
だいたい、ブルース・ダーンとジャック・ニコルソンの両方の妻役である。ただものじゃないぞ、ジューン・スキッブ。というわけで、今回は『アバウト・シュミット』(02年アレクサンダー・ペイン)。
『アバウト・シュミット』の舞台は、アレクサンダー・ペインの故郷でもあるネブラスカ州オマハ。保険会社に勤務し、仕事一筋で生きてきた66歳のジャック・ニコルソン演じるウォーレン・シュミット氏は、定年退職後、すっかりなにをしていいのかわからなくなってしまう。
気がつけばシュミットは、TVCMで見たチャリティ団体に月々22ドル募金し、アフリカで暮らす恵まれない少年ンドゥクのスポンサーになっていた!ほどだった。
そんな矢先、シュミットはジューン・スキッブの連れ合いに先立たれてしまう。結婚を間近に控えた、ホープ・デイヴィス演じる帰郷した娘はどこかよそよそしいし、おまけに彼女の結婚相手(ダーモット・マロニー)は気に入らない。葬儀を滞りなく終えると、ふたりはそそくさと帰ってしまった。
なんだこれは?それは葬儀にも参列してくれたレン・キャリオーの親友が何十年も前に妻に宛てたラヴレターだった!裏切られた!
ショックを受けたシュミットは、妻と老後に旅をする計画で購入したばかりのキャンピングカーに飛び乗ると、娘の結婚式を手伝うべくデンヴァーに向かって旅立った。
『ネブラスカ ふたちの心をつなぐ旅』(04年)は、人(ボブ・ネルソン)が書いた脚本だったけど、この『アバウト・シュミット』にはルイス・ベグリーの原作がある。映画のタイトルと同じの『About Schmidt』(96年)。ちなみに続編も書かれていて、『Schmidt Delivered』(00年)、『Schmidt Steps Back』(12年)とつづく。要するに、シュミット三部作なのだ。
ペインがベグリーの原作を読んだのは、『ハイスクール白書 優等生ギャルに気をつけろ!』(99年)編集中のことだった。だけど、原作のシュミットは、映画のニコルソンよりも裕福で、おまけに娘の結婚後、ウエイトレスと同棲したりするようなニコルソンとはあんまり似てないキャラクターなのだ。おまけにンドゥグは存在すらしない。その理由はなにか?
「脚色を始めると、僕がUCLAフィルム・スクールを卒業するときに書いたオリジナル脚本を思い出した。そこからいろいろなアイデアを持ってきたら面白いんじゃないかと。それは僕の故郷であるネブラスカ州オマハに住む男が退職を迎えて不安を覚え、人生への危機感を抱くというストーリーだった。コメディでね」(太字は筆者。以下同様)
つまり映画の『アバウト・シュミット』は、ベグリーの小説とペインの脚本『The Coward』をブレンドさせたものだった。
coward。そう田中康夫に言われて石原慎太郎がブチ切れていたことが思う出されるけど、さておきその脚本は「引退した老人がどれだけ人生を無駄にしてきたかを悟り、新たな人生を始めるため65歳で卒業する」というストーリーだった。
「卒業」ってワードを使ったのは、マイク・ニコルズの『卒業』(67年)のこれが実際に影響下にあるから。ペイン。
「『卒業』の中で、ダスティン・ホフマンは大学を卒業して、人生の分岐点に立って、これから自分の人生をどうやって生きていこうって考える。その時、彼はまだ大学卒業という若い時期。でもそれが、もっと年を取って引退した時、仕事を止めた時だったらどうだろうということに僕は関心を持ったんです。残りの人生をどうやって生きていくのかってね」(配色は筆者)
アレクサンダー・ペインは61年生まれなので、『アバウト・シュミット』を作った時はだいたい40歳。それを若いと感じるかどうかはこれを読んでいる君の年齢に関係してくると思うけど(このブログを読んでくれている人はだいたいぼくと同世代、要するにX世代だと一応は想定して記事を書いているけど)、昔からペインは年寄りくさい。と言われていた。こういう作品を撮る人が珍しかったんだろう。その理由をペインは以下のように自己分析している。
「僕の父はかなり年配で、僕は三人兄弟の末っ子ということもあったので、兄弟ともけっこう年が離れていました。そのために周りには年の離れた人ばかりで、そういう人たちと一緒に過ごした時期が長かったことが関係しているかもしれません」
フォスターペアレントというアイデアは、最初、単純に男の子がシュミットに手紙を書いたら面白いだろうな。と思いついたことから生まれたという。それがだんだんとふくらんでいった。
子どものために金を送る。それほど直接的ではないけれど、脚本の執筆中にペインが観た1本が黒澤明の『生きる』(52年)だった。『生きる』で“ミイラ”というあだ名の志村喬は、住民の要望だった公園を完成させて死ぬ。
ぶらんこで揺れているシーンは、映画を観たことがない人でもしっているほど有名な場面だけど、あの直後は遺影。遺影の志村喬のアップ。
最後は主人公のアップで終わらせよう。とペインは決めていた。確か『卒業』もそうだったので、その引用だと思ったんだけど、このシーンに関してペインは別の作品を挙げている。『野いちご』(57年イングマール・ベルイマン)だ。

『野いちご』の最後は、↑の画像の妄想の景色を眺めている、ヴィクトル・シェストレム演じる主人公、イサク教授のアップ(妄想なので実際の彼はベッドの中にいる)。いっぽうの『アバウト・シュミット』は、ンドゥクの描いたシュミットとンドゥクらしきふたりが太陽の下で手をつないで笑っている絵を眺めているシュミットのアップ。絵の中の笑顔と対照的な彼の表情を捉えて映画は終わる。
はたしてシュミットは卒業できただろうか?
※劇場用パンフレットを参考にしています。