2006年05月08日

関門海峡と山口 〜山口市

2006年2月、全日空の「超割」で、羽田から山口宇部空港へ。
持参するのは、「てくてく歩き 萩・津和野・門司港レトロ地区」だ。

萩・津和野・門司港レトロ地区第3版

瑠璃光寺の五重塔」は、こちらをクリック。
山口駅の貸し自転車は、雨が降っているときは営業していない。傘をさしながら運転させると警察からクレームが来るかららしい。駅向かいの民間業者ならOK。


ザビエル記念聖堂
自転車をパークロードを直進させ、亀山公園のある山(丘)を登る。このコースの場合、いったん亀山公園(山の頂上)に行き、そこから石階段を降りてザビエル記念聖堂にアクセスすることになる。
小雨の中、記念聖堂の屋外トイレ横に自転車を置き、まず記念館に入る。館内は、白を基調に、ザビエルに関係する書物、絵画、祭具や説明パネルが調和の取れた間隔で展示されている。イコンもはじめて見た。

ザビエル記念聖堂

以前、池袋の東部デパートのザビエル展で見た、大友宗麟への伝教を描いた絵画がないのが残念。ヨーロッパの画家がほとんど情報がないまま描いたらしく、宗麟とその家来が、まるでヨーロッパの城主と騎士の姿だったのだ(二人とも白人で、家来は西洋の鉄火面と鎧姿)。

館内の読書コーナーで、隠れキリシタンを記した本を1時間ほどかけて2、3冊読む。キリスト教を迫害した毛利氏を攻撃する論調がおもしろい。また、隠れキリシタンが、九州だけ出なく全国にいたことをはじめて知る。キリスト教が、日本に伝来して数十年で、全国に伝わり、強固な信仰を得ていたことに改めて驚く。

日本だけでなく、侵略者の宗教であったはずのキリスト教をアメリカ先住民なども信仰した理由は、「聖母マリア」の存在だろうか。教義や先進文明だけなら民衆の信仰を得ることはできまい。マリアの母性が、虐げられた人々の心を掴んだのだろうと、不信心者ながら思う。隠れキリシタンが大事にした像は、聖母(子)像が多い。
もし、日本に伝来したキリスト教がカトリックではなく、プロテスタントだったらどうなっていたのだろう。

聖堂へは、記念館内の階段を登った2階から入ることができる。現代的な装飾が施された聖堂で、古式めいた厳粛さは感じられない。また、鶴岡の教会のような素朴さも感じられない。はじめて見たタイプの教会だ。幻想さを狙っている気もするが、それならスベッているとおもう。1998年に完成(再建)したとのことだが、新しい教会はみんなこうなのだろうか?

ザビエル記念聖堂


聖ザビエル記念公園、ザビエル記念碑
大内氏館跡を過ぎたところに、記念公園がある。夕暮れ間近、こどもたちが野球ごっこに興じている。
記念碑にはこどもが寄りかかっているが、なぜか、罰当りには感じない。ザビエル像には、彼らを許す寛容さがあるようだ。

ザビエル記念公園と記念碑。子供たちの遊び場所


藩庁門と洞春寺
ザビエル記念聖堂を出た頃は、すっかり晴れていた。自転車をパークロードに戻し、県庁へ。
藩庁門を自転車から眺めた後、ちょっと先の洞春寺へ。

藩庁門

山口県庁

毛利元就の菩提寺である洞春寺は、思ったよりも小さな寺だ。毛利家関係の寺は大藩らしくなく簡素だ。それとも、には大寺があるのだろうか。
そこからすぐに、瑠璃光寺
県庁のすぐそばにこれらの寺があり、その辺りはもう街外れ。全国最小の県庁所在地という山口市の小ささがよくわかる。

洞春寺山門

瑠璃光寺境内の毛利家墓所


大内館跡と龍福寺
風情のある一の坂川を超える。大内館跡は、発掘・復元作業中のようだ。
館跡に建つ龍福寺本堂に隣接する資料館へ。大内氏が渡来系であることは知っていたが、この資料館には系図もあり、始祖が百済の聖明王の子琳聖太子であることがよくわかる(もっとも、地元豪族・在庁官人が僭称したとの説もあるようだ)。

龍福寺参道



hodofin at 01:24コメント(0)トラックバック(0) 

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