三国地区41区、雄島7、加戸8、新保3、浜四郷7、木部8、東部4の合計78区であったが、主に郊外への宅地開発により、新たな地区もでき、総人口はほぼ同じのまま行政区は約1.5倍に増加して合計11の地区に下記の114の行政区となった
小学校区で言えば、南小学校区は一の部・二の部・木部・東部、北小学校区は三の部・四の部、雄島小学校区は雄島、加戸小学校は加戸・公園台、西小学校区は新保・浜四郷地区である

<一の部地区>
四日市、新町、三国東、三国東団地、森町、岩崎、玉井、中元、御所垣内、安養寺、大門、観音、代官屋敷
<二の部地区>
汐見、殿島、上西、上旭、下旭、石切場、上台、下台、栄町、山上西、上緑、下緑、下西、東下西、松ヶ下、元新
<三の部地区>
下錦、喜宝、南末広、北末広、上錦、平野、久宝寺、日和山、桜町、下新、温泉、立田団地
<四の部地区>
橋本、上横、竪、下真砂、西滝谷、上真砂、東滝本、西滝本、仲滝谷、浜滝谷、つつじヶ丘
<雄島地区>
宿一丁目、宿二丁目、宿三丁目、米ヶ脇、グリーンハイツ、新宿一丁目、新宿二丁目、安島、梶、浜地、崎、マリンタウン崎、陣ヶ岡、広野宿舎
<加戸地区>
覚善、覚善東、加戸東、加戸西、旭台、水居、鴨池、水居団地、平山、美保、池上、城ヶ原、西谷、嵩、鐘場
<公園台地区>
緑ヶ丘、新緑ヶ丘団地、野山、桜ヶ丘、緑ヶ丘五丁目、運動公園、運動公園三丁目
<新保地区>
新保上町、新保中町、新保下町
<浜四郷地区>
米納津、黒目、沖野々、ニュータウン黒目、パープルタウン黒目、西野中、山岸、下野、下野荒井、横越
<木部地区>
石丸、野中、油屋、楽円、請地、金井、川崎、池見
<東部地区>
竹松、西今市、藤沢、玉ノ江

以上の行政区となっており、自治会が置かれている 

三国地区では、他に加美、井田、梅原、扇、薬師、清水、今、木場、地蔵、清王、御蔵などの町名が見られたが、現在は公の場で使われることはほとんどない

福井県坂井市三国町神明1

 


 

 



hk392 at 16:13│Comments(0)TrackBack(0)clip!歴史 | 地域

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔   
 
 
 
livedoor ピクス
本ブログパーツの提供を終了しました