
この映画を取り扱うのは2回目になります。
『殺しの分け前 ポイント・ブランク』(67年ジョン・ブアマン)
ちなみに1回目はこちら。
ということであらすじは省いて進める。リー・マーヴィンがはじめて本作の脚本を読んだのは、『特攻大作戦』(67年ロバート・オルドリッチ)撮影中のことだった。
「どうだ、酷いホンだろう?」
そうブアマンは言い、マーヴィンは頷いた。しかし主人公(の名前はリチャード・スタークの原作ではパーカーだったがマーヴィンが演じることになり、彼が続編というものには出ないという姿勢であったため変更を余儀なくされた。この映画版ではウォーカー)のキャラクターに惚れ込んだマーヴィンは出演を決め、ブアマンとともに無駄と思われる部分を削ぎ落した。
「なんじゃこら?!このブアマンとかいうド素人呼んで来い!」
当時、映画はまだデイブ・クラーク・ファイヴの『5人の週末』(65年)しか撮ったことがなかったブアマンがMGMのトップ、ロバート・オブラエンに呼び出されたのは、マーヴィンと仕上げた脚本が70ページしかなかったからだ。これだと上映時間は1時間ちょっとしかない。「一体これはどういうことかね?」説明を求められてブアマンがもじもじしていると、ジリリリンッ!救いの神現る。電話の相手は『ライアンの娘』(70年)撮影中のデヴィッド・リーンだった。
「はいはい、あ、それはもう監督のお好きなように・・・はいはい、夜間撮影もどうぞ増やしてください・・・ええ、あ、エキストラも存分に使っていただいて結構です!」
大巨匠リーンの前ではMGM社長の肩書きもたんなる肩書きに過ぎず、オブライエンは平身低頭で電話を切ると、しばし虚ろな状態で佇んでいる。
「あの~・・・」恐る恐るブアマンが声を掛けると、我に返ったオブライエンはひと言、「ま、頑張りたまえ」事なきを得たブアマンだったが、脚本が70ページしかないことに変わりはない。ブアマンは言う。
「キャリアを積んで分かったことなんだが、自分はどうやらひとつのシーンを長く撮る傾向にあり、脚本から算出した尺に一割増して丁度らしい」
さて、前回の記事でこの映画は幽霊の話なのではないか?と書いたはずだが、その一番の根拠はアルカトラズからの脱出なんて出来るだろうか?ということだった。そのことについてブアマンはこう語っている。
「そういう解釈をしている人は結構いるよ。映画は多様な解釈があってこそ面白いんだ。だからわざと曖昧に撮った」
果たしてでは、本作の異常な演出は曖昧てな語で収まるだろうか?
脱獄したウォーカーは、まず裏切った妻リン(シャロン・エーカー)の元を訪ね、寝室に鍵を掛けて閉じ込めるが、翌朝開けると彼女は自殺していた。
しかし一旦出て、戻ると、そこに死体はないのである(ちなみに原作では服を着せて森に隠す描写がある)。
さらに今度は家具がなくなる、といった具合にどんどん消えてゆくのはなぜか?
でもそんなことを考えている暇はない。ハテナを頭に浮かべた次の瞬間には、ウォーカーのスーツはグレーからブルーに変わっているからである(ラッシュを見たMGMの重役たちは、ブアマンはイカレていると判断、精神科医を呼ぼうとした)。
ほとんどモノクロの刑務所からはじまった映画は、話が進むうちに寒色から暖色へと色鮮やかになってゆく。その意味は?・・・分からないが、あるいはアントニオーニ『赤い砂漠』(64年)の影響下にあるのではないか?そう睨んでブアマンに訊いた、ある映画作家がいた。以下はブアマンの回答。
「当時は映画が新しく生まれ変わろうとしていた変革の時期で、ヌーヴェルヴァーグとかのフランス映画にも影響を受けたし、もちろんイタリア映画にも影響を受けた。アントニオーニも大好きだった」
その映画作家は『赤い砂漠』をファナティックに愛していたが、本作も同様に偏愛しており、それはロケ地巡りをするほどだったが、もちろん自作に引用もした。
男女が抱き合い、上になったり下になったり、するうちに相手が入れ替わる斬新なシーンを見てカッケー!と思ったのだろう。
スティーヴン・ソダーバーグは『イギリスから来た男』(99年)で『ポイント・ブランク』をパクり、オマージュを捧げた。
その同じ年、本作のリメイクというか同じ原作の映画がまた作られたのを観て、ブアマンがおや?と思ったのは、それがあの酷いと思った脚本とそっくりだったからだ。
「マーヴィンが投げ捨てたホンをメル・ギブソンが拾ったのかと思ったよ(笑)」
そんな皮肉をカマしている。
※原作とBlu-ray特典、ブアマンとソダーバーグによる音声解説を参考にしています。