龐煖についての史実を紹介するものです。
ネタばれは含んでいません!
ご安心ください♪


今回も嫌われ人物の1人であろうこのお方ww
趙国三大天 龐煖(ほうけん)
ほうけん キングダム

イマイチキャラがたたないですね。
武に関しては最強クラスなのに
「こいつやべぇ・・・」
ってのが全く無いww


圧倒的武力!!
特徴はそれだけww


王騎将軍みたいな魂が震える存在感みたいのは一切無く
はりぼての存在感、過大評価なイメージww


最初のころは
「自分以外の強者の存在が許せない。」
これが彼のポリシーでしたね♪


最近はなんで戦場に出てくるのか・・・
イマイチわかりませんww


「王騎の幻影を戦場に探している?」
「天(自身)に差し出す供物を探している?」



まぁ理由がなんにしろへぇー・・・。」
って感じですねww


きっとだれも興味ない気がするww


そもそもなんで趙の道具として
戦争に出るのかもイマイチ・・・。


とまぁとにかく今の三大天は軽いんですよね。
熱いものが一切伝わってこない。



そういうやつらがパッと出で無双されると冷めますよねww


敵で熱いものが伝わってきた将軍は
趙荘(ちょうそう)ぐらいですね。
IMG_20141107_162028

ンフゥ少しは彼を見習いなさい、おばかさんww


趙荘はほんとにキングダムの全盛期を押し上げた
「名敵役」ですね♪


彼無しに秦対趙は語れないレベルww


いつか彼の貢献を祝して
記事を書きたいものですww


さぁさぁ話しが完全に逸れていましたが
今回は武神 龐煖さんの史実を紹介していきます!



龐煖もびっくり!?武神だと!


龐煖は史実では
「非常に頭のいい人物」です。


龐煖は縦横家として、兵法家として
書物を書いたという記述はありますが
そのもの自体は見つかっていないそうです。


ある意味キングダムの龐煖に共通する
知恵の求道者(ぐどうしゃ)とも言えそうです。


・・・


龐煖は趙王に仕える前。
彼は縦横家(じゅうおうか)でした。


これは簡単に言うと
各国の王に奇抜なアイディアを売る仕事です。


もちろんアイディアが良くても
それを納得させるだけの弁舌と知恵がないと
説き伏せられません。


そんな龐煖が趙に仕える以前。


龐煖(ほうけん)は劇辛(げきしん)と仲良しでした。
劇辛は燕で将軍となっていますが
元々は趙の人間です。


そんな劇辛から見た龐煖は
「ひじょうに親しみやすいぞ、ワッハッハ!」
と言うことでした。


なぜこの二人が仲がいいのかは分かりませんが
劇辛は「法家(ほうか)」だったという説があります。


法家とは
「国をまとめるなら法律がいい!!」
という考えを持っている人物たちのこと。


この正反対の考え方を持つのが「儒教」です。
これは武力で国を統一するのではなく
王の「優しさや素質」でまとめようというもの。


兵法家でもあった龐煖は
やはり軍律などにも目を向けていたはず。


劇辛の「法に基づく」という考え方に
共感していたのかもしれませんね♪


そしてやはり、龐煖の縦横家としての弁舌は
素晴らしかったようです。


そんな龐煖なので、才能を認められ趙で仕官されます。
兵法家でもあった龐煖は将軍の地位にもつきます。


そして時は過ぎ、紀元前243年。


李牧が将軍として燕を攻めます。
そして燕から城を奪い取ります。


この時は劇辛は出陣していません。
(理由は不明)


燕はもちろん悔しいです。
なんとかこの雪辱を晴らしたい燕国・・・。


燕王は燕国最強の将軍である劇辛に趙から城を奪えるか
質問します。
答えはもちろん「取れる!」です。


このときの趙には三大天のメンバーは既に無く
龐煖が趙国最強の将軍です。

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以前仲が良かった龐煖のクセや考え方は
誰よりも知っていると自負していたのかもしれません。


燕王はこの答えに喜び
劇辛将軍に趙の攻略に向かわせます。


そして予想どおり、趙からは龐煖が出てきます。


両者激突!!
その結果は・・・劇辛の敗北。


燕軍は2万の戦死者をだし
劇辛は戦死したあります。


そして1年後、紀元前241年。


趙、楚、魏、燕の4カ国精兵を率いて蕞を攻めます。
そして同時に、函谷関(かんこくかん)にも合従軍が
攻めています。


率いて戦ったあたり
彼がこの合従軍をやろうと列国にもちかけたのでしょう。


しかし、これだけしても秦は討てませんでした。


そのため、兵を斉の国に向かわせ
城を取っています。


これは単純に今回の戦が
斉国だけ無傷で終わられては、斉に接する国が
圧倒的に不利になると思ったからかもしれませんね。


「中華全土が痛みわけ」
という結果にしたかったのかも。



そしてその5年後。
紀元前236年



またも燕に攻撃を仕掛けます。
総大将はもちろん龐煖。


順調に城を落としていきます。
ところが・・・
どんどん押し込んでいく龐煖の元に急報が届きます。


内容は
「秦軍が趙に攻め込んできているので撤退せよ。」
というもの。


このとき将軍に李牧(りぼく)がいますが
腕はともかく、まだまだ実績は認められていません。


相手はあの秦軍。
止め損ねれば国家の危機に直結します。


龐煖を呼び戻すのは賢明だったかもしれません。
彼は全速力で秦が攻めてきたほうに軍を向けます。



しかし・・・



趙の予想は大きく外れます。
全速力で戻った龐煖でしたが周辺の城はすでに陥落。


まさに電光石火の速さで落とされていたのです。


こんなに早く落とされるなんて考えてなかった龐煖は
平地戦で戦うつもりだったはず。


行軍の速度を上げるためにも
無駄な攻城兵器は趙に置いたと考えられます。


こうして龐煖は手も足も出ず
軍を引くことしかできませんでした。


ちなみに・・・
攻めてきた秦の将軍は


楊端和
(ようたんわ)将軍


王翦
(おうせん)総大将


桓騎(かんき)将軍



この3名の将軍です。
そりゃ早いわってねww


・・・


さぁ話しは戻ります。


実はこの秦に攻められた年。
趙王が亡くなっています。


そして、後を継いだ王の代でも活躍すると思いますが・・・。


これ以降パッタリと歴史から姿を消します。
理由は分かりませんが
あまり用いられなかったそうです。


誰かの嫉妬によるものなのか・・・
はたまた老いたのか・・・


あまりに急すぎるので
不自然ですね。


まぁ史実なんてそんなものかも・・・。


~まとめ~

・・・なんというか
これといってオチがありませんでしたねww


記事としては面白みに欠けるものになってしまいました。
まぁ全部龐煖のせいです!ww


あ、ひとつ付け加えますと
劇辛と龐煖の戦いはもう1つ説があります。


それでは、劇辛が攻めたのではなく
龐煖が攻めて、劇辛を倒し捕虜にした。
というものです。


旧友と戦場で戦うってどんな気分なんですかね?
友達を殺さなければいけないなんて・・・
恐ろしい時代です。


今回の史実を一言でまとめるなら
「お友達は大切に!」
ですね♪


ありがとう龐煖!
君のおかげでみんなに大切なことを伝えられたよww


・・・というのが今回のオチです。


以上 龐煖の史実でした!
それではまた明日♪

 

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