富士山麓の自然

富士山麓には、古くから「御厨(みくりや)」と呼ばれてきた地域があり、御殿場市、裾野市、小山町の一帯におよんでいます。そこには、日本の各地で絶滅危惧種に指定されている希少種が多数生息する貴重な自然が残されています。その一方で、気候変動の影響や開発、外来種の侵入などにより、年々変わりつつある「みくりや」の自然の現状も目にしています。この豊かな自然が長く保たれることを願いつつ、富士山麓の自然の生物多様性の一端をこのブログを通して記録していきます。

カテゴリ: > 北斗七星

明け方の天上に輝く北斗七星の写真を撮りました。詩歌にもよく詠まれてきた北斗七星ですが、近代の俳句の中では加藤楸邨の「生きてあれ冬の北斗の柄の下に」という句がよく知られています。森鷗外は『伊沢蘭軒』の「その六十一」で「斗柄転じて風物改まつても、蘭軒は依然として挍讐の業を続けてゐる。」と書きました。「斗柄」は「北斗七星のひしゃくの柄の部分にあたる三星」のことであり、この部分の向きが季節によって変わることから「斗柄転ず」という表現は新春が訪れることを意味しています。

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深夜に窓の外を見上げると東北の空に北斗七星が輝いていました。
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 秋も深まって美しい星空を見られる日が多くなると毎年決まって繙く本があります。野尻抱影の『星三百六十五夜』です。一年三百六十五日の日付順に、それぞれの日にふさわしい星の話題の文章が収められたエッセイ集です。北斗七星のことは三月六日の項に書かれています。

 

北斗美学             3月6日

 

北斗七星は今、東北の中空に斗魁(マス)の四辺形を上に、斗柄を下にして直立している。地平拡大の現像も伴っているが、今ほど雄大に見えることはない。ここで私なりの北斗の美感を述べてみる。

仮りに桝の口から星に1……7の名をつけると、12の間隔は角度で五度あって、それが2でほとんど直角に折れ、長さ八度で3に達する。ここがマスの底に当る。次ぎに3から4へ伸びるには、角を十度余りも大きく開いて緊張をゆるめ、かつ4の光度を一等級だけ落としている。そして、これにつづく柄を56と次第に内方へ曲げ、最後に一段と曲げて、7の星で受けている。この柄の長さも、マスの口の十度角に対して十六度である。

 こうして星の相互の間隔と角度との変化により、上部の直線と直角との重さ、強さが快く柄に支えられて、今直立した北斗の全容にどっしりしたスタビリティーを与えている。七つの星の配置に、かく力と美とを調和させた自然の技巧は驚くほかはない。仮りに四星を正方形に、柄を一直線に立てたのでは、これほどの効果は現われないだろうと思う。

 なお自然の技巧は、北斗七星の前に、北極星をふくむ七星にも小北斗ともいうべき形を与えて大小を対照させ、かつ前者に毎日一回、後者のめぐりを回転させている。

 もちろん、この大小二つのヒシャクの形は、平面に宝石をセットして造ったようなものとは違う。と言って、等しい距離で空間に浮いている星々でもない。みな距離を異にして、北斗では柄のはしの7は光が私たちの眼にとどくに六百五十年を要するが、6は八十年、5と4は共に六十年、3は九十年、2は六十年、1は七十年である。だから大小のヒシャクといっても、共に偶然の見かけに過ぎない、とすれば、何という驚くべき偶然だろう。しかも大小相似の形を抱きあわせているとは! 私はどうも偶然では割りきれないのである。

 

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