2006年05月06日

関門海峡と山口 〜長府

2006年2月、全日空の「超割」で、羽田から山口宇部空港へ。
持参するのは、「てくてく歩き 萩・津和野・門司港レトロ地区」だ。

萩・津和野・門司港レトロ地区第3版

まず、空港からバスで「城下町長府」へ。1時間ほど。
長府は、長門国の国府が置かれていた都市というのはすぐわかるが、和銅開珎や日本神話の時代にまでさかのぼることができる歴史を持っていたことは今回の旅ではじめて知った。

バス停のすぐそばに、「長府観光会館」があり、そこのコインロッカーにバックパックを預ける。マップも置いてあった。
檀具川沿いに歩き、まずは長府藩武家長屋へ。この長屋は、長府藩家老職西家の分家のものだそうだ。出入りは自由で、管理人もいない。当然無料。中に入り、しばらく説明書きを読んだりする。かつては土間が開け放しだったそうだが、寒くはなかったのだろうか。

この辺りから日頼寺までは、「侍町」として整備されている。源平合戦の後、平家の残党の追捕吏土肥実平が近くの丘(土肥山)を拠点とし、配下の侍をこの地に配置したのが名前の由来だそうだ。黄色の土塀が連なる他、旧野々村家表門などもある。

日頼寺はあまり見るものはないが、縁起を読んで、仲哀天皇と神功皇后の伝説がこの地に残されていたことをはじめて知った。
この寺には、仲哀天皇殯斂地がある。ただし、宮内庁管理の柵の外から眺めるのみ。


功山寺
功山寺山門

壇具川
に戻り、川に沿って進む。川沿いには、趣のある家や料亭などが立ち並ぶ。
やがて、川は左にカーブする。突き辺りには笑山寺。次いで右に折れると功山寺に出る。
石階段を登ると、立派な山門がある。
また、鎌倉時代に建立された仏殿や、高杉晋作像がある。

功山寺、高杉晋作像

隣接する長府博物館内には、毛利家の系譜や毛利秀元のことを記した書籍があった。
私は、秀元は輝元の子、つまり毛利家宗家だと思い込んでいたが、実際には毛利元就4男元清の子だった。


長府毛利邸
功山寺を後にし、明治期に毛利元敏が建てた邸宅へ。明治天皇が滞在したとのことだが、毛利宗家ではなく、長府毛利家の屋敷を行在所としたのはなぜだろうか。毛利宗家の本拠は山口や萩なので、長府ほど交通至便ではないのはわかるが。
ここの庭園は、まず屋敷の中から眺め、次いで、中庭に降りて枯山水を歩くことができる。

調布毛利邸の庭園


古江小路
黄色の土塀に囲まれた古江小路。
ところどころ、塀が剥がれているのが、逆に風情がある。
剥がれた塀を見ると、支柱の役割を果たしている竹が見える。

古江小路

古江小路

長府藩侍医兼侍講職、菅家長屋門。中には入れない。
古江小路

菅家長屋門横。松の枝が塀を乗り越えていた。
古江小路

古江小路

練塀が崩れ、内部の竹が露出している。
古江小路

横枕小道。
古江小路


乃木神社
長府が、乃木希典将軍の育った地であることを、今回はじめて知った。
長府藩士の子だったという。
中国・旅順の203高地を訪れたことのある自分としては、感慨を持ちたかったが、なぜか関心を持てなかった。
乃木将軍が、戦略家ではなく、猪突猛進な戦術を取ったことと関係がありそうだ。



hodofin at 00:40コメント(0)トラックバック(1)国内旅行 | 関門海峡と山口 

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1. 関門海峡と山口の旅  [ ほどほど日記 ]   2006年05月06日 00:46
2006年2月に旅行した「関門海峡と山口の旅」を、「国内ちょこちょこ旅行」にアップしています。ぜひ、ご覧ください。1.長府への旅2.山口市瑠璃光寺五重塔

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