2005年10月16日

関東 〜甘楽町小幡

小幡の喰い違い郭
小幡の喰い違い郭。

2005年夏、関東小さな町小さな旅(山と渓谷社)を持参し、群馬県甘楽町、小幡を訪れた。
ここは、織田信長の三男、信雄の所領だった地である。


まず、高崎駅から上信電鉄に乗車。単線で、上州福島駅までゆく。
駅から小幡地区へは乗り合いタクシーが出ているが、電車との接続が悪いので、歩いていくことにした。
駅にマップや観光パンフレットが置いてあるので、もらう。
駅を背にして県道下高尾小幡線を進む。途中で右に折れてみる。この地域は窯業が盛んなようで、農村の中に工房が数軒ある。
県道に戻り、直進。だいぶ歩くと、甘楽町役場が右手に見えてくる。
そこを過ぎるとすぐに、上信越自動車道と立体交差する。自動車道の下をくぐると、雄川堰がはじまる。最初はちゃちいなと思うだろう。

上信電鉄高崎駅にて


次第に、雄川堰が風情のある姿になってくる。日本の名水百選に選ばれたにふさわしい日本的な風情を感じる。
乗り合いタクシーの小幡下町停車場辺りからは、「城下町」、「歴史のある街並み」といった感じになる。
新しい屋敷や門もあるが、なるべく景観を損なわないよう努力がなされている。蔵屋敷だけでなく、木造の家もある。
江戸時代というよりは、川越同様明治〜大正の風景の方が多いかもしれない。
雄川堰のある道路左側は蔵屋敷の街並みだが、右手は新しい家もある。それでも、さほど違和感は感じない。

雄川堰

雄川堰沿いの街並み

雄川堰沿いの街並み


レンガ造りの歴史民俗資料館が見えてきた。
かつての繭倉庫を改造したものらしい。ここで、甘楽町、小幡地区の歴史を学ぶ。
織田家が平家なのは知っていたが、清盛、重盛が祖先とは知らなかった。
また、「学問ノススメ」を、小幡上総介信真の子孫、小幡篤次郎なる人物が共著していたとのこと。

資料館を後にし、蔵屋敷風造りの交番を過ぎたところで右折して中小路へ。
広い小路は、途中で90度左に折れる。かつて武家屋敷が並んでいたというが、数軒を残すのみ。
雄川堰から引いた水を利用した庭園があるという高橋家は、家人が留守で入れなかった。
また、喰い違い郭山田家は、外から郭を眺めるだけで、その先は立ち入り禁止である。

中小路


中小路の近くには、織田信雄が造らせたという大名庭園楽山園があるが、奥地の那須地区へ行きたかったので、パスする。
道を下高尾小幡線に戻り、総合公園のところで道を右に反れて降る。しばらく雄川に沿って歩くと、左手に木のレールのある小道が見えてくる。
その小道に移って歩くと、「吹き上げの石樋」を渡ることになる。
この石樋は、慶応元年(1665年)7ヶ月と250人の手間を費やして造られたもので、雄川から引き入れた水は、長さ6mの巨大1枚岩を組み合わせたここを通り、雄川堰へと流れてゆきそうだ。

吹き上げの石樋

吹き上げの石樋を水が勢いよく流れる

パッと見ただけでは、そのような大掛かりなものには思えない。
しかし、堰とクロスする小川に掛けられたその石は、確かに一枚岩だ。
まず、巨大な岩を掘り出し、水を通すようくぼみを付けた長方形に切る。それから、小川の数メートル上に掛け、堰と連結するという作業が必要だ。
重機のない時代では大作業かもしれない。


再び下高尾小幡線に。少し街の方へ戻ると、織田家七代の墓がある崇福寺の入り口に着く。この辺りにも、城下町あるいは豪農の風格漂う屋敷が点在する。

崇福寺近くの民家

崇福寺自体は、小さな寺だ。その奥に、織田信雄以下七代の墓所がある。
小幡地区を斜めながらも見下ろすように建っている。桜の季節は満開になるようだが、夏の今はうっそうとしている。
実は、信雄は一度も小幡には入っていないそうだ。死後に分骨したとのことである。


乗り合いタクシーで、終点那須地区へ。
乗り合いタクシーと言っても、ワゴン車かミニバスのようなものである。途中で大雨になる。
那須地区とはいっても、ここは群馬県なので、有名な方の那須ではない。しかし、同じ「毛野」の地であり、共通の由来があるのだろう。

終点からすぐ近くに、ちぃじがき蕎麦の里「那須庵」がある。駅でもらったパンフレットに、この店が紹介されていたので、来て見たのだ。
お客が2組ほどいる。店員のおばさん連中はとても親切だ。
大盛を頼んだが、おなかがいっぱいになる。食べている途中で大雨になるも、次第に止む。

ちぃじがき蕎麦の里「那須庵」
のそば(大盛)

農林水産省「水土里(みどり)電子博物館」説明によれば、「ちぃじがき」とは、「小さな石の石垣」の意味だそうだ。
石垣を造って段々畑を造り、その風土に根付いたそば農業を営んできたものの、高齢化と過疎化による荒廃があり、その解決策としてそば畑のオーナー制度を採用したのだそうだ。
店を出て、坂道を登ってみる。道は二手に分かれる。群馬県の奥の方である甘楽町、さらに奥の那須地区でも、家の造りや石垣を見れば、日本の高い文化がそこかしこに行き渡っているのが確かにわかる。

那須地区

そば畑や稲荷山登山口へつながるというので、左側に折れる。さらに進むとまた二手に分かれるので、そば畑のある右側を選ぶ。ずーと坂道を登っていくと、そば畑が見えてきた。
まだ、種まきもしていないようで、何もないが、この畑はオーナー制度のもののようで、あちこちに名札がさしてある。

来た道を見下ろすと、霧が山に這っている。だいぶ高地に来たようだ。
見晴らしもがすばらしく、中国の龍勝梯田を思い出した。
小幡地区の方で、稲妻が光っている。あわてて坂を降り、「那須庵」に戻る。豪雨となり、雨宿りがてらそばがきを食べる。
店の人が、「注文なんかしなくてもよいから、乗り合いタクシーの時間まで待っていればよいのに」といってくれる。
彼女たちが言うには、明日、オーナーによるそば畑への種まきが行われるそうだ。

那須地区

那須地区



hodofin at 18:22コメント(3)トラックバック(1)国内旅行 | 甘楽町小幡 

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1. 織田家由来の城下町「小幡」を訪れました。  [ 週末ニートのほどほど日記 ]   2005年10月16日 18:28
織田信雄の所領だった城下町、群馬県甘楽町小幡を訪れました。国内ちょこちょこ旅行にアップしています。また、小幡地区の奥にある那須地区では、石垣を使った段々畑のそば畑にまるで天空にいるかのような錯覚を覚えました。

コメント一覧

1. Posted by けんけんけん   2005年10月16日 21:20
城下町小幡、良い町ですね。
上州に織田家ゆかりの町があるという事に最初は驚きました。
雄川堰は、春の桜のシーズンが一番良いですよ。
雄川堰は桜の並木になります。
2. Posted by けんけんけん   2005年10月16日 21:22
城下町小幡、良い町ですね。
上州に織田家ゆかりの町があるという事に最初は驚きました。
雄川堰は、春の桜のシーズンが一番良いですよ。
雄川堰は桜の並木になります。
3. Posted by オバマ   2009年02月19日 11:20
イェスウイーキャン

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