2005年04月16日

女スパイ『マタハリ』は冤罪だった?

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 20世紀初頭のパリで異国情緒に富んだ肉感的踊りで一躍スターに駆け上がり、第一次世界大戦で踊る場を失ってドイツのスパイになり、最後はフランスで処刑されたマタハリ(1876〜1917)。近年、生地オランダと処刑地フランスで、「マタハリは仏政権に濡れ衣を着せられた」として名誉回復を探る動きが出ている。(ニュースソース:H17.4.10 讀賣新聞)

 

 マタハリをよく知らない人のために簡単に彼女の経歴紹介。 

 

〕喫,碧校匸Δ硫箸棒犬泙譴拭屮泪襯レータ・ゼル」(本名)がオランダ東インド軍のルドルフ・マクレオド大尉と17歳で結婚してジャワ島に渡る。
⇔ズЦ紂28歳でセミ・ヌードの踊り子「マタハリ」(マレー語で太陽の意)としてパリ・デビュー、社交界の寵児となって独軍将校や仏人銀行家ら愛人と贅沢に暮らす。
戦争の勃発で失職し、16年に報酬目当てにドイツ諜報機関の女スパイ・暗号名「H21」になる。
ぐ貶で同年フランス防諜機関に協力して二重スパイになるが、処刑される。

 

 フランスはマタハリが二重スパイであったことは世間に隠し、仏軍が甚大な損害をこうむったのは彼女のスパイ活動によるものとして処刑した。民衆の不満をかわすスケープゴートにされたというのです。

 

 私は彼女が処刑されたのは、それだけではないような気がします。当時、女性が男性の庇護下に置かれずに自活していくことは、ほとんど不可能でした。そんな中、男を利用して自らの地位を築いていくマハタリは、初めスパイとして最適に移ったかもしれません。が、その生き方が大衆に支持されることを恐れたのではないでしょうか。男が女を囲い込む社会(=女を市場の商品する社会)が維持できなくなってしまうから。

 

  う゛〜ん、ぶっちゃけ最初はかわいかったけど、そのうち大きくなって手に余りそうだから捨てたと…。石神井公園にワニガメ捨てちゃう爬虫類オタクみたいなもんか(;´Д⊂)。(←最近あちこちで繁殖しているらしい。シャレにならん…orz)

 

 まぁ、女を囲い込んだままにするという目論見は見事に破綻したどころか、最近は男が女に忌避感を感じることも珍しくはないわけですが...φ(..) (貴)

 

 

《参考》

 

資本主義とセックス
性的商品価値(性幻想)って?


 

オードリーヘップバーン
オードリーベルギー生まれ

11〜14歳の時、ナチス占領下のオランダでレジスタンス活動に参加。

「アンネの日記」のアンネ役の打診を「自分の境遇にあまりに似すぎている」と理由で固辞したことがある(その後、映画はミリー・バーキンス主演で1959作製)。

 

 

 

 

 

 

 ●ムルデカ 17805

ムルデカ 第二次世界大戦に日本が敗れた後、2000人あまりの日本人兵士たちがインドネシアに残って対オランダ独立戦争に参加した。その実話に基づいた物語を映画化。

 17805とは、インドネシア独立宣誓文に日本への感謝を表し刻まれた日本の皇紀「2605(=西暦1945年)8月17日」を日・月・年の順に並べたもの。いまもインドネシア国民に独立を宣言した日として記憶されている

※みんな見るべし

 

 

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◆マタハリの名誉回復探る◆

 20世紀初頭のパリで異国情緒に富んだ肉感的踊りで一躍スターに駆け上がり、第一次世界大戦で踊る場を失ってドイツのスパイになり、最後はフランスで処刑されたマタハリ(1876〜1917)。近年、生地オランダと処刑地フランスで、「マタハリは仏政権に濡れ衣を着せられた」として名誉回復を探る動きが出ている。

 「マタハリは今で言えばマドンナ。夫の許可なく妻が銀行口座を開くこともできなかった時代に、マタハリは自らの力で自分の人生を築いた。」
 出身地のオランダ北部レーワルデンにあるフリース美術館の「マタハリの間」で、ヘルク・コープマンス学会員兼マタハリ財団代表が愛情を込めて語る。

 「マタハリの間」は96年12月オープン。
〕喫,碧校匸Δ硫箸棒犬泙譴拭屮泪襯レータ・ゼル」(本名)がオランダ東インド軍のルドルフ・マクレオド大尉と17歳で結婚してジャワ島に渡る。
⇔ズЦ紂28歳でセミ・ヌードの踊り子「マタハリ」(マレー語で太陽の意)としてパリ・デビュー、社交界の寵児となって独軍将校や仏人銀行家ら愛人と贅沢に暮らす。
戦争の勃発で失職し、16年に報酬目当てにドイツ諜報機関の女スパイ・暗号名「H21」になる。
ぐ貶で同年フランス防諜機関に協力して二重スパイになるが、処刑される。
という波乱万丈の人生を数少ない遺留品や肖像写真を添えて再構築している。
 
 コープマンス氏は「仏歴史家レオン・シェルマン氏のマタハリ研究に協力し、虚実混じりのマタハリ神話を読み解くうちに、(マタハリに死刑を宣告した)17年の裁判は冤罪と確信するようになった。」と言う。

 そこで2001年10月、汚名をすすぐため仏司法相に再審請求を行った。

 「17年の裁判は、マタハリがフランス防諜機関の二重スパイだった事実を隠し、『仏軍兵士に多数の犠牲者を招いた重要な情報をドイツに流した。』というウソをでっち上げた。仏政権は対戦が長引き、仏軍の被害増大の結果、国民に疲弊感と不満が広がる中、マタハリを処刑することでガス抜きを図ったのではないか。」

 しかし、仏司法相はコープマンス氏がマタハリの子孫でもなく、利害を代表していないとの形式論で、再審請求を退けた。

「まだ、再審の道が閉ざされたわけではない。」シルマン氏(今年1月死去)の著作「マタハリ陰謀の解剖」を2001年に出版し、それを根拠とする再審請求の仕掛け人となった、仏イタリック社のジャンピエール・チュルベルグ社長がパリのカフェで強調した。仏世論だけでなくオランダ世論を喚起し、議会を動かし、オランダ政府が仏政府に外交圧力をかけ、再審に踏み切らせる−。これがコープマンス氏との共同作戦という。

 チュルベルグ氏の冤罪論は「マタハリは戦時ナショナリズムの犠牲」というものだ

 国民を結束させ、敵と戦わせるこの感情は、「気に入った男の国籍は問わない。」と公言するマタハリとは無縁だった。そして女を貞淑な妻か口の堅い売春婦かのどちらかに分類する時代にあって、マタハリはどちらでもなく、欲望を実践した。そして、欧州は2度の対戦を経て、ナショナリズムを封印し、統合に向かう。

「つまり20世紀の最初の女性が、19世紀最後の男たちに殺されたのです。」

(ニュースソース:H17.4.10 読売新聞)

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この記事へのコメント
4
戦争中の出来事ですが国家のエゴが招いた悲しい事件ですね。私は戦後の生まれでこの時代の事は詳しくありませんがフランスと云う国家を調べればこの位の事は当然起るでしょう。日本以外の外国は私達の想像の域を遥かに超えた事を当たり前のごとく考え行います。外国人には気を付けましよう。
Posted by zephyrus at 2007年12月08日 03:38
コメントありがとうございます。
ごらんの通りほぼ休眠中のブログですが、読んでいただけて嬉しいです。

がんばって再開… 出来ればいいな(^_^;)と思っております。 
Posted by (貴) at 2007年12月10日 00:03