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『チャーリー・バブルズ』(67年アルバート・フィニー)

作家として成功したチャーリー・バブルス(アルバート・フィニー)だが社交クラブで資産運用の話など長々とされて人生に虚しさを覚えていた。
バブルスは元々、北部の労働者階級出身でそういう暮らしは性に合わない。
それで狂った?!
悪友スモーキー(コリン・ブレイクリー)とランチをぶつけ合った後、デパートでカジュアルファッションに身を包むとパブで一杯引っ掛ける。
よしっ、息子(ティモシー・ガーランド)に会いに行くぞ!
チャーリーには別れた妻子があるのだ。売れる前に苦労をともにした。
若い秘書エリザ(ライザ・ミネリ)をロールスロイスに乗せていざ、マンチェスターへ。
久しぶりに訪れた故郷は、行けども行けども荒廃した鉛色の町だった。
ドンドンドンッ!
元妻ロッティ(ビリー・ホワイトロー)はベッドで喚いた。
「うっせーな!」

『ホットファズ』(07年エドガー・ライト)には『オーメン』(76年リチャード・ドナー)のパロディ的場面があるのだが、だからだろう、『オーメン』で乳母を演じたビリー・ホワイトローが出ている。
ド田舎が舞台でホワイトローが出てるってことで思い出したのがこれだった・・・って、そんなワケないのはこれがこないだやっとザ・シネマでやってくれたallcinemaにも載ってない未公開映画だからで『ホットファズ』を観てこれ思い出す人がいるとしたらそれはモリッシーなんではないか?
というのも『ホットファズ』観て『チャーリー・バブルズ』思い出す代わりに『チャーリー・バブルズ』を観ていて思い出したのがザ・スミスのシングル「William,It Was Really Nothing」(84年)のカヴァーアートで、この2度目のプレスが『チャーリー・バブルズ』のホワイトローだったのだ。

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知ってる人は知ってることだがスミスのアートワークはすべてモリッシーのアイデアで、たとえば本人たちが嫌うファースト『THE SMITH』(84年)のアルバムジャケットはアンディ・ウォーホル製作の『FLESH』(69年ポール・モリセイ)ジョー・ダレッサンドロでブレイディみかこさんの『いまモリッシーを聴くということ』(17年)によればモリッシーは自伝の中でスミスのアートワークで表現したかったのは、“キッチンシンク”や“ソーシャルリアリズム”と呼ばれる労働者階級を描いた小説やドラマのヴィジュアルで60年代の北部のストリートだと書いているという。
日本にもヌーヴェルヴァーグがあったように、英国にもヌーヴェルヴァーグがあった。
フリーシネマ”と呼ばれるそれらの映画群はドキュメンタリからはじまってやがて劇映画になる、という時に出て来たのが“怒れる若者たち”だった。
この動きは、まず文学や演劇の領域で生じてそれは「台所の流しのように日常生活の汚い面を描いた極端にリアリスティックなドラマ」が多いため件の“キッチンシンクドラマ”とも呼ばれるようになるのだが、その代表作、アラン・シリトー原作の『土曜の夜と日曜の朝』(60年カレル・ライス)で主演を務めて頭角を現したのが本作で初監督を手掛けたアルバート・フィニーだったのだ。
フィニーはアラン・ベイツピーター・オトゥールトム・コートネイらと王立演劇学校RADAで学んだが、出身はマンチェスターでこの主人公と同じだ。
しかも同時期、フィニーが出演したのがオードリー・ヘプバーン共演の『いつも2人で』(67年スタンリー・ドーネン)で彼がすでにスターだったことが分かるが、要するにこれは、フィニー故郷に帰る、の図なのだ。
当時のフィニーの心境が垣間見られる本作は、モンティ・パイソン風にはじまりキッチンシンクへと文字通り流れる極めて英国映画らしい秀作。
フィニーはかなり気合入れて挑んだことが伝えられているが、撮影が終わってから公開されるまでに2年の歳月を要したり、出品予定だったカンヌ映画祭(第21回)が例の五月革命のために粉砕されてしまったりして作品自体の評価とは別に(ホワイトローは全米批評家協会賞を受賞した)ツイてない作品だと言える。
フィニーが2作目を作らなかったのは、これがツイてなかったからかも知れない。
それが残念なのは、フィニーに監督としての才能をメチャクチャ感じるからで、たとえばこれが映画デビューのライザ・ミネリはフィニーが強硬に採用した。
フィニーは作品を成功させるべく配給元としてユニヴァーサルを迎え入れていたのだが、ミネリはご存知の通り個性的なルックスで、大体映画会社というものはそういう女優は起用したがらないものだ。
ブロンド美人がいい、それを突っ撥ねてフィニーはミネリにこう助言したという。
「君の顔は、あらゆる感情を出してしまう。少しヴェールを掛け給え。今やってることの半分で抑えるんだ」
『ニューヨークポスト』紙には、その成果のような以下の批評が載った。
意欲に満ちたアメリカ人女性を演じるライザ・ミネリの演技は、あたかもドキュメンタリ映画を観るかのように自然である
音楽ネタではじめたので音楽ネタで終わるときれいかな?
実はチャーリー・バブルスって名前をはじめて聞いたのはザ・キンクスの曲だった。
前回『ホットファズ』でキンクスの動画貼り付けたのはこの伏線だったのだ・・・というのは嘘だけど、しかし古き良き(という言い回しを使うが良いのかどうかは知らない)英国にレイドバックするという意味では共通する。
キンクスのその曲、「Where Are They Now?」は、コンセプトアルバム『プリザヴェイション第一幕』(73年)に収録されていて、そのストーリーは放浪者が故郷の村に戻って来て「彼らはどこへ行ってしまったのだろう?」と歌う。



彼らは今なにやってんだろう?
アーサー・シートン(『土曜の夜と日曜の朝』でフィニーが演じた主人公)は?
チャーリー・バブルスは?
ジミー・ポーター(ジョン・オズボーンの戯曲でキッチンシクドラマの傑作『怒りを込めて振り返れ』の主人公。映画版はトニー・リチャードソンによって58年に作られた。演じたのはリチャード・バートン)は?
ジョー・ランプトン(やはりキッチンシンクドラマの代表作『年上の女』(58年ジャック・クレイトン)の主人公でローレンス・ハーヴェイが演じた)は?
♪怒れる若者たちはどこ行っちゃったんだろう?
まあ、どこ行っててもいいんだけど、これを探し出して届けてくれたザ・シネマには感謝したい。聴きながらモヤモヤしてたものが晴れた。

※下記書籍を参考にしています。





スクリーンの中に英国が見える
狩野 良規
国書刊行会
2005-03-01


ウェンディ リー
音楽之友社
1998-12-10