悪魔の首飾り















明けましておめでとうございます。今年もよろしく。
「悪魔の首飾り」(68年フェデリコ・フェリーニ)
初夢は悪夢で。

ローマ。降り立ったトビー・ダミット(テレンス・スタンプ)に、フラッシュ。トビーは映画スターなのだ。出演する映画のお偉方が彼を出迎える。この旅で、自分の人生はなにかが変わるとトビーは予感していた。
新作映画の構想はカトリック西部劇というべきもので、草原にキリストが現れる構造的シネマであり、カール・ドライヤーピエル・パオロ・パゾリーニの中間を行き、ジョン・フォードを塗したものだという。なんだか分からなかったが、トビーはフェラーリを交換条件に出演を承諾、しかし貰えるのはイタリアのオスカー授賞式後だという。
走り寄って来た女は、手相を見ると言う。だが、女は、トビーの手相を見るなり「見たくない」と言って去ってしまった。トビーに幻覚が蘇る。空港でも見た、長い髪の白い少女(マリーナ・ヤルー)だ。ひとりにしてくれ、と頼む。だが、彼女は首を振る。

『世にも怪奇な物語』(68年)の一篇で、そのオムニバス映画からは以前、ルイ・マルが監督した「影を殺した男」を紹介した。フェリーニはこの映画を、仕事のリズムを取り戻すために引き受けたという。1年以上、映画を撮っていなかったのだ。
フェリーニはこの前に『G・マストルナの旅』という映画を構想していた。ストーリーは、以下のようなものだ。主人公Mは、チェロ奏者である。演奏会に向かうべく乗った飛行機が吹雪のために緊急着陸。それは危険な賭けだったが着陸は成功してMはほかの乗客とドイツの都会のような場所を抜けてモーテルに運ばれる。外では祭りをしているようだ。見物していたMだったが、気が付けば迷子になっている。駅に辿り着いたはいいが、標識が読めない。出発した列車を何気に見ると、乗客のひとりが死んだはずの友人だった?!あるいは着陸は失敗して自分は死んでいるのではないか?
フェリーニの「悪魔の首飾り」の前の作品は、『魂のジュリエッタ』(65年)『魂のジュリエッタ』は、結婚15周年のパーティをフェリーニを思わせる(実際、フェリーニはジュリエッタ・マシーナと結婚20年目だった。映画の設定が5年少ないのは、その分、ジュリエッタが若いという意味)夫(マリオ・ピス)が忘れて帰宅して映画ははじまる。降霊会で「お前は不幸だ!」とドーン!と言われたジュリエッタは巨大ウナギと絡み合う女など性的な幻覚を見るようになる・・・という『8 1/2』(63年)の女性版とも言われた作品で、しかしあのジュリエッタ・マシーナが性的な妄想に囚われるなどということがあるだろうか?ということもあって、当時の評判は最悪だった。それは最初から懸念されていたことでもあり、キャサリン・ヘプバーンを起用するのはどうか?というアイデアも出たがフェリーニはジュリエッタではないと!と頑なにキャスティング変更を拒否した。そのことからも、『魂のジュリエッタ』がほとんど現実を描いたものだということが窺える。ちなみにジュリエッタが見る幻覚はフェリーニが実際に見た夢だという。

魂のジュリエッタ














『8 1/2』が大成功を収めたフェリーニだったが、ミッドライフクライシスに陥っていた。『8 1/2』は実は、それを描いていたのだ。超常現象にのめり込み、友人の分析医に勧められてLSDを試し、霊媒師を頼った。その霊媒師のひとりに、フェリーニはこう言われた。「次の2本の映画は死ぬ!」ガガーン!
次の2本の映画とは、『魂のジュリエッタ』と『G・マストルナの旅』のことだろう。なにせ『G・マストルナの旅』は、ディノチッタ(ローマにあるディノ・デ・ラウレンティスのスタジオ。『G・マストルナの旅』は、デ・ラウレンティスの製作だったのだ)にセットを組んであとは撮影を待つばかりだったのだから。
そんなわけで、先述の話に繋がる。マルソーフィルム(フランス)のレイモン・エジェルからエドガー・アラン・ポーの短編でオムニバス映画を作るという企画にフェリーニは、仕事のリズムを取り戻すために乗ったのだ。
当初、この企画はタイトルを『狂気への3つのステップ』といい、7エピソードで構成されていた(この記事はジョン・バクスターの『フェリーニ』(93年)を元ネタにしている。で、『3つのステップ』というタイトルなのにも関わらず7エピソードだったことについて、多少、首を捻ったことを書き記しておく)。ほかの参加作家はオーソン・ウェルズイングマール・ベルイマンジョセフ・ロージージャン・ルノワールなどで、そりゃフェリーニもオファーを受けるというものだが、どの作家も初期段階で手を引きフェリーニ、マル、ロジェ・ヴァディムという布陣に収まる。ちなみにフェリーニはオファーを受ける前に、当然のようにお抱え占星術師とローマ市警の公式霊媒師に伺いを立てている。ふたりとも、作った方がいいと言った。
当時、ロサンジェルスにいたテレンス・スタンプの元に、ロンドンの事務所から電話が掛かって来た。「フェリーニがうちの事務所の俳優の中でもっとも堕落した若いのが欲しいと言っている。ローマに今日、立てるか?」
その役は、モデルのジーン・シュリンプトンと別れたばかりで自殺したい気分だったスタンプにぴったりだと思われた。しかしスタンプは、以前、『欲望』(66年ミケランジェロ・アントニオーニ)のカメラマン役を途中でデヴィッド・ヘミングスに変更された苦い記憶があった。結局は、フェリーニの名前に惹かれて受けるのだが、そういえば『欲望』にはヤードバーズが出演しているが、最初はザ・フーだった。ヤードバーズのマネージャーだったジョルジョ・ゴメルスキーが無理やり捻じ込んで来たと聞いているが、ザ・フーのマネージャーはキット・ランバートでランバートはスタンプの弟だ。なにかが繋がりそうな気がするが、さておき「悪魔の首飾り」の原作「悪魔に首を賭けるな」(1841年)をフェリーニは読んでいない。これはポーの原作の映像化というよりもフェリーニのオリジナルに近く、実際、フェリーニもオリジナルでやりたいなあなどと企画を根底から覆すようなことをヌカしてエジェルに「どんなに関係が薄くてもポーの短編じゃなければ困る」と怒られた。
あるいはあれは、この映画の前兆じゃなかったか?フェリーニは赤ん坊の首が撥ねられる夢を思い出していた。で、それを描こうとして、トビーがフィアットでミルヴィオ橋を突破しようとして金属バリアで首を千切られる!場面を構想した。だが、アルバーニ丘陵のアッリチア橋が取り壊し中なのを見掛けて「あれを跳び越す方がずっとドラマティックだ!」と当初のアイデアを変更した(実際に撮影されたのは別の場所)。
「悪魔の首飾り」と『魂のジュリエッタ』。どちらにも白い少女が出て来る。ということは彼女もまた、やはりフェリーニの夢の登場人物なのだろう。『魂のジュリエッタ』の少女は、ジュリエッタの少女時代で、火焙りの台に縛り付けられている。ジュリエッタは近付き、自分を解放する。すると様々な幻影が消えた。映画を撮ることでフェリーニは、夢と現実の危うい綱渡りを歩いていたのだ。

※下記書籍を参考にしています。



フェリーニ (20世紀メモリアル)
ジョン バクスター
平凡社
1996-03-01