富士山麓の自然

富士山麓には、古くから「御厨(みくりや)」と呼ばれてきた地域があり、御殿場市、裾野市、小山町の一帯におよんでいます。そこには、日本の各地で絶滅危惧種に指定されている希少種が多数生息する貴重な自然が残されています。その一方で、気候変動の影響や開発、外来種の侵入などにより、年々変わりつつある「みくりや」の自然の現状も目にしています。この豊かな自然が長く保たれることを願いつつ、富士山麓の自然の生物多様性の一端をこのブログを通して記録していきます。

石の下で越冬している甲虫を採集し、専門家の方に同定していただいたところ、ハラアカヒラタゴミムシであることがわかりました。落葉の下などで越冬している個体がよく見つかるゴミムシです。
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次の画像を見ると、まさに「ハラアカ」であることがわかります。
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こちらは交尾器です。
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宵の明星が日に日に明るさを増しています。

112日が東方最大離角となります。

今日は富士山の裾野から愛鷹山の稜線にかけてのあたりに沈む金星を撮影しました。右側の縁に映っているのは富士山にあるスキー場の明かりです。
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歳の植物研究家、渡辺健二さんのエッセイ「カツノキ」を掲載します。

 


  カツノキ
(ヌルデ)  ウルシ科     渡辺健二

 

 みくりや地方の方言で、カツノキと呼ぶ木が有り、年中行事の重要なもので有ったが、時代の流れと共に忘れ去られている。

 カツノキは勝の木として、縁起の良いものとして、盛んに利用されていた。

 成長の早い落葉性の低木で、和名はヌルデで、ヲシノキ・五倍子(薬用)の名も有る。

 年頭の仕事始めの1月4日は初荷や初山であり、初山の当日限りであるが、他人の所有地であっても、自由にカツノキを伐ることを許す風習があった。

 縁起物として用いる2~3本に限られてではあるが、馬力(荷馬車)で盗伐同様に薪木として持去る者も稀には有った。

 カツノキはウルシの仲間であるが、超敏感の人以外はかぶれることは無いが、中には間違えてヤマウルシを伐り、大きな被害を受ける者も居た。葉が有る時なら一見して区別が判るが、落葉期で間違うのである。

 我が家の屋敷続きは8反歩余りで、小川沿の堤や山林も有り、他へ出掛けずに済んだ。

 

 カツノキの利用は小正月の行事に使われるもので、先ずは前夜祭から始まる。

 道祖神の厄除け行事のサイトヤキで(ドンドヤキ)で、手作りの団子をカツノキの長い棒の先に付けて焼くのである。この団子を食べると一年中風邪をひかぬと言う。

このサイト焼の風習も形だけとなって、お正月の飾り物を焼く程度となっている所が多いが、我が永塚では今も大竹(孟宗竹・真竹・淡竹)などを使う大形を続けている。

 

 小正月の当日の準備は前以って行う。

 先ずは十五日の早朝に行うナリモウソウに用いる。カツノキによる刀で、握れる程度の太い幹を革の部分を残して皮を剥ぎ刃とする。

 これで果樹類の幹を叩きながら、大きな声でナリモウソウ、ナリモウソウ(成り申そう)と唱え、小豆を幹に塗るのであった。朝早くから子供達の元気な声とコツコツと木の幹を叩く音が聞こえるのだった。

※果樹の種類や唱える言葉は長くなるので省略する。

 この成る木攻めの風習は単なる迷信では無く、幹が受けた傷跡を復元するエネルギーが残り、果実の量産に結びつくとの説があるとも言う。

 

 ナリモウソウの太刀と共に、同じ位の太さの幹を、同様に持つ部分の皮を剥ぎ、先端を四つ切りに割き、団子を挟むのである。

 これはカユカキ棒と言い、小豆粥を掻き混ぜるのに用いた。

 

 この他に作るものは、米俵と米の花を模したもので、細い枝(2.5㎝位)を使う。作るのは二つのタイプで、夫々長さ10㎝位に切り、何の加工もしないのは米俵に見立てるのである。米の花の方は先端を細かく剥ぎ八重の花形とする。

 何れも竹を割った串に刺し、神棚や屋外にある守り神などに供え、豊作を祈るのである。我が家では馬頭観世音の碑にも供えていたが、神仏混淆の遺風であろうか。

 もう一つ神棚へカツノキの米俵12ケを供える風習も有り、前記の竹串のものと同じ位の大きさで、15日の早朝に飾った。

 これは年末の大晦日の夜、囲炉裏の火の周囲に並べて立てて、上部の切口に出る水の有無や多少により、翌年の各月の降水量を予測出来ると言われていた。

 今は囲炉裏などは無く、失われた風習である。

 

 ヌルデには若葉に虫えいが着き、これを五倍子とか付子と言い、薬用にしたり、既婚を示す歯を黒く染める御歯黒(おはぐろ)に用いたが、明治以前の江戸時代の話である。

 付子はこの外染物やインクなどにも用いたとあるが、化学資材と変化した。

 

 目出度い名のカツノキは、今は無用の雑木として注目を浴びることも無いが、白寿の爺の記憶の一部として書き残す。()

 

付記

ナリモウソウ対象の果樹:主に柿・梅・栗 その他柚子・李・巴旦杏

 

成り木攻めの言葉:ナリモウソウ・ナリモウソウ。成るか成らないか。成らにゃーと言うと、鉈もってぶっ切るぞ。(多少の相違有り)

 

 

以上が渡辺健二さんの随筆です。

1973年に岩波書店から刊行された『日本人と植物』(前川文夫)に収められた「小正月のオッカド棒と桃の信仰」には、ヌルデを細工して作る棒について次のように書かれています。

 

 これをつくる習慣は北側の秩父はもちろんであるが、地つづきの甲州、信州、上州、それに南では丹沢をこえて伊豆の方にもひろがっている。簡単化されて単に棒だけになっているところもある。伊豆などでは門入道(かどにゅうどう)というような名も形も少しずれているし、また秩父ではヌルデはカツノキといわずにオッカドノキと呼ぶのが普通である。これはいうまでもなくオッカド棒を作る木で、ほかには何の取り柄もないから、至極当り前な名のつけ方なのだが、肝心のオッカド棒を全く作らなくなってしまった村々でも植物だけはオッカドノキと呼ばれて、この民俗の分布圏を暗示するのであった。(中略)

  少々説明がくどくなった。この小正月の行事の工作物がヌルデで作られるということが私には気になって仕方がなかった。関東は山林には事欠かない、色々な木がある。形さえ作ればどんな木を使おうと良さそうなものなのに、ヌルデに限るということは不思議である。だが今はこれを作っている人にだすねても判るまい。武田先生の時代に、もう作る人は理由は別になくて、ただ前に作ったから今年も同じ木で作るということだけが理由であったのである。しかしこれは何か忘失したが、重要な理由がかつてあったのではないかと気になることであった。

 

 以上が前川博士の文章です。

 渡辺健二さんの随筆は、ヌルデを大切に用いる風習が富士山麓にあったことを記録する貴重な証言です。

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