ほいみのそれから

銀行員→専業トレーダー→再就職→破産から復活へと歩み出すアル中廃人の日記

いよいよ

ワールドカップもベスト4が決まりましたね。


これまでグループリーグから可能な限り試合を追ってきましたが、それにしても今回のワールドカップは面白い。
全試合の半分も観れてもいないんですが、普通対戦の組み合わせによっては最初からシナリオが予定されていたようなゲームがいくつかあるんですが、今回は予想もつかないようなゲームがたくさん。なんというか下克上がテーマといってもいいくらいですね。

そして目立つのがヨーロッパの強さ。アフリカはグループ予選で消え、アジアは日本の敗退で16強で消え、北中米もメキシコが16強で消え、南米は準々決勝で消えと、ベスト4は全てヨーロッパです。これまで微妙に減らされてきたアジアの出場枠が今後も減らされないか心配になりますね。

自分はグループリーグのゲームを観ていてベルギーとクロアチアに焦点を当てていたんですが、両チームともここまで残りこの2国での決勝も充分ありえる。そんなベルギーにあれだけの試合をした日本は世界のトップレベルを少しかじれたかなと。

日本はかつてないくらいいい試合をしてきましたが、まだまだ世界のトップレベルには及ばないですね。
ワールドカップに出られるようになってから20年ほど。かつては出場が夢だった国が常連国となり、1点でも取れればヒーローだったのが、今回はグループリーグを含めて6得点。1大会ごとにほんとに地道な歩みですが日本サッカー界のレベルが世界に近づいているのを感じます。

今のサッカーはシステムというか戦術ありきの時代だし、小柄な日本人が世界と渡り合うためには戦術を洗練させるのが一番の近道だと思います。そう言う意味で今回の西野監督は世界に通用する戦術を持ち込んだということで一つの大きな役割を果たしたのかなと思います。惜しむらくは準備期間が少なすぎたことでその戦術を1つしか用意できなかったことですかね。2点を先行されて本気になったベルギーに対応できなかったわけですが、第2第3のプランがあればまた話は違っていたでしょう。


自分はスポーツ、というよりテレビはワールドカップしか観ません。
同じ4年に一度のオリンピックでさえ全く観ないんですが、それは何故だろうと考えるに「パッと見で感動と興奮がある」ということだと思い至りました。

例えば100m走で金メダルを取った選手がいたとしてその選手の走りを観ていて何か感動があるかというとそれはノーです。そしてサッカーで強烈なミドルシュートを決めた時には鳥肌がたつほど興奮します。こういった素人でも目で見て感じられるところがあるのがワールドカップの魅力ですね。
それとサッカーが観たいのならヨーロッパのトップリーグのゲームを観ればいいんですが、ワールドカップは国という枠の中で勝負するゲームであって、金の力でスター選手を集めればチームが強くなるというものでもない。そういう縛りと愛国心がモロに表に出てくるという部分でホントに好きですね。

次回は4年後のカタールです。カタールの国情で開催が危ぶまれているのは置いておいて、時差は今回とそれほど変わりはないのでまた楽ではないでしょうけど、日本チームの世代交代の行方とともに楽しみにしておきます。なによりあの「ドーハの悲劇」は未だに忘れません。時を経て「ドーハの奇跡」として上書きされるような展開があるといいですね。

そして今回はあと4試合。もう終わってしまうのが寂しいですが全部観るつもりです。

ワールドカップ

またまたやってきましたね、4年に一度の祭典。

これまでは時間に比較的自由があったので毎回ほぼ全試合を追うことができましたが、さすがに今はしがないサラリーマンってことで、今回は睡眠時間の許す範囲で試合をチョイスしながら観ています。

ひとつ誤算だったのは、開幕直後のスケジュールをしっかり調べていなかったせいで、あのスペイン対ポルトガルの日に夜勤を入れてしまっていたことですね。グループリーグでこの試合を観ないで何を観るんだと。職場にテレビがないので、ネットで速報を見ながら仕事してたんですがあとでハイライトを見てもわかるように素晴らしいシュートの乱打戦でああ、観たかったなあ(^^;

ドイツの敗退とかまさかの日本がコロンビアに勝つとか、まあ毎回のようにいろんな波乱がありますが、概ね全体的に選手が小粒になってきてるんですかね?知らない選手が多いのもありますが、全体的に今ひとつパッとしないような気がします。なによりいい面構えの選手が少ないです。
それにしても今回はヨーロッパ勢が強いですね。

どこまで追いかけられるかわかりませんが、昔のようにどっかの店で飲みながら、なんて観戦はなかなかできないので、すぐに寝れるように自宅でテレビにかじりついてます(笑
まだまだ面白い試合はたくさんあるはずなので、思う存分楽しみたいですね。

銘柄ライブラリ No9 コナミ

<コナミHD>(東1) 

売買日  1999.1.19 → 1999.3.12
売買価格 3410円 → 4680円  
株数    100株
損益   △111,850(コスト含む)
騰落率  37.24%


ルーツをアップしながら昔のことを思い出してるうちに、そういえば旧ブログでこのシリーズを書きかけで終わっていたことを思い出し、どうせしばらく書く事もないのでアップしてみようかなと。
この銘柄ライブラリシリーズは途切れた記憶を掘り起こしながら書いてましたが、当時より更に10年以上経ってるので、もっとしんどいのはわかってはいるんですが(^^;


1999年といえばITバブルが始まった年であり、地味な零細投資家から兼業ながらもトレーダーへの転機となった年でもあった。手がける銘柄は徐々に値動きの軽いものに移ってきていたが、それでも売買の動機は投資家としての視点をまだ欠かさずにいた。

当時セガの「ビートマニア」に続きこのコナミの「ダンスダンスレボリューション」というゲームが大ヒットして、いわゆる「音ゲー」のジャンルが切り開かれ、そのパイオニアとして株価が上昇傾向にあった。
自分自身当時はゲーセンによく行っていたし、「ダンスダンスレボリューション」の斬新さと面白さに凄く感銘を受けた口で、これが株価に反映しないはずがないとばかりに投資したもの。

投資の結果としては成功になってはいますが、株価はその後逆放物線を描き1万円以上まで上昇した。つまり初動だけしか取れず、その後の急騰にまったく乗れなかったという早売り乙の典型例(笑
せっかく読み通りの投資ができたのに、ガッツリ乗り切れずもの凄く悔しい思いをした記憶がありますね。

後から考えれば、後半の大暴騰はITバブル効果だったはずですが、当時の未熟な自分にはそんな判断がつくはずもなく、上げ続ける株価を羨ましげに眺めていたもんでした。


DDR(ダンスダンスレボリューション)とくればこれよね。

 

ボーナス

今の会社で社員になって2ヶ月と少しですが。


驚いたことに夏のボーナスが出ました。しかも恐らくですがまさかの満額。

通常は夏のボーナスは前年度後半の仕事に対して支払われるものだと思うので、4月から社員となった自分には全く関係ない話だと思ってました。ボスから「少しだけどボーナスあるんで」と言われながら給与明細を受け取ったんですが、せいぜい数万程度だと思ってたら中身を見てびっくり。

最初は平社員として入ったわけですが、入社前にボスに勧誘されていた時は「給料はヒラよりはイロをつけてほしい」と頼んでいたので、それがこのボーナスだったのかもしれませんが。まあ、自分も人間なんで多くもらう分には不満はないんですが、その分期待度がかなり高いのかなと思うとプレッシャーになりますね(^^;

今は現状把握ばかりやっていて、今後の方向性を少しづつ構築していってはいますが、まだ具体的な形となったものはないです。方向性そのものはボスの希望にかなうものではありますが、やりきって初めて仕事をしたと言えるものです。つまりこのボーナスは「もっとやれ」的な意味なのかな?と勘ぐってしまいました。


自分は他の社員とはちょっと扱いが異なり、普通のルーチン業務は基本的に免除されています。
まあ、何もしてないと暇だし業務の把握のためには現場を知らないと、ってことでささやかにはルーチンにも手を出してますけどね。15人ほどの職場で電話が毎日1000件ほど鳴るので、電話対応要員にもなってます。

また、新規事業の実現に向けて日中にクライアント候補の先を訪問したり、会議なんかもしょっちゅうやってて不在になることが多い。社員にしてみればついこないだまでアルバイトとして自分たちの下で働いていた人間が、そんな特別扱いをされていては面白くないはずですが、もともと自分という人間は謎な部分が多かったらしく、そういう声は聞こえてこないですね。

何はともあれ実績を残さないといけないので、毎日電話が大量にかかってくるやかましい職場で資料とにらめっこしながら脳みそを絞ってます。頭を使うのはだいぶ久しぶりなんで、なんかだんだん楽しくなってきました(笑

天使と悪魔

天使と悪魔 (上) (角川文庫)
天使と悪魔 (上) (角川文庫) [ペーパーバック]


前回もう紹介するものがない、と書いてからなんとなく本棚を見渡してみたらまだありましたよ。

旧ブログで少しだけコメントした記憶がありますが、「ダヴィンチコード」で有名なダンブラウンのシリーズものですね。
図象学者ラングドンが、とあることで見せられた秘密結社イルミナティの紋章をもとに様々な事件に巻き込まれ、本人の宗教や美術に関する知識をもとに謎を追い求めつつ事件の真相に迫っていく話です。

こう書くと今ひとつ面白みが感じられないので別の切り口で紹介すると、映画にもなった「ダヴィンチコード」のシリーズ第一弾です。今現在4作ほどが出ていますが、シリーズ中でもこの「天使と悪魔」が一番面白いと思います。

何故この作品より「ダヴィンチコード」のほうが世に出たかは謎ですが、いずれもサスペンスとしてはなかなかにスリリングかつ、ラングドンの宗教などに対する深い知識と、それに基づく問題解決へのヒラメキがミステリーとしても面白い。上中下の三部作ですが、それほど胃もたれするような分量でもないです。

休日の過ごし方

日勤になって一週間が過ぎました。

時差ボケはなんとかなってきましたが、休みの日は朝二度寝をするとそこから6時間とか寝てしまうほど、まだ完全に昼型になったわけではないです(^^;

そしてこれは夜勤の時からそうでしたが、休みの日にやりたいことが何もない・・・
丸一日暇というのもあれなんで、ここのところ昔ハマっていたアメリカドラマを観ています。
リーマンショック前後にトレードから距離をおき始めた頃、ザラ場の時間をもてあまして観ていたものですが、当時あまりにも一気に観てしまったのとあれから10年ほどが経ち記憶も薄れてきたのでもう一度楽しめるかな、と思ったのが動機でした。

心配していたのはそんな昔のドラマがまだ近所のゲオで借りれるかどうかでしたが、久々に訪れたゲオにはしっかり当時観たドラマが全て揃っていました(^^)とっかかりとしてプリズンブレイクから観始めていて、今日でシーズン2まで観終わりました。しかしやっぱり面白いなあ。こんな感じでしばらくは暇な時間のお供はゲオになりそうです。

そして自分の娯楽面が最近貧しいのを感じていてその理由を考えてみたんですが、スマホアプリも新しいネタがなく、ずっとやってるクラクラもかなり過疎気味で盛り上がらない。そしてなにより思うのが、ここのところ新しく面白いと思える本に出会ってないからですね。ブックレビューも持ってる本についてはだいたい書き尽くしたし、新しい出会いがないと何も書けません。

シリーズで読んでいる作品も最近はどれも停滞気味でほとんど新刊が出てこないし、活字中毒の自分としてはちょっと深刻な事態。新しいジャンルに挑戦してみようかと思うけど、思いつくのは歴史ものくらいですかね。
歴史ものは三国志以外は読んだことがなく、日本中国ともにたくさんのシリーズがあるので、これにハマれば当分の娯楽には不自由しなさそうです。まあハマればですが(^^;


昨日はボスと今後の業務の戦略の要となりそうな会社に訪問し、いろいろ勉強してきました。その後ボスと二人で飲みに行き今後の部門の運営についていろいろ語りました。自分はまだヒラですが、ボスとしては片腕として使っていきたい意向のようで、いろいろ忌憚ない話が聞けたうえに、今後の自分の役割がより明確になってきたのはよかった。

招かれて勤め始めた以上期待通りかできればそれ以上の結果を残したいもんです。


ルーツ余談

ルーツ全24話いかがでしたか?

改めて思うに「あの頃はホントに株が好きだったんだなあ」と。
何故今はあの頃と180度変わってしまったかを考えるに、「相場にドラマがあるかどうか」だと思います。
昔は政治・経済・企業業績などが株価に密接に結びつき、株式市場そのものが一つの劇場のようなものでした。今ではほとんど実感のないシリコンサイクルという明確な経済の波もありました。
このルーツを読んでもらってもわかるように様々な出来事あり、激動の時代だったと言ってもいいと思います。

企業の勃興や、それにともなう株価の変動は、自分の投資にも密接に結びつき、ともすればいち消費者としてもそれを実感できるような時代でもありました。なんというか「肌で感じられる相場」だったのかなと。
それが経済がグローバル化し、株価の大きな変動要因が海外に移ってしまい、また国内での大きなイノベーションがほとんど見られなくなってしまった。このあたりに原因があるのかな、と思います。

もう相場に戻ることはないと思いますが、大きな技術革新や構造変化があり、産業地図が塗り替わるようなことがもしあれば、そういったドラマに惹かれてまた復活はあるかもしれません。まあ、その可能性はほとんど感じないですけどね。

金融小説も黒木亮の作品を見ていると、90年代後半から2000年代前半くらいまでが素材として面白いのかよく題材として選ばれていますね。まあ、作者が投資銀行にて経験した時期がそれだっただけかもしれませんが。

なんにせよ、投資をするには非常に面白い時代だったわけで、だからこそあれだけ相場に夢中になっていた自分が、今の無味乾燥(自分のイメージです)な相場に興味を持てないのは当然かもしれませんね。
もう今となってはあれほど夢中になれるものはありませんが、また自分がひたむきになれる「何か」が見つかればいいな、と思ってます。


ルーツ

日勤になって二日出勤しましたが・・・
睡眠がきれいに取れない(^^;

思えば10年ほど夜型生活をしていたわけですから当然かもしれませんが、ひどい時差ボケのようなもので、夜は寝てもすぐ目が覚めるし仕事をしている日中は無条件で眠くなる。

体が慣れるまでもうしばらくかかりそうですが、精神のほうも慣れが必要なようで明るい時間に起きて暗い時間に寝るというのは違和感がありまくりです(笑

ルーツはこれで最終話となります。

23


彼らは、それぞれが完成度の高い独自のスタイルを持っていた。

自分が散々苦しめられていた時期に、彼らは相場で生計を立てていたのだ。突出した武器がないと生き残れないし、同じスタイルのトレーダーを大勢養ってくれるほど、甘い相場でもなかった。全員が暗黒の時代をくぐり抜けた猛者だった。

自分はその頃には、今のスタイルの原型である短期スウィングが中心となっていたが、彼らとの出会いによりトレードの幅が広がったのは言うまでもない。もちろん、まだその時は兼業である。注文は仕事の合間にIモードで出していたので、スキャルピングなどはできない。1年くらいの間、彼らのトレードを見て経験地を高めていった。


2004年は、専業となるための修行の期間と言ってよかっただろう。前半は好調な地合いにも恵まれ、既に6月には前年以上の利益を稼いだ。自分としても自信があったし、彼らからも専業になるようすすめられたのもあった。そこである日、軽い気持ちで妻に相談してみた。彼女の答えは・・・


「資金が1億以上になったらね♪」

最初は冗談だと思ったがそうではなかった。兼業でもいつかは1億に到達するかもしれないが、こんないい相場は何年続くかわからない。正直ちょっと焦っていたが、彼女の了解無しには専業にはなれない。もう少し様子を見ることにした。


そんな頃、本業のほうでは不況の最後のあおりがきていた。
給料が2割カットされたのだ。ボーナスは既に2年間全くもらっていない。組織に見切りをつけ同僚が次々と辞めていくが、リストラ中のため補充はない。仕事のしわ寄せがくる。それはまだいいが、仲間が減ると言うのはとても気分が滅入るものだ。
同期と飲んでもみな疲弊し希望を失っていた。

だんだん家に帰って仕事の不満を言うようになった。12年間どんなに忙しくても逆に充実してたくらいなのに、もうその充実感がない。初めてのことだった。我慢の日が続く。仕事への不満は募る一方だ。そして逆にトレードへの情熱は高まっていく。妻はそんな自分を徐々に理解をしてくれるようになった。いや、自分が最初に専業になりたいと言った時点で既にその覚悟を持っていたのだろう。

ついにゴーサインが出たのだ。




24


2004年の年末。年後半は調整を続けていた新興市場が新しい波動に入った。

仕事のスケジュールを考え、タイミングを見て上司に退職したい旨を告げた。退職日は2005年2月末。それまでに、PCも購入し準備を整えた。思い立ってから専業になるまで1年半ほどかかったのだ。気持ちは逸るばかりだった。


そして迎えた専業初日。
気負いがあったのだろうか?気持ちとは裏腹にいきなり負けた。出鼻を挫かれた自分に仲間の一人が言ってくれた。「 それは市場の洗礼だよ 」と。この一言で気が楽になった。最初は慣れないデイトレで無理をしたりもしたが、やがて自分の基本スタイルである短期スウィングで安定した利益が出るようになった。

そして今日の自分がいる。



自分のトレード人生を振り返って、今まで様々な人達に教えられ影響を受けてきた。

・最初に株を教えてくれた会社の先輩。
・楽しい時期と苦しい時期を共に歩んできたMLの仲間たち。
・相場というものを教えてくれた先輩ディーラーたち。
・専業のあり方を教えてくれた、専業仲間たち。

他にも多くの人達との出会いや関わりがあり、相手の経験値や資金量に関係なく、それは全て自分の血肉となってきた。

そしていいかげんな夫に今までついてきてくれた妻。
彼女がいなければ「専業トレーダーほいみ」は存在しなかっただろう。

まだ成功と言うには遠いが、専業トレーダーという人生の新しいステージに立ち、ここまで順調にやってこれたのは決して自分だけの力ではない。いつも彼らへの感謝の気持ちは忘れない。


また、今度は自分が人にあげられるものがあると思う。それが何かはわからないが、自分をオープンにすれば何か感じてもらえるものがあるだろう。そんな思いもあり、インフォに登録し日記を書き始めた。

そして、ここでもまた新しい出会いがあり、世界が広がる。
そう、「ルーツ」に終わりはないのだ。


ルーツ 完

ルーツ

来週から昼勤務になります。
昼がメインになるのは元から決まっていた話ですが、タイミングが決まったのが3日ほど前で、自分が教えていたアルバイト達には突然の話だったようで皆一様に不安そうな様子(笑
こうなることは最初からチラホラ話ししていたし、自分たちだけでやっていけるように教えてきたので、まあたぶん大丈夫でしょう。
中には自分が退職すると思ったのか「お世話になりました」なんて挨拶してくる人いましたが(^^;


21


2003年2月。どん底まで落ちたはずの銀行株が大暴落を始める。

もう何度目になるかわからない金融危機が勃発したのだ。2ヶ月以上の間銀行株が徹底的に売り込まれ、みずほやUFJが10万を割れた。そして2003年4月。ソニーの下方修正発表で225は最安値の7603円をつけた。
あの「ソニーショック」である。


この頃自分は銀行株も売買していたが、より値動きの軽い新興市場が売買の中心になっていた。そして4302オープンIFに余力の大半を投じていた。「なぜオープンIFだったのか?」仲間にも言われた事があるが、自分でもよく覚えていない。株価が10万円前後で手掛けやすかったのもあり、前年からよく売買していた銘柄だった。

それと、2003年に入ってからは、4563アンジェスの大相場があり、7709クボテック、7717Vテクなどが強い相場を作っていたので、新興に流れがあると感じていた。
何よりITバブルの始まりの頃の、新興市場の暴騰がイメージにあった・・・


業績は赤字でよくない。瞬間的に大きく買われてもすぐに売り直される。でも不思議と迷いはなかった。ソニーショックの直前に、大赤字の決算発表をし最安値をつけた時も、最後の余力でポジションを追加した。

「腹をくくった」そう表現するしかない。
そして最後の勝負は自分が扱い慣れた銘柄に決めた。ただそれだけだった。


ソニーショック以降225はリバウンドを始める。新興市場ではチラホラと大きく上昇する銘柄が出始めた。オープンIFも決算発表後は、悪材料出尽くしでジリジリ上がり始めていた。もう後は待つだけだった。そしてほどなくしてその時はきた・・・


大幅黒字転換予想!


ニュースを見た瞬間体が震えた。大相場になる確信があった。
そして自分の予想通り、オープンIFは発表から4日連続でS高し、その後も急騰を続けた。

含み損だったポジションは大幅な含み益となり、信用分はいったん益出しをして、増えた資金で更に乗せていった。株価は業績修正発表後の1ケ月弱の間に、7万から30万に急騰した。
そして自分も一気に500万ほどの利益を得たのだ。大勝利だった・・・


「生き返った・・・」心の底から実感し、そして妻に感謝した。




22


妻に大勝した話をすると「よかったね♪」簡単な答えが返ってきた。

妻はまだいいと言ったが、一息ついた時点で150万出金し「家計の貯金」に戻した。これは自分にとってけじめだった。それにまだ妻に借りた200万が残っているのだ。


2003年5月のりそな銀行の国有化で一連の金融危機が終息に向かった。3年間の長く暗いトンネルを抜け、株式相場は底打ちをした実感があった。自分は、オープンIFで手にした資金を、他の銘柄に次々と振り向けていった。その頃には、まさにITバブル初期と同じ光景が繰り広げられていたのだ。もう迷う必要はなかった・・・


2003年は株式投資を始めてから最も幸せな1年になった。
この1年間で、年収の2倍を超える収入を得たのもそうだが、それよりも株式市場が復活した事のほうが喜びは大きかった。「相場さえ生きていれば勝てる」8年の投資経験の中でも最悪のどん底相場を経験し、そんな自信が芽生えつつあった。そして大好きな株で生計を立てる、つまり専業になりたいと考え始めたのもこの頃からだった。


後に「新興バブル」と呼ばれることになる新しい大相場は、本家バブルやITバブルに比べればスケールの小さいものではあった。だが、その最大の魅力である値動きの軽さにつられ、仲間たちも徐々に新興市場に参入しつつあった。


そんなある日、仲間の掲示板に新しいメンバーが加わった。彼は専業トレーダーだった。専業といってもデイトレができるくらいで、やってる事は自分達とそんなに変わらないだろうという思い込みがあった。しばらく経つと飲みの席で面識ができ、その彼が主催する別の掲示板に誘われたので、なんとなく興味本位で参加した。


そこのメンバーは、なんとほとんどが専業トレーダーだった。彼らのトレードを見て、驚愕する毎日が続く。一番驚いたのはトレードスタイルの多様さだろう。スウィンガーが多かったが、もちろん皆デイトレもする。BB獲得から初値買いまでのIPO攻略や、スキャルピング、逆張りでの買い下がり、S高ハンティングetc.

トレード資金も回転数も桁違いの世界を見て、最初はしり込みしたものの徐々にそのパフォーマンスに目を奪われるようになった。


ルーツ

先日学生時代のバイトの後輩と飲みました。

彼は2年ほど前に自分の地元に引っ越してきたのはわかってましたが、自分の状況が状況だっただけになかなか飲みに誘えなかった。念願がやっとかなったわけですが、25年ぶりくらいの再会にも関わらず、波長の合う人間ってのはブランクは関係ないもんなんだなと思ったもんです。もっと早く誘えればよかったな。


19


自分が壊れていっているという自覚はあった。でも自分ではどうすることもできない。こんな夫を妻はどういう思いで見ていただろう?一言やめろと言って済む話だったら簡単だが、自分はのめりこむとじっくりとこだわり続ける人間なのだ。それに人の言うことにはあまり聞く耳を持たない。
今思えば、あの頃によく離婚されなかったと思う。


過去の売買の記録を見ると、ITバブル崩壊時のショックをもろに受けた2000年が一番大きなマイナスを計上したが、続く2001年も鳴かず飛ばずでマイナスとなった。2002年の春先にはハイテクのリバウンド相場があり、底打ちを期待したものの、夏にはそれがあっさりと失望に変わった。

自分は株を始めてから今までの、全ての売買明細をEXCELに入力している。取引の分析や資産の管理に必要だからだが、この頃は取引報告書を見るのが嫌で、数ヶ月放置していたことも多い。だから当時どんな銘柄を売買していたかもあまり記憶がない。
それに、なんというか頭の中が濁っていた・・・・


2002年の後半には、資金は風前の灯火となっていた。
もう株の資金を補填するどころではなかった。そしてある日、信用を全て決済すれば資金が30万を割れるところまできた。いよいよ「退場」の2文字が何度も頭に浮かんだ。だが、自分にとって株は、既に金や趣味のレベルにとどまらず、ライフワークと化していた。
「退場」とは人生の欠落と同じ意味だった。
ましてこんなひどい地合いの時に負けたまま市場から去る悔しさには耐えられなかった。相場はいつ底打ちしてもおかしくない水準まできているのだ。負けるだけ負けて、あの活況相場がくれる快楽を逃す。そんなことがあったら一生後悔するだろう・・・


そんな自分の気持ちを知っていた妻がある日言った。
「貯金を使う?」

ここでいう貯金とは、妻に強制的にさせられていたあの「家計の貯金」のことだ。
その時点で150万しかなかったが、当時の自分には大金で、そして我が家の唯一といっていいくらいの資産だ。

2002年の年末。相場で負け続けてはや3年が経っていた・・・



20


彼女に言われるまでもなく、それまでにその150万を使うという選択肢は当然にあった。だが、自分は既に彼女に借りた200万も溶かしているのだ。普通に考えれば、負け続けている人間に資金を追加しても、同じ結果が待っているのは明らかだ。自分もそれをわかっていたし、これ以上我侭を言えないという思いから、正直戸惑った。

でも、彼女は言った。
「今のままじゃ納得いかないんでしょ?」

つまり、金がなくなっても仕方ないから、納得がいくところまでやれということだった。


涙が出そうになった・・・

株を続けられる嬉しさにではなく、そこまで自分のことを考えてくれる彼女に対してだ。相場で負け、自堕落な生活をし、自滅していきつつある夫に、彼女は失望しているだろうという自覚があった。それだけにその予期せぬ言葉は自分を大きく揺さぶった。


少し悩んだ結果、その150万は全額使うことにした。
思い切りやって散ったほうがいい、そう思った。
そしてその資金を追加して、再度ポジションを張った。もちろん信用も使ってだ。


だが、しょせん落ち目というべきか、一番大きくポジションを持った4297ISSがいきなり下方修正を発表した。ISSはMM銘柄である。MMの恐怖をこの時初めて味わい、投げた時には資金が一気に80万ほど減り、再び100万を割れそうだった。

ガックリと落ち込んで、このことを妻に素直に話した。
「それはヘコむね」彼女はそう言って笑っただけだった。その表情を見て、まだ覚悟ができておらずオロオロしてるだけの自分を、情けないと思った・・・


2003年に入った頃になると、仕事が猛烈に忙しくなり、日付が変わる時間まで会社で残業する日が多かった。株で資産を失い、これで仕事もできないとただのバカだと思い、キツかったがそれでも真面目に仕事をした。ポジションは持っていたが、家に帰って株のことを考える時間もなく、当然資金も増えない。妻は深夜1時近くに帰宅する自分に、毎日何も言わずに暖かい料理を作ってくれた。

「彼女に報いたい」深夜の食事をしながらそう思った。



Profile

ほいみ

47歳♂ 会社員
東京都某区在住

資産を全て失いフリーターから人生をやりなおす日々
13年ぶりにサラリーマンに復活

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