「そこで風邪をひいてる画家は誰だ?」
「ゴッホ、ゴッホ」

のっけから、すみません。
ゴッホ展のチラシについて書こうとしたら、ガマンできなくなってしまいました。
そういえば、日本のゴッホ、棟方志功はゴッホの作品に衝撃を受けて以来、しょっちゅうゴッホのことを口にするので、みんなから「いつもゴッホ、ゴッホと言っているが、風邪でも引いたかな」とからかわれたそうです。

画家の名前で駄洒落なら、
ミロを見ろ
とか、
マネの真似
とか、
ミュシャ修行
とか、短い名前ほうが作りやすく、レオナルド・ダ・ヴィンチとかミケランジェロではなかなか難しい。
AERAや大塚商会の「たのめーる」なら、ひねりだしてくれそうですが。
短い名前の画家といえば、

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芸術新潮2016年月号はサルバドール・ダリの特集で、ああ、やっちゃったなあ。
ダリってダリだ?
言いたくなる気持はわかります。ダリってダリ?言いたくなるのを、ぐっと我慢をしてきたというのに、芸術新潮がやっちゃうなんて。
さぞかし勇気の要ったことでしょう。編集会議でモメたんじゃあないかと想像します。

1999年にダリ展が巡回しました。そのときのチラシ、福岡アジア美術館のものです。


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コピーは単純明快。
ダリだ。
これが、
ダリだ?
だったら、ダジャレですが、「ダリだ」なのでかろうじて踏みとどまっています。
誰だ?誰あろう、ダリだ。そう力強く言い切って、問答無用。
このチラシ、ダリの作品はなく、ポートレートだけ。ほとんどダリ自身が作品のようです。
これが許されるのは、ダリかピカソか、本邦では岡本太郎くらいではないでしょうか。
トレードマークのピンとはねあがった口ひげ。誰がどう見てもダリ。
あたかもこう言っているようです。
俺がダリだ。ムンクがあるか?

古いチラシを集めていると、いつ開催されたのかわからないものに出くわすことがあります。

チラシは宣伝広告が目的ですから、展覧会の会期はちゃんと出ているのですが、それが何年のことなのかわからないのです。

たとえば、これ。

横浜髙島屋ギャラリーで開催された「中原淳一展」のチラシです。


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どこで入手したのかおぼえておりませんが、この展覧会に行ったわけではありません。だからいつのものなのかわからない。

531日から612日までと出ているけれど、それが何年なのかは記載がありません。

このような「年」のないチラシは、百貨店やデパートでの展覧会に多いようです。

だからといって、困ることはないのでしょう。

チラシは広告宣伝が目的ですから、会期が過ぎれば用なしです。閉幕すれば、チラシも配布されなくなる。

ということは、会期はチラシが配られている「ちょうどそのとき」か、「これから」にしても「もうすぐ」ということです。

新聞の折込で、来年の特売チラシを今から配ることなどありません。

この「中原淳一展」もまさか三年後の531日に開幕なんてことはない。その場合は、ちゃんと何年の5月だと表示するでしょう

 

図録は別です。図録には開催期間が普通「年月日」で記載されています。おそらく後から見返すことがあるからでしょう。モノとして残ることを前提にして作られている。

チラシは残ることを想定してはいないのかもしれません。

ですから、何年もあとで見たときに、それはいつのものなのかわからないということが起きる。

では美術館のチラシにちゃんと「年」が入っているのはなぜか?という疑問が残りますが、それはさておき、コレクターにとっては、こういうチラシは困ります。チラシを年代順でファイルしているので、会期はとても重要です。

 

ということで調べてみました。

 

こういうときに便利なのは、国立新美術館の「日本の美術展覧会記録1945-2005」。日本で開催された展覧会が検索できますが、あいにく百貨店・デパートまでは網羅していないようです。

髙島屋の社史を調べると出ているかもしれません。さすがに横浜髙島屋に電話して聞くのはちょっとはばかられます。

髙島屋のホームページには、「髙島屋資料館」のページがありますが、「企画展のご案内」は「現在休止中」。

ちなみに、「中原淳一展 横浜髙島屋ギャラリー」で画像検索をしてみましたが、これと同じチラシはヒットしませんでした。ブログその他でも、これという記事は見当たりません。インターネットが普及する以前の展覧会なのでしょうか。中原淳一の公式ホームページも記載なし。

 

チラシに出ている情報を手掛かりにするしかありません。

入場料は一般800円(団体、前売は600円)で「消費税込み」とありますから、19894月以後ということはわかります。あのときのことはおぼえています。税率3パーセント。急に一円玉の出番が増えました。

開催期間の531日(水)、612日(月)。この月、日、曜日の組み合わせは、1989年、1995年、2000年、2006年が候補としてあげられます。

これで「没後20年」とか「創業100年記念」なんて言葉があれば、話は簡単なのですが、このチラシにはそういうヒントはありません。ほかには「次回開催予定の展覧会」なども手掛かりになりそうですが、それもない。

 

主催はNHKサービスセンターなので、同社のホームページをあたってみましたが、やはりダメ。

協力に(株)平凡社、(株)ジュン アシダ、(株)七彩の三社の名前が出ています。

(株)ジュンアシダが、この会社名に改名したのは1978年。マネキンの会社(株)七彩は1981年からこの社名。どちらも消費税施行の1989年以前のことなので、ヒントにはなりません。もちろん、両社のホームページにもこの展覧会のことは出てきません。

残るは出版社の平凡社。同社ホームページの「書籍検索」で「中原淳一」のキーワードで検索しますと、「別冊太陽」で何度か特集されていることがわかりました。

そのなかで一番古いのが、「美しく生きる 中原淳一」という書名です。「美しく生きる」は、チラシにもあるフレーズです。これは有力な手がかりです。出版は1999年。候補のうち2000年の前の年です。

 

そこで、図書館で実物にあたってきました。

目次のページにこうありました。

 

 小誌は「中原淳一展美しく生きる」(199941日~13日 東京・日本橋高島屋 429日~511日 大阪・なんば髙島屋で開催。以後全国巡回)の展示カタログを兼ねており、展覧会に出品される作品を中心に構成されています。

 

あいにく、全国巡回の詳細までは出ておりません。また展覧会に関する記事や広告も見当たりません。

それでも、1999年東京に始まり、次に大阪、その後全国あちこちの髙島屋を巡回。それが2000年横浜でも開催されたというのが順当なところでしょうか。

ということで、このチラシ、確証までは得られなかったものの2000年のファイルにおさめることができました。


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京都国立近代美術館の「岡本神草の時代展」(2017年11月1日~12月10日)のチラシは、A3サイズを二つ折りにした体裁で、おもて面の中心から少し左寄りに両手を顔のそばで開いている舞妓の姿があります。よく見ると紙の一部が窓のようにくりぬいてあり、絵はその下に印刷されているのでした。
チラシを開くと、絵の全容が現れます。
先ほど見えていた舞妓の左右に、さらに舞妓が一人づついて、その中央には丸盆のうえにお銚子と猪口が一つづつ乗っています。
絵の題名は⦅拳を打てる三人の舞妓⦆。大正9年の作。
この拳とは、じゃんけんの拳、お座敷遊びなのでしょう。
チラシには、「《拳を打てる三人の舞妓》同じ題材に3度挑む!」として、この作品の経緯が紹介されています。

第1回国画創作協会展で甲斐庄楠音らと共に、華々しく画壇デビューすした岡本神草。しかし、第2回展の出品記録には、どんな事情があったのか、名前がありません。
1920年、満を持して第3回展に向けて、
彼は⦅拳を打てる三人の舞妓⦆の大作を制作していましたが、
締め切りに間に合わず、なんと!画面中央の舞妓のみを切り取って出品しました。
それは何とも不思議な構図の作品でした。
そうまでして出品しようとする神草の強い意志は、
直前の創作日誌に記された「朝断然不可、切断、夜急遽状況」の一行に表れています。
その後、1987年に、切り取られた残りの部分が発見され、
67年の永い時を経て、三人の舞妓が再会を果たしたのでした。img_1_m

つまり、おりたたんだ状態で窓から見えているのが、切り取って出品した絵。ちらしを開くと、舞妓三人がそろったもともとの絵、という具合です。
A3サイズを半分に折り、そこに窓をくりぬくことで、その両方を見ることができる。仕掛けというほどでもない仕掛けなのですが、この絵のいきさつを見せるにふさわしい体裁です。

ネットの上でのデジタルな画像が全盛で、今時チラシなんて宣伝手段はアナログの最たるものかもしれません。しかし、工夫次第では、デジタル画像に真似のできない効果が発揮されることもある。このチラシは、その一つの例と言えましょう。

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