ほいみのそれから

銀行員→専業トレーダー→再就職→破産から復活へと歩み出すアル中廃人の日記

銘柄ライブラリ

銘柄ライブラリ No.15 ジェイコム

<2462ジェイコム(現ライク)>(東1)  

売買日  2005.12.8 → 2005.12.13
売買価格 572,000円 → 912,000円  
株数    25株
損益    △8,496,902(コスト含む)
騰落率  △59.44%

この銘柄ライブラリシリーズもこれで最終回です。

このトレードについてはブログを書き始めた頃ということもありブログでもいろいろ書いていますが、エクセルでまだ取引を記録していた売買でもあり、このシリーズの締めくくりとして採用しました。

あの大事件となった「ジェイコム誤発注事件」のまさに渦中のトレードですね。

当時の状況を書くと、IPOバブルの真っ盛りの2005年12月に当時IPOの有力銘柄として上場したこのジェイコムに、みずほ証券からありえない誤発注が出され、BNFをはじめとして世の中の多くの個人投資家がこの誤発注を利用して大きな利益を計上したものですね。

今でも値段を覚えてますが初値予想90万くらいだったものが、みずほ証券より出された注文は「1円で62万株の売り」。当然のように買気配だったこの株は67.2万円であっさりと寄り付き、そのまま急落し57.2万円に50万株以上の売り物を残してストップ安に張り付いた。

自分はこの当時の最有力候補銘柄として寄り付き前から80~90万あたりに注文をバラバラ入れていました。
寄り付いたあと急落したのを見て多少ビビりましたが、急落途中でも買いを入れてました。
事情がわかったのがS安に張り付いて、発行株式数を遥かに超える売り物が見えた時ですね。

当時トレード中は仲間とチャットをやっていたので、チャット上で「誤発注だ!みんな買えー!!」と叫んだのを覚えています(笑
当時の資金力では100株ほどは買えたはずですが、さすがにただ儲けのチャンスとは言え、当時からリスク管理とバランスが自分のトレードの持ち味だったのもあり、そこで1銘柄に余力の全額を突っ込めるほどの度胸はなく、上記のようにS安で買ったのは25株だけ。

初値買いで入れていた注文もあり、全部で40株ほどがそのまま持ち越しとなり、強制決済となるまでお宝ポジションを抱えたままトレードを続けていました。13日にポジションが強制決済で開放されたと同時に、同じく解放された資金が一気にIPOへ向かい、IPOが稀に見る大暴騰相場になり自分自身も記録的な利益を計上したのはいい思い出ですね。

もう今となっては証券会社も東証もシステムが変更されああいうありえない注文が通らない仕様になっていると思われるので、こういう大事件ともなる誤発注はもう起きないでしょう。そういう意味では最後のこういうチャンスに巡り合い、無事利益を残せたというのは当時は自分の天運があったんだなあと思います。

ちなみにこの強制決済の値段91.2万円については当時ブログ上でもかなり文句を言って叩かれた記憶があります(笑
「市場で起きたことは市場に任せるべき」「これこそ自己責任原則」という理屈でしたが、周りからは金の亡者にしか見えなかったのかもですね。

結局ジェイコムはIPOバブルで高値は200万を超えました。
自分はこのトレードの後気が抜けたのか、強制決済の値段が脳裏に引っかかったのかその後あまりこの銘柄を売買しませんでした。大きな利益とはなりましたが、これも一つの呪いだったのかなと思いますね。

銘柄ライブラリ No.14 T&Gニーズ

<4331T&Gニーズ>(東1)  

売買日  2003.8.27 → 2003.8.27
売買価格 2,800,000円 → 2,960,000円  
株数    1株
損益    △151,380(コスト含む)
騰落率  △5.71%

2003年5月に相場全体が底打ちをして、自分もオープンIFで大勝利を収めてからは、とにかくいろんな銘柄を買っては売りの回転売買で順調に勝ち続けていた。
特に新興市場がよい稼ぎ場であり、当然のようにやがてIPOにも目を向けるようになった。

この会社がいつ上場したかは覚えてないけど、記録を見る限りこれが最初の売買なのでたぶんこの頃だったんでしょう。上場してからしばらくはこのトレードも含め数回売買しただけだけど、株価はこの後500万ほどまで上昇したあと100万円台まで下がったりしていた。

IPOの値動きの癖なんかはまるで知らなかったけど、その急落は特に食らったわけでもなく、100万円台になってから再度売買の対象としていたようです。
値動きだけ見れば普通はいったんそこまで落ちたIPO銘柄を手がけることはしないはずですが、この会社はレストランウェディングという当時としては斬新な業態であり、結婚後まだ数年だった自分にはいろいろ思い入れるには十分な会社だった。

100万円台から売買を再開してからはIPOバブルの波にも乗ったのかトントン拍子に上昇していった。
株価は当時の自分には数枚買える程度のものでしたが、その上昇トレンドにひたすらくっついていって、買っては売りの繰り返しで都合30回以上、合計で600万ほどの利益を得られたありがたい銘柄でした。

ついでに言うとこの頃はまだ特定口座ではなく確定申告が必要でしたが、この銘柄の売買の数字を誤魔化してだいぶ節税(脱税)した記憶もあります。当時はそれほど多くない1株単位の銘柄ということで調整がしやすかった記憶があります。いろんな意味でいい思い出のある銘柄ですね。

そして実は今の仕事になって再びこの会社と出会った。(詳しくは書けませんが)
あの頃ただのIPOだった会社がずいぶんと立派な会社になっていてなんか感動しましたね。小学生だった甥っ子がいつの間にか立派な青年になっていたというような感覚とでもいいましょうか。
こういう企業の成長を見ることができるのも株式投資の醍醐味ですね。

銘柄ライブラリ No.13 エイベックス

<7860エイベックス>(東1)  

売買日  2000.5.18 → 2000.5.19
売買価格 13,300円 → 10,500円  
株数    100株(空売り)
損益    274,003(コスト含む)
騰落率  ▼21.05%


ITバブルの間すっと買い豚だった自分もこの年の年始からの暴落にもみくちゃにされ、やっと「買いだけでは勝てない」と気づき始めた頃。もう既に全体はだいぶ下げていたが、毎日のように急落する銘柄はたくさんあり、ショート候補を探すのはそれほど難しくなかった時期だった。

それまでヘッジですらショートをしたことはなかったけど、このエイベックスのチャートを見ていてピンとくるものがあって、ロングと同様にブレイクアウト気味にショートを仕掛けてみたもの。
ポジションを持ってからあっという間に下げ続けわずか一日でそこそこの利益になった。(当時は基本スイングで最低でも数日はポジションを持つのが当たり前だった)

ショートデビューで見事に利食い。それ自体はとてもいいことだったけど、このトレードがその後長い間自分に呪いをかける結果となった。最初のショートがあまりにも綺麗に決まってしまったので、それ以降ショートをする時は同じように綺麗に決まらないと失敗と感じるようになってしまったんですね。

専業になってからもショートはいろいろやっていたんですが、心の底にずっと苦手意識があった。
なんというか腰を据えてポジションを持つということができなかったんですね。
それが全てこのトレードに起因するかは別にして、後後まで影響があったのは事実です。
成功体験とはなかなか厄介なものなんだと思いましたね。

銘柄ライブラリ No.12 CSK

<9737CSK>(東1) ※現在は上場廃止 

売買日  2000.1.4 → 2000.1.19
売買価格 17,200円 → 11,580円  
株数    200株
損益    ▼1,148,423(コスト含む)
騰落率  ▼32.73%

ルーツでも書いたようにY2K通過後にこの年の最優先銘柄として投資したものですね。
年始からの暴落で思い切り出鼻をくじかれた売買でした。

それでもその後買い直して再度ポジションを組み直しています。年始の方針でこの銘柄を中心にこの年はいく、という方針を立てていたのもその理由でしたが、もう一つこの会社にこだわったのは少し因縁(?)があったからでした。


自分は大学までずっと理系で、このため最初の就職活動ではシンクタンクやIT系企業なんかをイメージしており、資料請求なんかはそういった企業を中心にしていました。そんな中で最もビビッドに対応してくれたのがこのCSKでした。

当時はバブルの超売り手市場と言われた就職戦線は大きく変わり、また就職氷河期に入る直前で、企業の青田買いや学生の囲い込みは自分のイメージでは普通のレベル。
そんな可もなく不可もなくという状況で、まだ田舎から出てきて数年だった自分には、経済動向等世の中の流れなんてわかるはずもなく、なんとなくという感じで就職活動をしていました。

企業説明会や筆記試験に続き面接があったわけですが、当時もけっこうな大企業だったはずですが、自分に対する扱いは明らかに他の学生とは違い、まるでVIPと言わんばかりのもてなし方で、面接でもうちにきたら幹部候補として扱うというようなことも言われた記憶があります。

普通ならここで舞い上がって就職を決めてしまってもいいと思うんですが、この企業に好感は持ったものの結局ここでは就職を決めませんでした。理由は自分でも覚えてませんが、あまりにもの手厚い応対に不気味なものを感じたのかもしれません。この企業のポリシーとして「重厚長大」に対する「軽薄短小」(違うかもしれませんが、そんな感じの言葉です)という言葉にも違和感を感じてはいました。

結果的にこの会社は潰れているので就職しなくて正解だったかもですが、その後改めて就職活動をやり直し就職した銀行では、倒産まではいかないまでも限りなくそれに近い状況にはなったので、自分の先見性はあてにならないと感じたものです。


話が逸れましたが、このCSKにはその後も売買を繰り返してはことごとくやられており、専業になる前では一番損失を計上した銘柄だったと思います。投資する銘柄に自分の思い入れがあると、無意味にこだわってしまい後でロクなことにならないという典型例ですね。

銘柄ライブラリ No.11 データ通信

<9682データ通信>(東1) 

売買日  1999.8.26 → 1999.9.14
売買価格 4800円 → 7390円  
株数    100株
損益    △244,281(コスト含む)
騰落率  △53.9%


ルーツでも書いたように1999年の夏はとても熱い夏だった。

ITバブルも大相場の雰囲気が満載になっていて、毎日あちこちで暴騰する銘柄が溢れてた。
それまでIT系の企業には全く無知だった自分も、ブームに乗ろうとそれっぽい銘柄を毎日探していて、そんな中でチャートから雰囲気を感じたのがこの銘柄だった。

専業になってからは当たり前のことになってたけど、「その会社が何をやっている会社か知らないで投資する」というのはこの銘柄が初めてだったと思う。
まあ、名前からなんとなくは想像はつきますが(笑
ちなみにその後の接点がなかったのもあり今でもなんの会社か詳しくは知りません(笑

買ってから間もなくこの銘柄は暴騰し始め、その頃にはもうお馴染みとなった逆放物線を描き、一気に値上がりしていった。自分は「もう十分だろう」と思い利食いしたんですが、これも更に上がりその後1万円は軽く超えたと記憶している。

前に書いたコナミが頭しか食べられず悔しい思いをしましたが、このデータ通信は胴体くらいは取れたのかな?「考えるより動け」という理屈抜きのトレードを初めて受け入れて、そして成功した記念すべきトレードでした。

銘柄ライブラリ No.10 ファンケル

<ファンケル>(東1) 

売買日  1999.11.5 → 2000.3.10
売買価格 34600円 → 23000円  
株数    100株
損益    ▼1,174,201(コスト含む)
騰落率  ▼33.5%

このシリーズまだもう少しネタがあります。
書くのは少し悩みましたが、ぶっちゃけインサイダーですね。

ルーツでも少し書きましたが、昔銀行にいた頃同期でファンドマネージャーをやってる奴がいて、そいつとは社内でちょくちょく会っては相場の話をするくらいには仲がよかった。どうでもいいですが未だに年賀状のやり取りもしています。

その同期がある時言いました。
「とりあえずファンケル買っとけ、儲かったら折半でな」と。
どういうことだと聞いてみると、なんでもファンケルの経営陣がファンドマネージャーを集めた業績説明会かなんかで、近々東証一部に上場する予定だと公表したとのこと。(当時はまだJASDACでした)
当時でも大企業ではそんなことはありえなかったと思いますが、新興企業の中には自社の株価を上げるために、このように投資家を集めてサービスがてら内部情報を気前よく報告することが時々あるのだとか。

普通に考えればインサイダーですが、いちおう公には公表されないだけで、社外の人間に伝えられた内部情報ということで、厳密にはそれにあたるかどうかは知りません。その同期ももちろんそれを意識したのと、仕事で得た情報で個人的な富を得ることが道義的にあまりよろしくないと考えたのは当然です。

そこで普段から株の話をしていた自分に白羽の矢が立ったんですが、話を聞いた自分は迷うことなく乗りました。なんといっても、純粋なインサイダー情報というのが個人投資家に入ってくることは全くと言っていいほどないわけで、またその正確さも同期の奴が折半で乗るという時点でもう疑いのないものだと確信してたので。

まあ、ここまでの話はいろいろ思うことはあるにしても、ここからがひと問題でした。
話を聞いた翌日には株価はのっけから沸騰気味で、投資に必要な金額もそれなり(約350万)だったので、零細投資家としてはそれまでのポジションを慌てて畳んで買いに行きました。買ったその日から3日連続でストップ高となり同期の情報の確かさをありがたく思ったんですが、その後3日連続でストップ安しあっという間に含み損になりました。

株価が上がってるうちは自分の売買を気にしていた同期も、株価が下がってからはなしのつぶて。
結局最終的に投げた時には100万以上の損失という当時の自分にはワーストレベルの損失となりました。
記録では4ヶ月ほど保有したことになってますが、当時はITバブルの真っ最中でいくらなんでもそのサイズの銘柄をそんなに長い間持ってたわけはないと思うので、何か記録違いがあったのかもしれません。

そして、最終的な損失は同期に被せることもなく自分で全て被り、「インサイダーだから確実に勝てるというわけではない」という教訓を残しこのトレードは終わりました。
本当にインサイダーで儲けようと思ったら、自分以外の誰もその恩恵を受けないぐらいの情報じゃないと勝てないもんなんだろうと思いましたね。

銘柄ライブラリ No9 コナミ

<コナミHD>(東1) 

売買日  1999.1.19 → 1999.3.12
売買価格 3410円 → 4680円  
株数    100株
損益   △111,850(コスト含む)
騰落率  37.24%


ルーツをアップしながら昔のことを思い出してるうちに、そういえば旧ブログでこのシリーズを書きかけで終わっていたことを思い出し、どうせしばらく書く事もないのでアップしてみようかなと。
この銘柄ライブラリシリーズは途切れた記憶を掘り起こしながら書いてましたが、当時より更に10年以上経ってるので、もっとしんどいのはわかってはいるんですが(^^;


1999年といえばITバブルが始まった年であり、地味な零細投資家から兼業ながらもトレーダーへの転機となった年でもあった。手がける銘柄は徐々に値動きの軽いものに移ってきていたが、それでも売買の動機は投資家としての視点をまだ欠かさずにいた。

当時セガの「ビートマニア」に続きこのコナミの「ダンスダンスレボリューション」というゲームが大ヒットして、いわゆる「音ゲー」のジャンルが切り開かれ、そのパイオニアとして株価が上昇傾向にあった。
自分自身当時はゲーセンによく行っていたし、「ダンスダンスレボリューション」の斬新さと面白さに凄く感銘を受けた口で、これが株価に反映しないはずがないとばかりに投資したもの。

投資の結果としては成功になってはいますが、株価はその後逆放物線を描き1万円以上まで上昇した。つまり初動だけしか取れず、その後の急騰にまったく乗れなかったという早売り乙の典型例(笑
せっかく読み通りの投資ができたのに、ガッツリ乗り切れずもの凄く悔しい思いをした記憶がありますね。

後から考えれば、後半の大暴騰はITバブル効果だったはずですが、当時の未熟な自分にはそんな判断がつくはずもなく、上げ続ける株価を羨ましげに眺めていたもんでした。


DDR(ダンスダンスレボリューション)とくればこれよね。

 

Profile

ほいみ

47歳♂ 会社員
東京都某区在住

資産を全て失いフリーターから人生をやりなおす日々
13年ぶりにサラリーマンに復活

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