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『恐怖の報酬』(77年ウィリアム・フリードキン)

地の果て、南米ポルヴェニール。この熱帯の地に、アイリッシュマフィアのスキャンロン(ロイ・シャイダー)、テロリストのカッセム(アミドゥ)、投資家マンゾン(ブルーノ・クレメル)、殺し屋ニーロ(フランシスコ・ラバル)らは逃げ込んでいたのだったが、漏れなくボンビー生活を余儀なくされ、このまま終わるのか・・・と思っていた矢先、村から320キロ離れた油井で爆発事故。これを収めるにはニトログリセリンによる爆風しかない!でも、どうやって運ぶ?古いニトロは漏れ出して少しでも揺らすと爆発するのだ。風の影響を受けるので飛行機では無理だし、トラックでノロノロ運ぶしかない・・・というわけで、その任務には高額の報酬が掛けられた。
厳正なる審査の結果、選ばれたのは、スキャンロン、カッセム、マンゾン、それともうひとり、百戦錬磨のマルケス(カール・ジョン)だったが出発当日、マルケスは現れなかったのだ。何者かに殺されていたので。
それでニーロが彼の代わりに参加するが、果たしてニトロを無事、事故現場まで運ぶことが出来るだろうか?

『幸福』(81年市川崑)について幻の傑作と書いたが、洋画でいうと、これがまず浮かぶ。公開時から『スター・ウォーズ』(77年ジョージ・ルーカス)とバッティングしてツイていない呪われた映画で、興行はもちろん失敗して北米以外ではフリードキンに無断で30分カットされた短縮版が公開されて、オリジナルを知っている批評家たちの袋叩きに遭った。昨年、ようやく日本で公開されたオリジナル完全版(ただし、VHSソフト版は完全版だった)の劇場用パンフレットによると、当時の日本での評もいまいちだったが、勝手に編集されたヴァージョンであることに言及しているものがなく、配給サイドがその事実を隠蔽していた可能性が大きいという。
フリードキンは本作について自作でもっとも気に入っている作品と発言しているが、そもそも『恐怖の報酬』をやろうと思ったのは、もっとも好きな作品『黄金』(48年ジョン・ヒューストン)のような映画が作れるかも知れないと思ったからだ。それなら『黄金』をやればいいのでは?と一瞬、思ったが忘れることにしてこの『恐怖の報酬』はリメイクではない、とフリードキンは言っているのだが、オリジナル版の『恐怖の報酬』(51年)の監督アンリ=ジョルジュ・クルーゾーに再映画化の許可を貰いに行っているのだから(本作はクルーゾーに捧げられている)、作っているうちにいろいろ変わったのだろう。それにはまず、時代ということがある。フリードキン。
私にはこの物語が、互いに憎み合い、争っている国々が、核爆発事故を防ぐために手を組まねばならなくなることのメタファーのように思えた
冒頭、4人の男たちが各国から南米に渡る経緯が丁寧に描かれる。オリジナルにはなかった描写だ。当初、脚本家には『エクソシスト』(73年)ウィリアム・ピーター・ブラッティが予定されていたが、神を信じるブラッティにこのテーマは相応しくないのではないか?それで製作補のバド・スミスから紹介されたのがウォロン・グリーンで、グリーンは各国語を話してしかもラテンアメリカの実情に詳しく、すぐに採用された。
キャスティングもまた、フリードキンのファーストチョイスから残ったのはアミドゥだけで、最初の構想では、シャイダーの役はスティーヴ・マックイーンだった。

マックイーン2
























さらに仏人投資家役はリノ・ヴァンチュラ、メキシコの殺し屋役にはマルチェロ・マストロヤンニですごい豪華共演だった。

ヴァンチュラ

















マストロヤンニ













脚本を読んだマックイーンは、「今まで一番の脚本だ!」と言ったというが、一方で、結婚したばかりのアリ・マッグローを残して南米には行けない。米国内でロケするか、マッグローの役を作るかどうにかしてくれ、とフリードキンに間抜けな提案をしてアホかと一蹴された。マックイーンが去ったことを受け、ヴァンチュラもマストロヤンニも去って夢の共演は頓挫。マストロヤンニなんかすごく似合っていたと思うので、惜しい。
フリードキンがクルーゾーに会ったことは先述した通りだが、もうひとりこの映画のために会った巨匠がデヴィッド・リーンで、それはリーンが、やはりジャングル舞台の傑作『戦場にかかる橋』(57年)を作ったからだった。そしてフリードキンはリーンから、「もしもう一度『戦場にかかる橋』を作るなら台詞を3分の1削る」という金言を引き出し、その通りにした。お陰で全編を寡黙なリアリズムが覆って手に汗握るが、とりわけ見せ場の大吊り橋の場面はすごい。この場面は最初、ドミニカ共和国で3ヶ月の月日と100万ドルの費用で建設されたが撮影直前、河が干上がって撮影不可能に。今度はメキシコのトゥステペックに吊り橋を再建するが、それにまた300万ドルを費やしたという。フリードキンが呪われていると思ったのは、その時だった。
『黄金』のような映画を。金のために危険な仕事に挑む男たちを改めて劇場で観ていると、フリードキン自身の姿と重なる。橋を渡っている最中、床が抜けて落ちた!と思ったら助かってホッとした瞬間、横から流木が!という展開もまるで映画作りのようだ。それは予想以上に険しく困難な道で、しかしようやく辿り着いた、と思ったら今度はそれを削られてやってられないと思うのが普通だ。長い年月を掛けて、フリードキンは執念でオリジナル版を日本に届けた(もちろん、こちら側スタッフの尽力の賜物である)。これを観に行かないなんて、どうかしていると俺は思うけどな。



※劇場用パンフレットを参考にしています。