キングダムでは少ししか出てこない
六大将軍筆頭 白起(はくき)
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始皇帝になる嬴政[えいせい)が王位につく20~40年近く前に
暴れまわっていた秦国の大将軍です。


作中でも長平の戦いがちらっと出てきます。
今回はその長平の戦いに重点を置いて
話しを進めていこうと思います!!



~稀代の軍略家、白起の史実~


紀元前294年に白起は初めて史実に出てきます。
ちなみにエイセイ(始皇帝)が王位につくのは
紀元前247年です♪


この辺りのころは
秦は絶頂期で、広大な面積を持つ楚にも
ガンガン侵攻していました。


逆に趙はキングダムで出てくる
三大天の廉頗(れんぱ)と藺相如(りんしょうじょ)と
趙奢(ちょうしゃ)
の存在があって
秦国でさえ手出しが出来ませんでした。


そんな時代です♪


まず、ざっくりと説明すると!!


紀元前294年から
長平の戦いがおこる紀元前260年までの34年間に
白起は韓、魏、楚へ侵攻しています。


彼の出した戦果は

斬首 42万人

落とした城、大小含め 72城

黄河へ沈めた人数 2万人



これだけの戦果をあげ
秦国の領土拡大に大きく貢献しています。


落とした城もですが
斬首の数が異常ですね・・・。


単純にこれだけやられると
軍事力が大幅に削られ、国力も著しく衰退するはず・・・。


この時点でまともに
秦国と戦える国は1国としてありませんでした。


さぁさぁここからは
長平の戦いを詳しく説明していきます!
大虐殺の真実とは・・・?


~長平の戦いの原因~


ことの発端は秦軍が
韓の野王(やおう)という地を取ったところから始まります。


この野王が落ちたことで
韓の上党という地域一帯が完全に分断され
孤立してしまいます。


上党の太守(そこを取り仕切っている人)は
秦に侵略、略奪されることを恐れ
趙の領土に加えてもらおうとします。


寝返るには趙の王の許可が必要になります。
それにもちろん趙王も簡単に 「いいよ!」 とは
言えません。


上党の土地と民が無血で手に入るとはいえ
相手はあの秦国が狙っていた地域。


上党を受け入れる=秦からねこばばした。


これを秦の昭王が黙っているわけがない・・・。
間違いなく秦は大挙して趙を攻めてきます。


頭を悩ました趙王でしたが
やはり目先の利益に目を取られ
これを受け入れます・・・。


このことを知った秦の 昭王 は当然のごとく大激怒し
王齕(おうこつ)将軍を総大将に、遠征軍を組織。


上党の地に向かわせ、取り返します。


そして上党の住民が
趙の長平に逃げ込んだので王齕もそのまま追撃します。


これが長平の戦いの幕開けとなるのです!!


~長平の戦い~


秦軍は王齕を総大将に。
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対する趙は上党の住民の保護という形で
廉頗(れんぱ)を派遣します。
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廉頗は王齕軍の精鋭軍と、軽く3度ぶつかり全て敗北。


趙軍は、数では勝つが質で負けているので
徹底して篭城し、相手の疲労をさそう戦法に切り替えます。


まともにぶつかれば負ける気がしない王齕は
挑発したり、攻撃しますが・・・


廉頗は防壁をさらに高くし、打って出てくる気配はありません。


完全にこう着状態となってしまい
それから2年の歳月が過ぎます・・・。


・・・


先に動いたのは秦国でした。


秦国お得意のスパイを趙に大量に送ります。
目的はデマを流す為です。

「秦国は趙括(ちょうかつ)様が総大将になることを恐れている。」

「経験だけの
廉頗は相手にしやすいらしい。


これを聞いた趙王は
数でまさるのに攻撃しない廉頗(れんぱ)に不満を持っていたので
あっさり総大将を趙括(ちょうかつ)に任命します。


趙括(ちょうかつ)とはキングダムで元祖三大天の一人として出る
趙著(ちょうしゃ)の子です。
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こいつが趙括(ちょうかつ)ですww
キングダムでは
このあと王騎に馬ごと両断されますww


名将、名家の子なので実力は期待しますが・・・
とんだ期待はずれです。



趙括の父、趙著いわく

「口先だけの兵法で役に立たない。」

「これではとても戦場にはだせん・・・。」

「息子が将軍になれば、趙は滅びるぞ・・・。」


趙著は亡くなる前、妻に
「絶対に息子を将軍にするな!
「もし要請があっても辞任するんだ・・・。」

と言ったとあります。


・・・


この趙括の総大将任命の話しは趙著の妻にも届きます。
妻は夫の遺言どおり、辞退をさせてほしいと嘆願します。


実は母親から見ても、夫のような人徳は無く
息子の器の小ささ、姑息さを知っていたのです。



「大将としての度量が無い。」
母親がこれを心配していたとあります。


この訴えに加え
病気で死期の迫る元祖三大天の一人。
藺相如(りんしょうじょ)も

「彼は兵法書を丸暗記下しただけの未熟者で柔軟性に欠けます。」

「どうかお考え直しください・・・。」



と進言しますが・・・。
王は頑なにそれを聞き入れません。


結局、総大将は趙括に変更となります。


このとき趙著の妻が
「・・・ならばもし、括が敗北した場合。」
「わが一族には決してお咎めがないようお願いします。」

と悲願したとあります。


趙王はこれを承諾します。
それから廉頗(れんぱ)は無念の帰還。



趙括(ちょうかつ)が総大将となります。




計画どおり事が進んだ秦国は
白起(はくき)をひっそりと戦線に送り、総大将とします。
王齕(おうこつ)は副将です。


ちなみにこの白起が戦線にたつことを
口にするものは斬首する!
と命令が下ったそうです。


ここから戦場は一変していきます!!



~趙軍大敗北、虐殺の事実~


趙括は、秦軍より数で勝るので力押しでいこうとします!
しかし、到着して早速の作戦変更。


趙軍は王齕(おうこつ)軍の凄まじさはすでに知っていたので
廉頗の作戦を支持する指揮官が大勢いました。


なので趙括は
言うことを聞かない指揮官を全員帰還させます。


こうして趙軍を無理やり攻撃態勢に移します。


あわただしくなった長平の状況をすぐに察知した白起は
作戦を立てます。


① 打って出てきた趙軍から
敗走するふりをして、城外の奥までおびき出す。


② 趙軍が釣られてきたとこで
あらかじめ配置していた伏兵で敵の退路を遮断。


③ あとは騎馬で趙軍の横っ腹を破り
指揮系統を麻痺させる・・・。


という段取りを組みます。


そしてこのとおりに事は運び
趙軍は大打撃を受け、長平に逃げます。


白起はこのまま長平を包囲します。


この勝利の報告を聞いた秦の王 昭王 は
多くの援軍を送り
さらに自ら戦地に立ち、鼓舞してまわったとあります。


大群に包囲され、兵糧が届かない長平・・・。


なんと46日間も絶食状態が続き・・・
城内では次第に殺し合い
互いの肉を食らい合うという凄惨な状態になります。


ここで無能を極めし趙括はやっと動き出します。
というより諦めに近いかもしれません・・・。


わずかな健常者を率いて、秦軍に突撃をします。
しかし、それもすでに読まれていて・・・。


大量の矢の雨を食らい戦死しています。


こうして長平は降伏。
戦の幕となるのです・・・。


長平の大虐殺の真相とは??


趙兵40万という捕虜ができてしまいます。


40万という人数・・・。


秦も大軍で包囲していたので
兵糧に余裕はありません。


それに上党の寝返りに始まったこの戦。
白起はこれを重く受け止めていました。


「ここにいる40万の兵が趙に寝返らないと誰が言える・・・。」


「かといって、死地を生き抜いたこの趙兵達を帰せば
のちのち良くないことになるのでは・・・。」



こう考えた白起は、独断で少年兵約240人を残し
全ての趙兵を生き埋めにします。


当然ですが、捕虜に手を出すのはタブーです。


まぁそのタブーを犯したからといって
他国が秦をどうこうできる訳ではないのですが・・・。


「秦将白起は捕虜を殺す鬼畜!」
「これを許した秦王も鬼畜!」
「秦国は野蛮な国!」


この程度の非難ではすまなかったことでしょう。


40万もの兵を失った趙は著しく国力が低下し
滅亡を早めることとなるのです・・・。


この長平の大虐殺があったとされる場所には
実際に大量の人骨が発見されています!



どうみる?白起の最後・・・。


大量の兵を失った趙国。


今が攻め時と踏んだ白起は趙の首都 邯鄲(かんたん)を
攻めようとします。
もちろん勝算しかないのでしょう!


ここで秦の宰相が小細工をしてきます。


白起の功績がこれ以上大きくなるのを防ぐために
わずかな条件で趙と和議を結んだのです。



白起にとっては悔しかったことでしょう。
趙を落とせば、国の英雄だったはず。


それが明らかな工作で・・・
しかも味方に邪魔されてしまったのですから・・・。


しかし、白起はこれに素直に従い帰国します。


そしてその翌年。


違う将軍に邯鄲を攻めさせます。
しかし、一筋縄ではいかず落ちません。


事態が悪化する前に
昭王は白起に出陣を要請します。


ついに趙が滅亡するかと思われましたが・・・
白起はなぜか引き受けません。


昭王は直接白起の屋敷に向かい
大将軍に任命しようとしますが、それでも断ります。


白起の功績を危ぶんでいた秦の宰相も頭を下げます・・・。


しかし、それでも断固として断り続け
最終的に白起は病気と称します。


困った秦国は増援や王齕(おうこつ)を送りますが・・・。
結局落ちず、逆に趙に援軍がきたせいで
秦は大損害が出ます。


この報告を聞いた白起は
「それ言ったことか、今ごろ後悔しおって。」
と言ったそうです。


もちろん人前で言ったわけではないのでしょうが・・・
これが昭王の耳にも入ります。


もちろん大激怒。
これは昭王だけでなく、どこの国の王が聞いても
激怒することでしょう。


昭王は強制的に将軍の地位を剥奪し
辺境の地まで左遷させます。


その翌年の11月。
王宮では大きな決断を下そうとしていました・・・。


昭王と宰相。
それに臣下たちは白起の事で話し合います。


話し合いの内容は「白起の処遇」です。


慎重に、かつ冷静に話し合った結果・・・。
「白起は不満そうで左遷を承服せず、恨みがましかった。」
という結論が出ます。


昭王は白起の爵位を強制的に奪い
さらに自害するよう迫ります・・・。


白起はどこの国も欲しがるであろう傑物です。
亡命されるぐらいなら
消したほうがいいと踏んだのかもしれませんね。


自害の直前。
白起の言葉があります。

「わたしはなぜ死なねばならぬのだろう。」

「いや、わたしは死ぬべきだ。趙兵40万を生き埋めにした。」

「わたしは天に対し罪を犯したのだ・・・。」

と・・・。


こうして秦国が誇る常勝将軍は
没します。


しょうがないと取るか・・・。
かわいそうと取るか・・・。
ここは意見が分かれそうですねぇ・・・。


~まとめ~


かなり長くなってしまいましたね・・・。
お疲れ様でしたww


あ、三大天はキングダムを見ている人に
分かりやすくするために出しただけで
実際にそんな呼ばれ方をしていたとはありません。


趙の3将とかでなら
呼ばれていても不思議ではないですが♪
ダウンロード (1)
結局、彼の生前で80万人以上が
殺されたことになります・・・。
なんてこったい・・・。


偉大な策略家、無限に奇策を出すと称えられながらも
どこか人として欠けているが部分も
あったのかもしれませんね。


結果論ですが
昭王の要請を断らずに出陣をしていれば
より大きな地位と名声を築けたかもしれないのに・・・。


みなさんは彼を悲劇の英雄と見ますか?
それとも自分に溺れた哀れな英雄と見ますか?




秦国にはあと2人。

わたしが認める最強候補の大将軍がいます。

彼らの活躍を見比べるのも面白いですよ♪



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